403 Forbidden ②
──事の発端はなんだったかな。
ああ、そうだ。立花が……恩師というのかな。彼とお別れをする日に、彼から貰った言葉がきっかけだ。
──『瞬ちゃんの『大好き』にはね、魔法の力があるんだよ。だからこれからも、たくさん『大好き』に出会って、たくさん『大好き』って言ってね。それは瞬ちゃんにできる、とっても特別なことだよ』
自分の好意を素直に相手に伝える……良い心がけなんじゃないかな。
『何かが好きという気持ちは、その人のアイデンティティである』って言うしね。まあ、これは別の話だけど。
とにもかくにも、当時、小学五年生だった立花は、この恩師の言葉に影響を受けて、何かにつけて瀬良に「大好き」と言うようになった──そもそも、立花が何故、こんなことを健気にやっていたのかも、話した方がいいかな。
具体的にいつから──と言うと、難しいけれど。まあ、いわゆる「思春期」に差し掛かった頃か。
その頃になると、瀬良は少し、立花へのあたりが強くなり始めていた。
どうして、だなんて、そんなことは俺には分からないよ。
人というのはたとえ、子どもでも厄介で複雑で面倒だ。好きなら「好き」と言えばいいのに、それができない時があるらしい。それどころかむしろ、関心を引くためにわざと、傷つけるようなことを言ったり、ちょっかいをかけたり……かえって、相手を遠ざけるようなこともしてしまうらしい。全く、愚かだ。
瀬良も、そんな愚かな人の子だった。立花に足を引っかけたり、ズルをしてじゃんけんでこてんぱんに負かしたりね。
まあ、幸か不幸か、立花はそれをいちいち気にしないような子どもだった。すぐに泣くくせに、根性は人一倍あったから、簡単には折れないし、喉元過ぎれば、けろりと忘れて、笑顔で「こうた!」なんて言える。
つまり、そんなことでは、瀬良は立花の関心は引けなかったってことさ。哀れだね。
でもその代わり、幼馴染としては、二人は長いこと、「じゃれ合い」と「いじめ」の間で危うくもバランスを保ちつつ、上手くやってきた。
──ある時までは。
その「ある時」というのが、五年生の時のことさ。この頃になると、さすがの立花も、瀬良の態度が気になるようになる。
楽しい時は楽しいけれど、時々、どうしようもなくムッとすることもある。今までは、飲み込めていた「キツい言い方」が受け入れ難いこともあった。なんとなく塞いでいる時にも、お構いなしにいじられると、上手く笑えなかったり。
だけど、大好きな「こうた」と仲良くしたい気持ちはずっと同じだった。どうしたら、今までみたいに一緒にいられるのか──そんなことを悩んでいた時に掛けられたのが、あの「恩師」の言葉だよ。
親や幼馴染と同等に慕っている大人からの言葉──何よりも、立花は良くも悪くも実直で素直だからね。
そんな「みなと先生」の言うことなら、と、だから、立花は健気にそれを実行したのさ。
──だけどそれは逆効果だった。
何かにつけて自分に伝えられる、あまりにもストレートなその言葉は、思春期の瀬良に、耐えがたい羞恥と、それに伴う苛立ちを与えるものだった……まあ、ここに関しては、憐れな瀬良を擁護してもいいよ。
なんたって、好意の中に単なる「仲良し」以上の予感と、その先を意識し始める頃さ。
小学五年生でそれを「わあ、ありがとう」と受け取れる方が珍しいかもしれない。当時の瀬良も、その例に漏れなかったってことだ。仕方ないと言えば、仕方ない。
──さて、そんなわけで、立花の健気な「告白」は、残念だけど、二人の距離をさらに遠ざけるものとなってしまった。瀬良は立花を鬱陶しく思うようになり、つらくあたることが増えたし、立花の方も、それを耐えがたく思い始めていた。
だけどそれは、あくまで二人の間の問題だった。
けれど、それがそうではなくなった出来事がある。
それが、ある「二つ」の授業の時のことさ。
まず一つは、道徳の授業の時のことだ。その日の授業は「お友達の良いところ」を発表するというものだった。立花はテーマを聞いた時、迷わず瀬良のことを挙げた。なんだかんだ言っても、好きだからね。
立花は瀬良の「良いところ」をたくさん挙げた。それはいい。だけど、まずかったのはその後だった。
立花は、もっと皆に──いや、何よりも瀬良にかな。「もっと自分の気持ちを伝えたい」と思った。
だから、発表の最後に「こうたはいいところがいっぱいあるから、大好きです」と大声で言った。
その結果、教室中に大笑いされたよ。質が悪いことに、言った立花よりも、言われた瀬良の方が羞恥の度合いはずっと上だった。瀬良は立花に、今までにないほどの苛立ちを覚えて、しばらくは口も利かなかったみたいだね。これには立花もかなり凹んだ。
もう一つは、国語の授業の時のことだね。これは「身近な人に手紙を書こう」というものだった。
先の件で、立花と口を利かなくなった瀬良だけど、それを受けて、立花も瀬良と距離を置くようになっていた。そのうちに、お互い、距離の詰め方が分からなくなって、離れっぱなしになっていたんだけれど。
だけど、このままでいいとは思ってない。瀬良はもう気付いていた。自分は失ってはいけない人を、失いかけていると。だからこの授業で、瀬良は立花に手紙を書くことにした。今度は自分が、立花に「好き」だと伝えようと──そして、もう一度、元の関係に戻ろうとした。
しかし、それは叶わない。間の悪いことに、クラスの面倒な奴に目を付けられてしまった。内なる想いを込めた手紙を読まれ、馬鹿にされた瀬良は、大声で──立花にもしっかり届く声で言ったのさ。
「しゅんのことなんか、ぜんぜん、すきじゃねえよ!こんなの……おれの気持ちでもなんでもねえ!」
立花はひどくショックを受けた。その瞬間、立花の中にあった「瀬良ともう一度」という気持ちは、ぽきりと折れてしまった。
ああ、そうだ。あの時の立花は、手元の便箋に小さな染みを落としながら、恩師に対してその気持ちを綴っていたね。
……少し、話が逸れてしまったかもしれないけれど。
そんな二つの出来事は、二人の間の問題だったことを、「クラスのホットな話題」へと変えてしまった。
瀬良に絡んできた面倒な奴らは、瀬良だけでなく、立花に対しても揶揄うようなことを言ったり、嫌がらせのようなことをするようになった。
立花は決してそのことを誰にも言わなかったけれど、瀬良は知っていたよ。だから、瀬良は見えないところで、立花のために戦うこともあった……立花には内緒でね。
だけど、こういう時というのは、悪い方へ悪い方へと転がっていくもので──ある時、立花は瀬良が自分に嫌がらせをしてくる連中と瀬良が一緒にいるところを見てしまった。どんな想像をしたと思う?……まあ、瀬良の自業自得かもしれないね。
──そんなすれ違いの末に、ここでようやく「事」が起こる。
窓から差す夕陽が廊下を真っ赤に照らす、ある放課後のことだった。
「瀬良くん。立花くんに、これを渡してくれるかな」
その日、用事を頼まれて職員室に来た瀬良に、先生は一枚の「封筒」を渡した。
宛名は「立花 瞬 様」。差出人は──「湊 真宙」。
「前に授業で手紙を書いたでしょう。ちょうど今日、立花くんに返事が届いたの。瀬良くん、立花くんと仲が良いでしょう。渡してくれる?」
そう言った先生はどんなつもりだったのかな。
瀬良と立花の仲違いを知った上で、橋渡しのつもりだったのか、それとも、単に自分のクラスの子ども同士の関係をよく知らなかったのか──結果論だけど、これは「悪手」だった。
まあ、それはもういい。とにかく、期せずして、瀬良は先生からその手紙を託されて──立花と会話する口実を掴んだのだ。内心、チャンスだと思っていたよ。
だから、瀬良は、立花ならまだ残っているはずだと、その手紙を手に教室へと急いだ。
階段を上り、教室のある三階に着くと、ちょうど、立花とかち合った。一瞬、時が止まる。
互いに見つめ合い──けれど、立花が先に視線を逸らした。瀬良を避けて、階段を降りようとした立花を、咄嗟に瀬良は呼び止めた。
「しゅ、しゅん……」
「……」
立花は振り向きもせず、返事はしなかった。だけど、かろうじて足は止めた。瀬良は、唾を飲んでから、手に握っていた「封筒」を立花に差し出す。
「これ」
「……何それ」
そこで、立花が瀬良を振り返る。手に握られた「封筒」が何なのか、はじめは分からないようだった。だけど、やがて──それが、「恩師」からの手紙の返事だと気付くと。
「……それ、どうしてこうたが持ってるの」
言外に責めるような口調で、立花は言った。無理もない。だってこの時の立花は、瀬良に対して疑心暗鬼にさえなってる。そんな相手が、持っているはずのないそれを持っていたら、まあ、そうなる。
瀬良は、そんな立花に微かに苛立った。さっきまでの、少し浮ついた気持ちがみるみる萎んでいく。
なんだよ、ありがとうくらい言えよ。ていうか、まだ何にもしてねえだろ──そんな思いが頭を巡った。
だけど、押し黙る瀬良に、立花の疑念はさらに膨らんだ。こうた、もしかして──。
「おれの、みなと先生の手紙……取ったの?」
「はあ?」
瀬良の返事がゴング代わりだったかもしれない。立花は、瀬良に掴みかかるような勢いで詰め寄った。
「どうして……っ、どうしてこうたが、おれの手紙持ってるのっ!?返してよ!」
「うるせえな!知らねえよ……こんなもん取ってなんになるんだ、くだらねえ!」
「くだらなくなんかないよお!おれは、みなと先生に……いっぱい聞いてほしいことがあって、お手紙、一生けん命書いたのに……っ!ひどいよ……!」
「何だよ、みなと、みなとって……!そんなに、みなとのことが好きなら、しゅんなんか、もうあいつのとこにでも行けばばいいだろ……!」
「こうたこそ……!どっか行っちゃえばいいのに!」
立花がムキになって、手紙を取ろうとするから、瀬良までムキになって……よせばいいのに、手紙を立花から遠ざけようとする。
「しゅんのくせに……っ!うっとうしいんだよ……っ」
「どうして……どうしてそんなこと言うの……っ!返してよおっ!」
「いっつも、いっつも……おれに……っ、好きとか、ばかみたいなこと言って……っ!いい加減、ウザかったんだよ!」
「……っ!」
唇を噛んだ立花が瀬良を睨む。瀬良の胸を手のひらで強く押すから、瀬良は一瞬よろけた。
それでも、踏ん張った瀬良が立花に「何するんだよ」と言う前に、立花は身体に溜まったものを洗いざらい吐くように、声を張ってこう言った。
「こうたなんて……大っ嫌い!」
その瞬間、瀬良の中で何かが切れた。
理性を離れた衝動は、瀬良の視界を狭めた。
突き動かされるまま、瀬良は立花の胸を、さっきされたことを返すように、手のひらで押す。
だけど、一つだけ違うことがあった。
瀬良の背後には、よろけても踏ん張れる床があったこと。
でも立花の背後には──。
「──っ!?」
──何もなかった。
瀬良の手で押された立花は、階段の一番上から、下の階の床まで、頭から真っ逆さまに落ちていった。
永遠みたいに長い時間の後、鈍い音が響いた。
「しゅん……?」
すぐに瀬良は、階段を降りて、立花の下へと駆け寄った。
「……」
立花は、意識を失っていた。生きているのかどうかは、瀬良には分からなかった。
ただ一つ、分かっているのは──。
「お、おれ……おれが……、おれ」
──おれが、やったんだ……。
「ちがう……おれじゃない……おれがやったんじゃ……」
祈るようにそう呟いたけれど、これは紛れもなく、きみがやったことさ。
──もっとも、その祈りは、捧げるべきものの前ですれば、叶えられる。
それから、二日くらい経った後のことかな。
立花は意識こそ戻らないけれど、何とか命は繋いでいた。もっとも、予断を許さない状況が続いていたけれど。
立花の意識が戻っていないこと、目撃者がいないこと、何よりも「倒れている立花を見つけた」瀬良が「何も知らない」の一点張りだから、二日経ってもなお、事の一部始終は全く明らかにならなかった。
疑わしきは罰せず──それに、この件は、幼い瀬良にとってもショッキングだったに違いないと考えられていたから、聞き取りには慎重さを要した。
まあ、おかげで、瀬良は「限りなく黒に近いけどグレーなホワイト」として、厳しい追及は免れていたんだけど。当の瀬良は生きた心地がしなかっただろうね。
その二日の間、聞き取りの時も、瀬良はほとんど誰とも口を利かず、食事もロクにできずに過ごしていたよ。
ただ考えるのは、立花の安否──。
「精神的なショック」を理由に学校を休んでいた瀬良は、部屋で塞いでいた。そして、ひたすらに心の中で願っていた。「しゅんが無事でありますように」と。
布団の中で身体を丸め、手を組んでいた瀬良はふと──あることを思い出した。
それは正月になると、いつも、立花家と一緒に行く初詣のことだ。
電車に乗って、なんか有名な神社に行って、お願い事をするやつだ。
──たしか、今年は正月から、しゅんがカゼを引いたから行けなかったけど。
極限状況になると、人は普段、思い出しもしないものにでも、縋りたくなるものなんだね。
ここで祈るくらいならと、思った瀬良は、母親が買い出しに出かけた隙に、家を飛び出した。
たしか、近くに──草がもそもそ生えた……「お化け出る」とか言われてる神社があっただろ。あそこに行けば……その一心で瀬良が辿り着いたのが、俺のいた、あの神社さ。
──瀬良を見た時の感動は今でも覚えているよ。
賽銭箱の前で、縋るように本殿を睨む、人が「神」を望むあの目……一体、何億年ぶりだっただろう。
それだけで、身体に力が集まるのを感じた。
俺は、この子のためなら、どんな願いも叶えられると思った。
だから──。
「神さま、お願いです。どうか──」
──しゅんを、助けてください。
──しゅんが、無事でありますように。
「それが、本当のお願い事なのかな?」
「え……?」
いきなり目の前に現れた俺を、瀬良は信じられない、と言うような目で見つめた。
だけど、瀬良は素直で、聡い子どもだった。
俺が、たった今自分が願った神なのだと悟ると、すぐに、俺にこう言った。
「しゅんを、助けてくれ。それが、おれの願いだ」
だけど、俺には瀬良の考えていることは手に取るように分かっていた。
柔らかい腹の下に隠している、瀬良が本当に望んでいること。
──欲しい……それも、俺に望んでほしい……。
だから、俺は瀬良に教えてあげた。
「『しゅん』が目を覚ましたら、きみをどう思うかな」
「ど、どうって……そんなの」
「彼にとって、きみは、自分を危険な目に遭わせた敵さ。そもそも、どうしてこんなことになったんだい。分かっているだろう。彼は最後に、きみに何て言った?目が覚めたところで、それで全てが丸く収まるわけじゃないだろう」
「……」
「欲張ればいい。神の前で、隠し事なんて無駄さ。俺は全て分かっている。その上で──きみが本当に望んでいることを叶えてあげるよ。だから──」
「お、おれは……」
こうして瀬良は俺に、望んでいることを全て差し出してくれた。
──この件に関わる何もかも、なかったことにしてほしいこと。
願いを叶える方法は簡単だ。
瀬良と立花のこの出来事に関する「認識」を変えてしまえばいい。神のお家芸だ。
要するに、「記憶を上書きする」ということ。
とはいっても、一から全く違う記憶に上書きすることはできない。できるのはせいぜい、物事の起きた順番を入れ替えたり、繋いだりして改ざんする程度だ。
あまり、突拍子もない記憶だと、現実とのギャップで「認識」が解けやすくなるからね。
そんなわけで……とりあえず、立花にとっては、この出来事は「康太と喧嘩になった時に足を滑らせてしまって、自分から落ちた」ことに。
そして、瀬良にとっては──前に教えた通りさ。
「立花と仲良くなりたい」と願ったせいで、神である俺によって、立花は傷つけられたことにした。
自分の手を汚した記憶なんてないほうがいいに決まってるからね。
でも、俺だって、ただで瀬良の罪を被ったわけじゃない。メリットはちゃんとあるさ。
人の記憶──特に改ざんされた記憶は脆いから、瀬良はいずれ、この出来事も忘れていくだろう。
もちろん、俺のことも。
だけど、強い感情──例えば、怒りなんかは、簡単には忘れない。大事な人を傷つけられたことによる怒りなら、なおさらね。
つまり、瀬良がこの件を忘れてしまっても、怒りに紐づいて、俺のこと──神のことは忘れない。
その分、俺は長生きできるということだ。
それに、単に感謝されるよりも、願いを叶えてあげたっていう満足感も、あるしね。
いやー、久しぶりにいい仕事したなあ。
……さて。じゃあ、どうして俺が、今さらこんな話をしたのかって?
それはね……ああ、大分長くなったね。続きはまた明日にしようか。
とりあえず、予告しておくと……瀬良、今のままだと、遠からず死んじゃうんだよね。
なんたって、七年ものの「認識」が解けそうになってるんだ。
前に言ったよね。「認識」はうっかりすると、脳がギャップに耐えられなくて廃人になっちゃうってさ……。
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