5月28日
『これで満足?』
『……及第点でしょう』
『相変わらずムカつく奴。最初からこうなるのは分かってて、俺を呼んだくせに』
『それはあなたの方もでしょう?』
『さあね』
『まあ、いいでしょう。私としては、あなたの愚かさを利用したまでですから」
『【試練】を餌にして、俺を利用した……そういうこと?』
『あなたが”瀬良康太”に執着していることは知っています。あの役には適任でしょう。”兄弟”のよしみで、ほとんど無用となっているあなたに利用価値を与えたまでです』
『嘘つけ。本当の目的は、【試練】を餌に俺を呼んで、あの子が【試練】を超えれば、ガワごと、俺を合法的に消せるからだろう』
『……やはり、あなたは愚かですね。分かってて、自ら役を全うするとは』
『ふん……はじめからそう言え、クソ神』
『”クソ神”……ですか』
『まあ……いいや。やるなら早くすればいいよ』
『随分、従順ですね……あれほど、消えることを拒んでいたあなたが』
『別に……今だって、消えるのは嫌だよ。ただ……』
『ただ?』
──そんなに気になるなら、お前、瞬が俺を拒まないように協力してくれよ。もちろん、無茶苦茶なやり方は絶対ナシだからな。もっと頭を使え。分かったか?
──……全身全霊を賭けるよ
『まだ叶えてないお願い事があったなって、思い出しただけ』
☆
──5月27日 AM 7:30
『瞬ちゃん、瞬ちゃん』
『……ん』
誰かに身体を揺すられて、目を開ける。おもむろに身体を起こすと、ベッドの側で澄矢さんが、にんまり笑って立っていた。
『……どうしたの?』
『どうもこうもないで。瞬ちゃん、おめでとう。無事、【試練】超え達成や』
『たっせい……』
起き抜けの頭にそう言われても、すぐには理解できなかった。
【試練】を超えて……達成したってことは……?
『康太は……俺を、選んでくれたってこと?』
『せやな。まあ……正確には色々あんねんけど、そうしとこうや』
『う、うん……?』
澄矢さんの歯にものが挟まったような言い方に、今一つ、達成感は湧かないけど。
それに、気になることがある。
『立花 准』──俺の双子の妹として、この一週間、ここにいた、謎の女の子。
俺が康太にキスをした件以降、准はぱたりと姿を見せなくなったのだ。
金曜日に康太と会った時に訊かれたら、何て言おうかとちょっと思ってたんだけど……何故か康太は、そのことに全く触れなかった。いくら、キスの件とかで混乱していても、あれだけ、いつも一緒だと認識していた「幼馴染の妹」という存在が全くないことについて、触れないのはおかしい。
だから、俺は……キューピッド側で何かあったのかな、と思っていた。
──もしかして、もう消されちゃったのかな……。
俺が【試練】を超えたということは、つまり、もう一方の准は存在が消滅したということになる。
准が本当は何者で、どういう存在なのかは分からないし、たくさん苦しいこともあったけど、曲がりなりにも一週間、「妹」として一緒にいた存在のことが、俺は少し心配になってしまっていて……。
そんな俺の気持ちを察したのか、澄矢さんは少し躊躇いながらも教えてくれた。
『准は……儂もどういう存在なんかは分からんかったけど。けど……か、キューピッドの世界では、決まり事は絶対やから、その……そういうことには、なってもうてる』
『そっか……』
『その時に、皆にかかってた認識も解けてるから、もうこの世界で、准の記憶を持っとるんは、瞬ちゃんだけやな……』
『……』
仕方がないことなんだと思う。お互い、存在を賭けてやっていたことだから。
でも、この結末を選んだのは……康太じゃなくて、俺だ。
俺が、康太を諦めないことを、選んだ結果なんだ。
『澄矢さん』
『どうした?』
『俺……頑張るよ。存在を賭けてくれた、准の分まで』
『そうか……』
澄矢さんは目を細めて、小さな声で呟いた。
『ありがとうな』
☆
──5月28日 AM 11:30
「お礼なんて、別によかったのに」
洗剤の泡を流したお皿を、隣に立つ康太に渡す。康太はそれを布巾で拭きながら、言った。
「昨日のは、母さんが貰ってきたクーポンで頼んだピザだったし、むしろ、瞬に食うの手伝ってもらって助かったくらいなんだぜ」
俺はコップを水で流しながら、首を振った。
「うーん……でもなんていうか。俺、やられっぱなしは、何か落ち着かないんだよね……」
「やられっぱなしって。勝負事でもねえのに……そう言われたら、俺だって、いつも瞬には世話になってるし、やられっぱなしじゃねえか」
「えー?でも……」
と言いかけて、俺は笑ってしまった。つられて、康太もふっと笑う。……ダメだ、キリがない。
俺はこう言い直した。
「じゃあ……今日のは、俺が康太と一緒にお昼を食べたかったってことで……」
「えっ」と、康太が持っていたお皿を落としそうになる。でも、すんでの所でなんとかキャッチした。
それから康太は、手元のお皿に視線を落としながら言った。
「そ、そうかよ……」
──また、だ。
最近……というか、例の「キス」以来、康太は時々、こんな風に困惑してるような表情を俺に見せる。
原因は言うまでもないし、俺だって、あの件のことを思えば、全く恥ずかしくないわけじゃない。康太にだって、悪いとも思う……でも。
それでも、俺と康太は表面上は……こうして、今まで通り一緒に過ごしている。
金曜日はさすがにもっとぎこちなくて、お昼や登下校も一緒にはしたけど、会話は少なかった。
でも、その後は……昨日みたいに、康太がお昼に誘ってくれることもあったし、今日みたいに、俺が康太にお昼を作ってあげると言ったら、康太はこうやってうちに来てくれた。
少しずつだけど、また、お互いに向きあえるようになってきてはいる。
それはやっぱり──康太も、俺といることを望んでくれているからだ。
それは、康太にあそこまでした俺が、真摯に受け止めるべき事実だと思う。
──そろそろ、ちゃんと話をした方が、いいよね。
「……康太」
「ん」
食器やフライパンを洗い終え、昼食の片付けがひと段落した後。
食後のお茶を淹れながら、俺は康太に言った。
「少し……話をしない?この前のこと」
俺が置いた康太の分のカップを見つめてから、康太は頷く。
「ああ……分かった」
俺は康太の向かいに座り、カップのお茶を一口飲んでから、切り出した。
「この前は……いきなりあんなことして、ごめん」
「……いや、あれは」
康太は一瞬、俺から視線を外して、少し考えるような素振りを見せてから言った。
「あれが……瞬の、気持ちなんだろ」
──伝わってた。
「……うん」
「なら、俺は……それを受け止める」
「ありがとう」
俺はほっとした。ほっとして、康太の優しさに、少し涙が出そうになった。
でもそれをぐっと堪えて、俺は言った。
「……俺、すごく、ずっと前から、康太のことが、こんな風に好きだった。でも、それを言わなかったのは……怖かったからなんだ」
「俺が……拒むかもしれないからか?」
「……それも、なくはなかったよ。でも一番は……康太に、俺を受け入れさせちゃうかもしれないのが、怖かった」
何も言わず、じっと聞いてくれる康太に、俺は続けた。
「康太が優しいのも、俺と……一緒にいたいと思ってくれてるのも、伝わってたから。そうじゃないと、こんなに長く一緒にいられないから。それを……俺の気持ちで壊しちゃうかもしれないことが……もしかしたら、望まないまま、康太にそれを強いてしまうかもしれないことが……怖かったんだ」
「瞬……」
康太は、手のひらで包むようにカップを撫でながら言った。
「俺は……正直なところ、どうしていいか分かんねえんだ。本当に、情けないことだけどよ……」
「……康太」
「瞬の言う通りだ……俺は、瞬の気持ちを知っちまっても、瞬とは一緒にいたいし、瞬が大切な幼馴染なのに変わりはねえ。でも、俺には……瞬に対して、瞬が俺に想ってくれるようなものと、同じものがあるかは……分からねえんだ」
康太は、俯いて、胸の内の苦しさを吐くように続ける。
「それならいっそ……瞬の望むようにって、思っちまう。でも、それは……自分にも、瞬にも嘘をついてんのと同じだ。それに、そんなこと……むしろ、瞬は俺に望まないだろ」
「うん」
「だから本当は……瞬から、でもよ……それでも、どうしようもなく、瞬といたいんだよ……俺、ずるいな」
俯いた康太の頬に伝うものが見えた時、弾かれたみたいに、俺は椅子から立っていて、考えるよりも先に、俺は康太を抱きしめた。
「……俺も、ずるいよ」
「……瞬?」
「……康太が、俺とは違うって分かってたんだ。分かってて、それでも──康太を諦めたくないから……誰にも、渡したくなかったから、あんなことした。康太に俺の気持ち、分かってほしくて、それでどうなるかも、分かってて……でも」
「瞬……っ」
康太が俺を抱きしめ返す。俺達はお互いの腕の中で、同じことを願って、違う事情を抱えて、泣いていた。
「康太……」
しばらくそうしてから、俺は言った。
「……俺、ありのままの康太といたいよ」
「……俺もだ、瞬。瞬は瞬のままで、いてほしい」
俺と康太の答えは一つだった。
──どうなるか……分からないけど。
俺と康太は、お互いを抱きしめていた腕を解く。
「康太」
それから、俺は康太の鼻先に自分の鼻先をちょん、と触れ合わせた。
今は、これが、俺の気持ちだ。
「……っ」
康太は恥ずかしそうに、俺から視線を逸らして「よくそういうことするよな……」とぼやく。
これが、今の康太の気持ちだ。
俺達はそんな──それぞれの気持ちを抱えたまま、明日からも「幼馴染」を続ける。
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