7月10日

「嫌だ」


瞬は真っすぐに俺を見つめて言った。


「康太が好きだから。それは嫌」


穏やかに、静かにそう言った瞬の目は、俺を捉えて離さなかった。

俺はそれを振りほどくように言った。


「俺、瞬に……好きって、言ってもらえるような奴じゃない」


「……どうして?」


「最低な奴なんだ。瞬の気持ち、受け止めるって言ったくせに、本当は怖くて……逃げてばっかりだった。それなのに、瞬は毎日、気持ちを伝えてくれてたのに、俺の身勝手さで、試すようなこと訊いたり……あいつにも、ひどい態度とった。瞬は、あいつに憧れてて、あいつが来たことを喜んでるのに。俺はそれを、一緒に喜ぶべきなのに」


堰を切ったように、どろどろと零れだす感情は止まらなくて、瞬がただ聞いてくれるのをいいことに、俺はそれを吐き続ける。


「でも、瞬があいつといて、あいつに笑って、あいつの話をすると、苦しくて、このへんがめちゃくちゃになって、いらいらして、言えないようなこと思って、言いたくないことも言って、守るとか言いながら、瞬を傷つけてんのは……俺だ。最低なんだ、俺。ずっと……何にも変わってねえ……最低だ。嫌な奴なんだ。瞬に、好きになってもらえるような奴じゃないんだ……」


腕で目を覆って、仰向けになる。見えない空に向かって、息を吐いて、唇を噛んだ。


「……康太」


ふいに、肩から上がふわりと浮くような感覚があった。驚いて振り返ると、そこには瞬がいて──俺は瞬に後ろから、包むように抱きしめられていた。


「俺は、康太が好きだよ」


瞬は俺に言った。


「康太が抱えてる全部ごと……俺が好きな康太だから。だから、好きって言わないなんて、できない」


「それに」と瞬は小さな声で言った。


「俺も、中身はそんな感じだから」


瞬が俺の頭に頭を、こつん、と触れさせた。背中に感じる瞬の存在は、何よりも温かくて、離れがたかった。俺は瞬に聞こえないように、こっそり鼻を啜って、目尻から垂れていく汗が、頬を伝って顎から滴ったのを手の甲で拭った。瞬はその間、何も言わず、そのままでいてくれた。


しばらくしてから──俺は、ふと、頭に浮かんだことをぽつりと呟いた。


「……帰ったら、湊に謝らねえと」


すると、瞬が「ふふ」と笑った。


「……何だよ」


「ねえ康太。これのどこが嫌な奴なの?康太は、こんなに……真面目なのに」


「……うるせえ」


「まあ、確かに……口はちょっと悪いかもね」


瞬が腕を解いて、俺を離す。草のついた尻を手で払いながら立ち上がると、俺に手を差し出して言った。


「帰ろう」


俺はその手を取っていいのか迷って──だけどそうしているうちに、結局、瞬に手を引っ張られていて、気が付いたらもう、立たされていた。


包み込むように、だけど、決して離さない力加減で、俺の手を引いて歩いていく瞬の背中は、見た目よりもずっと大きくて、頼もしくて、強くて、俺は──ああ、この人に惚れてる、と思った。





──7月10日。



「おはよう、瞬ちゃん」


「おはようございます。先生」


朝──いつも通り、家のゴミをまとめて集積所に持って行こうと家を出ると、ちょうど、隣の部屋から出てきた先生とばったり会った。同じようにゴミ袋を持った先生と並んで、階段を降りていく。


「昨日はありがとうございました。そうめん、いただいちゃって」


「そんな。こちらこそ、助かったよ。まさか、教え子にそうめんのゆで方を教わるなんてなあ……どっちが、先生か分からなくなるね」


「瞬ちゃんは、俺の一人暮らしの先生だ」と先生が微笑む。その言葉に、俺は少し得意になって、先生に「困ったら、何でも訊いてくださいね」と胸を張った。


「そういえば……」


集積所にゴミを入れてから、いつもみたいに少し立ち話をしていると、先生は俺に……何故か小さな声でこう言った。


「昨日、あの後──康太くんがうちに来たんだよ」


「ああ……」


俺は、その光景が浮かんで、思わず、ふっと笑みが零れた。すると、先生も俺と同じように笑って、さらに教えてくれる。


「いきなり嫌な態度取ってすいませんでした……だって。もう一つ、そうめんを貰ったよ」


「俺に分けてくれたのに、また増えちゃいましたね」


「嬉しかったよ、うちのとは違う銘柄だったしね。聞いたことがないものだったから、康太くんの家の田舎はどのあたりなのかとか、そんな話ができて……楽しかったよ。いい子だね、康太くん」


「……はい」


俺のためになんかじゃなくて、本当にそうだったんだろうなって思うくらい、先生はうきうきと、康太とのことを話してくれる。その様子に、俺はこっそり嫉妬した……もちろん、先生に。


だけど、そんな俺のやきもちは、もしかしたら先生にはお見通しだったのかもしれない。先生は俺に、にこりと笑って言った。


「瞬ちゃんが好きになるのも分かるよ」


「……へ?」


思わず、目をぱちくりさせて訊き返す俺に、先生は腕を組んでうんうん頷きながら、続ける。


「頼りになりそうだし、優しいし、格好良いもんなあ……すぐそばにあんな幼馴染がいたら、他に誰も好きになれないよ。瞬ちゃんがちょっと羨ましいね」


「え、えっと……」


俺の気持ちは先生にもバレていたらしい。「いつから?」と訊いたら、「結構すぐに」と返されたので、俺は恥ずかしくなった。俺って、そんなに分かりやすいのかな?熱くなった頬を抑えながら、俯いていると、先生は楽しそうに言った。


「これでも、瞬ちゃんよりはずっと大人なんだ。そのくらい分かるよ。いいなあ、若いって。青春だなあ……」


「せ、先生だって若いじゃないですか!」


「いや、そうでもないんだよ……もうアラサーだし。俺なんて……いや、俺のことはいいんだ」


先生は首を振ると、俺に言った。


「とにかく……瞬ちゃんはその気持ち、大事にしてね。そして、できたら康太くんに伝えてあげてほしい。だって、瞬ちゃんの……」


「大好きには、魔法の力があるんですよね?」


俺がそう言ったら、先生は驚いたような顔をした。


──覚えてるに決まってる。


だって、それは──毎日「好き」と言っている俺が、ずっと支えにしていることだから。


その時、少し離れた建物の影で、ごそごそ、と音がしたような気がした。振り返ると、一瞬、よく見覚えのある──幼馴染の頭がちらりと見えた気がして、俺と先生は顔を見合わせて笑った。



──『俺、瞬に……好きって、言ってもらえるような奴じゃない』


──『最低だ。嫌な奴なんだ』



今日も伝えよう。


──康太が、俺の好きな康太を、好きになれるように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る