5月12日

「よかったー……」


カーテンを開けて見えた、今日の晴天を予感させる空に、俺はほっと胸を撫で下ろす。


──5月12日 AM 4:00


スマホに表示された、「その日」に俺はつい、笑みが零れる。

今日は待ちに待った「校外遠足」の日だ。


──だいぶ、早起きしちゃったなー……。


アラームで設定したよりも、三十分も早く目が覚めちゃって、自分でも「どんだけ楽しみなんだよ」って思ってしまう。でもさすがに……やっぱり眠くて、欠伸を噛み殺しながら、ハンガーにかけた制服に袖を通す。


今日の「校外遠足」は私服でもいいんだけど、皆に訊いたら結構「制服で行く」って言ってたんだよね。班によっては皆で決めて、私服か制服か、揃えてたりするみたい。うちは特に決めなかったけど……俺は制服で行くことにした。やっぱり、制服であそこに行くって……ちょっと特別な感じがするから。


──康太はどっちかな?


敢えて訊かなかったけど、どっちなんだろう……康太って、何着てもそこそこ様になるから、俺としてはどっちでもいい。いや、俺の意見なんて、それこそどっちでもいいんだけど……。


なんてことを考えながら、身支度を整えて、軽めに朝ごはんを食べて……最後にリュックの中の荷物を再点検する。お財布、ICカード、スマホ、家の鍵、ハンカチとタオルと、ティッシュと、絆創膏とかが入った犬のポーチと、遠足のしおりと、ガイドブックと、「秘密兵器」それと……「アレ」。


──ちょっと可愛すぎるような……?


でも、せっかく猿島が「瞬ちゃんは絶対これね」って貸してくれたしな……。それに「瀬良にも絶対着けさせてね」って、康太の分まで預かっちゃったし。


とりあえず、これは向こうに着いたらだな……と俺はリュックに「アレ」をしまう。

そうこうしているうちに、康太を起こそうかなって思ってた時間になった。


どうかな……と思いつつ、モーニングコールをしてみる。ぽろんぽろん──と跳ねるような軽快な呼び出し音が鳴って……。


『おう……おはよう』


「おはよう、康太」


起きてた……のかな。康太が電話口の向こうで「ふわあ」と欠伸をする。


『何だよ……大丈夫だって、え?分かったって……はいはい。てか、瞬も聞いてんだぞこれ』


「……ふふ」


通話を繋ぎながら、康太が準備をするのを見(?)守る。時々、後ろから実春さんの声がして、俺はつい笑ってしまう。


そのうち、もう家を出る時間になって──。


「おはよう」


「……おはよう、行こっか」


「気をつけてね、楽しんできなさいよー」


「はーい」


実春さんに見送られて、マンションを出る。さて──康太の服装はというと。


「制服にしたんだ!でも……カーディガンも?珍しいね」


康太は制服のシャツの上に、紺のカーディガンを羽織っていた。実春さんと別れるまでは、カーディガンの前を閉めてたけど、今は開けてるので……おそらく、家でその着こなしについてひと悶着あったのだと想像させた。


──これはこれで……かっこいい。


つい、見惚れていると、康太が言い訳するみたいに言った。


「……母さんが遠出なんだから、ちゃんとしろって言って。それに、海の方は……夜はちょっと冷えるかもしれねえからって」


「え、夜までいるの?」


思わずそう訊くと、康太が目を丸くする。


「は?え……そうじゃねえのか?」


康太のその言葉に、びっくりしたのは俺の方だった。


今日の「遠足」は集合も解散も現地になっている。解散は、15時にエントランスあたりで、担任の先生に報告をして、それから自由解散。つまりその後は、閉園までパークにいてもいいし、帰ってもいい。


それなら俺はもちろん──。


「えっと、その。……そうしたいなって思ってたけど、康太はどうかなーって思ってたから。もし、康太も一緒に……終わってからもいてくれるなら、それは、すごく嬉しいけど」


「当たり前だろ、瞬楽しみにしてたじゃねえか。そりゃ……まあ、俺もいていいなら、いるけど……」


珍しく、康太の語気が弱く、消えてしまいそうな声でそう言ったので、俺は「そんなの」と言った。


「康太と一緒だからでしょ、楽しみなのは……」


──好きなんだから。


どう伝わるかは分からないけど。そう言ったら、康太はいつもみたいに……どうとでも捉えられるような「おう」という返事をした。


……それが康太に言ったんだってことはせめて伝わったらしいと、分かるのが【条件】の良い所なのか、悪い所なのか、何とも言えないけどね。





「おう、おはようお前ら……やっぱ制服か」


「おはよう、立花!今日、楽しみだな!」


「おい、俺にも挨拶しろよ。裕斗」


「だから何で瀬良が名前呼びなんだよ!瀬良に呼ばれても嬉しくねーよ!」


駅に着くと、もう西山と森谷が待っていた。二人とも……いつも通り制服だ。何だかんだ、皆揃っちゃったな。森谷と康太が何やら話してる間に、にやにや顔の西山が俺に近づいてくる。


「上手くいったか?」


「う、上手くって……でも、ありがとう。西山のおかげで、ちょっと……すっきりした」


「よかったな。まあ、今日は何でも手伝ってやるから、思いっきり楽しめよ。なんなら、中入ったら、別行動にしても……」


「そ、それは大丈夫!俺、その……今日楽しみなのは、康太もそうだけど、仲良くしてくれる皆もいるからっていうのもあるから。皆も一緒がいいなって……」


「立花がそう言うならいいけどな……でもまあ」


そこまで言いかけて、西山はちらりと俺を見て……「何でもない」と言った。何だったんだろう?


それから俺達は電車に乗っていざ、「夢の国」へと向かう。通勤ラッシュと少し重なるから、皆がよく使う方とは逆のルートで俺達は向かうことにした。


乗ってる時間はちょっと長いし、料金もちょっとだけ高いんだけど、乗り換えも少ないし、何より空いてるのがいい。


「で、どう回る?」


「えっとね……」


おかげで、四人並んでシートにゆったり座れるし、こうやって皆でガイドブックを広げて見ることもできる。ちなみに今は、端から西山→康太→俺→森谷の順に並んで座っていた。康太は何故か悔しそうな顔をしていた。


「立花って絶叫は平気なタイプ?」


「うーん……ちょっと怖いかな。絶対ダメってほどじゃないけど」


隣に座っている森谷が、ガイドブックを覗き込んでくる。こんな風にまだどんな人か分からない相手とも、色々な話ができて、自然とお互いを知れるから、遠足っていいよね。


「森谷は得意なの?」


「うーん、まあ、立花がいるところに俺はいるって感じ……かな?」


えっと……どういうことなんだろう?


「立花がもし怖かったらさ……俺が隣で手……とか繋いでててもいいし、それか、外で二人きりで待っててもいいしさ……」


「そうか、じゃあ森谷は一人で園の外で待ってていいぞ。閉園まで」


「何でだよ!」


そこに康太が割って入ってくる。康太の奥で、西山が呆れた顔をしていた。


「お前らなあ、せめて中に入ったら平和にしろよ」


「えっと……西山は、よく行ったりするの?」


話を切り替えようと、西山に訊いてみる。すると、西山は「いや」と言った。


「うちは家族多いし、そんなしょっちゅうは行かねえな……シーの方は、妹が小学生になった時に一回行ったきりだ」


「そっか。じゃあ森谷は?」


森谷は首を振って「中学ん時に友達と行ったぶりかな」と言った。じゃあ、うちの班は皆、そんなにって感じかあ。


「瀬良も立花も、二人で行ったりはしねえのか?」


「そういや、なかったな。俺も母さんも、ああいうとこ、あんま興味なかったし」


「うん。ていうか俺、友達と行くのも初めてかも」


「え?じゃあ俺が立花の初めての……ってこと?!」


「お前は瞬の友達じゃねえだろ」


康太がそう言うと、森谷が「俺は友達だと思ってるぜ」と言ってくれた。俺は森谷に「ありがとう」と言った。

森谷って、結構人懐っこいタイプなのかな?俺も早く仲良くなれるように頑張ろう。


そのうちに、目的地が近づいてくる。


電車を乗り換えると、車内には私服だったり、制服だったりな同級生達の姿も見かけた。皆、スマホを見てたり、お喋りしたり……それぞれ自由に過ごしてたけど、車窓から海が見えた瞬間だけは「わあ」と反応が揃った。さすが海無し県民。海への感動は忘れない。


「夢の国」への最寄り駅の改札を抜けると、なんだかすごくワクワクした。

いつか、父さんと母さんと一緒に来た時のワクワクが蘇って……重なって、胸がきゅっとする。


モノレールには手を振りたくなるし、「あの人達はランドかな?シーかな?」って予想してみたり、絵本から切り取ってきたみたいな……お城みたいなホテルには目を奪われた。


ついきょろきょろしていると、康太に肩を叩かれて「行こうぜ」と言われる。それから俺達はモノレールに乗る……ところで、西山に呼び止められた。


「モノレールと写真撮ってやる。ほら、瀬良と並んで」


「え?」


いいから、と促されたので……俺は康太のカーディガンの袖をつまんで、「写真だって」と声をかける。モノレールが駅に入ってきたところをバックに、康太とピースすると、西山はばっちり写真を撮ってくれた。

……もしかしたら、いつもこんな風に家族の写真を撮ってるのかもしれない。



「わあ……」


モノレールは中まですごく可愛くて、俺は乗ったことがなかったし、なんだかそわそわした。

それは康太も同じみたいで、さっきから落ち着きなくあたりを見回している。


俺達は運良く、一番前の席に座れたから、前面に景色が開けて見えて──青い空と海、夢みたいなパークの遠景、全部が「今日は絶対楽しい日になる!」って予感させてくれる。


「いい席取ってたねー」


「わ……猿島」


モノレールを降りて、集合場所に向かっていると、後ろから猿島に声をかけられた。志水も一緒だ。


「おう、お前らも同じのに乗ってたのか?」


猿島達に気づいた康太が手を挙げる。猿島がひらひらと手を振りながら言った。


「志水があそこに座ってみたいって言うから狙ってたんだけどー……ま、ニコニコの瞬ちゃんが座ってるの見たら、譲りたくなるよねー」


「そ、そんなにニコニコしてた?」


「してたよー」


ほら、と猿島がスマホを見せてくる。そこには、窓を指して、康太に話しかけてる俺が写っていた。確かにニコニコしてるな……。


「ていうか盗撮だよ!よくないよ」


「瀬良には後で送ってあげるねー」


「分かった」


「送らないでよ!」


「私も欲しいです」


「なあ……お前、誰か知らないけど、俺のID教えるから、俺にもそれ、くれないか?」


すると志水や、何故か森谷まで来てしまった。


「もう……それなら皆で写真撮ろうよ。俺、あの地球のところで撮ってみたい」


俺がそう言うと、西山が「いいな」と言ってくれた。康太も「そうしようぜ」と乗ってくれたので、ひとまず、俺達は集合場所に行って、いよいよパークの中へと入る列に並ぶことになった。


開園を待つ間、後ろに並んでいた猿島が言った。


「そういえば瞬ちゃんさー……『アレ』はちゃんと持ってきた?」


「アレ」──というのは、もちろん、リュックに入ってる「アレ」のことで……。


「う……持ってきたよ。ちょっと、恥ずかしいけど……本当に着けるの?」


「着けるよー、皆してんじゃん」


ほら、と猿島が周りを見渡す。確かに……列に並んでる人達はほとんど皆、「アレ」を身に付けていた。


「志水も着けてるでしょ」


「はい」


猿島の後ろから志水が顔を覗かせる。志水の頭には──白と黒のワンちゃんの耳の「カチューシャ」が着いていて。訊けば、猿島が貸してあげたんだとか。曰く「姉ちゃんが趣味で集めてんだよねー」とのこと。


「瞬ちゃんも着けなよー、絶対似合うから」


「うぅ……でも、猿島だって着けてないじゃん」


「瞬ちゃんが着けたら着けるよー」


「旅の恥はかき捨てですよ、立花さん」


カチューシャを着けた志水に真面目な顔でそう言われると、何も言い返せなかった。すると、騒ぎを聞きつけた康太が振り向く。


「どうした?何の話だ?」


「瀬良はさ、瞬ちゃんの可愛いカチューシャ姿見たいよねー?」


「瞬の?」


康太が俺をまじまじと見てくる。「そのままの瞬でいい」って言ってよ……と期待したけど、康太は頷いて言った。


「瞬はああいうの似合いそうだと思ってたんだよな。持ってんなら、着けたらいいだろ」


「康太の馬鹿」


「何だよそれ!」


猿島に「はい、着けるの決定ー」と言われてしまい、渋々、リュックからカチューシャを取り出して……着ける。


「いいねー超可愛い」


「立花さん、可愛いですよ」


「そうかなあ……」


早速、猿島にスマホを向けられ、つい反射的にピースしたところを、ぱちりと撮られてしまった。猿島が、撮った写真を見せてくる。


微妙な顔でピースをきめる俺の頭に着いた……ピンクのふわふわのくまさん耳。しかも、リボンまで付いたやつだ。


女の子のくまさんのキャラクターのカチューシャだし、ちょっと可愛いすぎて、俺にはどうかと思うんだけど……。


「へえ、やっぱ似合うな、瞬。本物そっくりじゃねえか」


「……」


「おい、何するんだよ……っ!」


俺はカチューシャを外して、康太に着けてやった。


「ふふ……可愛いよ、康太……」


「笑ってんじゃねえか!」


「いいね、瀬良ー、超面白い」


「瀬良さん、面白いですよ」


「おい」


「康太……似合わな……っ」


「ツボるな」


康太には悪いけど、たぶん俺に負けないくらい、康太も似合ってなくて、笑ってしまう。


康太はそんな俺に「瞬が着けてろ」と、カチューシャを着け返してきた。すると猿島が「瀬良の分はちゃんとあるよー、ね?」と、俺に目配せしてきた。


「はい、こっちが康太ね」


俺は猿島に借りた、もう一個のカチューシャを康太に渡した。俺と対になる、男の子のくまさんのキャラクターの耳のカチューシャだ。


「はいチーズー」


猿島の合図で、康太とピースで写真を撮ってもらう。見せてもらったら、ふわふわのくま耳の康太が控えめにピースしてて、可愛かった。後で貰おう。


そのうちに列が動き始めて、俺達はついにパークに入った。



「うわあ、すごーい!」


入口を抜けると、あの有名な地球のオブジェが視界に飛び込んで来た。思わず声を上げてしまったら、皆に笑われた。


「じゃ、写真撮ろうな」


そう言って西山がカメラマンになろうとしたので、俺は西山のシャツの袖をつまんで、それを止める。


「西山も写るの、ほらこっち!」


「お、おい……立花……」


俺はリュックから「秘密兵器」を取り出して、班の皆を自分の周りに手招きする。


「瞬、何だそれ」


「これはね、自撮り棒って言うんだよ」


「地鶏棒?」


「美味しそうだね……でも違うよ」


俺は康太に「秘密兵器」──自撮り棒を見せてあげた。伸縮する棒の先にスマホが取り付けられるようになってる、自撮りの補助アイテムだ。

舞原さんに教えてもらったもので、この日のために買ってきたのだ。


家で練習もしてきたから、この通り……ばっちり、皆と地球を写せる。


「瞬がクマの耳しか写ってねえぞ」


「俺達と地球はよく撮れてるが……これじゃ意味ないな」


「もう立花のソロショット撮影会にしようぜ。その方がいいだろ」


「あれー……?」


四人と地球となると結構難しかった……。

もたもたしてたら、見かねたキャストさんが声をかけてくれて、結局、その人にお願いすることになった。棒の意味が全然ない。


「元気出せよ。ほら、今度は瀬良とツーショット撮ってやるから」


「え?でも、もうさっきも撮ってもらったし……」


西山がそう言ってくれたのは嬉しいけど、康太とはパークに入る前にもたくさん撮ってもらったし、写真はこれくらいにして、ぼちぼち行った方がいいんじゃ……なんて思っていたら、康太の方が肩に手を回してくる。


「康太?」


「撮ってもらおうぜ。せっかくだし」


康太はそう言ってから、俺の肩に手は回したまま、もう片方の手でピースをする。西山はふっと笑うと、スマホを向けて来た。俺も「康太が言うなら」とピースする。


こうなったらもう、カメラロールがいっぱいになっちゃうくらい、今日は写真を撮ろうと思った。


地球のあるエントランスを抜けて、建物を潜ると、奥に、もう一つ有名なあの火山が見えてくる。視界がばっと開けて──目の前の景色と空気に、胸が躍った。隣を見ると、康太も……考えてることは同じみたいで。


──これから……始まるんだ!


俺は皆を振り返って、言った。


「ねえ、まずはどこに行こっか?」





「はい、じゃあ一班はこれで解散ね。って言っても……君達はむしろ、これからって感じかな。気をつけてね」


楽しい時間はあっという間で。


午後十五時──俺達の「遠足」は解散の時間になった。朝、皆で写真を撮った地球のあたりで待っていた武川先生に報告をすると、先生は目を細めて、俺達に手を振ってくれた。


「皆はまだ──」


パークにいる?と訊こうとした時だった。遮るように西山が「悪い」と言った。


「二組の奴らと落ち合う約束してんだ。立花達といたいのは山々だが、俺はそっちに行く」


「そ、そっか……森谷は?」


「俺も立花とまだ遊びてえけどさ……仲島達とアキバ行こうぜって言ってて。俺もここで抜けるわ」


「分かった。気をつけてね、二人とも」


「おう、じゃあな」


康太と俺は、散り散りに去っていく二人に手を振る。ということは……だ。


「じゃあ……まだ、付き合ってくれる?」


俺はつい……そわそわしながら康太に訊いた。

疲れてないかな?とか……ちょっとドキドキしたけど、でも、康太は笑って言ってくれた。


「おう、行こうぜ」


康太に肩をぽん、と叩かれる。それだけで、なんだかふわふわして、もうちょっと続く、この夢のような時間に俺は浸っていようと思った。



「ちょっと、お手洗い行ってくるね」


すっかり夜になった頃だった。夕飯を食べた俺達は、夜のショーを観るために、少し早い時間から場所取りをしていた。


上から海を臨むような鑑賞スポットで、ぽつぽつと灯りだした照明が作る、幻想的な風景を二人で眺めながら、ショーが始まるのをのんびり待ってたんだけど……今のうちに、と思って、俺は腰を上げた。


「迷子になるなよ」


「ならないよ!」


揶揄う康太に手を振って、お手洗いに向かう。親切なキャストさんが丁寧に教えてくれたおかげで、そう迷わず辿り着くことができた……ここまでは、よかったんだけど。


──あれ?


ハンカチで手を拭きながら、お手洗いを出た時だった。物陰に男の人と女の人が、妙にぴったりとくっついていて。何となくそっちを見ると──。


「ん……っ、ちゅぅ……んん……」


「……っ、はぁ……ん……」


「──っ!」


思わず、声を上げそうになって……既のところで耐えた。薄暗いからはっきりは見てないけど、これ……これって。


──ちゅ、ちゅー……してた……よね。


俺は、バクバク鳴る心臓を抑えながら、早足でその場を離れる。どうしようどうしようどうしよう……大変なものを見ちゃった!って言っても、どうにもはならないんだけど。


──忘れろ、忘れろ、忘れろ……!


頭を振って、何とか今見たものを頭から追い出そうとする。夢中で歩いてたら、康太が待っている場所まで戻ってきていた。俺は平静を装いつつ、康太に声をかける。


「お、お待たせ……っ!」


「どうした、瞬?何かあったか?具合悪いのか?」


……すぐにバレてしまった。心配そうに顔を覗き込んでくる康太に「大丈夫」って言ったけど、康太は首を振る。


「顔、真っ赤じゃねえか……熱でもあるのか」


「ち、違う……大丈夫、大丈夫だから……」


だけど康太は信じてくれなくて、俺の額に手のひらを当てがった。冷たくて気持ちいい……って思うってことは、やっぱり顔、赤かったんだ。


──どうしよう、すっごいドキドキする……。


さっき見てしまったものがフラッシュバックして、嫌でも想像が膨らみそうになる。


俺も、康太と、ああいうことを──?


「ちょっと、ごめん……」


「瞬?」


康太から少し離れようと後退る。だけど、足元がふらついちゃって……。


「わ……っ?!」


「瞬!」


躓きかけた俺の手を康太が掴んで、そのまま引き寄せられる。息遣いが感じられるくらい、さっきよりもぐっと康太が近くなって、掴まれた手首のあたりが気になって仕方なかった。


「無理すんなよ……疲れてんのか?辛かったらすぐ言えよ」


「う、うん……大丈夫」


──逃げられない……。


うるさいくらい鳴る胸の音の奥でそう悟った時、ぱっと、あたりの照明が落ちて暗くなって、俺は「ああ、始まるんだ」とぼんやり思った。

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