6月7日


”負け幼馴染ヒロイン、ママになる~恋人が間に合ってるなら、ママはどう?あの子には頼めないやわらか♡献身お世話もママならできるよ~”



『……?』


──その本を見つけたのは、他でもない康太の家だった。


あの大雨の日のことだ。


康太の家に泊めてもらうことになって、お風呂から上がったら、珍しく康太が本を読んでいて──だから俺は、康太がお風呂に入ってる間に、康太が読んでいた本をこっそり見たくなってしまったんだ。


──資格の本……とかなのかな?


本屋さんで貰えるようなブックカバーがかかったその本は、一見すると何の本かは分からなかった。

結構分厚くて、文庫本くらいの大きさだから、もしかしたら小説……かな。だとしたら、康太にしてはすごく珍しいことだ。新しい趣味?それとも、誰かに薦められて借りたのかな?


その時、俺は体育祭の前日準備の日のことを思い出した。



──『これが瀬良氏の……なら……ですが』


──『ああ……から……には内緒で……からな』



丹羽と何か話していた康太。丹羽から何か受け取っていた康太。そして、それをさっと机の中にしまっていた康太。たぶん、康太が俺にも知られたくないもの……。


俺は、限りなく確信に近い予感を得た。

この本こそが、あの時、康太が丹羽から受け取っていたものなんじゃないか……という、そんな予感。


──ちょっと気になるけど……。


み、見たい。康太がどんな本を読んでるのか。

でも、これが本当に「あれ」なんだとしたら、康太にとって見られたくないものかもしれないのに……。


すると、俺の頭の中に『奴』が現れた。


『見ちゃえよ!瞬』


これは……悪魔康太!その名の通り、とっても悪い誘いをしてくる康太だ!

悪魔康太はものすごく悪い顔で、俺を誘ってくる。


『俺がこんなアホみたいなミスをするわけないだろ。つまりこれはわざとなんだぜ!瞬に見てほしいっていうメッセージなんだよ』


うーん、そうかなあ?でも、確かに……絶対に見られたくないものだとしたら、康太がこんなところに置くわけないよね?


『そうだろ、だからな瞬。これはむしろ見てやった方が、康太のためなんだよ』


そっか……じゃあ、俺はこれを見ても……いいんだよね?


そう思って、本に手を伸ばしかけた時、それを止めてきた『奴』がいた。


『だめだ瞬!悪魔康太は適当なことを言って、瞬を嵌めようとしてるだけだ!そんな誘いに乗るな』


これは……天使康太だ!その名の通り、とっても優しくて俺を守ろうとしてくれる康太だ!


『いいか?こいつの誘いに乗ったら最後、瞬は一生後悔することになる。大事な幼馴染を裏切るようなことをした自分が許せなくなる。だから、瞬のためにもやったらダメだ』


そうだよ……俺は、康太を裏切るようなことはできない。俺は本へと伸ばしかけた手を引っ込めて、本を諦めた。諦めた……つもりだったんだけど。


『でもこれは康太の本だろ?それを康太である、この悪魔康太が見ろよって言ってるんだから、それはもう本人の許可を貰ったも同然だろ。だったらよくね?』


『そんなもん屁理屈だろ!だったら俺だって、この本を見るなと瞬に言えば──』


『てか、こいつ、前に瞬の書いた小説勝手に見たよな?それに瞬の女装写真だって勝手に他の奴に見せてるし。なんか許されたみたいな感じになってるけど……瞬の方もこれくらいやっても許されるだろ』


それもそうか。


『おい!瞬、待て!許してくれたんじゃ──』


許しはしたけど、思い出すとまあ、ちょっと……っていうのはある。

とはいえ、やっぱり気になってしまう気持ちの方が強くて──康太に「ごめん」と謝りながら、俺はその本を開いて──冒頭に戻る。





「どうしたの?話って」


「まあ、ほら……とりあえず、何か頼めよ。俺の奢りだ」


「え、え……?」


そう言って、康太が俺にメニューを差し出してくる。


俺と康太は放課後──学校から歩いて五分もかからないところにあるファミレスに来ていた。

放課後の春和高生・御用達のファミレスで、他のテーブルには同じ制服の生徒達もちらほら見える。


でも、康太と一緒に来るのは意外と初めてかもしれない。家から学校がすごく近いから、買い出し以外で、あんまり寄り道もしないんだよね。


──でも、どうして急に……?


薦められるままメニューを開きながら、ちらりと康太を窺う。


面談期間だから、康太の補習もないし、俺は元々水曜日は何もないから真っすぐ帰るだけだし……お互い、特に予定はなかったけど。


それにしても、なんだか急だ。さらに、康太は俺に奢るとまで言ってる。本当にどうしちゃったのかなあ……。


「決まったか?」


「え、あ……うん、大丈夫」


康太に尋ねられて、妙にどきりとする。とりあえず、ドリンクバーと、一緒につまめればいいかな、と思ってポテトにした。だけど、康太は心配そうな顔で、俺に言った。


「もっと食ってもいいんだぞ」


「い、いいよ。今そんなにお腹空いてないし」


「マジで遠慮するなよ。俺は今日瞬のために全財産投げ打つつもりなんだ。何でも食え……」


「本当にどうしたの?康太」


ここまでくると、俺の方が心配になってきた。だけど、康太は何も答えず、俯いて、テーブルの上で組んだ手を見つめている。俺は康太のその手を包むように握って言った。


「大丈夫だから……何でも言って、ね」


「瞬……」


康太が申し訳なさそうな顔で俺を見つめる。俺はもしかして──と思った。


──康太の中で、答えが出た、のかな……。


それも、俺には言いづらいような答え……そう考えたら、覚悟はしてるつもりでも、胸がぐっと苦しくなる。でも、それを康太に悟らせてはいけない、と俺は努めて明るく、冗談っぽく言った。


「まさか、本当に俺にママになってほしい、とか?もう、あの小説じゃないんだから──でも、大好きな康太が言うなら、俺も考えようかなあ……なんて──」


「……っ!やっぱり……そうだったのか……!」


「……あ」


目を丸くする康太に、俺は「やってしまった」と……自分のミスに気付いた。

あれじゃ、康太に「あの小説」を見てしまったと、言ったようなものだ。


──康太、やっぱり、ショックだよね……俺は、なんてことを……。


俺は康太にぱちんと、両手を合わせて、言った。


「あの、康太、その……本当にごめ──」


「ごめん、瞬!」


「え?」


康太は俺に、テーブルに額が付くんじゃないかってくらい、頭を下げて謝っていた。俺は戸惑いながらも、「そんなことしないで」と康太に頭を上げさせる。悪いのは俺なのに……!


「俺の方こそ、ごめんね……康太が見られたくなかったかもしれない本、勝手に見ちゃって……」


「そんなことどうでもいい……それより、謝らねえといけねえのは、迂闊だった俺だ。俺があんな本を居間なんかに置いてったせいで、瞬に変な誤解させたし、もしかしたら、嫌な思いしただろ」


「嫌な……?」


康太の言うことが分からず、首を傾げると、康太がうんと頷く。


「幼馴染がどうとか、恋人が……間に合ってるとか……あんなタイトルの本、これ見よがしに置いてあって、瞬がそれを見てたら……気にしたんじゃねえかって。俺が、そういうこと思ってるかもって……」


「それは……」


確かに、全然、あの本を意識しなかったって言ったら、嘘になる。でも、俺は──。


「間違ってたら、ごめんね」


「え?」


康太にそう前置きしてから、俺は言った。


「俺、どうして康太があの本を持ってたのかなって、ちょっと考えたんだけど……たぶん、康太なりに、俺の気持ち……考えてくれようとしてたんだよね?」


丹羽から受け取ってた袋は確か、あの本よりももっと厚みがあった。だからきっと、康太は何冊かああいう本を借りてるんだと思った。


前に、図書館で俺を待ってた康太が、俺から隠したものもきっと、丹羽が貸した……そういう本だったんだろう。あれはちょうど、「あの件」があってすぐのことだったしね。それに──。


「冗談言って、ちょっとイジったりしたけど……あれが康太の趣味じゃないことくらいは、俺は分かってるつもりだよ。幼馴染だから」


「瞬……」


「だから、康太が思ってるみたいに、俺、気にしてないよ。大丈夫。むしろ、さっきみたいなやつの方が、いよいよかな……ってドキドキしたんだよ?」


そう言って笑うと、やっと康太はほっとしたような表情になった。それから、康太は言った。


「瞬の……言う通りだ。俺、瞬の気持ち……少しでももっと知れたらって思って、丹羽からああいう感じの本、何冊か借りてる。『ラブコメ』っていうやつ……でも、それでもまだ、その」


「まあ、もうちょっと選びようはあるかもね……」


そう言うと、康太は「そうだな」と笑った。

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