7月12日

──康太の様子がおかしい。


一昨日くらいからかな。


最初になんとなく感じたのは……話をしている時、康太と視線が合わないなということ。


それから、俺が康太に一歩近寄ると、康太は一歩離れること。

ふとした瞬間に手が触れた時、大げさなくらいびっくりしてたこともある。


そのくせ、何でもない時に、妙に康太からの視線を感じる。

かといって、俺と目が合うと康太は目を逸らしてしまうし……でも、朝学校に行くのも、お昼を食べるのも、帰りも、康太はいつも通り、俺と一緒にいてくれる。


嫌われてたり、怒ってるってわけじゃないみたいなんだよね。


あと、いつもと違うところといえば──。



『康太、好きだよ』


『……っ、え、な、何だよ……そんな……へ、へぇ……ふうん……』



『俺、康太のそういうところが好きだなあって思うよ』


『へっ、あ、そ……そうか……?へ、へえー……ほーん……』



反応がいつもよりも、大分挙動不審かな。


一昨日も昨日も、俺は──気持ちであり、日課であり、条件である「好き」を伝えてみたけど、康太はこんな感じだった。恥ずかしがったり、照れるような素振りとかは、前からあったけど、この二日くらいは、それが特に増しているというか……最早、気付かないフリをするのも限界なくらい、康太は動揺していた。あの……ちょっと憎たらしいくらい、鈍かった康太が、だ。


そんな反応をされたら、俺としては「そういうことなのかな」と思わずにはいられないし、というか、そうでなくても、長い付き合いの中で、こんな康太は見たことがないから可愛く思えてしまうし。


──でも、今はまだダメだ……康太の中で、ちゃんと整理がついて、決心がついた上で、答えを出すべきことだから……。


このひと月くらいの間、何度自分に言い聞かせたか分からないことで、胸の中でぼこぼこ沸きそう気持ちに蓋をする。どうか、噴き出してしまいませんように……。


そんなことを考えながら、俺は今日も、教室で康太を待っていた。


今週はずっと、テスト返却のための特編授業で早帰りだけど、一昨日、求人票が公開されてから、就職組は何かとやることがあるみたいで、今日も康太は放課後、進路指導室に行っている。


康太は「先に帰っててもいいんだぞ」って言ってくれたけど、「一緒に帰ろうよ」と言ったら、また、恥ずかしそうにしながら……でも、「うん」と言って教室を出て行った。


俺は、そんな康太の背中を見送りながら「やっぱり、好きだなあ」と思って──。


「立花」


「わっ……森谷」


びっくりした……康太のことを考えて、ぽーっとしていたら、後ろから森谷が来ていた。

森谷は「何してんだ?」と空いてる康太の席に腰掛けた。


「康太が進路指導室に呼ばれてて……待ってるとこ」


「あ、そっか。瀬良って就職だもんな。じゃあ、立花は今、フリーってこと?」


「えっと……うん。康太が戻ってくるまでは、だけど」


「へえ……」


どうしてかは分からないけど……森谷の目が一瞬、きらりと光ったような気がして、少し肌寒さを感じる。教室のエアコンが効きすぎなのかな?


だけど、それはほんの一瞬で、森谷はいつもみたいに人懐こい笑顔で、俺に話しかけてくれる。


「なんかさ、毎日暑いよな?早帰りなのはいいけど、この時間に外歩くのはキツイよなー」


「そうだね。もう家に帰ったら、汗びっしょりだもんね……」


「帰ったらシャワーとか浴びたいくらいだよな」


「あ、俺最近は、帰ったらすぐシャワーを浴びちゃうんだ。その方が楽なんだよね」


「えっ!?シャワー!?」


「え?」


森谷は何故かそこで何故か、嬉しそうな声を上げた。どうしたのかな?あ、もしかして、森谷って……。


「お風呂が好きなの?」


「そうだな、見るのは好きだぜ」


「見る?」


まるで、スポーツみたいな言い方だな……と思っていたら、森谷は俺にこんなことを訊いてきた。


「た、立花はさ……風呂ではどこから洗うんだ?」


「え?どこって……うーん、壁とかドアかな」


「掃除の話じゃないぜ、身体だよ」


「あ、そっちか……えっと、髪かな」


「その後は?」


「腕だよ」


「それから?」


「え?えーと……首から胸と、お腹のあたりかな」


「ごくり……じゃあ、その次は……」


「頭だ」


「ってえ?!」


「康太!」


いつの間にか、康太が教室に戻って来ていた。叩かれた頭を抱えて突っ伏す森谷の背後に立つ康太は、呆れ顔だ。よく見ると、手には昨日と同様、着て行ったブレザーを持っていて、緩めたシャツから覗く首筋には汗をかいていた。俺は康太に言った。


「康太、おかえり。ブレザー、暑かったでしょ」


俺と目が合うと、康太はまた少し視線を逸らしながら、返事をした。


「お、おう……まあ……大丈夫だ」


そうは言ってるけど、蒸し暑い廊下を歩いてきたからか、顔はほんのり赤いし、これから外も歩かなくちゃいけない。俺はふと思いついて、机の横に掛けていたリュックを取る。


「あ、待ってて。今、汗拭きシート出してあげる。冷たくて気持ちいいから──はい」


リュックから冷感タイプの汗拭きシートを取り出し、そのうちの一枚を引っ張り出して、康太の首筋を拭こうとする。すると、康太は「おい……!」と声を上げた。


「ちょっと……いや、自分で拭くから……」


「え、いいの?」


「い、いいっていうか……こんなの、自分でやるだろ……普通……」


「でも、いつもは……」


「だ、大丈夫だ!」


そこまで言われたら仕方ない。俺は、康太にシートを渡した。康太は「悪い……」と言って、相変わらず、俺からは視線を逸らし気味にしながら、首筋や腕を拭いていた。


拭きながら、康太がぼそりと呟く。


「よ、よく……普通にしてられるよな……瞬」


「え?」


まさか、反応があるとは思わなかったのか、康太は「いや……今のは」と言いかけて、でも、首を振ってから、こう続けた。


「その……こんなに、そばにいるだけでそわそわして、ロクに喋れなくなって、普通でいられないってのに、それをずっと、瞬は何でもなく振舞ってて……」


「……何でもなくは、ないよ」


気が付いたら、康太の言葉に被せるように、俺は言っていた。


康太の言っていることが「そうでないかもしれなくても」、だけど、俺の方がもう限界だった。

俺は康太に言った。


「俺だって、ずっと……何でもなくはなかったよ。胸がぐちゃぐちゃになったり、そわそわして、それしか考えられなくなったり、言いたいことが言えなかったり、いっそ顔も見たくないって思う時もあったけど……でも、やっぱり、康太が好きだったから……」


気持ちが蓋を押し上げようとして、苦しい。

康太を焦らせたくないのも俺で、でも、想いのままにぶつけてしまいたいのも俺だった。「俺のまま」でいるって、どっちなんだろうと、いつかした決め事が頭をよぎる。


ふいに、康太が口を開いた。


「……そんなの、俺は」


「な、何?」


合わせた視線は、今度は逸らされることは、なかった。康太がふっと息を吐いて、「瞬」と言った。



「俺──」



「あの」


その時、俺と康太の間にちょうど挟まれていた森谷が起き上がる。森谷は、気まずそうな顔で、俺と康太を交互に見遣ってからこう言った。



「他のところでやっていただけませんか……?」



「「……」」



ごもっともだった。俺と康太は顔を見合わせて、そそくさと教室を出て行った。

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