7月7日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





──笹が、歩いてる。


昨日の夕方のことだった。


瞬と図書館で勉強してから家に帰ってきた俺は、母さんが帰ってくる前に、洗濯物を取り込もうとベランダに出た。そして何気なく、ベランダから駐車場を見下ろすと、よろよろと揺れながら、笹が歩いていたのだ。


──笹……というか、正確には、笹を抱えた人か。


明日の七夕の用意でもしてんのか?それにしても、随分量が多い。家に飾るのにそんなにいらないだろ……

もしかして、大豪邸に住んでたりすんのか?とか、そんなことを考えながら見ていると……ふと、その笹を抱えた奴に、見覚えがあるような気がした。


──あれって……みなと、か?


目を凝らしてみると、笹人間の正体は「みなと」だった。両手に抱えきれない程の笹を、何故かは分からないが、おそらく自分の車に運ぼうとしているのだろう。


この時間でもクソ暑いってのに、あいつ、何やってんだ……と思いつつ、竿に掛かった洗濯物を取り込んでいると、下から『うわー!?』という声が聞こえた。見ると、笹人間こと、みなとは勢いよく転んでいた……瞬から話は聞いていたが、教師のくせに鈍臭い奴だな……。


──どうでもいい……放っとくか。


あいつのことを考えると、また何か、くさくさするしな。俺は砂利の駐車場に笹を抱えて突っ伏しているみなとを無視して、部屋に入ろうとしたが──。


『……』





『いやあ……ありがとう。助かったよ。ごめんね、車まで運んでもらっちゃって』


『別にいいけど……』


へらへらと笑うみなとから顔を背けつつ、俺は自分に『何やってんだ』とツッコんだ。結局、妙に気になって、下まで降りて来てしまった。


──まあ、放っておいたら、瞬がこいつのところに行くかもしれないし……。


そう考えて、俺ははっとした。それの何が悪いことなんだ、別にいいだろ。瞬が、みなとのことを気にしてたって……こいつは、瞬の憧れなんだし。俺にとって、それが何だって言うんだよ……。


俺は頭を振った。もういい。とりあえず、こいつの用も済んだだろうし、さっさとこの場を──そう思った俺は、みなとに『じゃあ』と言って、去ろうとした。しかし、みなとは俺にこう言った。


『それにしても、すごく逞しくなってたから、驚いたよ……康太くん』


『……は?』


俺は驚きのあまり、振り返る。こいつ──。


『……俺のこと、覚えてんのか?』


『もちろん。俺が教育実習の時にお世話になったクラスにいたよね。瀬良康太くん』


『……』


呆気に取られていると、みなとの方は、腕を組んでしみじみと言った。


『瞬ちゃんにもびっくりしたけど……康太くんも大きくなったなあ。それに、すごく格好良くなってるし……』


『う、うるせえな……』


『そう言わずに』


腰に手を当てて朗らかに笑うみなとを、半ば睨みつつ……俺は言った。


『よく覚えてるよな……俺となんか、そんなに関わってなかっただろ』


『人の顔を覚えるのは得意なんだ。ましてや、大事な教え子なら尚更』


『教え子ってほどでもねえだろ』


『そうかな。でも……瞬ちゃんがいつも話してくれたからね、康太くんのことは』


『瞬が?』


こいつに一体何を……と思わず、詰め寄ると、みなとは頷く。


『優しくて、いつも俺のことを守ってくれるんだ……ってね。今でも仲が良いみたいで、安心したよ。それに』


みなとは、さっき車の後部座席に運び入れた笹を差して言った。


『優しいのは……俺も今、身をもって知れた』


──敵わない。


俺は直感的にそう思った。心の奥底で、点きの悪いライターみたいに、燃えかけては燻ぶっていた何かが、完全に尽きた気がした。俺は息を吐いてから、みなとに尋ねた。


『……てか、そんな量の笹、何に使うんだよ』


『ああ、これ?七夕用だよ』


『そりゃあ、見れば分かるけど……こんなにどこで使うんだよ』


『学校だよ』


みなとは、にこりと楽しそうに笑って言った。


『教室に飾るんだ。俺のクラス以外にも、他のクラスの分もついでに貰ってきたから、こんな量になっちゃったけど……子どもたちに見せてあげたいからね。最近じゃ、家で飾ったりはしないだろうから』


さらに訊けば、笹はこのマンションの近くにある幼稚園から譲ってもらったらしい。園の敷地に竹林があって、幼稚園だけじゃ使いきれないからと、毎年分けてもらってるんだとか。


『その幼稚園から、うちの学校に上がってくる子も多いからね。そういう繋がりって結構大事なんだ』


『ふうん……』


俺はそう語ったみなとの顔をじっと見つめた。さっき、転んだ時は鈍臭い奴だと思ったが、こういう話をしていると、そうでもなく見えるから不思議だ。しばらくじっと見ていると、みなとは『ああ、そうだ』と言った。


『これ、よかったらあげるよ』


みなとは、助手席側のドアを開くと、中からリュックを引っ張り出し、さらにその中から、細長い紙きれを二枚、俺に渡してきた。


『何だよ、これ』


『短冊だよ。よかったら何か書いて、これに吊るすといい』


みなとは『はい』と、部屋にも飾れる程度に、短く切った笹を一本、俺に差し出した。


『別にいいって。こんなの』


『そう言わず。瞬ちゃんとやったらいいよ、こういう季節のイベントは大事にしないと』


だから、短冊を二枚渡してきたのか。俺は、これを見せた時の瞬の顔を想像した。

たぶん、目をキラキラさせて『わあ、なんだか楽しそうだね。康太も一緒にやろうよ』と言うに違いない。そう考えたら、まあ……貰っとくか。


俺は一応、みなとに礼を言ってそれを受け取った。


『じゃあね。良い七夕を』


そう言って、車に乗り込んだみなとを見送りつつ……俺は手に持った笹を見て、ふっと笑った。





「わあ、なんだか楽しそうだね。康太も一緒にやろうよ」


「……ぷっ」


翌日の放課後。


瞬を家に呼び、昨日、みなとに貰った笹を見せてやると、瞬があまりにも想像通りの反応をしたので、俺は思わず笑ってしまった。瞬が「え、何?」と戸惑うので、俺は「何でもない」と言って続ける。


「ほらこれ……短冊も貰ったから。瞬、何か書けよ」


「ありがとう……でも、康太は書かないの?」


みなとに貰った短冊を二枚、瞬に渡すと、瞬が首を傾げる。


「俺はいい。こういうの興味ねえし、代わりに瞬が二個願い事すりゃあいいだろ」


「またそんなこと言って……七夕は神様とは関係ないんだから、康太もお願い事しなよ」


「ほら」と半ば、無理やりペンを握らされ、俺は観念した。瞬に「康太はこっちね」と青い短冊を渡され、それをじっと見つめる。願い事って言ったってな。


──そんなもん、何があるって……。



──『……なかったことに』



「……っ!」


ふと、頭のずっと奥で聞こえた声に、身体が震える。瞬が「どうしたの?」と俺の顔を覗き込んできたので、俺は「いや」と曖昧に返事をする。


──何だったんだ、今の。


俺は、背中を這い上ってくるような気持ち悪さを払うように、頭を振った。それから、目の前の青い短冊に向き直るが……やっぱり何も浮かばない。


俺はちらりと、隣の瞬の短冊を覗き見る。



『大好きな康太とこれからも一緒にいられますように』



「よく……そういうこと書くよな」


「え?あ、み、見たの?」


瞬が頬を膨らませるので、俺は「何だよ」と言った。


「どうせ、うちの笹に飾るんだから、いずれ分かるだろ」


「そうだけど……じゃあ、康太のも見せてよ。俺ばっかりずるい」


「俺は瞬が帰ってから書いて飾る」


「ずるいよ!」


瞬がぽこぽこと俺の背中を叩いてきたが、俺は取り合わなかった。そのうちに、瞬は諦めて「もういいよ」と口を尖らせた。


ひとまず、瞬の短冊を俺の部屋に飾った笹に吊るす。


帰り際、瞬は俺に言った。


「今日は諦めたけど……康太のお願いも、今度教えてね」


それは、なんてことない一言だ。

だけど、俺は妙に胸がざわつきながら、それに蓋をするように「そうだな」と言った。



瞬が帰ってから、俺は自分の分の短冊を書いた。そして、それを瞬の短冊の隣に吊るした。

短冊には、今の俺の願いが書いてある。


──『瞬といたい』と。

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