6月26日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





──ぴぴ、ぴぴ……。


「ん……」


耳元で鳴る電子音に薄目を開ける。腕を天に向けて、ぐっと伸ばしながら身体を起こすと、ここが「康太の部屋」なんだってことを思い出す。ふと、隣のベッドの方を見れば、人型に膨らんだ夏掛けがゆるやかに上下している。俺は、ふっと笑ってから、布団を抜け出た。


「おはようございます、実春さん」


身支度をしてから居間に行くと、洗濯カゴを抱えた実春さんと、ちょうど鉢合わせした。


「あら、おはよう。瞬ちゃん。馬鹿も一緒に起こしてくれてよかったのに」


いつもの調子でそう言った実春さんに俺は「大丈夫です」と返す。


「康太は後で俺が起こしに行きます。それより……俺も何かさせてください」


「いいわよ、そんなの。それより、朝ご飯……大したものじゃないけど、用意してあるから食べてて」


「それも、康太と食べますから。洗濯、干すの手伝います」


俺は実春さんからカゴを引き受けて、それをベランダに持って行った。水を吸った洗濯物は、すごく重いのだ。「悪いねえ」と実春さんは言ったけど、一宿一飯……どころか、七宿くらいするんだから、むしろ、これくらいじゃ足りない。


俺は実春さんと一緒に、洗濯物を外に干していった。薄いブルーの空に、朝の風は爽やかで、気持ちいい。


それから、ゴミ出しのために家のごみをまとめたり、夜洗った食器を棚に戻したりと、俺は瀬良家の朝の仕事をお手伝いさせてもらって──ひと段落したところで、時計を見れば、もう康太を起こさないといけない時間になっていた。


「頼んでいい?」


「もちろんです」


先にご飯を済ませた実春さんにそう言われて、俺は頷く。朝一番の大仕事だ。康太は寝起きが悪いから、起こすのもひと苦労なんだよね。俺は制服のシャツを腕まくりし、気合いを入れて部屋に向かう。


ドアを開けると、康太はまだ、布団の中で小さないびきをかいて寝ていた。間抜けな顔。起きてる時はあんなに格好いいのに。俺は、康太が眠っている枕元へそっと近づいた。


「こぉー……」


──可愛い。


ベッドの側で、膝立ちになって、しばし康太の寝顔を眺める。間抜けとか言ったけど、よく見たら、可愛いんだよなあ……赤ちゃんみたいだし。俺は、なんとなく、康太の頬をつついたり、軽く引っ張ったりしてみた。ちっとも起きない。


「康太ー、朝だよ」


「……」


「起きないと遅刻しちゃうよ」


「……んん」


「康太」


「んー……」


俺から逃げるように、康太がごろんと寝返りを打つ。負けじと俺は、康太の身体を揺さぶった。


「康太。起きてよ、康太―」


「んん……なんだよ……うるさいな……」


「あ」


康太が俺の手をぺちん、と叩いて払い除けた。朝の康太は反抗的だ。俺は心にめらめらと何かが燃えるのを感じた。


──こうなったら……。


俺は康太の耳元に顔を寄せる。それから、手で筒を作って──。


「好きだよっ!」


「うお!?」


大きな声で言ってやった。片耳を抑えながら、康太が飛び起きる。目を白黒させながら、康太は俺に抗議した。


「な、なにすんだよ……!」


「康太が全然起きないからだよ。それに、すっごく反抗的だったし」


わざと、康太を睨んでみると、康太は口を尖らせてから、小さな声で「悪かったな……」と謝った。素直でよろしい。ベッドに腰掛けた康太を見下ろして、俺は言った。


「じゃあ、早く着替えて、ご飯食べよう。康太のこと、待ってたんだよ」


「おう……」


踵を返して、部屋を出ようとすると、康太に「瞬」と呼び止められる。振り向くと、寝癖のついた頭をわしゃわしゃと掻きながら、康太は言った。


「……おはよう」


「おはよう」


笑って、俺もそれに返す。居間へ向かう足取りが自然と軽くなった。





先に家を出る実春さんを見送ってから、康太と向かい合って、朝ごはんを食べる。こんがり焼いたトーストを齧りながら、瀬良家が朝いつも見てるニュース番組をなんとなく眺めて、康太と他愛もない話をする。二人並ぶには少し狭い洗面所で、押し合うように歯を磨いて、身支度を整える。それから、一緒に家を出る。


「「いってきます」」


声が揃うと、顔を見合わせて笑った。康太が家の鍵を閉めて、一緒に階段を降りる。

マンションを出て、学校へと続く道を歩いていると、さっきまでの「特別」が日常に溶けて、それはもう、いつも通りになった。ここから先は、何も変わらない──いつもの風景。


だけど、確かに、何かが違った。


──一緒に生活するって、こういうことなんだ……。


何がどう、と言われると、上手く答えられる自信はない。それでも、俺はそんなことを思って、その幸せをこっそり噛み締めた。





「立花」


「何?森谷」


休み時間。前の授業の板書を消していると、森谷が近寄ってきた。

俺がこうやって、黒板を消していると、森谷はよく来てくれて、一緒に手伝ってくれることがある。

今日も、森谷は余っている黒板消しを手に取って、それで黒板を拭きながら、俺に言った。


「立花……シャンプー変えたよな」


「え、え……?シャンプー?」


いきなりそんなことを言われて、驚く。そういうのって分かるものなのかな?とか、俺、臭ってるのかな、とか、一瞬で色々なことが頭を巡ったけど、それよりも大事なことに俺は気づいた。


──康太と一緒に住んでることがバレちゃうかも……?


別に隠すようなことじゃないとは思う。理由も、不運な事故(一応)だし、やましいことはない。森谷は良い人だし、それでどうってこともないんだから、正直に言ってもいいだろう。問題は、康太がどうなのか……だけど。


答えに迷い、視線を彷徨わせていると、森谷がさらに言った。


「な、ちょっと嗅いでみてもいい?」


「え?俺の頭を……?」


「ああ。立花はいつも良い香りがするけど、今日のはいつもと違うなーって。あ、臭いとかじゃないぜ?もちろん、今日もいい香りなんだけどさ……」


「そうなんだ……?」


とりあえず、臭いわけじゃないみたいだからよかった。俺は森谷に「どうぞ」と言って、頭を少し近づける。森谷は、「では……」と言いながら、俺の旋毛のあたりに鼻を近づけた。


「すんっ!すんっ!──すぅっ……はあ……すぅ~っ……はあ……ふぅ……いて!?」


「何してんだ変態クソ野郎」


そこへ現れた康太が、森谷の頭を掴んで、俺から引き剥がした。どうしたのかな……?


「康太、森谷はただ俺の頭を嗅いでただけだよ」


「瞬。まともな奴は、ただクラスメイトの頭を嗅いでキマったりはしない」


「はあ……はあ……これ……この匂い……っ!このムカつく匂いは……」


康太の後ろで森谷が目を見開いている。うっすら嫌な予感がしていると、次に森谷はこう言った。


「瀬良だ……立花から、瀬良と同じシャンプーの匂いがする……!これはつまり……」


「言ってみろ」


康太が森谷の頭を掴んだまま、顎でしゃくって先を促す。森谷は、世紀の大発見でもしたみたいに言った。


「瀬良は……夜な夜な、自分の匂いを立花に擦りつけたってことだ……っ!そうでなきゃ……立花からこんな匂いがするわけがない……っ!」


「他にもっとあるだろ」


康太が呆れたように息を吐いた。康太は森谷を解放して、「全く違う」と首を振る。


「じゃあ何だって言うんだよ。他に、瀬良と立花が同じ匂いがする理由なんて……同棲くらいしか思いつかねーよ。ありえないけど」


「……」


「お?同棲が何だって」


すると、騒ぎを聞きつけた西山が現れる。援護を求めるように森谷は言った。


「立花から瀬良の匂いが検出されたんだよ。だからこうして、尋問してるところだ」


「ほお……それは怪しいな」


「えっと……」


西山の目がきらりと光った……ような気がした。この捜査官はどんな秘密も逃さない凄腕だからなあ……。


どうしよう──救いを求めて、康太に視線を送ると、康太が俺に向かって小さく頷いた。「俺に任せろ」ってことだ。俺は小さく頷き返して、康太に委ねることにした。


康太は二人に言った。


「瞬から俺の匂いがするなんて、こいつの言いがかりだ。家にいる時以外、ほとんど一緒なんだから、似たような匂いにもなるだろ」


「いや、でも今日は特別に瀬良の匂いが強かったぜ。あれは相当立花に密着してないと、あんなに付かないだろ」


「それはな。朝、階段で転びかけた瞬を支える時に近づいたからだよ」


「本当にそれだけか?本当は夜中にあんなことやそんなことを立花にしたんじゃねーか?」


「うるせえ、黙れ」


「急に反論を投げるなよ!」


「面倒くさくなったな……瀬良」


西山がやれやれと首を竦める。森谷は納得してない様子だったけど、そのうち西山が「まあ、いつものことだな」と森谷を宥めて、連れて行った。


俺はひとまず、ほっとして息を吐いて……それから、康太をちらりと見た。


──やっぱり、康太は同居のこと……隠すつもりなんだ。


なんとはなしに、俺はそんな予感がしていた。まあ、この前みたいに、得体の知れない存在の仕業で、また「噂」が過熱しても困るし……これでいいだろう。


それに。


──康太と、二人だけの秘密っていうのも、悪くないもんね。


「瞬?」


俺の視線に気付いた康太が首を傾げる。俺は「何でもない」と言って、自分の席に戻った。

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