5月11日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





──茜色の校舎、二人きりの廊下。それ以外は何もかもぼやけた世界だった。


『何だよ──、──って……!そんなに──ならもう──ばいいだろ──のくせに──』


『どうして……どうしてそんなこと言うの……』


自分で自分が何を言ってるのか分からなくなる。止めようにも、止められなかった。ぐっと押し込んでいた栓が抜けて、胸に溜まったどす黒い感情は身体を巡っていくみたいで、血が熱い……目の前が真っ赤になって、ちかちかした瞬間だった。


──その言葉で、俺の中の何かがぷつりと切れた。


『康太なんて……大っ嫌い!』


目の前にいた「そいつ」がふっと消えて行く──底のない穴に落ちていくのを、ガラス玉みたいな目で俺はただ見下ろしていた。顔の前にかざして見た、自分の両方の手のひらが作り物みたいで、これは俺がやったことなのに、信じられなかった。


『違う……俺じゃない……俺がやったんじゃ……』


黒い染みが視界を覆っていく。それはやがて、俺自身の意識も飲み込んでいって──。




「──っ!」


そこで、目が覚めた。


額を触ると、汗で濡れている。おもむろに身体を起こしながら、枕元に手を伸ばして、スマホを見ると──まだ、朝の四時過ぎだった。俺は息を吐いてから、再びベッドに倒れ込む。


──クソ……よく分かんねえ夢見た……。


どんな夢だったかは、もう思い出せない。だが、気分の良い夢じゃなかったってことは分かる。


起きるまではまだ時間があるし、もう一回寝ればいいんだろうが、妙に目が冴えちまった。しかも、その分余計に、身体に残る不快感が気になる。これじゃ二度寝する気にもならねえ……。俺は天井に向かって舌打ちした。


とりあえず、汗で肌に張り付いたTシャツの胸倉を引っ張って扇ぐと、いくらかマシにはなった。五月になったが、朝はまだ少し寒いから、掛け布団の表面に腕を出していると、冷たくて気持ちいい。そのまましばらく、ぼんやりしていた。こんな時に頭に思い浮かぶのは、もちろん──。


──瞬……。


何よりも落ち着く幼馴染の顔が浮かびかけて、俺は頭を振った。ダメだ、俺は今「瞬断ち」の最中なのだ。これじゃ意味がない。


──今日までだ。とりあえず、今日まで耐えられれば……もう大丈夫だろ。


そうと決めたら、俺はスマホを手に取って、瞬にメッセージを送った。


『おはよう、朝早くにごめん』


『今日は先に学校行くから』





「康太」


四時間目が終わって、お昼休みになった時だった。教科書をしまって、席を立とうとした康太を呼び止める。


「何だ?」


「今日はお昼どうする?教室にする?それともラウンジ行く?」


訊きながら、俺は机の中に忍ばせている「あるもの」に手をかける。だけど康太は「悪い」と俺に手を上げて言った。


「今日は学食行くわ。その後ちょっと……用もあるし」


「そ、そっか」


それなら仕方ない。俺はお弁当だし、席数の都合上、お弁当を持ってきている生徒は、学食の席の利用は避ける決まりになっている。俺は半分出しかけていた「それ」をまた机の中に戻して、康太に「行ってらっしゃい」と手を振った。「おう」と教室を出て行く康太を見送りながら……ちょっぴり、凹む。


──これも「瞬断ち」なのかなあ。


今朝は康太からメッセージが来た通り、一緒に登校しなかったし、休み時間も……授業が終わるなり、康太はふらっと教室を出て行ってしまう。まあ、普通に話したりはするし、別に喧嘩してるわけじゃないんだけど……だけど、まるで避けられているみたいにちょっと思えて。


──ううん、でも「瞬断ち」は今日までだもんね。康太も康太なりに、最後の総仕上げ……?かもしれないし、俺も今日一日耐えよう!


気持ちを切り替えて……なるべく、嫌なことは考えないように。ひとまず、お弁当の包みを取り出すと、西山が声をかけてきてくれた。ラウンジでお昼にするらしい西山に、俺はついて行くことにした。





「ほう……それで、今日は立花一人だったのか」


「うん。康太は今『瞬断ち』をしてるから……」


お弁当の包みを広げながら、俺は西山に、康太が最近やっている「瞬断ち」の話をさっくりした。と言っても、俺もよくは分からないから、説明しようがないんだけど……。それでも西山は理解が早くて、「要するに断食みたいなもんか」とまとめてくれた。


「別に食べるのが嫌いってわけじゃないけど、健康とかのためにするだろ……断食。ま、それなりに覚悟がいるから、瀬良の方も泣く泣くって感じなんだろうが」


「そうかな?」


「そりゃあそうだろ。ていうか、既に耐えきれてなさそうだけどな。最初から期限も短すぎるし」


西山が呆れたように笑う。康太が頑張っていることは応援したいのに、西山にこんなことを言われると、何故かちょっと嬉しくなってしまう俺がいて……ダメだ、康太は真面目にやってるのに。


すると、そんな俺の心情を察したのか、西山が「でもまあ」と言った。


「こんな風に立花に寂しい思いさせてたら、その方がダメだろ。明日はせっかく楽しい遠足だってのに」


「なあ」と、西山が俺が持って来ていた「それ」を顎でしゃくる──前に本屋で買ったガイドブックだ。明日の遠足のための。


「すげえ付箋の量だな……全部立花のチェックか?」


「あはは……すっごい楽しみだったから、読んでたらあれもこれも……って思っちゃって。皆とも、今日一緒に見たいなあ……って思って、持ってきたんだけど」


俺はテーブルの端に置いたガイドブックに視線を遣る。本当は、お昼休みとかに、康太と見て、明日の話を色々したかったなあって思ったけど……でも、仕方ない。


そんなことを思っていたら、西山が言った。


「立花は遠慮しすぎだ、いつも」


「え?」


「もっと、我儘を言うくらいでいい。立花が我儘だと思うことなんて、たぶん、普通の基準だと我儘にも入らないぞ」


「そうかな……?」


「ああ、そうだ。だから──」




「……あ、もしもし。康太?」


『おう……瞬。何だ?』


「い、今……通話してもいい?」


『いいけど……何かあったか?』


「何にもないんだけど……その」


『おう』


「うん。あ、あのね……俺、康太に、言いたいことがあって」


『ああ……いつものか。ごめん、今日話す時間あんまりなかったな』


「大丈夫、えっと……うん。好きだよ」


『おう……用ってそれだったのか?』


「そうなんだけど、それだけじゃなくて……その、康太。本当に、本当に……言いづらいんだけど」


『……大丈夫だから、言ってみろって』


「えっと、あのね。俺……」


『おう』


「康太に『瞬断ち』するの、やめてほしくて」

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