6月28日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





『神さま、お願いです。どうか──』



──あんた……本当に何も知らないの……?



──……くんがいてくれたから、大事にならなかったのよ……



──……が少し良くなくて……最悪の場合……



──もう……も目を覚まさないのよ……



──その前に少しトラブルがあったみたいで……くんと……



『──が、無事でありますように……』



──それが、本当のお願い事なのかな?



──違う……俺じゃない……俺がやったんじゃ……



──『俺』がやったんだ……





「──っ!」



深い水の底から引き揚げられたみたいに、覚醒する。半身を起こすと、身体にシャツが張り付いていて、ひどく汗を掻いていたことに気付く。額を腕で適当に拭い、息を整える。タイマーを設定したエアコンが切れた部屋は、冷えた空気が少し残ってはいるが、蒸している。ヘッドボードに載せたリモコンを操作して、俺はエアコンを点けた。


──また、変な夢だ……。


ひと月に数回くらい見る、気持ちの悪い夢。耳の奥で、男とも女ともつかない人の声がぼんやり響いて、人や風景が溶けてぐちゃぐちゃになったものが視界を覆う。そのうちにこめかみのあたりが鈍く痛んで、目が覚めると、いつも滝のように汗を掻いている。不快だ……寝つきは悪い方じゃないって自覚はあるんだけどな。こう何度も見ると、どこかおかしくなっちまったんじゃねえかと思う。


──瞬は……。


まだ薄暗い部屋の中で、隣に視線を遣る。床に敷いた布団は膨らんでいて、瞬はそこで寝ていた。ということは、まだ夜中ってことか?枕元のスマホを見ると、朝の四時になったばかりだった。微妙な時間だな……。俺はまた、布団の上で仰向けに転がった。かと言って、二度寝する気にはならない。あの夢を見るかもしれないのが、嫌だった。


何をするでもなく、暗がりでぽつんと光るエアコンの赤いランプを見つめていると、ふと、昨日のことを思い出す。


──『嫌だったら、たまには俺より早く起きてよね』


寝っ転がったまま、ちらりと瞬を見る。


「……すー」


──寝てるな……。


つまり、俺の方が早く起きられたってことだ。俺はあることを思いついた。


「……よし」


足音を立てないようにベッドから降りる。それから、忍び足で、瞬の寝ている布団へと近づいた。

枕元で屈んで、眠っている瞬の顔を見つめる。


「……」


──ちっとも変わんねえな……。


瞬の顔は小さい頃からあんまり変わってない気がする。この前見たアルバムでも、小学生の時にはもう今の顔になっていた。幼さが残ってるというか、昔からそっくりそのまま、身体だけ大きくなったというか。こういうの、童顔っていうのか?


笑った顔とかは父親である淳一さんに少し似てるけど、ああいう渋さとは、今の瞬は無縁だし、これからもああいう風にはならない……と、なんとなく思う。


……まあ、色々言ったけど、要するに。


「可愛い顔してるんだよな……」


起きそうな気配は全くない、安らかな寝顔の頬を手の甲で軽く撫でる。撫でてから、俺はその手をもう片方の手で掴んだ。


──俺は……一体何を……!


ついでに、あんなことを呟いた自分にも驚いていた。ついさっきの俺は、あまりにも無意識だった。無意識のうちに、自然とやっていたし、呟いていた。クソ……。


一度、頭を冷やそうと、瞬から離れようとする。だけど、立ち上がりかけたところで、眠っているはずの瞬が俺を呼んだ。


「こうた……」


「……瞬?」


俺は再び、瞬のそばに屈んだ。しかし、瞬はすやすやと寝ている。寝言か……。


──まさか、起きてるんじゃ……。


確かめるために、俺は瞬の寝息をよく聴こうと、鼻の辺りに耳を近づける。もしも、この状況を俯瞰で見ている存在がいるとしたら「こいつキモいな」と思われそうだ。違う。別にやましい気持ちがあるわけじゃない。


さて、瞬の寝息はどうだったのかというと。


「……すぅ……すぅ」


よし、特に異常はないな。よく寝てるみたいだ。瞬は寝ている時、ちゃんと鼻呼吸ができるからえらいと思う。口の中も乾かないしな。


「ん……」


そんなことを考えながら、瞬を見つめていると、視線から逃げるように、瞬は寝返りを打った。瞬が俺に背を向けたところで、俺はそもそもの、瞬に近づいた目的を思い出す。


──今日こそは、反撃してやる……。


この二日間くらいの借りを返してやる時が来たのだ。いつの間にか、あと三十分くらいで、たぶん、瞬がいつも起きる時間になっている。ちょっと早いが、まあ、いいだろう。


俺は、瞬の耳元に顔を寄せる。それから、瞬がいつもやるみたいに手で筒を作って──。


──なんて言ってやろうか。


瞬の真似をするなら、「好き」だ。でも、それ以外の方がいい気がする。他に、他に……ダメだ、思いつかん。


「……ふっ」


「ひゃあっ!?」


瞬が変な声を上げて、飛び起きる。

……結局、何も浮かばなかった俺は、瞬の耳元に息を吹きかけてやった。


「……」


「……おう」


瞬が目をまん丸にして、俺を見つめている。最近、動画で見たバイカルアザラシみたいだ。

声もなく、しばらく俺を見つめた後、瞬はきっ、と俺を睨んだ。


「……何するの」


「仕返しだ……昨日と、一昨日の」


「それにしても……すっごくびっくりしたんだけど」


瞬が胸を抑えてそう言うので、俺は「俺だってびっくりしてたんだぞ」と返す。すると、瞬は何か言いかけて……また、目をぱちくりさせた。


「……瞬?」


「……康太」


瞬が俺に近づいて、額に手を伸ばしてくる。ひやりと冷たい手の甲で、俺の額を撫でると、瞬は俺に言った。


「汗掻いてる……どうしたの?」


「ど、どうって、別に」


変な夢を見たとは言えなかった。瞬に余計な心配はかけたくない。それに、あの夢のことを瞬に話すのは、何故か憚られた。


それ以上何も答えずにいると、瞬が「そっか」と呟く。

それから、腕をぐっと上に伸ばしたので、そろそろ起きるのかと思っていたら──。


「……もうちょっと、寝てよ」


ぽすっ、と瞬は布団の上に転がった。そして、俺を手招きする。それって。


「……ここで横になれってことか?」


「うん。あとちょっとくらいだったら、寝てても大丈夫でしょ。俺ももう少し寝るから、康太も一緒に」


「一緒って……」


瞬が少し横にずれて、俺のためにスペースを空けてくれる。それでも、二人で横になるには、この布団はだいぶ狭いと思うんだが……瞬が、ぽんぽん、と俺のためのスペースを叩いて誘ってくる。


「……」


俺は、そろそろと瞬の隣で横になった。すると、瞬はまるで赤ん坊を寝かしつけるみたいに、俺の肩をとん、とん、と優しく叩いてきた。


「ねーん、ねーんー……」


「おい」


「ごめん、つい」


瞬がくすくす、と笑う。それから言った。


「起こしてあげるから、寝ていいよ。その間、ずっとそばにいる。大丈夫だよ」


「……」


言わなくても、瞬にはお見通しだったのかもしれない。「ありがとう」の代わりに俺は頷いた。

瞬が肩を叩くリズムに集中すると、自然と瞼が落ちていった。意識が薄れ始めると、瞬は俺に囁いた。


「好きだよ……」


──そういえば、前も……。


いつか、眠ろうとしていた俺に、瞬は「おやすみ」と一緒にそう言った気がする。

何か意味があるんだろうか……覚えていたら、今度訊いてみようと思った。

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