8月1日 二人は幸せなアレを

「……こ、康太」


「瞬……その」


瞬と二人きりの、俺の部屋。


言わずとも、お互いの求めてることを感じて、緊張の糸が張る。エアコンの音と外で鳴いてる蝉と、心臓が混ざって、やたらうるさい。部屋は涼しいはずなのに、うなじを汗が伝った。


ふと、瞬を見遣ると、白い喉仏が僅かに動いた。唾液を飲んだのだ。きゅっと結ばれた唇が震えている。


──どこで、こんな道に入ったんだろう。


そんなことをふと、考える。


たしか、ほんのちょっと前まで、俺達は──それぞれの用事を終えて学校から帰って来て、午後は俺の家で、休んでた分を取り返そうと、一緒に勉強することになったはずだ。


久しぶりに、瞬と心穏やかな時間を過ごして、そこまでは別に……普通だったんだが。


ちょっと、休憩──と、アイスを食っていた時に、思いのほか、早く溶けだしたアイスを、瞬が膝の上に零したのだ。それを拭き取ってやろうと近寄って……それで……色々なことがぶり返して来て……。


──もっと……。


言葉になって自覚したら羞恥で死にそうな、だけど、そんな瞬への欲求が、自分の中にあるのだと感じる。


でも、こういう時って、勝手にするのはよくないよな。

そうしたいなら、ちゃんと、瞬に言わねえと。けど……。


葛藤から、俺は瞬から視線を外す。その時。


「……っ」


「……」


俺の、床についた手の上に、瞬が手を重ねてきた。思わず、瞬の顔を見ると、瞬はぱっと俺から顔を逸らして、でも、小さく、こくりと頷いた。もう、その意図が分からない俺じゃない。


──瞬……。


俺は、重ねられた瞬の手を、今度は俺の方から握った。手を取って、瞬を引き寄せる。

それから、瞬の目を見つめる。瞬も俺を見つめ返して、もう一度、頷いた。



瞬が目を閉じたのを合図に、俺はゆっくりと、瞬の唇に、唇を──。



「お、何や。もうやっとるやん。ええなあ」


「……」


「……」


「あ、儂に構わず、続きしてええで、ほれ」


「できるか」


いきなり現れたクソ関西被れを睨みつつ、俺は瞬から離れる。瞬は、困ったように眉を下げて、頬を赤くして俯いていた……邪魔しやがって。


「おお、おお。ええやん、お前も『感情』取り返して、ようやっとヘタレ卒業できたんちゃうの」


「殺すぞ」


部屋に飾っていた七夕用の笹を、「お祓いとかで使うアレ」代わりに、クソ矢に向けると、クソ矢はわざとらしく「おお、怖」と言ってのけ反って見せる。そこへ我に返った瞬が、俺とクソ矢の間に割って入った。


「こ、康太……!ほら、澄矢さんも。喧嘩はダメだよ」


「誰だよ、澄矢って」


「儂やろ」


「贅沢な名前だな。クソ矢のくせに」


「お前はどこかの婆か」


アレはむしろ儂ら側の存在やろ──とクソ矢が肩を竦める。その隣で瞬が「まあまあ」と宥めていた。ていうか──。


「何、馴染んでんだお前。【条件】もなくなったって聞いたし、もう俺らに用はねえだろ。とっとと失せろ」


あの世界で、俺は「奴」によって、記憶を取り戻し、この一月から三月くらいまでの出来事も含めて、諸々を思い出した。


そして、何でだかは知らねえが、あの世界から帰って来ても、俺の記憶はあそこで取り戻したまま、消えなかった。瞬の方も、それは同じらしい。だから、俺は瞬の側で起きていたことも、退院してから、大まかに聞いた。


──クソみてえなことばっかだったけど、俺と瞬が、こうなれたのは……【条件】がきっかけだったのは確かだ。


過去を乗り越えられたことも、瞬と気持ちが通じ合えたことも。


俺達の間に起きたことは消えないし、あの超常的な出来事の数々はもう、俺達の人生の中に、あまりにも密接に入り込みすぎてる。


だから、これはこれでいいのかもな──なんて思ってたんだが。


「それはあくまでも、今後二度と関わらねえことが前提だ。お前らに関わると、ロクなことが起きねえ。あいつにも言ったが、これからは、俺は、自分の力で生きていく」


「おお、立派な心掛けやな。クソガキがそんだけ成長しとんなら、儂も半年近く、目えかけた甲斐があるわ」


「お前に目をかけられた覚えはねえよ。銃を向けられた覚えなら死ぬほどあるが」


「もう、済んだことだからいいじゃない、ね。二人とも、落ち着いて」


再び、瞬が間に入ってきて、ふん、と互いにそっぽを向く。瞬から話を聞いて、まあそんなに悪い奴でも……と思い直しそうになったが、やっぱり、こいつはクソだな。


と、いうところで、今度は俺の代わりに、瞬が話を進める。


「で……澄矢さんは何か用事があったんじゃない?」


「おう、そうやった。儂はこんなクソガキに会いに来たわけやないねん。瞬ちゃんにな、挨拶せなと思って」


「挨拶?」


瞬が首を傾げる。俺は妙に嫌な予感がして、クソ矢の方をちらりと見る、すると、それに気付いたクソ矢は、ムカつくことに──にんまりと笑って、さらに、こう言いやがった。


「ああ。今日から儂、瞬ちゃんの守護霊になるから。異動の挨拶をと思て」


「はあ!?」「え、えー?!」


思わず、瞬と声を揃えて驚いてしまう。

俺はクソ矢に詰め寄った。


「ふざけんな、てめえみたいなクソ野郎が瞬に憑いてていいわけねえだろ。今すぐあの世に帰れ、てか、クソ神社はどうしたんだよ」


「しゃあないやん。規則を破ったからクビになってもうたし、神の使いからも降格や。今の儂はもう、ただの霊やねん。せやから、瞬ちゃんのとこで再雇用してもらおかなと」


「そんな再就職先があってたまるか。瞬、今すぐお祓いに行くぞ」


俺がそう言うと、心優しい瞬は「でも……」と心配そうな顔をする。


「クビ……って、俺を助けてくれたから、だよね。守護霊って、そんなに悪い感じしないし……俺はいいけど」


「受け入れるな」


……全く、瞬の包容力には困ったもんだ。だから、瞬の周りには変態とかクソ矢が集まっちまう……仕方ねえ。


──瞬は俺が守るって決めたからな。


当の瞬がすっかり受け入れムードなので、それなら俺は俺で、と拳を握る。


そんな俺に、クソ矢は言った。


「じゃあ、挨拶も済ましたし、儂は一旦お暇するで。心置きなく、続きするとええわ。やっぱ節目には幸せな二人のアレがないと、なあ?」


「アレってなんだよ、アレって──」


「それが分からんお前やなくなったんやないんか」


「く……っ」


返す言葉もなくクソ矢を睨んだが、瞬きの間に奴はいなくなりやがった。クソが……。


「い、行っちゃったね」


「ああ……」


再び、部屋には二人きりになる。


──どうする?と、俺達は、どちらからともなく、顔を見合わせた。


雰囲気を断ち切られたせいで、どうにも気まずい空気が流れる。


結局、俺達は「続き」なんてできないまま──それでも心の奥では、そうしたい欲求がじりじりと燃え続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る