7月8日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





「そういえば……」


──しゅう、とかけていた掃除機を止める。居間のソファで胡坐をかいてその様子を見ていた澄矢さんに俺は訊いた。


「七夕は何かイベントをしないんだね」


すると、澄矢さんはふん、と鼻で笑ってから「そらそうや」と言った。


「そんな同業他社を宣伝するようなイベント、儂らがやるわけないやろ。願い事はお星さまやなくて、神様にするもんやで」


「神様?」


「あ……いや、キューピッド!キューピッドや、儂が言いたいのんは」


妙に慌てて、そう言い直した澄矢さんを不思議に思っていると、話題を変えるように、澄矢さんが「そういえばな」と言った。


「前に瞬ちゃんにちょっかい出した奴、覚えとるか?」


「ちょっかいって……あ、あの急に噂が盛り上がった?」


数週間前の「サムシング・フォー・チャレンジ」──その途中、俺と康太の「噂」が不自然なくらい、広まったことがあった。まるで、三月の時みたいに……異常な過熱ぶりは、澄矢さんも気になったみたいで、手が空いた時に調べてくれるって言っていたけど。


「原因が分かったの?」


「いや、分からんかった」


「なんだ」


こてん、とズッコケそうになる。すると、澄矢さんは「しゃあないやろ」と口を尖らせた。


「儂やって、瞬ちゃんのために一生懸命調べたんやで。せやけどな、儂らみたいなん下々に触れる問題やなかったんよ。堪忍してな」


「うーん、まあ、そっか……」


キューピッドの内部事情は分からないけど、そう言われたらそう返すしかない。だけど、諦めかけた俺に、澄矢さんは言った。


「でもな、何も分からんかったわけでもないで。儂やって、手ぶらでここへ来たわけやないよ」


「じゃあ……何が分かったの?」


「同業他社や」


「同業他社?」


それって、さっき言ってた──「お星さま」のこと?


「それもあるけど──もっと他の存在やな。お星さまより、タチが悪くて、面倒で、切っても切れんやっちゃな……」


そう言った澄矢さんの顔は、「分からない」と言っていた割には、随分苦々しかった。


──澄矢さん……本当はもっと何か知ってるんじゃ……?


もう少し訊きたいと口を開こうとした時だった。


──どんがらがっしゃん!


『うわー!?』


「え?」


漫画みたいなどたばた音が壁の向こうから聞こえてきて、驚く。今のって──。


──先生、だよね……?


気が付くと、澄矢さんはもう姿を消していた。


ひとまず……俺は、隣の部屋へと駆けつけることにした。





「ご、ごめんね……瞬ちゃん」


「えっと……」


正座をして項垂れるみなと先生に、なんて声を掛けようかと迷う。

──あたりには、散らばった本と、隅に積み上がった段ボールの数々。


音を聞きつけて、隣の部屋に駆けつけると、みなと先生はよろよろとドアから顔を出して、俺に『ごめんね』と謝った。


『朝からうるさかったよね……』


『いえ……それより、先生は大丈夫ですか?一体何が……』


気まずそうに俺から視線を外して、先生が部屋の中を指差す。中に上げてもらうと、広がっていたのはこの光景……というわけだ。事情を聞いたら、引っ越しの荷解きをしようと、本が入っていたダンボールに手を出したら、崩れてきてしまったらしい。


「今日こそ、ちゃんと片付けをしようって、気合い入れて起きたんだけどなあ……」


「うーん……この量はちょっと、一人じゃ厳しいと思いますよ」


床に散らばってしまった分の他にも、開けてないダンボールがそこらで山を作っている。先生一人で、この量を片付けていたら、日が暮れてしまう。


──それなら。


俺は着ていたシャツの袖を捲って、ふっと息を吐いた。それから、床の上で小さくなっているみなと先生に言った。


「俺、先生のお部屋の片づけ、手伝います!」


「え?」


顔を上げて、目をぱちくりさせた先生は少し考えてから──首を振った。


「それは悪いよ。教え子にそんなことはさせられない」


「申し訳ないですけど……ダメです。待っててください、今、もう一人、助っ人を呼びますから」


「す、助っ人?」


戸惑う先生に背を向けて、俺はスマホを取り出す。そして、俺にとって「一番頼りになる助っ人」を呼び出した。



「で、俺かよ……」


「本当にごめんね……」


うず高く積もったダンボールのうちの一つを床に下ろしながらぼやくと、背後で「湊」(今更だが、表札を見て、こう書くのかと知った)がぺこぺこと頭を下げる。隣では、俺を呼び出した瞬がダンボールから出した本を仕分けしている。何やってんだ──と俺はため息を吐いた。


枕元で鳴る瞬からの着信音で起こされて、何かと思って来れば──湊の家の片付けの手伝いとはな。


「お前、教師だろ。こんなになる前に、引っ越しの荷解きくらい自分でやれよ……」


「返す言葉もありません……」


「先生は毎日忙しいから仕方ないよ、ね」


俺を宥めるようにそう言ってから、瞬が湊に笑いかける。湊は頭を掻いて、はにかんだ。その光景に妙に胸がむかつく。


──瞬は誰にでもこんな感じだろ……。


そう言い聞かせて、逃げるように目の前の作業に集中する。ダンボールを下ろして中を開けていると、湊が「やっぱり俺も……」と近寄ってこようとしたので、俺は「来んな」とそれを手で制した。その様子を見た瞬が、また湊をフォローする。


「先生は、そこで指示してくれればいいですから」


「で、でも……」


「お前、動くとロクなことになんねえから、大人しくしてろ。マジで」


「はい……」


湊がしゅん、と小さくなる。瞬は俺に目配せで「言いすぎだよ」と咎めてきたが、俺は「これくらいでいい」と首を振った。


この一週間で、こいつのことは大体分かった──こいつは、凄まじい「やらかし」体質を持っている。

単に「ドジ」とか、「ちょっと鈍臭い」とかの域を超えている──最早「呪い」に近い。


そもそも、瞬がこいつの部屋で片付けをする羽目になったのも、こいつのその体質のせいだ。言いすぎってことはない。


それなのに、湊に「気にしないでください」と声を掛ける瞬に、また胸がむかつく。


──クソ……何だこれ。


……そんな調子で、黙々と片付けを続けていると、部屋の隅に一つだけ、独特な雰囲気を放つ箱を見つけた。


「康太?」


手が止まった俺に気付いたのか、瞬が寄ってくる。俺は「見ろよこれ」とその箱を差した。


一見すると普通のダンボールなんだが、何というか──禍々しいオーラを放っているというか……。


とりあえず中身を広げようと、持ち上げて、運び出そうとする……が。


「っ、クソ、重てえな……っ!?」


とてもじゃないが、一人で持ち上げられるようなもんじゃねえ。瞬も一緒に抱えようとしてくれたが、二人がかりでも全く持ち上がらない。何が入ってんだよ……。


すると、背後からその箱を覗き込んだ湊が「ああ……これは」と声を上げた。


「これは……石だよ」


「石?これ全部か?」


「うん。俺が、旅先で拾ってきた色々な石が入ってるんだよ」


「へえ……何か、特別な石なんですか?」


「そうだね……俺にとっては、だけど」


そう言って、ダンボールの前にしゃがむと、湊はその中から一つ、手のひらに収まるくらいの大きさの、刃のように先の尖った、エメラルドに輝く不思議な石を取り出して見せた。


「これは昔、とある地方の山村に行った時に拾ってきた石だね。綺麗だろ」


「わあ……」


瞬が子どものように目を輝かせる。確かに、見たこともないような珍しい石だ。鉱石か何かだろうか。


「うーん、俺もよく分からないんだけどね。その村の近くの洞窟で拾ったんだ」


訊けば、湊は大学時代、フィールドワークとやらで、色々な神社とか、寺とか、遺跡とか……そういうところによく足を運んでいたらしい。


「この石は、俺がその洞窟で足を滑らせてしまった時に、咄嗟に掴んだ石なんだ」


「へえ……じゃあ、そのおかげで先生は助かったんですね」


「うん。これに掴まって、一瞬でも踏ん張れたおかげで、俺は助かったし、記念に持ち帰ってきたんだ──まあ、俺が掴んで、この石が壁から抜けた時に、奥で獣が鳴くような声がして、地鳴りがしたんだけど……」


「返してこい、今すぐに」


それは絶対に抜いちゃダメなタイプの石だ。


他にも、そのダンボールからは、「身に覚えはないけど、その神社に行った晩、何故かリュックに入っていた老人の顔に見える石」や「躓いた拍子に地面から抜けてしまった、鍵のような形の石」とかが出てきた──要するにこの箱は、いわくつきの「石」の吹き溜まりだった。この手の関係は全く信じてない俺だが、どれも禍々しいオーラを放っているので、さすがに引く。


「……お前、これが原因だろ!色々と」


「えっと……?」


えっと、じゃねえだろ。


ふと、隣を見ると、瞬が不安そうな顔をしている。瞬はこういう話、ちょっと苦手だもんな。


俺は瞬の肩にそっと手を置いて言った。


「大丈夫だ、瞬。何があっても、俺が守る」


「……康太」


瞬はほっとしたように笑って頷いてくれた──その顔があまりにも眩しくて、恥ずかしくて……思わず目を逸らしてしまう。すると、その様子を見つめていた湊が微笑む。


「うんうん。お互いを想い合っていて、素敵な関係だね。もちろん、瞬ちゃんに何かあったら、俺も力になるよ」


「先生……ありがとうございます」


「……」


今度は、湊にあの笑顔を向ける瞬。


──何だよ。


俺は思わず、小さく舌打ちをする。すると、湊は俺にもこう笑いかけた。


「あ、康太くんのためにだって、俺は力になるよ」


「そっちじゃねえ」


「そっち?」


湊が首を傾げる。俺は「どっちだよ」と心の中で、自分にツッコんだ。





──そんなこんなで、湊の家の片付けを手伝っていたら、もう夕方近くになっちまった。



「今日は本当にありがとう。おかげで、随分片付いたよ。何かお礼をしないと──あ、そうだ。さっきの石を一つ持って行って……」


「結構です」


湊の申し出を丁重に断り、瞬と一緒に家を出る。

と言っても、瞬の家はすぐ隣だし、瞬ともすぐ別れることになるんだが……。


「ふふ」


「何だよ、急に笑って」


瞬の家の前での別れ際──ふいに、瞬がにやにやと笑い出したので、俺が訊くと、瞬は、はっと我に返ってから、気まずそうに「えっと」と口ごもる。


「言えって。何か落ち着かねえだろ……」


「で、でも……本当に、くだらないというか……言うようなことじゃないっていうか……」


「今更何だってんだ。教えろよ」


いつまでも口をもごもごさせている瞬に痺れを切らして、俺は瞬の脇腹を軽く小突いた。すると、瞬は観念したのか「わ、笑わないでよ?」と前置きしてからこう言った。


「み、みなと先生も康太も……格好いいから、同じ部屋に二人で並んでると、いいなあって……」


両手を組んで、もじもじしながらそう言った瞬に──頭の中で何かがぷつん、と切れたような気がした。


気が付くと、俺は瞬をドアに追い詰めるような格好で迫って、こう言っていた。



「瞬は──どっちがいいんだよ……」



「ど、どっちって」


瞬が目を丸くして、俺を見つめる。戸惑っているような、怯えているような瞳に、今度は俺の方が、はっとなる番だった。すぐに「悪い」と言って、瞬から離れようとする。


すると、瞬は「待って」と俺の手首を掴んで言った。


「そんなの、こ、康太の方が……いいじゃん。好きなんだから」


「大体、先生はそういうんじゃないし」──俯きがちに言った瞬の頬がほんのり赤かったので、瞬に掴まれているところから、俺にまでその気持ちが伝わってくるみたいで……自分から訊いたくせに、耐えられなくなった俺は、ぱっと瞬の手を離すと、逃げるように「またな」と言って、その場を去った。


──何してんだ、本当。

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