7月6日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
「えっ、瞬ちゃんって、毎日お弁当作ってるの?!」
目をまん丸にして、先生が驚くので、俺はちょっと照れつつも「はい」と頷く。すると、先生は「うーん」と腕を組んで唸った。
「俺も頑張らないとなあ……まずは、炊飯器を箱から出すところからだな」
大真面目な顔でそう言った先生に、ほんの少し「ん?」と思いつつも、俺の心の大部分は、今日も先生とお喋りができたことで、うきうきとしている。
朝の先生とのお喋りは、この二、三日で日常になりつつあった。
俺がゴミ出しに行ったり、新聞を取りにポストまで行くと、ちょうど、出勤前の先生に会える。別に狙ってるわけじゃないんだけど、お互いの朝の習慣が上手く噛み合っている感じだ。まさに、早起きは三文の得……みたいな。
そのことを嬉しく思いながら、俺は先生に言った。
「先生は、朝もこんなに早いじゃないですか。夜だってすっごく遅く帰ってくるし……それで、今よりもっと早起きしたら、寝る時間なくなっちゃいますよ」
「う……それも、バレてたのか……」
今度は先生が恥ずかしそうに頭を掻く。
毎晩、俺が布団に入って、なんとなく、うつらうつらしてる頃に、隣の家のドアが開くような音がするから、たぶん、そのくらいに先生が帰って来てるんだってことを、俺は知ってる。朝早くから、夜も遅くまで……先生は、本当に大変だ。
だけど、先生は明るく笑って言った。
「今はそういう時期だからね。もうすぐ夏休みになるし、もうひと頑張りってところだ」
「無理はしないでくださいね」
「大丈夫だよ。それより……瞬ちゃんは、どんなお弁当を作っているの?」
「んー……えっと」
俺はポケットに入れていたスマホを取り出す。お弁当の写真なんて、普段は撮ることもないし、撮るとしたら、特別に作った時くらいだ。例えば──。
「こ、こういうのとか……」
俺は、ちょっと恥ずかしかったけど、先生にその写真を開いて見せた──前に、資格の講習会に行く康太のために作った「ハートいっぱいの愛幼馴染弁当」を。
「こ……これは……!」
写真を見た先生は、さっきよりももっと目を丸くして驚いていた。俺は慌てて、先生に言った。
「ま、毎日こんなお弁当を作ってるわけじゃないですよ!?」
「いや、それはそうかな……とは思うけど……そっかあ……瞬ちゃんにも、もうそんな相手が……」
しみじみとしている先生に、俺は「ま、まだそんな感じじゃないですよ」と返す。
先生は首を振った。
「いやいや……いいことだよ。若いっていいね、うん」
そう言って、笑う先生の顔が、なんだか寂しげというか、切なそうに見えたので、俺は首を傾げた。
「先生?」
「……」
反応がない。しばらくすると、先生は宙を見つめて、ぼそりと呟いた。
「リサ……どうして…」
「せ、先生ー?」
焦点の合わない目で、どこか遠くを見ている先生の顔の前で、手のひらをかざしてみる。すると、先生は、はっと我に返った。
「あ、ああ……ごめん。おっと、もうこんな時間だね。そろそろ行かないと」
「じゃあね、また」と、爽やかに手を挙げて、先生は駆けて行く。俺は先生に「いってらっしゃい」と手を振った。
数歩歩いたところで、先生は思い出したようにリュックから取り出した日傘を開いた。……たぶん、糞対策かな。しかし、差した直後に日傘は突風で飛ばされて、先生の手を離れていった。それを追いかける先生の後ろ姿は、さっきよりも切なかった。
☆
──お弁当といえば。
先生と別れた後。
家の台所で今日のお弁当を詰めながら、ふと、思い出したことがある。
俺は、まな板の上で冷ましておいた玉子焼きを箸で掴んで、じっと見つめた。
あれは──高校二年生の時の、ちょうど今くらいの時期だ。
春から始めた一人暮らしにもやっと慣れてきた俺は、それまでは朝、余裕がなくて作れなかった「玉子焼き」をお弁当に入れてみることにしたのだ。
母さんがこっちにいた頃は、俺や父さんのお弁当によく入れてくれていて、大好きなおかずの一つだったんだけど、自分でお弁当を用意するようになって、あれをほぼ毎朝、作っていた母さんのすごさを思い知って……。
一人暮らしを始める時に、母さんから教わっていたから作り方は知っていたけど、実際、その時まで作ることができなかったから、俺としては、これはちょっとしたチャレンジだった。
だから、初めて作ってみようと決めた日は、遠足の日みたいにうんと早起きをして……母さんに貰ったメモとにらめっこしながら、フライパンを握った覚えがある。そして、初めてにしては上手く焼けたかな、と思えて、すごく嬉しかったことも。
──あと、康太が言ってくれたことも……。
その日は、確か、俺のクラスの方に康太が来たと思うんだけど……康太の前でお弁当箱を開く時、少しどきどきしたんだよね。康太に「今日は玉子焼きを作ってみた」って話をしようかも、少し迷った。
だけど、康太はすぐに気が付いて──。
『瞬、その玉子焼き……もしかして作ったのか?』
『う、うん。朝、ちょっと余裕ができてきたから……やってみようかなって思って……』
『へえ……それ、美味そうだな。一個くれよ。瞬の家の玉子焼きってしょっぱいやつだから好きなんだよな』
『いいけど……初めてだから、まだ上手くないかも──』
『ん……めちゃくちゃ美味いぞ。これで初めてかよ……すげえな』
『……っ、ほ、ほんと?』
『嘘なんかついてどうすんだよ。おい、もう一個くれ』
『あ、もう……俺の分なくなっちゃうよ』
。
。
。
「お、今日も美味そうだな」
「康太」
購買から戻ってきた康太が、今日も目敏く、俺の弁当箱に入った「玉子焼き」を見つける。俺はランチトートから、タッパーを取り出して、康太にそれを渡した。
「ん、何だよこれ」
「康太はこっちね」
首を傾げながら、康太がタッパーを開く。中身は玉子焼きだ──康太の分の。
「いつも、俺のお弁当箱からひょいひょい取るから、今度から康太の分は別に用意しようかなと思って」
「人聞きが悪いな。いつも瞬がくれるから貰ってるんだろ」
「だって、好きな人があんなに美味しそうに食べてくれるなら、惜しくないと思うでしょ」
そう言ったら、康太は口をもにょもにょさせて、大人しくなってしまった。康太が生意気なことを言った時は、これがよく効く。しばらくそうしていたけど、俺が自分の弁当を食べ始めると、康太もタッパーから玉子焼きを一つつまんで口に運んだ。
「美味い」
「よかった」
今日もそう言ってくれた康太に、胸が温かくなりながら、俺はふと思った。
そういえば、七月六日は──どこかの誰かにとっても、こんな記念日だったのかな、って。
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