5月15日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





──やべえ……。


「……で、あって、ここは──」


教師の声、黒板とチョークがぶつかる音、時計の秒針、隣の奴がシャーペンをノックする音……教室を埋める雑音が頭に響く。身体は妙に痛いし、意識は靄がかかってるみたいにぼんやりする。風船みたいに、うっかり手を離したら、彼方まで飛んでいきそうだった。


要するに、眠い。意識がぶっ飛びそうなほど、今の俺は眠かった。


──原因は分かってる。


「……康太」


その時、背中をつんつんと叩かれ、小声で呼ばれる──瞬だ。

たぶん、俺が後ろからでも分かるくらい、眠そうだったから起こしてくれたんだと思う。後ろは振り向かず、片手を小さく挙げて、瞬に感謝を表した。すると、しばらくして、また背中をつつかれる。


何だと思っていたら、二つ折りにされた小さな紙きれを渡された。手紙か?開くとそこには──。


『大丈夫?具合悪いの?』


綺麗な瞬の字でそう書いてあった。瞬が言うんだから、今の俺はよっぽど、そう見えたんだろうな。心配させて悪い──けど、これはそういうんじゃないから大丈夫だ……何があったかは、瞬には言えないけど。俺は、ノートを一枚そっと切り離し、その端をまた少し切って、瞬に返事を書いた。


『死ぬほどねむいだけ』


教師の目を盗んで、俺はそれをさっと瞬に手渡す。すると、ややあってから、また瞬から手紙が届いた。


『無理しないでね ('_')』


心が洗われるような綺麗な字と、その横に描かれた微妙なゆるい顔文字。

じっと見ていると、何か、胸のあたりが温かくなって、頭痛とか神経痛とかあらゆる苦痛に効きそうな気がしてくる。いや、何考えてんだ本当……どうしたんだ、俺。


それもこれも──瞬が「妙なこと」を言ったせいだ。



『──ということだから、康太が決めて』


今から約半月前のことだ。体育祭で「部対抗リレー」に文芸部の代表として出ることになった瞬は、どういうわけか、そのリレーで仮装をするらしい。で、その仮装っていうのが、まあ「女装」なんだが。


あろうことか、瞬はその「女装」で何を着るか、俺に決めてほしいと言ってきたのだ。


曰く「康太が決めたものなら諦めがつく」とか。責任が重すぎる、無理だって言いたかったんだけどな──。


『俺、あの文化祭の時……康太が『可愛い』って言ってくれたから、頑張れそうな気がしたんだよね。今回も恥ずかしいけど……その、俺が好きな、康太が言ってくれるなら、また頑張れる気がするから……』


──あんなこと言われたら断れねえだろ。


どういう経緯で瞬がリレーに出ることになったのかは知らねえが、瞬はリレーに出る決心をしていて、それを頑張ろうとしている。そのために、俺を頼って来てくれてんだ……俺も逃げるわけにはいかないし、瞬の力になれるなら、なりたい。たとえ、それが「女装を選んでくれ」とか、そんなことでもだ。


というわけで、俺は瞬の女装選びをすることになったのだが、「体育祭は月末だしそのうち……」なんて、のんびり構えていたら、なんと昨日の夜、文芸部の部長である丹羽から連絡があったのだ。


『体育祭関係の部の予算計上の手続きをします故、立花氏の衣装代も載せたいのです。急で申し訳ないのですが、水曜日くらいまでには決めてほしいですぞ』……と。


マジかよ、と思った。それから俺は、夜を徹してあれこれ、あちこちネットで調べたんだけどな……まあ、そう簡単に決められるわけねえ。


なんたって、相手は十数年付き合いのある幼馴染だ。その幼馴染に着せる女装を俺が選ぶ、という上で、考えなくちゃいけないことがある。


まず、瞬が抵抗なく着れるものかどうか。それから、「俺」が選んだことが公になっても大丈夫なものかどうかだ。


前者は大前提としても、後者はかなり難しい。

例えば、だ。


俺が「メイド服」を瞬に選んだとして、それが公になった場合、「ふーん、瀬良って立花くんにああいうの着てほしいって思ってるんだー……」と思われるわけだ。そして、残念なことに、うちの学校には例の「クソ新聞部」があるので、この事実が公にならない可能性はゼロだろう。ほぼ間違いなく、公になってしまう。


どういう意図で俺が選んだとしても、たぶん「瀬良はああいうのが好み」ということになっちまう。それは大分困る。瞬も恥ずかしいかもしれないが、俺も恥ずかしい。つまり俺は、そう思われても恥ずかしくないものを選んだ方がいいってことだ。


ここから導き出される答えは一つ。そう、俺が瞬に選ぶべき衣装は……そんなもん知らん。


一晩、ほぼ寝ずに考えたところで、そんなものが見つかるわけもなく。俺は、こうしてただただ、寝不足になっただけだった。


──いっそ、瞬と一緒に選べばいいのか?


いや、それはちょっと……隣にいたら嫌でも、瞬がそれを着てる姿を想像せずにはいられない。いや、嫌じゃないけどな、瞬の女装自体は。って、この言い方も語弊があるか。何というか、好き好んで見たいわけじゃないっていうか……いや、でも。


霧の中で迷子になってるみたいに、ぐるぐると思考が同じところを行ったり来たりで停滞する。そのうちに、ずっと遠くで予鈴が鳴って──予鈴がぷつんと途切れて、俺の意識もそこまでだった。





「完全に寝不足ねー」


「そ、そうですか……」


保健室の先生が言ったことに、ひとまず、俺はほっとする。ベッドで眠っている康太の顔は、まだちょっと青白くて、心配だけど……このまま寝かせてもらえれば大丈夫かな。


穏やかな康太の寝顔を見つめていると、先生が「ちょっと離れるけど、予鈴が鳴ったらもう戻って大丈夫だからね」と、ベッド周りのカーテンを開けて、席を外した。


再び閉まったカーテンの向こうで、保健室のドアが閉まる音がすると、俺はふう、と息を吐いた。


──本当に、すごく心配したよ……。


二時間目の終わり頃だった。後ろから見てても、いつもより体調が悪そうだった康太が、突然、机に突っ伏して動かなくなってしまったのだ。

教室中が騒然として、俺も一瞬、頭が真っ白になっちゃったけど、すぐに、西山が意識を失った康太を担いで、保健室に連れて行ってくれたのだ。俺もその後を追って、休み時間の間、せめて康太のそばにいようと、ここにいるんだけど……。


「ん……」


「康太?」


「……」


起きたのかな、と思ったけど、康太は寝返りを打っただけだった。俺は椅子から浮かしかけた腰をまた下ろした。


──寝不足になっちゃうくらい、何してたんだろう……。


最近、資格のための勉強をしているから、もしかしてそれかな?

それとも「瞬断ち」はやめたけど、テスト勉強は自分でも頑張るって言ってたから……ちょっと、無理しすぎちゃったのかな?


「康太……」


康太の頬に手を伸ばす。すると、眠っている康太が、ぱっと俺の手首を掴んで、うわごとのように俺を呼んだ。


「瞬……」


「何?」


「ごめん……」


「どうしたの……?」


「俺のせいで……瞬が……」


「え?」


一体何を言われるんだろうと、身構える。康太は──。


「ラバースーツ!?」


「え?!」


いきなりそう叫んで、飛び起きた康太は肩で息をしながら、ぐるりと室内を見渡して……それから、ようやく俺と目が合った。


「おはよう……」


「お、おはよう……」


ぎこちなく挨拶をしてから、康太が目をぱちぱちさせる。えー……どうしていいか分からなかったけど、俺は康太に訊いた。


「大丈夫?気分は悪くない?」


「ああ……まあ……うん」


康太はまだ少しぼんやりしていて……よく見ると、汗もかいているみたいだ。俺は持っていたハンカチで額の汗を拭ってから、康太に言った。


「もう少し眠ってたら?」


「ああ、うん……そうする」


康太は頷いて、またベッドに横になった。布団を掛け直してあげると、康太が小さな声で俺を呼んだ。


「瞬……」


「何?」


だけど、康太は何も言わなかった。代わりに俺が康太に言った。


「寝不足だって。ちょっと頑張りすぎだったのかな……とりあえず、今は余計なことは考えないで、ゆっくり休んで」


「ん……」


瞬きを繰り返す康太は、眠気に抵抗してるみたいだけど……たぶん、あと少ししたら、また眠ってしまうだろう。俺は康太の頭を撫でながら言った。


「いい子、いい子……」


「俺は……子どもか……」


「あはは……ほら、大丈夫だから眠っちゃえ。いつもはあんなに授業中寝てるでしょ」


「ん……」


そのうちに、康太はゆっくり目を閉じていく。予鈴が鳴って、俺は椅子を立った。


「瞬……」


カーテンを開けて、ベッドの側を離れようとすると、康太に名前を呼ばれる。俺は康太に言った。


「おやすみ、康太……好きだよ」

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