7月30日

──……ら、……


「……」


「康太?」


光の中を、瞬と手を繋いで、出口に向かって歩いている時だった。

ふいに聞こえてきた声に足を止める。きょとんと俺を見つめる瞬にはたぶん聞こえなかったんだろう。


その声に、俺は予感する。


──ここを出る前に、まだやるべきことが、あるな……。


「瞬」


「何?」


「先に、行っててくれるか」


「……」


瞬は俺の目を見つめて、少し考える。それから、こくりと頷いて言った。


「分かった」


繋いでいた手を解くと、別れる前に、俺は瞬を抱き締めた。


「必ず帰る。すぐ追いかけるから」


「うん」


耳元で力を籠めてそう言うと、瞬はふっと笑って、また頷いた。


瞬とハイタッチをして、瞬は光の向こうへ、俺は来た道を少し戻る。


「おい」


瞬の背中を見送ってから、俺は虚空に向かって呼びかける。

すると、さっきの声が応える。


──……ら、せ、ら……。


「まだ、いるんだろ」


姿は見えなかった。だけど、俺はそこに「奴」はいるんだろうと感じていた。

だから、「奴」に向かって、俺は呼びかけ続けた。


「俺の願いを──ずっと叶えてくれようとしたんだよな」


──せら……、せ、ら……。


「……っ」


唇を開きかけて、迷う。俺は続きに迷った。


俺はこいつのせいで、随分な迷惑を被ってきたと思う。命懸けになる時もあった。


だけど、それはこいつも同じだ。


俺の願いに、こいつは命を懸けていた。


俺達は互いを縛り合ってきた結果、こんなことになったんだ。


──俺の手で、断ち切るべきだ。


それが、俺の、こいつに対する責任だ。


深く息を吸ってから、俺は「奴」に言った。



「これからは──俺は、お前に背負わせてきたこと、自分で背負って生きる。だからもう、俺とお前の縁は、終わりだ──お前も、どっかで、ちゃんと必要とされて、生きろよ」



──ありがとう。


──じゃあな。



それだけ言うと、俺は踵を返して、前に進んだ。


去り際─ふいに、何かが、俺の耳元で囁くみたいに、声が響いた。



──……お人好し。


──せいぜい、後ろから刺されないように、生きればいい……。


──ああ、そうだ。最後に一つだけ……。


──俺が、きみにしたことはもう一つある。


──この際だから、それも返してあげるよ……まあ。


──もういらないかもしれないけどね……。





──薄暗い部屋で、目を開ける。


サイドテーブルの上の電波時計の表示は──『7月29日 AM 6:20』。


ベッドから降りて、ベッド周りのカーテンを開く。それから、部屋の窓のカーテンを全開に開けた。


うだるような暑さを予感させる朝陽が、眩しい。空が青い。光が目に染みて、涙が一筋流れた。


──帰って、来たんだな。


7月29日、早朝。俺は……長い眠りから、目覚めた。


──その日は大騒ぎだった。


なんたって、ついさっき前まで生死の境をうろちょろしてた奴が、いきなり意識を取り戻したかと思えば、自力で歩いて、ナースステーションに現れて「すいません治りました」って言いに来たのだ。

……まあ、驚くよな、普通。


『どんだけ心配したと思ってるのよ!』


病院から連絡を受けて、駆けつけた母さんも、俺がぴんぴんとしてると分かったら、いきなりケツをひっぱたいてきた。でも、俺はそれを受け入れなきゃいけない。


──あの世界に囚われたのは、自業自得でもあるんだから。


それから、すぐに俺は諸々の検査を受けることになった。何しろ、原因が分からないまま、一週間もほとんど意識を失ったような状態だったのだ。


本当にもう回復と診ていいのか……というのも、もちろん、まあ、結構でかそうな病院だから、研究目的とかもあるんだろう。


そんなわけで、目覚めた日は、病院の中をあっちへこっちへ、回される羽目になった。

おかげで、せっかく目が覚めてこっちに戻ってこれたってのに、その日は、瞬に連絡する暇もなかった。


……というか、俺はずっと眠ってる状態にあったから、当然、スマホとかも病院には持ち込めてないし、そもそも、連絡の取りようがなかった。


まあ、母さんが「病院から連絡があってすぐ、瞬ちゃんには伝えたわよ。でも、今は関係者以外は入っちゃダメだって。瞬ちゃんが部外者だなんて、本当、失礼しちゃうけどね」なんて言っていたから、俺がちゃんとここに戻ってきたことは、もう知ってるはずだが……。


──とはいえ。


結局、翌日──7月30日も、今度は警察とか、学校の聴き取りとかに一日を費やす羽目になっちまった。俺が、第一情報処理室で倒れていたことに事件性があるのかないのかとか、そういうのを聴取して判断しなきゃなんないんだと。


はっきり、何が原因だってのが分かれば、こんな聴取はなかったんだろうが、俺の場合は、それが全く分からないからな──まあ、本当のことなんて言ったって、到底信じられねえだろうけど。


で、何時間にも及ぶ聴取の結果──俺は「疲労や精神的ストレス、酷暑等に起因して引き起こされたとみられる原因不明の発作」で倒れた、ってことで処理されることになった。当然、事件性はなし。

……超常現象に、常識的な大人が折れた瞬間だった。


──そんなわけで。


『瞬:お疲れ。体調はどう?』


『康太:すげえ疲れた』


『瞬:だよね('_') ゆっくり休んで』


『康太:ん』


夕方頃。へろへろの身体を引きずって部屋に戻って来て、ようやく……瞬と、スマホ(母さんに頼んで持って来てもらった)越しの、それも、メッセージアプリ越しで、だが、話ができた。


『瞬:康太が戻って来てくれて、俺、本当によかったなあって、ほっとしてる』


『康太:俺も』


『瞬:(^-^)』


──すげえ、安心する……。


この世界で最も信頼できる最高の幼馴染は本当にすごい。

文字だけなのに、この病院で受けたどんな施しよりも、俺に癒しを与えてくれる。


……本当は、今すぐ顔が見たいし、声が聞きたいんだがな。瞬が「ビデオ通話は恥ずかしいからダメ」って言うから仕方ない。明日までお預けだ……そう。


『瞬:明日はもう退院できるんでしょ』


『瞬:俺も、実春さんと一緒に迎えに行くから』


『康太:おう』


『康太:ありがとう』


──諸々の面倒を終え、俺は晴れて、明日、退院できることになったのだ。


「やっとか……」


晩飯を食い、寝る支度を整えて、そこでようやく、ずっと続けてきた瞬とのやり取りを「おやすみ」で閉じる。時刻は夜、十時過ぎだった。


「長えな……」


一人部屋なのをいいことに、ベッドで大の字に寝転がり、つい独り言を漏らす。


瞬に会えるのは、早くてもあと六時間以上先になるのだ。そう思うと、時計の針の進みがやたら遅い気がするし、じれったい。起きたくなくて、布団でゴロゴロしてる時は早いくせにムカつく。


──瞬に会いたいのに、今すぐに。


……気持ちが逸るのは、やっぱり、俺にとって、瞬が……幼馴染でもある以上の、そういう関係にあるからだろうか。


そう意識すると、なおのこと、気持ちがこう……そわそわしてくる。


……ああ、もういい。


「寝るか」


そうだ。寝れば、すぐ明日になるだろ。

そう考えて、俺は布団に入り、目を閉じる。



──しかし。



「ああ……クソ」


部屋から一番近い男子トイレで用を足し、寝間着を整えながら、薄暗い病院の廊下を自分の部屋へと戻る。ふと、時計を見ると、時刻は──深夜の1時過ぎ。まだそんな時間か、と思う。


──変な時間で目が覚めちまった……。


気持ちが昂ってるせいか、寝つきが悪かったみたいだ。おかげで、こんな時間に目が覚めて、だったらとついでにトイレに行ったら、すっかり目が冴えちまった。寝れる気がしねえ……。


──明日、やっと会えるからって……クソ。


自分で自分に悪態を吐き、頭を掻く。


とりあえず、だ。部屋に戻って……寝れなくても、目は瞑ってるしかないだろう。

そうでもしないと、だらしない顔で瞬に会うことになる。せっかくの再会で、それはダメだ。


「……はあ」


眠れない時間の退屈さを想像して、ため息を吐きつつ、俺は部屋のドアを開ける。


──ガラガラ……。


「あ、康太。おかえり、どこ行ってたの?」


「……」


──ぴしゃり。


開けた瞬間「いた」人物に、思わずドアを閉めてしまった。


──今一番、会いたかった人なのに。


「う、嘘だろ……嘘、だよな?」


その姿に、途端に心臓が跳ねる。

だけど、こんなの、ありえないだろ──そう思いながら、俺はもう一度ドアを開いた。


──ガラガラ……。


「もう、どうして締めちゃうの」


「嘘だろ……」


なんていうことだろう。


そこにいたのは、ここにいるはずがない。

だけどたしかに、そこにいた──俺が今、最も求めていた、瞬だった。

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