7月13日

「ほんで?結局、何の進展もなく昨日は帰ってきたと?」


「まあ……そうなるかな」


「死ぬほどダサいな、あいつ」


「そ、そんなこと言わないでよ!」


──夕方。


台所で、今日の夕飯の「豚キムチうどん」を炒めていると、ふらっと澄矢さんが現れて「どやった?昨日。ええ感じやったやん」と訊いてきたので、俺は簡単に昨日のことを話した。


まあ、今言った通り──結局、進展はなかったんだけど。


あのあと、教室を出た俺と康太は、お互いに続きを話し合うきっかけを、完全に失ってしまって……そうこうしているうちに、ここ最近、毎日一緒だったお昼ご飯でさえ、昨日は一緒にせず、そのまま別れてしまった。そして、家に帰ってから猛烈に後悔した。


どうして、ほんのちょっとのことに足踏みしてしまったんだろうって。その一歩を踏み出せたら、何か変わっていたかもしれないのに。その変化は、確かに少し怖いけど……それでも、俺と康太なら、とも思える。


──思えるけど……やっぱり。


そんな俺の葛藤が伝わったのか、澄矢さんは首を振って言った。


「瞬ちゃんはもう十分、ようやっとるわ。瞬ちゃんが思っとる通り、あとはあいつの問題やで」


「そうかな……」


細かく切ったにらをフライパンに加えながら、呟く。じゅうっと音がして、食欲をそそる美味しそうな匂いがしてきた。最近、ネットで見ていいなと思ったから作ってみたけど、いい感じだ。


そんなことを考えていたら、すぐ横で、流しのあたりに肘をついてフライパンを見つめていた澄矢さんも「ええやん」と言った。


「澄矢さんも食べる?」と訊こうとして──俺は思いとどまる。そうだ、たしか、澄矢さんって「儂は食事とかいらんねん」って言ってたね。


すると、考えてることを察したのか、澄矢さんは、手をひらひらさせながら言った。


「瞬ちゃんのご飯は美味そうやし、気持ちはありがたいねんけど……儂みたいなんが食べたらもったいないわ」


「別にいいのに。初めてだから加減が分からなくて、ちょっと多めに作っちゃったし……」


「その分、あいつにやったらええやろ。今日はもう、条件は済んでるけど……お裾分け口実に会いに行ったらええやん。今ならまだ、オカンも帰ってきてへんし、あいつも家に一人でおるわ」


「うーん……」


火を止めて、タッパー類を入れている、台所の引き出しを開けてみる。康太の家に持って行くときに、いつも使うタッパー……手に取って、その中に豚キムチうどんを入れようか迷って──やめた。


澄矢さんが不思議そうな顔をして首を傾げる。


「何でなん。持ってったらええやん、あいつにも会えるで」


「康太には会いたいって思うけど……今は、やめとく」


「せやけど……」


「……なんとなく、分かるんだ。今は違うなって」


お裾分け用のタッパーはやめて、代わりに、お弁当用とかでとっておく時に使うタッパーを出す。豚キムチうどんのうち、少しはそこに入れる。残りはお皿に盛りつけた。


居間のテーブルにそれを運んで、手を合わせる。一口食べてみたら、我ながらかなり美味しくできたと思った。


──康太には今度作ってあげよう。


その時のことを想像して、思わず、ふっと笑う。

すると、いつの間にか、俺の向かいに座っていた澄矢さんが、すっくと立ちあがって言った。


「はあ……しゃあないな」


「ん、澄矢さん?」


居間を出て行こうとする澄矢さんの背中に呼び掛けると、澄矢さんは俺を振り返って言った。


「ここは儂の……『キューピッド』の出番やな」


「キューピッドって……何をするつもり?」


「そら、キューピッドが運命の相手を捕まえてくる手段言うたら、昔からアレしかないやろ」


「あ、アレって……」


まさか、弓矢で康太を撃ち抜くつもりなんだろうか?でも、澄矢さんは弓矢というか、持ってるのは銃だし──というか、そんなもので撃たれたら康太が死んじゃうんじゃ、とか、あれこれ頭を巡らせていると、澄矢さんは口の端を上げて「そない心配せんでも大丈夫やって」と笑った。


それから俺に言った。


「儂が、お前らを結ぶ矢になるわ」







──す。



「……あ?」


それは、夜中のことだった。

俺は脳裏に響く声で目を開ける。



──ろ、す。



あの、変な夢か……?


一瞬、そう思いかけたが、身体にまとわりつくような怠さは感じないし、嫌な汗もかいてない。

強いて言えば、頭に響くその声が、やたら聞き覚えがあるような気がして、しかも不快だってことくらいだ。何なんだ……これ?



──ろす……。



「何だよ、うるせえな……」


風呂場で反響した声みたいに、頭の中でぼやんと響くそれは、よく聞き取れないのが、ますます不快だった。身体を起こして、あたりを見渡してみるが、もちろん誰もいない。


──なんか、こんなこと、前もあったような……?


いつだ?それほど、昔じゃなかった気がするが……妙な声のせいか、こめかみが鈍く痛んで、上手く思い出せない。さらに、むしゃくしゃする。マジで何なんだよ、これ──。



──た。こ……た……ろす……。


「何言ってんだか聞こえねえよ」



虚空に向かって言ってみるが、当然返事はない……と思った。その瞬間。


──殺す。


今度は鮮明に聞こえた。

殺す、か。


ん?ころす?殺すって……誰が、誰を?


──お前に決まっとるやろ、瀬良康太……。


「……っ!」


はっと気づいた時にはもう遅かった。俺の腹の上に誰かが馬乗りになって、もがこうとしたが、俺の身体は全く動かなかった。今度は金縛りかよ。


「おい……クソ、退けよ……っ」


なんとか、手足を動かそうと試みるが、ぴくりとも動かない。指一本も反応しない。どうなってんだよ──せめて、俺の上に乗ってる奴の顔だけでも……そう思って、暗闇の中に目を凝らしていると、そいつが口を開いた。


「相変わらずやなあ、クソガキ」


「な……何だお前、こんなことしやがって、何者だ……!」


「通りすがりのキューピッドや」


「ふざけてんのか?」


こんな暴漢みたいなキューピッドがいてたまるか。しかも、エセ関西弁で喋りやがるし、こんなクソ野郎がキューピッドなわけないだろ。


「久々に話したら、何やめちゃくちゃムカつくやんこいつ。あん時はそんなに悪い奴やないかなあとか思うたけど……ほんま、『瞬ちゃん』は何でクソガキが……」


「瞬?」


聞き捨てならない名前に、眉を寄せる。こいつ、今「瞬ちゃん」って言ったよな?まさか……。


「お前……っ!瞬に何かしたんじゃねえだろうな……っ!」


「してへんよ。むしろ、お前んとこに来たんも、瞬ちゃんのためやし」


「何だと……?」


どういうことだ?

この不審クソ関西人の言ってることが分からず、とりあえず睨んでいると、次の瞬間。


そいつはいきなり俺の額に、銃を突き付けてきた。

すぐ目の前にある、冷たい死の感触に、さすがに怯む。


──何なんだよ、こいつ……。


それなのに、俺の身体は、驚くほど、この状況に順応していた。


いきなり現れて、俺の上に跨ってきたかと思えば、銃を突き付けてくるなんて、明らかに普通じゃないし、もっと頭が混乱してもよさそうだってのに……何故か、どこか懐かしい感じさえする。どうして──。


「そんなことは今はええわ。それより、もう時間もないし、端的に言わしてもらうけど」


「な、何だよ……」


俺の思考を遮るように、額に銃口をぐっと押し付けながら、奴は俺にこう言った。


「お前、死ぬ気でやれや」


「は……?」


「何のための三か月やったと思うん。頭は忘れてるかもしれんけど、身体は覚えとるやろ。毎日毎日、死ぬかもしれんって必死にやってた時のこと。人間の一生なんか一瞬やで。うじうじしとる場合ちゃうやろ」


最後に──奴は俺に顔を近づけてきて、言った。



「今日『好き』って言わなきゃ死ぬくらいの気持ちでいけよ」



「おい……っ」


ふっと自由になった身体を起こした時には、奴はもういなくなっていた。


もう何の気配もしない、不条理な夢みたいな出来事と、残された言葉が、俺の頭の中でいつまでもぐるぐるしていた。

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