7月28日 ②
「連れてったろか」
ふいに聞こえた懐かしい声に、俺は身体を起こす。
見れば、部屋のドアの前に、知らない──綺麗な男の子が、腕を組んで立っていた。
「あ、あなたは……?」
男の子のただならないオーラに、思わずベッドの上で後退る。
部屋にいきなり、知らない、尋常ではない存在が現れる。ありえない状況だ。
だけど、心は不思議と落ち着いていて、むしろ──安心して、いる……?
そんな自分に戸惑っていると、男の子は頭を乱暴に掻きながら呟いた。
「……ああもう、こうなったらどうにでもなれや。大事なもんには代えられへんもんな。もう、人の力でどうこうできる域になくなってもうたし……しゃあない、しゃあないわ」
「あの……?」
「これももう、最後やで」
そう言うと男の子は、瞬きの間に、俺との距離をぐっと詰めてきた。避ける間もなく、男の子は俺の額に人差し指を突きつける。
すると頭の中に文字列が浮かんできて──。
【https://kakuyomu.jp/works/16817330651076198575】
「この機に最初から見直すんも、アリやと思うで」
「最後くらいちゃんと説明しなよ……」
こんな時でも、なんていうか──相変わらずだった適当関西人に呆れる。
呆れて……でも久しぶりに、胸が温かくなる。
「澄矢さん……」
「思い出せたみたいでよかったわ」
溢れてくるものを堪えきれない俺の頭を、澄矢さんがぽん、と撫でる。
俺は腕で目を擦ってから、澄矢さんに訊いた。
「どうして、またここに?もう俺に関われないんじゃないの?」
「まあ、そうやけど……」
澄矢さんが気まずそうに、鼻の頭を掻く。
もしかして──。
「……本当はダメだったのに来ちゃったの?」
「はっきり言わんといてな……」
当たりだった。
「もう儂らと瞬ちゃんの縁は消えとるし、縁のない人間に関わるんは規則違反や」
「だ、大丈夫なの?そんなことして……」
「まあ、あかんな。あかんけど……」
だけど、澄矢さんはもう開き直って「しゃあないやん」と言った。
「さっきも言うたけど、もう瞬ちゃん達がどうこうできんとこまで、問題が拗れてしもうたんよ。見てられんかったというか……このままやと、あいつは──」
いつになく真剣な顔でそう言った澄矢さんの、言いかけたその先は、訊かなくても分かった。
だから、俺は澄矢さんにこう訊いた。
「……どうしたら、康太を助けられる?」
「そう言うと思ったわ」
澄矢さんの表情が、ふっと柔らかくなる。
「ほんなら今、あいつの身に起きてることから説明せんとあかんな──」
そう言った澄矢さんは、俺に教えてくれた──康太の身に起きている、今の状況を。
曰く。
「康太は──囚われている……?」
「……せや。あいつは今、過去の縁をネタに『あっち側』の世界で、意識を囚われてんねん」
『あっち側』っていうのは、澄矢さん達の側、ってことだろう。
そして──過去の縁。
「それって……前に教えてくれた『あのこと』?」
「おう、ちゃんと覚えててくれたみたいやな」
「……うん」
俺が頷くと、澄矢さんは自嘲気味に笑いながら言った。
「……ほんまはそれで、あとは儂らは成り行き見守ろうと思てたんけどな。そうもいかなくなってしもうた」
「康太が、囚われたから?」
一体、『何』に。
言外にそう訊きたい俺の気持ちを察したのか、澄矢さんはそれに答えた。
「『神様』や」
「神様?それって……」
「ああ、託弓やないよ。託弓の先代、あいつが昔、『お願い』した──『神様』や」
康太が、昔、お願いした──『神様』。
その正体は前に──【条件】がなくなった日の晩に、澄矢さん達から聞いている。
「……『あの人』なんだね」
康太に執拗な執着を見せていた『あの人』だ。
『神様』は人の願いを叶えることで、『信仰』を得て、存在を保っている。
それを得られなくて力を失っていた『あの人』にとって、康太の願いは生命線だった。
だから、あれほどまでに、康太に執着していたのだ。
だけど──。
「あの人は、消えちゃったって……」
澄矢さん達が、俺に色々なことを話してくれた晩、澄矢さんは俺に『あの人』のことも教えてくれたのだ。
──『前に、瞬ちゃんが【試練】を受けた時があったやろ。あの時にな、あいつは”准”として、協力してくれたんよ。まあ、瞬ちゃんと置き換わって、康太の隣で命を得るのが目的やったんやろな……見込みが薄いことは分かってたと思うけど』
──『……あいつなりに、今でも、康太の願いを叶えようっちゅう、誠実さはあったんやないかな』
──『そんで……結果、選ばれんかったあいつは、間引かれて、消えた』
……はず、だった。
「……捨てる神あれば、っちゅうやつやな」
澄矢さんがぽつりと言った。その顔は苦々しい。
「そんだけ、あいつと康太の縁はがっちりしとるっちゅうことやな。ここまで来ると、縁は縁でも『因縁』や」
「……上手いこと言ったつもり?」
澄矢さんは首を振って「すまんな」と言った。
「でも実際そうや。せやから、あいつはまだ康太と繋がってて、生きとった。そして、そこを利用した奴が、この状況のバックにおる……と儂は睨んどる」
澄矢さんの口ぶりから察するに、それが「誰」で「どんな目的なのか」までは分からないんだろう。
つまり、だ。
『あの人』はまだ、康太と繋がっていて、生きていた。
そこを誰かが利用して、『あの人』が康太を『あっち側』に引き込むように仕組んだ。
何のためかは分からないけれど。
──でも、そんなことよりも。
「康太は……今、この瞬間も、いつ死んじゃうか分からないんだよ。あの人だって、康太が死んだら、困るんじゃないの?それなのに、どうしてこんなことを……」
「心中や」
空気を裂くような冷えた声で澄矢さんが言った。
「康太と一緒に死ぬ気なんや、あいつは。康太を、過去の縁をネタに向こう側に引き込んで、そこで一緒に死ぬ気や……誰かが、それをあいつにそそのかしたんや」
──その声は冷たいのに、だけど、奥底で何かが燃えてるみたいだった。
澄矢さんはふっと息を吐いてから、俺に言った。
「……こんなことはもう、終わりにするべきや。あいつも、康太も──お互いを縛り合うのは、終わりにするべきやで。せやから──儂は、あいつを救いに行きたい」
言い終えた澄矢さんの表情は、切実だった。
「澄矢さん」
──俺の気持ちも、同じだ。
俺は澄矢さんを見据えて、言った。
「俺も、康太のところに行くよ」
「……命懸けになるで」
俺の視線を受け止めて──澄矢さんは、感情の読めない、平坦な声で言った。
そうは言うけど、たぶんもう、分かってるだろう。
俺は首を振って、答えた。
「大丈夫だよ」
あの晩、澄矢さんのところに行った時から、俺は決めている。
──康太の抱えてることを、全部受け止めるって。
たとえ、それがどんなことでも。
俺が、康太の抱えていることに、光を当てるって。
俺の意思は、澄矢さんには通じてるだろう。
澄矢さんは、どこからともなく銃を取り出した。そして、それを俺の額に突き付ける。
俺はそれで、全てを察して、目を閉じた。
「……一瞬でも、向こう側に惹かれたらあかんよ。絶対、康太と帰ってくるって思い続けろ。何があっても」
「うん」
「あいつのことは儂が抑えとる。瞬ちゃんは真っすぐ、康太のとこに向かって走れ──康太も、それをきっと待っとるから」
「うん」
ふう、と息を吸う。覚悟も準備も、ずっとできてる。
なのに、いつまで経ってもそのままだから、痺れを切らして、俺は薄目を開けた。
そこで、気付く。
──澄矢さん、指が震えてる。
珍しく強張った顔をしている澄矢さんと目が合ったので、俺は笑った。
すると、澄矢さんは眉尻を下げて呟いた──「敵わんなあ」と。
「……お願い、澄矢さん」
「……ああ」
再び、目を閉じた瞬間、瞼の裏で火花が散った。
上も下も左右もなくなった、俺の意識はまるで、深い穴の底に落ちていくように、遠のいて──。
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