6月16日

『何でこんなことしてんだよ……』


『うぅ……そんなの自分でも分かってるよ……』


トイレの個室の向こうで、康太がため息を吐いた。俺は一度脱いだシャツをまた羽織って、ボタンを留めていく。これから帰るところだったっていうのに……康太にはとんだタイムロスをさせてしまった。


──本当、何やってんだろ……。


ちらりと視線を遣った先は、閉じた便器の蓋の上だ。さっきまでシャツの下に潜ませて、俺の『胸』を作っていたタオルとか、ボールとか……色々なものが置いてある。


──『ちょっと前にさー、弱小バレー部が顧問の先生のおっぱいが見たくて奮起するっていう映画あったよねー?』


それは、何気ない雑談のはずだった。猿島と志水が、映画って今何やってるんだっけとか、そんな話をしていて、そこから、昔見た映画の話になって……それがいつの間にか、どうしてこんなことになったんだろう。俺は、部室でのやり取りを思い返す。



『瀬良の試験ってそろそろだよねー?瞬ちゃんも、受かったら何かご褒美ーとかしたら?』


『うーん、確かに……受かったら、康太には何かお祝いしてあげたいけど……』


『なるほど。そこで、その乳房排球とやらなんですね。猿島さん』


『乳房排球て。まあ、要はそうだけどー……でも、瞬ちゃんならさー、瀬良にどんなご褒美あげるー?』


『ご褒美……ご褒美かあ……康太に訊いて……あ』


『どうしたー?』


『何か、思いつきましたか?』


『ま、前に康太……巨乳が好きって言ってたなあって』


『え?マジでー?』


『なんと……瀬良さんもやはり……人の子ですね』


『じょ、冗談だと思うけどね?康太もそう言ってたし……でも、康太ってそういう冗談はあんまり言わないから、その時はちょっとびっくりしたんだけど……』


『そりゃ、実はガチだからなんじゃない?言われてみればー……瀬良っておっぱい星人そうだもんねー』


『お、おっ……ぱい星人って……!』


『では、瀬良さんは、その星の方とハーフということなんですか?』


『志水は静かにしてねー……ほら、瀬良は瞬ちゃんにたっぷり甘やかされて育ってそうだしー、なんかそういう感じするじゃん。瀬良も、瞬ちゃんのおっぱいがあれば、もっと試験頑張れるかもねー』


『康太が……試験を……』


『まあ、さすがにこれは冗──』




ということで。


それから俺は、猿島が言おうとしたことも耳に入らなくて……もしかしたら、康太は本当にそうなのかも、と疑ってしまったのだ。事と次第によっては、今日からご飯のおかずに『ささみ』を加えることも考えたくらいだ。でもまずは、本当にそうなのか確かめようと……こんなくだらないことをしてしまった。


──冷静になれば、そんなわけないよねっていうか……仮にそうだったとしても、こんなので喜ぶわけないよね。


はあ、と俺の方もため息を吐く。すると、ドアの向こうから康太が『もういいか?』と訊いてきたので、俺は『うん』と返事をして、個室を出る。


『ごめん。こんなことして』


『別に……まあいいけど……』


並んで歩く康太は首を傾げつつも、多くは訊かなかった。康太の優しさだ。『瞬が恥ずかしがってるし、まあ触れないでおこう』という……だけど、その優しさに甘えてもよくないよね。


──康太には、正直に自分の気持ちを話そう……。


『康太、その……聞いてくれる?』


『何だ?』


康太が足を止めて、俺を見つめる。俺は『あのね』と切り出した。


『俺、その……猿島の言ったことで、康太は、お……おっぱい、が好きなんじゃないかって疑っちゃって』


『事実無根だ』


『う、うん。そうだよね……でもね、それで真っ先に考えたのは、康太はおっぱいが好きなんて……えっちで嫌だなあとか、そんなことじゃなくて……』


言いながら、段々、康太の顔を直視できなくなる。いつもはこんな話絶対しないけど、でも……今は話さない。康太をモヤモヤさせたままにはしたくない。


俺は意を決して言った。


『俺にも……お、おっぱいがあったら……康太は、好きになってくれるかなあって……』


『そ……そんなわけねえだろ……』


康太の言葉に顔を上げる。すると、今度は康太の方が、俺から視線を外して言った。


『お、おっぱいがどうとか……俺は、そんなの興味ねえし……瞬を好きになるかどうかに……おっぱいは関係ねえ』


『康太……』


『というか……瞬のことは、もう好きなんだから……それこそ、おっぱいがなくても、そうってことだろ』


康太は視線をうろうろさせながらそう言った……でも、言葉には迷いはなかった。

俺のささやかな不安を、康太は受け止めて、否定してくれた。


──この『好き』は、俺と同じじゃないかもしれないけど……。


それでも『好き』には違いなかった。康太が俺を想ってくれる、康太にとっての『好き』だった。


俺は、それを迷いなく表してくれた康太の気持ちが嬉しかった。

その気持ちごと抱きしめて、また康太が好きになった。





「康太ってさ……」


「ん?」


そんな昨日の出来事があって。


俺はふと、康太に訊いてみた。


「好みのタイプ……とかあるの?」


「はあ……?何だよ急に」


康太が眉を寄せたので、俺は言った。


「昨日のこととかもあってさ……そういえば、康太とこういう話は今までしたことがなかったなあって思って……」


「まあ、確かに……」


好みのタイプとか。おっぱい……が、好きなのかどうかとか。


俺が今まで康太とそういう話をしなかった理由は、自分でもなんとなく分かっている。

単純に苦手だからっていうのもあるけど……一番の理由は、康太が自分とかけ離れたタイプが好みだったら、少なからずショックだからだ。


だから無意識に……または、意図的にそういう話題は避けてきた。

康太の方も、そういう話があんまり好きじゃないというのもあるだろうけど……俺が避けたがるから、しなかったのかもしれない。


でも今なら、なんだか……そういう話も聞いてみたいと思う。


「康太のことはもう大体知ってるつもりだけど……ほら、こういうことは知らないから、昨日みたいに、お、おっぱいが好きなのかもって、疑っちゃったし」


「なるほど……」


康太が少し考え込む。それから、康太は俺に教えてくれた……「康太の好みのタイプ」を。


「……いい奴だ」


「なんか思ってたのと違う……」


「何だよ。いい奴だなって思う奴は、好きだろ」


「それはもちろんそうだよ。でもそうじゃなくて……もっと、しっかりしてる人が好きとか」


「ああ……しっかりしてる奴は好きだな」


「ちょっと天然だったり、抜けてる子が好きとか」


「そうだな。そういう奴もまあ、好きだと思う」


「料理が上手な子が好きとか、よく食べる子が好きとか」


「どっちもいいんじゃねえか?」


「……幼馴染が好きとか」


「誘導尋問じゃねえか」


それでも「まあ……好きだけど」と言ってくれた。

すると、今度は康太が俺に訊いてくる。


「そ、そんなこと言ったら、瞬はどうなんだよ……その、俺は、好みのタイプにぴったり……なのか?」


「うーん、違うかな」


「おい」


「冗談だよ」と笑ってから、俺は康太に言った。


「好みのタイプとか……そんなこと知る前に、もう好きだったよ」


「……そうか」


康太がぷい、とあっちを向いてしまう。俺はその横顔に「そうだよ」と言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る