7月1日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





『……はあ』


熱いシャワーを浴びながら、息を吐く。思い出すのはついさっきの──夕飯のことだ。


瞬が湯川のばあちゃんから教えてもらったという、『好きな人の胃袋を掴む肉じゃが』──その正体はなんと『マカ入りの精力増強肉じゃが』だった。


俺が止めに入らなければ、瞬はそうとも知らず、肉じゃがにマカをぶち込んでいただろうし、大変な目に合うところだったな。


まあ、マカさえ入ってなければ、あの肉じゃがはまともで……むしろ最高に美味かったし、そういう意味では、胃袋はしっかり掴まれたというか……。


──ていうか、前から瞬の飯は好きだったし……。


今更といえば今更だ。


だけど、『美味い』と伝えた時の、瞬のはにかんだ顔が、今日は特別に思えて……俺まで、何だかむずむずするような気持ちになった。変なものを食ったわけでもないのに、妙な気分になりそうだった。


それは瞬の方も同じような気持ちらしく、料理が上手くできたことにはほっとしていたが、それからは、俺とあまり目が合わなかったし、会話もいつもより少なかった。たぶん、自分のしようとしていたことが、少なからずショックだったんだと思う。


そんな……なんとなく気まずいような、でもお互いが嫌ってわけではない、微妙な時間を、俺達は過ごしていた。今晩が、瞬がうちにいる最後の夜になるっていうのに。


そのうちに、九時が近づいて、いつも通り、俺は風呂、瞬は布団を敷くために俺の部屋に戻ったが、それもルーティンというよりは、逃げるような感じだった。


しかし、いつまでも、こうしてシャワーを浴びているわけにもいかない。多少、気まずさはあるが、同じ部屋で寝てるんだし、いい加減切り替えて、戻らねえと。


──きゅ。


俺はシャワーを止め、浴室を出ようとする。その時ふと、壁のタオル掛けが目に入る。さっき使って掛けた、俺の青いボディタオルと、母さんのピンク色のボディタオルがあって、そこに並んで、うちのじゃない黄色いボディタオル……たぶん、瞬のやつだ。


──明日、帰る時に忘れないようにしないとな。


他にも、洗面所には、瞬が持って来た黄色い歯ブラシとコップもある。箸も、瞬は自前のものを持って来ている。皿くらいはなんとかあったが、うちには来客用の備えが全然ないからな。


だから、この一週間のうちに、家の中のあちこちに瞬の存在が溶け込んでいた。


──……帰っちまうんだよな。


別に、それで遠くに行くわけじゃないのに。同じ家から一つ上の階に帰っていくだけなのに。

なのに今、俺は無性に寂しかった。認めないことはできないほど、胸は痛いと主張していた。どうしてこんなにも、そんなことを思うのかは分からないけど、確かに寂しかった。


そう思ったら、この時間がひどくもったいないような気がした。


──とっとと着替えて、部屋に戻ろう。


そうと決まれば、と、俺は勢いよく浴室のドアを開けた。……開けたところで、いきなり誰かに抱きつかれる。


『康太!』


『──っ!?しゅ……っ!?』


誰かとは言うまでもなく瞬だった。だが、様子がおかしい。

いや、あの慎み深い瞬が、わざわざ浴室まで来て、全裸の俺に抱きついてくる時点で大分おかしくはあるんだが……おかしいのはそれだけじゃない。


『康太……っ!どうしよう、助けて……』


『お、落ち着け。どうしたんだよ……』


『や、ヤツが……ヤツが……!うぅ』


俺の胸元に顔を埋めて、要領を得ないことを言って、取り乱しているのだ。


それに、瞬は、力いっぱい俺の身体にしがみついてくるので、あれとか、あれが、瞬のあんなところとかに触れてしまったりして、これはとにかく、よくない状態だった。


とりあえず、全裸は色々とマズいので、瞬を宥めつつ、そっと引き剥がして、なんとか、パンツとTシャツだけは身に着ける。その間も、瞬は目に涙を浮かべていて、息を整えて、落ち着こうとするのが、やっとみたいだった。一体何があったんだ?


俺は、瞬の背中をさすってやりながら、事情を訊いた。


──なるほど。


『じゃあ、瞬はここにいろ。ヤツは俺が仕留めてくる』


『う、うん……ごめんね』


安全な居間のソファの上に瞬を避難させてから、俺は一人、部屋へ向かう。


──そして、瞬の証言を頼りに部屋で『ヤツ』を見つけてから、数分程で決着はついた。


ティッシュで足の裏を拭き、それを丸めたものを掲げて、俺は居間で震えている瞬に戦果を報告した。


「見ろよ、瞬。出てきてから足の裏で一発だぜ。ほら。結構やるだろ」


さぞ、たくさん褒めてもらえるだろうと思って、気分良く報告したが、瞬には『いいから早くそれを何とかしてきて』と怒られてしまった。何だよ……。


『何だよじゃないよ。なんで"G"が得意な人って、捕まえた”G”を見せてくるの……?』


危機が去った部屋に二人で戻ってから、瞬にはそう言われて、『確かに』と唸った。

俺も母さんも『ヤツ』のことは何とも思わないタイプだから、その辺はなかなか分からない感覚だな。瞬には悪いことをした。


だから『ごめん』と言うと、瞬は首を振ってから、こう言った。


『いきなり、浴室まで呼びに行っちゃってごめんね。何とかしてくれて、ありがとう……やっぱり、康太は頼りになるよ』


『そうか』


『うん』


瞬が俺を見てふにゃっと笑う。むず痒くなるくらいの、俺への信頼を感じる……そんな笑顔。

それがなんだか堪らなくなって、気が付くと俺はこんなことを言っていた。


『瞬は……床で寝て、平気か?』


『え?う、うん……これはこれでもう、慣れたし』


『そ、そうか』


『康太?』


瞬が首を傾げる。何を期待しているのかも曖昧なのに、俺はなんだか期待が外れたような気持ちになった。すると、しばらくしてから、瞬が躊躇いがちに、ぽつりと呟いた。


『……や、ヤツが出てくるかもしれないのは……ちょっと怖い、けど』


まるで、垂らした釣り針の先に手応えがあったみたいな、そんな感覚だった。俺はそれをただ、本能で手繰り寄せようと、言った。


『じゃあ……寝るか』


『ね、寝るって……?』


『一緒に……こっちで』


瞬きもせずに、瞬は俺を見つめた。どんな表情ともとれるし、自分の中に起きるあらゆる感情を抑えているともとれる表情だった。俺はその顔から、視線を逸らすことはできなかった。ただ、じっと瞬の答えを待った。


ややあってから、瞬はこくりと頷いた。


こうして俺達は、無意識にでも、不可抗力でもなく、だけど口実はあって、しかしその奥にある抗えない欲求で、それがどんなことなのか、朧げに理解しながら……一晩、同じ布団で寝ることになった。




──7月1日 AM 0:02




「……」


もう何度目の覚醒か分からなかった。すぐそばで聞こえてくる寝息が気になって、俺は目を開けた。

寝返りを打って振り返れば、鼻先が触れそうなほど近くに、安らかな瞬の寝顔がある。


──……寝れるんだな。


すやすやと眠る瞬の顔は、見ていると心が穏やかになるが、同時に、俺は少し──そんな瞬を妬んだ。


──『そ、そんな……康太の、好きな人の匂いがいっぱいついたところで、眠れないでしょ……』


ここへ来た最初の日の晩に瞬が言っていたことを思い出す。眠れないとか言っていた割に、俺と布団に入って、灯りを消してから、ほとんど間もなく、瞬は規則的な寝息を立て始めたのだ。


反対に、俺の方は、やたら隣で寝ている瞬の存在が気になってしまい、眠りに入ったかと思えば、目が覚め──ということを一時間おきに繰り返しているので、なおさら……腹立たしく思う。


──この野郎……。


俺は瞬のほっぺを、きゅっと軽くつねってやった。いやまあ、そもそもこうすることを誘ったのは俺なんだから、瞬に当たるのは違うよなとは思う……けど。


──それに、「答え」だって、随分先延ばしにしてる……。


お互いに「それは言いっこなし」と決めてることではあるが。でも、それに甘えて、このままでいいわけでもない……とはやっぱり、思うわけで。



──『お前は馬鹿だ。馬鹿なんだから、ごちゃごちゃ考えんな。考えたって、大した答えも出ねえんだ……思うようにしたらいいだろ。それが答えになる』



その時ふと、西山に言われたことが頭をよぎった。


──思うようにしたらいい……か。


今日のこれは、どうなんだろう。

これは、俺の「答え」なのか?


考えんなって言われたのに、また考えそうになる。瞬の寝顔をじっと見つめて──すると、突然、瞬の目がぱちりと開いた。


ごそ、と瞬の頭が枕と擦れる音がして、俺と目が合う。


「……」


「……おう」


「康太……」


瞬が身体を捻って、俺と向かい合う形になる。何て言っていいか分からなくて、黙っていると、瞬は口を開いた。


「……眠れないの?」


「……まあ」


すると、瞬がふっと笑って言った。


「俺もだよ」


「嘘だ。さっきまですやすや寝てたろ」


「本当だよ。寝れてないってバレるの、恥ずかしいから……頑張って寝てるフリしてただけ」


「……そうなのか?」


「そうだよ」


そう言うと、瞬は俺の額に額をこつん、と触れさせた。何だよと言ったら、瞬はまた笑った。


「……さっきのお返し」


起きてたのは本当だったみたいだ。俺はなんだか悔しくなって、布団の中で、瞬の足を軽く蹴った。すると、ムキになった瞬も蹴り返してきた。だから俺は言ってやった。


「さっきGを踏んだ方の足だぞ」


「最悪」


瞬が俺を睨む。でもすぐにふっと表情を緩めて、俺に言った。


「康太」


「何だよ」


「好きだよ」


「……」


毎日、言われているはずなのに、それは随分久しぶりに言われた気がした。

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