6月17日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
「暑……」
ドアを開けた瞬間、襲いかかってきた、むわっとした熱い外気に顔を顰める。肌にまとわりつくような熱気に、シャツの下で汗がじわりと湧き出るのを感じた。
マンションの外廊下から見える空は青くて、頭の上でぎらぎらと燃える太陽は、親指の爪よりも小さく見えるってのに、どうしてこんなにクソ暑いんだろうな……全く。
──何でこんなクソ暑い中、行かなきゃなんねえんだよ……。
こうなってしまったのは、今朝のことがきっかけだ。
「明日の試験に備えて、今日は一日ゴロゴロしてよう」……と思ってた俺を、あの母親は、早くから叩き起こしてきやがった上に、なんと「十四時から近所の駐車場で洋菓子工場の直売があるから、買ってきてよ」と言いつけてきたのだ。
俺はそれに「面倒くせえ」……なんて言ったら、ぶん殴られるに決まってるので、一も二もなく「分かったよ」と、こうして一日で一番クソ暑い時間にお使いに行く羽目になったんだが……。
『この地域の方にのみお知らせ☆工場直売!冷凍ホールケーキ・特別大特価で限定販売☆なくなり次第終了』
改めて、今朝、母親に渡された、派手な色合いでいかにもなチラシを眺める。チラシには、会場である、駐車場への地図はもちろん、今回販売するケーキとやらの写真が、でかでかと紙面を飾っていた。
掲載されているケーキはどれも、宣伝文句の通り、半額以下にまで値下げされていて、お得には見えるが……。
──瞬はこういうの、興味ありそうだな。
学生主夫であり、美味しいものに目がない瞬には、たまらない催事だろう。特に話してなかったけど、チラシさえ見てれば、瞬も行きそうではあるよな。
もうすぐ直売が始まる時間だし、もし瞬も行くなら、ぼちぼち家を出る頃だと思うが……まだ家にいるなら、行く前に誘ってみるか──なんて、考えていたその時だった。
「康太!」
よく知った声が降ってきて、顔を上げると、ちょうど、瞬が階段を駆け降りてくるところだった。肩にポシェットを提げて、手には俺も持っているチラシを持っている。やっぱりか。
それに気付いたのは俺だけじゃないらしい。瞬は、俺が持つチラシを見つけると、花が咲いたような笑顔で言った。
「あ、康太も行くんだね?」
「ああ。母さんに頼まれて……」
「よかった。ちょっと、誘ってみようかなーって思ってたところだったんだ」
「瞬が……俺を?」
そう訊くと、瞬は頷く。
「うん。俺一人で食べてもいいけど……せっかくだから、康太も一緒にどうかなって。勉強の息抜きというか、ほら、ちょうどおやつ時だし……」
「……」
「ど、どうしたの?」
瞬きを繰り返す俺に、瞬が小首を傾げる。俺は頭を掻きながら言った。
「いや……俺も瞬を誘って行こうかと思ってたから……瞬はこういうの好きそうだし」
「え、そうだったの?」
「おう……」
返事をしながら、妙に恥ずかしくなる。暑さのせいじゃなく、頬が火照るような感覚があった。まただ。最近瞬といると、時々、どうしようもなく、恥ずかしいというか、むず痒いような……でも、温かくて、嬉しいに似た、そんな気持ちになる。
瞬はそんな俺の気持ちを知ってか知らずか、無邪気に「へへ」と笑って言った。
「なんだ、同じこと考えてたんだね。じゃあ、一緒に行こう?」
瞬がごく自然に、俺の手を引いて歩き出す。俺だって、瞬にこうすることは何回もあったのに、いざ、自分が手を引かれる側になると、いつもと違う感じがするから不思議だ。手を繋いでいるというのは、一緒なのに。
マンションの入り口に向かって、階段を降りている途中、何人かの住人とすれ違った。その度に、「手を繋いで歩く男子高校生二人」への視線をなんとなく感じて、いい加減手を離してほしい──と思わなくもなかったが、それもいずれ気にならなくなった。だって──。
「ふん、ふーん♪」
──調子の外れた鼻歌を歌いながら、楽しそうに揺れる瞬の頭と、弾むような足取りを見ていたら、何もかもどうでもよくなる。
繋いだ手から、瞬の気持ちがうつったみたいに、俺までそわそわしてくる。
いや、たぶんそうじゃない──これはきっと、俺自身の気持ちだ。
俺は今、瞬とこうしていることが嬉しかった。
☆
「うわ……日差しきつ……」
マンションを出て、徒歩数分のところにあった、特売の会場である駐車場に着く。
隅の方に作られた特設テントの前には、既に三十人近く並んでいて、俺と瞬もその後についたんだが……まあ、駐車場なので、日除けとかそういうものが何もない。この炎天下の中、あとどのくらい並ぶのかと思うと、ため息が出るな。
しかし、そこへ救いの手が伸びてきた。
「はい、康太。この中に入って」
なんと、瞬は日傘を持って来ていたのだ。黒地で周りにレースがついた、婦人ものっぽい日傘は、訊けば「母さんの借りてきちゃった」とのこと。さすが瞬だ。さす瞬だ。
ありがたく、瞬の差す日傘の中に入れてもらうと、肌を刺していた日差しが遮られて、かなり楽になった。日傘ってすげえんだな……。
「康太」
「ん?」
「汗」
日傘に感動していると、今度は、ポシェットからハンカチを取り出した瞬が、俺の額の汗を拭いてくれる。ふと、額に手を伸ばす瞬のかかとが浮いているのに気が付いて、俺は瞬の手から日傘の柄を取り上げた。
「え?」
「俺が持ってた方がいいだろ、日傘。俺の方が背があるし」
「そうだね……ありがとう」
とは言いつつも、瞬の顔には「悔しい」と書いてあるように見えた。肩が触れそうなほど近くで、ちょっと拗ねている瞬を見ていると、つい、口の端が緩む。
「何?にやにやして。どうせ今年も康太には勝てなかったよー……」
「いや、別にそういうんじゃねえけど……」
「けど、何?」
「……」
その先はまだ、上手く言えなかった。頭の中で言葉を探してみるが、ぴたりとくる言葉が見つからない。見つからなかったが──代わりに、なんだかよく言い慣れた「それ」が口をついて出た。
「瞬の、こういうところ……好きだなって……」
「……」
言ってから隣を見ると、瞬は俯いていた。返事の代わりに、瞬は俺の脇腹を肘で軽く突いた。
それから、俺に言った。
「……俺も、そういう風に康太のこと、想うんだよ」
「そういう風に……って?」
「毎日、色んなところで、康太の色んな表情とかを見て……そんな風に、康太のことを好きだと想う……ってこと」
日傘の中は、外から切り取られたみたいに不思議と静かで、声が反響するみたいによく聞こえる。
だから、瞬のその小さな呟きも俺の耳にははっきり届いた。
「ちょっとは分かった?」……と。
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