403 Forbidden ①



──『おれ……のこと……だよ』



「……っ」


頭に響く声に意識を取り戻す。


薄目を開けたが、何故か世界は真っ黒だった。

だから、俺は感覚として、目を開けたような気がしただけで、本当はまだ閉じているのかもしれなかった。上も下も左も右も何も見えず、自分の身体でさえ不明瞭な空間では、ただ意識だけが宙に浮かんでいるような気がする。


暑さも寒さもない、空気も、時間の流れもあるのか分からない。闇と自分の境目が曖昧では、動くこともままならなかった。唯一できるのは、思考することだった。


──どうして……俺は、こんなところに……。


思い出そうとして、身体のどこかが鈍く痛む。痛みによって、そこがたぶん頭なんだろうと分かった。

分かったところで、俺はその頭の中をさらうように、ここへ来る前のことを思い出す。


──たしか……。


夏期講習に行った瞬のことを、教室で待っていたはずだ。そこに、クラスメイトの茅野さんが戻って来て、それで──。



──『逃げる気、ないんだね』


──『──立花瞬を、殺そうとしたことからも?』



「──っ!?」


……そうだ。いきなり、彼女に意味の分からないことを言われた。


俺が──瞬を殺そうとした、なんて……。


ありえねえ。どうして、そんなことを言う。冗談にしても笑えねえ。全くもって理解できない。


だが、俺の中には奇妙な焦燥感があった。


まるで──腹の上で刃先を立てられ、皮を剥がされて、中身を引きずり出されてしまいそうな……恐怖にも似た、焦燥感。


そんな俺に彼女は言った。


──『第一情報処理室』


──『知りたければそこに来て』


それだけ言い残して、姿を消した彼女を追って──ああ、そうだ。俺は、言われた通り、第一情報処理室に飛び込んで……。


──それで……意識を、失ったのか……。


だとすれば、ここは……俺の夢の中か何かか?

少なくとも、第一情報処理室じゃねえことは確かだ。照明が落ちてるにしても暗すぎる。


「何なんだよ……」


思わず呟いた声は、俺の口を出て、俺の耳にしっかり届いた。暗闇で研ぎ澄まされた感覚で、俺は徐々に自分の輪郭らしきものを掴みかけていた。

そのうちに、俺は自分がどうやら、床──と言っていいかは分からないが──に転がっているらしいことが分かった。ゆっくりと、身体を起こし、立ち上がる。その時だった。


──。


「……っ!?」


一瞬、遠くで強烈な光線が閃いた。その軌道は弧を描いて、俺の頭の上を越えて、また遠くで消えた。


消える直前──火花が散った。弾けるような音の中で、ふと、俺は声がするのに気付く。



──『こうた……』



「──瞬……っ!?」


俺は、光線が消えた場所へと駆けた。だけど、世界はすぐに元の暗闇を取り戻す。そのうちに、また遠くで光線が閃いた。



──『こうた……』



「瞬……いるのか?」


声のする方へ駆けて行くが、瞬の姿はなく、光線にも、火花にさえ触れられない。俺がそこへ辿り着く前に消えていく。そして、またどこかで光線が閃く。火花が散って、瞬の声が響いて、消える。それの繰り返しがいつまでも続く。


「瞬……っ、瞬……っ!」


俺は瞬を呼んだ。藁にも縋る思いだった。暗く、何もない世界で、ただただ、この世で一番信頼できる幼馴染に会いたくて仕方なかった。


──クソ……っ、何なんだよ……これ……。


いい加減、足が動かなくなって、床ともつかない何かに膝をつく。その間にも、光線は閃き、弧を描いて、どこかへと飛んでいく。俺は視線だけでそれを追う。はじめ、一筋だった光線は、そのうちに二本、三本……と無数に増え、やがて流星群のように、頭の上を流れていく。



──『こうた……』


──『……ありがとう。こうた』


──『……おれは……もん。こうたが……だって……ありがとう』



……ああ、これ。


光線の軌道とその行く末を追ううちに、俺はその正体に気が付き始める。

これは──昔の、瞬の声だ……。



──『こうたは、いつもいじわるするけど、本当はやさしいって知ってるよ』


──『おれ……だから、こうたが大好きだよ』



そうと気付くと、その声はさっきよりも鮮明に聞こえてくる。

今よりも大分幼い声は、たぶん、小学生くらいの時の……か?


ということは、これは、俺の……記憶……。



──『こうたは、おれが職員室に行く時、いつもついてきてくれるよね』


──『こうたは、ドッジボールの時、いつも、おれには当てないね』



……うるせえよ、とつい、言いたくなった。いや、あの時もそんなこと言ってたか。


だって、あの時の瞬ときたら、「野暮」とかそういうの分かんないんだもんな。気付かねえフリして、放っといてくれよって思うことも、平気で言う。触れてほしくない部分にも触っちまう。だから、なんか……妙に、イラついて……。


──ひでえこと、してたよな……。


思いもよらない形で、苦い記憶に触れ、眉間に皺が寄る。後で会ったら──なんて、思った、その時だった。



──『こうたは、いつも、おれにいじわるなことばっかりするのに、朝も帰りも、ぜったいにおれのこと、まってくれるよね』



その声に、俺ははっとする。


──そうだ……俺、我を忘れて……瞬を待ってるって言ったのに。


意味の分からないことを言われて、奇妙な焦燥感に駆り立てられて……俺は、大事なもんを見失ってた。


「……何とかして、ここを出ねえと」


敢えて口に出し、俺は自分を鼓舞する。意味の分からねえ世界だが、夢だというなら何とかして目覚めるし、そうでないなら、脱出の糸口を探さねえと。


再び、立ち上がり、前に進もうとする。瞬間、またどこかで、光線が閃いた。だが、もうそれは追わない。気にせず、足を踏み出すと、背後で声が響いた──が、それは瞬のものじゃない。



──『しゅんのことなんか、ぜんぜん、すきじゃねえよ!こんなの……おれの気持ちでもなんでもねえ!』



「……っ」


それは俺の声だった。あの時の……ガキで、すぐそばにいる大切な存在を傷つける、俺の声。

進みかけた足を止め、頭を振った。あの頃に戻れるなら、俺は俺をひっぱたいてやりたい……全く。


──それよりも、今は……。


とにもかくにも、ここから出ることだ。とは言え、どうしたらいいかは分からねえ……とりあえず、と俺は前に進む。



──『なんで、ちがうって言えなかったんだ……おれ……』


──『しゅんに、ひどいことを言われるんじゃないか……ってことが、怖くて』


──『あいつとは、たぶんもう「ぜっこう」だもんな……』



今度は、瞬の声じゃなくて、俺の声が、光と共にぽつぽつとあたりに響く。

どれも、小学生の時のものだ……。瞬も俺も、どうしてあの頃のばっかりなんだ?とは思う。

それも──ある特定の出来事のもの、ばかりのような……。



──それに、これは……最近、よく見る……。



──『こんなところにも……神さま、っていんのか?』


その声が響いた時だった。突然、世界が白い光に包まれる。あまりの眩しさに俺は目を瞑った。


次に目を開けた時──そこは白い世界で、俺の目の前には、赤い鳥居が建っていた。その奥には神社の……本殿。


──クソ神社……。


それは、俺が嫌っていた「クソ神社」そのものだった。

鳥居を避けて、迂回するように前に進めねえかと思ったが、何故か、どれだけ回り込んだつもりでも、鳥居は常に俺の正面に存在し、その奥に本殿が在り続けた。引き返そうと、鳥居に背を向けても同じだった。そこにはまた、鳥居と本殿が現れる。


──避けられねえ……ってことか?


鳥居を潜らずに前に進む方法はねえってことだ。俺は仕方なく……クソ神社の鳥居を潜った。


「……あいつは」


鳥居を潜ると、さっきまでいなかったはずの──小さな子どもの後ろ姿が本殿の前にあった。

鈴を鳴らして、二回礼をして、二回手を打つ。それから少年は、手を合わせて何かを祈っていた。


──俺、だ。


そう認識した途端、忌々しい記憶がぶり返す。


夕暮れ時、一人きりの境内、鈴の音──叶わなかった願い。



──『どうか、瞬と、仲良くできますように』


──『ひどいことを、言わない俺に、なれますように』



顔を上げた俺が、ポケットから掴んだ五百円玉を賽銭箱に投げる。


五百円も投げてする願いじゃねえ……結局、俺は、ちっとも変わらなかったし、あれからも……瞬をたくさん傷つけてきた。それでも、瞬が俺を見捨てなかったんだ。


瞬が、いつだって俺を包んでくれたから──せめて、『仲良く』は叶ったんだ。


「……早く、ここを出ねえと」


一層、瞬に会いたいという想いが強くなる。


賽銭箱の前を離れ、俺の横を通り過ぎて、鳥居の向こうへと駆けていく、かつての俺の背中を見送ってから、俺は歩きだそうとして──その時。


──『な、なんで……どうして……っ』


──『おい……っ!起きろよ……なあ……っ』


「──っ!」


取り乱すような俺の声に、思わず振り向く。さっきまで鳥居があったところには何もなくなり、代わりに、俺がそこにしゃがみ込んでいた。


「お、おい……」


糸か何かにでも引っ張られるように、俺は俺に近づいた。俺のそばには誰かが倒れているようだった。俺はそれを覗き込んでいる。心臓が警報みたいにうるさく、けたたましく鳴った。


これ以上、近づいてはいけない、覗いてはいけない、知ってはいけない──だけど、見るよりも先に、俺の足が何かを踏んだ。



──べちゃ。



「……?」


それは、血だった。真っ赤な、べたりとした、血。

白い床に染みを広げていく真っ赤な血溜まり。


その源にいたのは──。


「しゅ、瞬……?」


小学生の瞬だった。血は、仰向けに倒れた瞬の後頭部から流れていた。青白い顔の瞬は、ぴたりと瞳を閉じて、微動だにしなかった。世界はこんなに静かなのに、呼吸は聞こえなかった。


「──っ」


ショッキングな光景に、俺はその場でへたり込んだ。手で顔を覆おうすると、俺の手のひらにも、瞬の血がべったりとついていた。俺はそれをシャツで拭おうとした。だけど、それは取れなくて、ただ、シャツにも血の跡が付いただけだった。


「何だよ……何だよ、これ……」


「俺がやったんだ」


「……っ!?」


漏らした呟きに返事があった。俺は声の方を振り返った。すると、そいつは俺の背後に立って、俺をじっと見下ろしていた。


──ぞっとするくらい、綺麗な男。


「お前は……」


俺はこいつに覚えがある。けど、誰だ?思い出せねえ……記憶の中をさらっていると、そいつはにこりと笑って、極めて軽い調子でこう言った。


「やあ瀬良。随分久しぶりだね。元気してた?まあ、俺の方はそんなに久しぶりでもないんだけれど──」


「堂……沢……」


導かれるように、口から名前が出た。一度口にすると、それは、俺の中で明確な記憶として蘇る。



──『お願いだから死なないでほしい。瀬良のその気持ちは尊いよ。でも瀬良がいなくなったら俺は悲しい』


──『瀬良は俺の心臓だからさ』


──『瀬良が忘れても、俺は知ってるよ。消えそうになる度に、空っぽの頭で唯一思い出すのは、瀬良のことさ……だから、忘れないように、忘れていても、いつも口に出すんだよ。瀬良が『好き』ってね』


──『瀬良の『信仰』がなければ、俺はとっくに消えていたからね』



そして、記憶はさらに繋がる──こいつの正体に。そうか、こいつが……。


「お前が……クソ神だったのか……」


「そうさ」


さらりと、堂沢──「クソ神」がそれを認める。蘇ったこいつの記憶は、俺の中で次々と──閉じていた蓋をこじ開けていった。


──正月の晩から、俺に纏わりついていた【条件】のこと。


──【条件】を実行する過程で、こいつと衝突したこと。その結果、瞬が俺に代わって【条件】を実行することになったこと。


それから。


──かつて、俺は「こいつ」に願ったのだということ。


「ようやく、思い出したかい」


「ああ……ここに来るまでの間と……それから、最近見る夢……あれは、俺の記憶だったんだな」


……俺には最近、よく見る夢があった。


小学生の頃の夢だ。

自分がガキだったせいで、瞬との距離が離れていた俺は、神社に願い事に行く。ここへ来る途中に見聞きしたのと酷似した夢だ。そして夢の最後は決まって──。


「夕暮れ時の校舎で、階段から落ちた瞬が、血を流して倒れている──それをやったのは」


「俺」


クソ神が、夢で見た時と同じように、暗くて底がない、穴みたいな目で俺を見つめる。

それから、再現みたいにこう言った。


「だって、こうしないと叶えられないと思ったんだ……きみのお願いを」


「……っ、なんで」


「人なんて簡単に変わらないからね。願ったところで、気付きや悟りを与えたところで、自ら行動に起こそうとしなければ、何も変わらない。あの頃のきみに変化を与えたいなら、ああするのが一番いい」


「だから、俺がやったんだ」とクソ神は言った。


……これが俺の記憶だということは、これは、現実に起きたことだということだ。


「立花は忘れているけどね。無理もないか……当たり所が悪くて、一週間近くも目を覚まさず、生死の境を彷徨ってたんだから」


俺は、俺の願いのせいで、瞬を……危ない目に遭わせた。


それこそ、最悪──死ぬかもしれなかったんだ。


「惜しかったね。まあ、後のことを考えれば……立花はあの時死んでた方がよかったかもしれないね」


「お前……っ!?」


無神経な言葉は何のためかは分からないが、俺の神経を逆なでするために吐いたと明らかだった。


だが、許せることじゃない。俺はクソ神に掴みかかろうとして、だけど、触れることはかなわない。避けようともせず、空を切る俺の拳を見つめて、クソ神は笑った。


「まあ、瀬良が思い出してくれたみたいでよかったよ。最近は、その怒りさえ忘れかけてたみたいだからね。怒ってくれないと、俺がしたことの意味がない」


「……っ、クソ」


そうだ。こいつらは、こうやって人を弄ぶのが好きな、性根の腐った連中だ。人と違う価値観に生きる、人ならざる存在。


──クソ、クソ……。


俺は拳を握りしめた。悔しいが、こいつの言う通りだった。


俺はあの時、自分の手で、それを……叶えるべきだった。


「……お前らなんかに願わないで、俺は、俺がただ……変われば……それで……」


血塗れになった拳で床を叩く。すると、ふいに、クソ神が声を上げて笑った。


「ふふ……はは……っ、はは……」


「……何だよ」


「いや……ただ変われば、か。そうだね」


ひとつ呼吸を置いてから、クソ神は意味ありげにこう言った。


「そうだったら、素敵だったね」


それから、クソ神は俺の隣にしゃがんで、俺と目線を合わせた。たちまち、俺はこいつから目を離せなくなる。いつものやつだ。金縛り──避けられない何かを、聞かされる時は、いつもこうだ。


「瀬良にはひとつ、教えてあげないといけないことがあるね」


今度は一体、何を言うつもりなのか。不思議なほど、心臓は静かになった。


その心に、クソ神はこう投げかけてきた。




「瀬良のあの記憶は偽物さ。だって──」




波紋が広がっていく。揺れる水面は形を変え、そこに映したものを歪めて──。




「──瀬良が俺のところにお願いに来たのは、立花をあんな目に遭わせた後だからね」

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