6月25日

──『実春ちゃんにお願いして、エアコンの修理が来るまでの一週間、瞬を預かってもらうことにしたの。だから、しばらくの間──瞬は、康太くんのお家にいなさい』


──『瞬ちゃん、何も気にしなくていいんだからね。いつも世話になってるのは、こっちなんだから。修理が来るまでの間だけど……自分の家みたいに思ってくれていいのよ』


……なんて。昨日、とんとん拍子に決まってしまった、瀬良家での期間限定・同居生活だけど。


降って湧いたこの状況に、正直なところ、俺は……少し、舞い上がってしまってはいて。


もちろん、一週間も実春さんや康太のお世話になることに、申し訳ない気持ちはある。

でも、それだって元はと言えば、澄矢さんの仕業(というか、むしろこれが目的?)なんだし……と思えば、ますます、そういう気持ちよりも、高揚感の方が勝ってしまう。


それに──。


『荷物、これだけで大丈夫か?』


『うん。一週間だし、必要だったら取りに帰るよ』


『……そうか。でも、マジで気にすんなよ。母さんも言ってたけど、今日からしばらくは、うちが瞬の家だからな』


『うん。ありがとう……ちょっとの間、お世話になります』


そう言って、康太に頭を下げたら、『何言ってんだよ』って──康太は俺にこう言ってくれたんだ。


『……まあ、なんだ。瞬からしたら大変なことなんだけど……こういうの、何か、ちょっと……悪くないっていうか……わくわくするよな』



「ふふ……」


今、思い出しても、嬉しくてつい、笑ってしまう。康太も俺と同じこと考えてたんだって。


──期待……は、しちゃうよね……。


期待が膨らみすぎないように、なるべく考えないようにはしてるけど……最近の康太は、時々、「もしかしたら」と思うような、思いたくなるようなことを言うから、困る。嬉しいけど、困る。


期待するほど、康太がいつか出す「答え」が怖くなってしまう。どんな答えでも、俺はそれを受け止めるって、決めているのに。それができなかった時のことを思うと──。


──でも、これで……何とも思わないふりなんて、もっと無理だ……。


「はあ……」


胸の中でない交ぜになった何もかもをため息を一緒に吐いて、家から持って来た枕に顔を埋める。枕元のスマホをちらりと見たら、夜の九時になったところだった。


いつもだったら、そろそろ布団に入って寝る時間だけど……今日は、部屋の主である康太が、お風呂から出てくるのを待っていた。康太はお風呂に行くときに「先に寝ててもいいからな」と言ってくれたけど、俺は康太を待っていたいから、待ってる。


床に敷かせてもらった自分の布団に仰向けになって、天井を見つめる。蛍光灯のぼんやりとした白い光が、少し眩しい。康太の部屋に泊まったのは、そんなに前じゃないから、久しぶりって程でもないけど……そういえば、こんなに長くここにいることになるのは初めてかも。


──朝から夜まで一緒なんだよね……。


昨日の夜、ここで眠った時はまだ実感は湧かなかったけど、今日は朝からずっと一緒だったし、明日はこの家から、康太と一緒に学校に行くのだ。そんなこと今までなかったから、想像しただけでそわそわする。部屋の隅で、康太の制服が掛かったハンガーと並んで、自分の制服が掛かってる光景は、ちっとも現実感がない。


──それに……。


俺は、身体を起こして、すぐそばの康太のベッドに視線を遣った。


昨夜──この部屋で最初に過ごす夜。俺が、持って来た自分の布団(康太の家には客用布団がないのだ)を床に敷かせてもらっていると、康太は何気なく、俺に訊いてきた。


『瞬、そこで寝るのか?』


『え?』


俺は一瞬、何を訊かれているのか分からなかった。だって、そのために布団を持って来たのに。

すると、康太はさらにこう言ったのだ。


『この前みたいに、ベッドで寝てもいいぞ』


『え、え?』


この前みたいに、って……それは、康太と一緒に同じベッドで寝るってこと?


どうしてそんなことを康太が誘ってくるのか、分からなくて、俺が戸惑っていると、その戸惑いの意味は康太にも伝わったのか、すかさず『いや、待て』と付け足した。


『そういうことじゃねえ……その、瞬、いつもベッドで寝てるだろ。だから、俺が床で寝て、瞬はこっちで寝たらいいんじゃねえかって』


『あ、あー……そういうこと』


間がすっとばされすぎてて、びっくりしたけど、そこで康太の言いたいことがやっと分かった。

だけど、さすがにそれは申し訳ないし……というか、そもそもの大問題がある。


『康太の気持ちは嬉しいけど、でも、大丈夫だよ。俺はこっちの方がいいから……』


『そうか?でも、敷布団だと慣れねえから、身体痛くなるだろ。ただでさえ、慣れないとこで一週間も寝泊りするんだし、ベッドくらい……』


『え、えっと……そういうことじゃなくて』


言うべきかどうか迷ったけど……でも、言わないと、康太に「これ」は伝わらないだろう。俺は康太から顔を背けつつ言った。


『そ、そんな……康太の、好きな人の匂いがいっぱいついたところで、眠れないでしょ……』


『……』


言った瞬間、康太の顔がさあっと赤くなった。康太って結構、赤面しやすいよね。なんて、頭の奥で、この状況をどこか俯瞰しつつ……でも、俺は康太に『言ってやった』という、ちょっとすっきりした気持ちにもなっていた。


結局、康太は『……分かった』と頷いて、それ以上何も言わなかった。

そんなわけで今日も、俺は敷布団、康太は自分のベッドで寝るんだけど──。


──ちょっとだけ……。


「……すーっ」


「何してんだ?」


「うわ!?」


いつの間にか、タオルを首に掛けた康太が部屋に戻ってきていたので、俺は慌てて、鼻を押し当てていた康太のベッドから顔を上げる。


「寝落ちてたのか?待ってなくていいって言ったのに」


「う、うん……ちょっとだけ……」


乾いた笑いを浮かべながら、俺は何とか取り繕う。……よかった。康太にはバレてないみたいだ。

タオルで頭を拭きながら、康太がベッドに腰を下ろしたので、俺はそんな康太を見上げて言った。


「拭いてあげる」


「いいって。眠いんだろ」


「いいから」


半ば押し切るようにそう言って、俺はベッドに上がる。康太の後ろで膝立ちになって、俺はタオルでわしゃわしゃと康太の頭を拭いた。


「痒いところはありませんかー?」


「美容室か」


そう言いながらも、康太はノリよく「ないです」と返してくれた。俺は胸がくすぐったくなって、ふふ、と笑った。すると、康太が俺の方を振り向く。


「何笑ってんだよ」


「何でもないよ」


「そうなのか?」


「何でもなくて……ただ、康太が好きなだけ」


「ふうん……」


康太は、また前を向いてしまった。俺は仕上げに、康太の頭を軽くマッサージしてあげた。いつも行く美容室で、シャンプーの後にやってくれるものの真似だ。耳の上あたりから、頭のてっぺんまでを、指のお腹を当てて押していく。


「なんか……気持ちいいな……それ」


「でしょ?頭皮にいいんだって。髪も綺麗になるよ」


「へえ……だから、瞬って髪がさらさらなんだな」


「そう?」


「あ、シャンプーとか自前のじゃなくていいのか?うちのでも全然いいけど……うちのは母さんが一番安い詰め替え買ってるから、そんなに良いやつとかじゃねえだろ」


分かってない、と思った。「良いやつ」がいいんじゃないのに。でも、今の康太にそれを教えるのはちょっと酷だ。だから、俺は「別にこだわってるわけじゃないよ。たぶん、似たようなものを使ってると思うから」とだけ言った。


それから、部屋の明かりを暗くして、俺と康太はそれぞれ布団に入った。ふと、ベッドの方を見ると、たぶんスマホのものだと思う小さな明かりが漏れている。康太は寝る前に適当に動画とかを見て寝るのが習慣みたい。すぐには寝ないタイプだ。


他にも、お風呂は寝る前に入るらしいとか、風呂上りに歯磨きまで済ませるタイプだとか、瀬良家が日曜の夕飯時に見るテレビ番組とか……泊まりじゃなくて、一緒に「生活」してみて知ることがいっぱいあった。


──他に、どんなことがあるのかな……。


俺は布団を被りながら、そんなことを考える。もっと知りたいと思いながら。


「康太」


「ん」


「おやすみ」


「おう、おやすみ」


布団から少しだけ、顔を出して、お互い、一瞬だけ目を合わせる。

まだもう少しだけこの生活が続くことに、期待とか緊張とか、安堵みたいなものを抱えながら、俺は目を閉じた。

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