6月30日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
『佳奈、何書いてるの?』
『ん、湯川家の肉じゃがのレシピ。ばあちゃんが立花に教えてあげてって』
『佳奈のおばあちゃんが?立花くんと接点あった?』
『この前うち来た時、いつの間にか、ばあちゃんが話しかけてたみたい。佳奈が男の子連れてくるの初めてだからって』
『へえ。で、何で肉じゃが?』
『立花にガールフレンドはいるのかとか、そういう話になって……で、そっからなんか……お節介、みたいな?』
『あー……まあ、立花くん、分かりやすいもんね』
『肉じゃがって定番っしょ?佳奈じゃないのかって、がっかりはしてたけど……ばあちゃん、やたら立花のこと気に入ってたし。で、朝イチであたしにレシピのメモ渡してきた』
『うわ、相変わらずやばい達筆……』
『湯川家でばあちゃんの達筆解読できんの、あたしだけだからね?だからこうやって、立花用に書き直してんの……えーと、あれ?何この字……』
『どれ、見して?』
『マ……?何これ、あたしでも読めないんだけど』
『マ……と、アかヤじゃない?』
『だとしても"マア"って何?"マヤ"じゃ文明だし。レシピだし、食材とかだとは思うけど』
『じゃあ何だろ。マ……と』
『ヤ……?待って。これ、カ……?カじゃない?』
『マ……と、カ……』
『マ……カ……』
『『マカ?』』
☆
「えっと……しゃぶしゃぶ用豚肉と……」
昨日、湯川さんに貰ったメモと、買ってきた材料ひとつひとつを照らし合わせていく。
『ばあちゃん直伝!”好きな人の胃袋を掴む”肉じゃがレシピ』と銘打たれたそのメモは、その名の通り──先日、お邪魔した湯川さん家でお会いした、湯川さんのおばあ様から教えてもらったレシピだ。
湯川さんの部屋に向かう途中、たまたま奥の小部屋から出てきたおばあ様に話しかけられて、「男の子が来るなんて珍しいから」とあれこれ尋ねられたんだけど。
そのうちに、どうやら俺には好きな人がいるらしいと察したおばあ様が「立花くん、ええ子だからねえ。あたしがじいさんを落としたとっておきのレシピ、教えてあげるよ」と言ってくれて……そして昨日、湯川さんを通して、本当に教えてくれたのだ。
──実春さんにお願いして、今日は夕飯を任せてもらえることになったし……頑張るぞ。
キッチンで一人、拳を握りしめる。
ちなみに、実春さんは職場の懇親会があるみたいで、今晩は遅くなるらしい。康太は居間でテスト勉強をやっているところだ。
「俺も手伝う」って言ってくれたけど、来週は期末テストがあるし、就活中の康太にとって、今回の成績は大事だ。お手伝いなんかよりも、そっちが優先だし、その分俺は、頑張る康太に、おいしい肉じゃがを作ってあげたい。
──そのためにも、レシピをしっかり確認しないとね。
実は、肉じゃがは、作ったことがないから、いまひとつ自信がない。昨日レシピを教えてもらってから、動画とかを見て予習はしたけど……大丈夫かな。
「材料は……本当にこれでいいんだよね?」
レシピ通りに用意した材料を、改めて確認する。
・しゃぶしゃぶ用豚肉 400g
・じゃがいも 6個
・人参 1本
・玉ねぎ 1個
・白滝 1袋
・水 400CC
・醤油 酒 砂糖 みりん
・和風だしの素
「うん。ここまでは、動画でも使ってたけど……」
・マカ
「これが見たことない食材なんだよなあ……」
昨日、レシピを渡された時に、湯川さんにも訊いてみたけど、「あたしは、ばあちゃんのレシピ写しただけだし、分かんないや」とのことだった。湯川さんのおばあ様はお料理が好きそうだったし、「とっておきのレシピ」って言うくらいだから、たぶんスパイス……とかなんだろう。
ネットで調べたら、薬局とかドラッグストアで手に入るって書いてあったから買ってきたけど……小さい瓶のものでも、なんだかすごく高かったなあ……。高級食材なのかもしれない。
──でも、高級食材ってことは、すごくおいしいのかも?
口に入れたことはないから分からないけど、見た目的には「珍味」的な雰囲気があるし、パッケージには「活力が漲る!」「超速攻・最強フルエナジー」「疲れ知らず」って書いてあるし、夏バテとかにも効くのかも。最近、暑かったし、康太には元気になってほしいもんね。
「じゃあ──作りますか」
レシピを台の上に広げて、キッチンの壁にスマホを立てかける。それから昨日見た動画サイトを開いて、レシピと合わせて見ながら、手順通り作り始めた。
☆
──トン、トン、トン……。
「……」
台所から聞こえてくる、包丁がまな板を叩くリズム。その軽やかな音に、俺はつい、手元に広げたノートから、音のする方へと視線を遣る。
「えっと、じゃがいもはひと口大で……」
台所には、レシピやスマホとにらめっこしつつ、包丁を握る瞬の姿があった。家から持って来た自前の紺のチェックのエプロンを身に着けた瞬は、最近伸びてきた襟足を、ゴムで束ねてひとつに結んでいる。今のエアコンの風があと少し届かない台所は、暑いらしく、露になった瞬の白いうなじを、汗が一筋垂れていくのが見えた。
「……っ」
その光景に、思わず唾を飲む。何なんだよ……収まっていたはずの心臓の痛みが、またぶり返してくる。音もうるさい。クソ……。
──『湯川家直伝の……好きな人の胃袋を掴む、とっておきのレシピの話』
──『明日の夜、作ってあげる』
そのせいで、また思い出してしまう。昨日、瞬が俺の耳元で囁いたこと。
なんてことない……とは言えないが、瞬が俺に気持ちを伝えてくれるのは、いつものことで、俺はそれを──ただ受け止めることしかできない、と思っていたはずなのに、だ。
──なんで、こう……こんなに。
言葉に変えられないものが、俺の胸の中を、頭の中を占めていく。それが、痛みとか、腹の奥がぐっとなるような感覚になって、身体に訴えかけてくる。何なんだよ、マジで。
『康太は勉強して、いい子に待っててね。俺はおいしいご飯、作るから』
──そうだ、俺は「いい子」にしてないといけない。集中、集中……。
頭を振って、ノートに戻る。無心で、教科書に向きあっていると、今度は台所の方から、ぐつぐつと何かを煮るような音が聞こえてくる。そのうちに、醤油の匂いがして、腹が「ぐう」と鳴った。
──美味そうな匂いがするな……。
台所から流れ込んでくる匂いに、集中が途切れそうになった時だった。ふいに、向こうから「ん~~~~~」と力むような瞬の声が聞こえてくる。
「どうした?」
「手伝いはいらない」と言われていたが、つい心配になってしまい、俺は台所へ駆けつける。すると、瞬が「康太……!」と助けを求めるような目で俺を見つめた。
「ごめんね。うるさくて……でも、この調味料の蓋が開かなくて……」
「なんだ、貸してみろよ」
「うん、ありがとう」
瞬が手に持っていた小瓶を渡してくる。何気なくそれを見ると──。
『マカ』
「これをどうするつもりだ!?瞬!」
「え?」
驚きのあまり、大声を上げてしまった俺に、瞬は首を傾げている。
「調味料」とか言ってたし、これが何か分かってないな!?
「どうって、肉じゃがの材料だけど……」
「こんな材料があってたまるか」
俺は小瓶──改め「マカ」を瞬から没収した。しかし、瞬はそれを取り返そうとしてくる。
「で、でも……レシピだとそれが必要だって」
「いらん。絶対にいらん。肉じゃがはこれがなくても十分成立する」
「でも、でも……それがないと、好きな人の……康太の胃袋が掴めないよ」
そんなもんなくたって──と言いかけて、急ブレーキをかけるみたいに、俺は口を閉じた。代わりに「これで掴めるのは胃袋じゃねえ」と返す。しかし、ムキになったのか、瞬は引き下がらない。
「だ、だって……!それ、なんだかすごく高かったんだよ!入れないともったいないよ」
「……これがどういうもんか分かんねえのか?」
「調味料じゃないの?スパイスとか」
……やっぱりな。仕方ない。なるべく、瞬にショックを与えずに……済ませられたらいいかと思ったんだが。こうまで引かないというなら、瞬に……教えてやるしかない。
俺は意を決して……瞬の両肩を掴んで言ってやった。
「瞬、これは……」
「これは?」
「これは……精力剤だ……」
「せい……りょく、ざい?」
「要するに、元気になるための薬なんだよ……!エロいことするために」
……きゅーっと音がしそうだった。
(マカだけに)真っ赤になった瞬の顔は、やかんみたいに、今にも湯気が噴き出しそうだった。
それから、鍋が吹きこぼれそうな音で、ようやく我に返った瞬は慌てて、コンロへと駆けて行った。
※肉じゃがは、二人でおいしくいただきました※
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます