5月13日

──全部、夢だったんじゃないかと思う。


眩しい光と壮大な音楽、水面でちらちらと揺れる極彩色、魔法みたいな光景と──それを見つめている間、康太と繋いでいた手の温もり。


『暗かったし、人も増えてきてたし、うっかりはぐれたら困るだろ』って康太は言ってたけど、俺にとっては理由なんて何でもよくて。


康太がそばにいて、目の前の感動を一緒に分け合っているだけで、満たされて……ぐちゃぐちゃになってた頭と心は落ち着いていった。


──俺には、たったこれだけでいいんだ……大丈夫、大丈夫だ。


ショーが終わった後、俺と康太は、しばらくぼんやりと……目の前に広がる海を眺めて、余韻に浸っていた。


『すごかったな……』


『うん……』


康太と共有したい言葉が見つからなくて、俺はそう返すのがやっとだった。すると康太が、ぱっと俺の手を離す。


『瞬……』


『何?』


康太が俺の顔に手を伸ばす。身体が一瞬、ぴくりと反応する。それでもじっと康太に身を委ねると、康太は親指で俺の目尻を拭って言った。


『……泣いてる』


『え……』


言われて、俺は自分でも目を拭った。本当だ。俺は泣いていた。


『すごかったからかなあ……なんか、感動して……自分でも気付かなかった』


一度気がつくと、堰を切ったみたいに、涙がぽろぽろ出てきた。

でも、悲しいとか、苦しいとか、そんな涙じゃなくて、心が良いものでいっぱいになって出てきたものだった。だから、流しても、どこも痛くならなかった。


康太は俺の背中をさすりながら、片手でスラックスのポケットを弄って、ハンカチを取り出した。


『持ってたの?』


『母さんに持たされた……まあ、持っててよかったな』


涙が止まって、鼻をすすると、康太はハンカチでちょっと乱暴に俺の顔を拭いた。『雑すぎ』って言ったら『うるせえ』って返された。俺達は顔を見合わせて笑った。


それから、俺と康太は出口に向かいつつ、途中でお土産を買って…….エントランスを抜けようと、地球のオブジェの前を通りかかった時だった。


頭の上でボンッと音がして、見上げると──。


『花火だ……!』


夜空で光の花が弾けていた。足を止めて、ほんの数分──康太とそれを眺める。


──楽しかったな……。


頭に浮かぶのは、ずっと楽しみにしていて、楽しくて、あっという間に過ぎ去っていった、今日一日のことだった。


それは花火みたいに、日常を一瞬、眩しく彩って、記憶の中に溶けていく。


『ねえ、康太』


『ん』


空を見上げる康太の横顔に、俺は訊いた。


『康太は今日、楽しかった?』


『……楽しかったな』


康太は俺を見て言った。


『瞬が……一緒だったから』





「……」


ベッドに身体を投げ出して、天井を眺めて、ぼーっとする。目を閉じたら、あの花火や光を思い出せるけど、そうする度に、現実に帰るのが、難しくなりそうだからしない。


「楽しかったなあ……」


寝返りを打って、枕に顔を埋める。


昨日帰ってきたのが遅かったのもあるけど、今日は朝から何となくやる気が出なくて、ついこうやってダラダラしてしまっている。


──今日くらいはいいかな……。


本当はもうすぐテストもあるし、家のことも、やろうと思ってたことが色々あるんだけど……やる気が出ないんだから仕方ない。

でも、いつまでもこうしてるわけにはいかないよなあ……と、思った時だった。


──コン、コン。


このノックはもう、誰か考えるまでもない。

あんなに気力がなかったのに、我ながら現金だなと思いながら、玄関に駆けて行く。


「康太?」


「おう、おはよう」


ドアを開けると、康太が立っていた。よく見ると、手に「夢の国」のお土産袋を提げていて……。


「どうしたの?」


俺がそう訊くと、康太は少し考えるような素振りを見せてから言った。


「お土産」


「どこかに配りに行くの?」


「瞬に」


一瞬、頭がフリーズする。


「俺も昨日行ったよ?」


「そうだな。でもそれはそれとして、お土産だ」


ほら、と半ば強引に、康太がお土産を押し付けてくる。よく分からないまま、それを受け取る。


「見てもいい?」


「おう。じゃあ俺は行くから」


「待って」


ちょっとした勘で、逃げるように帰ろうとする康太の腕を掴む。康太は「おいやめろ!」と、俺の手を払おうとするけど、離さないようにしながら……俺は袋の中身を覗いた。


「あ……可愛い」


お土産の正体はマスコットだった。ピンクのふわふわの女の子のくまさんのやつ。

手のひらに乗るくらいのサイズのくまさんは、すごく可愛いくて、俺も昨日買うか迷ってたものだった。


「いいの?貰っても」


「お土産だって言っただろ。貰われないと困る……うちにもう一匹いたって……」


「え?」


珍しく康太が「しまった」という顔をする。もう一匹ってもしかして……。


「康太も買っ」


「と、とにかくな……そいつは瞬の分だから」


──可愛い。


康太をそう思った隙に、俺の手は払われて、康太が逃げ出そうとする。


康太はやっぱりまだ、ちょっと変だった。


だけどそんな──変な康太が、俺は愛おしく思えて、その気持ちは、去り際の康太にすぐに伝えた。「好きだよ」って。

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