4月8日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





「じゃ、続きはまた明日ってことでー」


「はい。私も楽しみにしてます」


「うん。二人とも今日はありがとう」


カフェを出たところで、猿島と志水にお礼を言う。


今日は、明日の「読書会」に備えて、二人と一緒に各々の小説を書くために近所のカフェに来ていた。


文芸部の恒例の集まりである「読書会」の明日のお題は「『好き』をテーマにそれぞれが書いてきた小説を読み合うこと」なんだけど、思うように書けなくて悩んでたら、同じように進んでなかったらしい猿島が、俺や志水を誘ってくれたのだ。曰く「皆で適当に喋ったりしてたら何か出るかもしれないしー」とのこと。


「結局、書き終わんなかったけどー……ま、ダメだったら、明日丹羽と菅又に一緒に謝ろっか」


「五人中三人が持ってこれなかったら、それは会として成立するのでしょうか……少々心苦しいですね」


「その時は、二人のやつをじっくりねっとり読めばいいんじゃないー?二人とも図太そうだし」


猿島がさらっと恐ろしいことを言う。俺だったら、そんなの耐えられないな……自分のをじっくり読まれるなんて。それも、自分の目の前でだ……すごく恥ずかしい。


想像だけで、身を震わせていると、猿島が俺に言った。


「てか、瞬ちゃんも最後まで何書いてるか全然教えてくれなかったねー……明日のお楽しみにしていいってこと?」


「うぅ……そう言われると緊張しちゃうんだけど。もうちょっと、自分でも納得してから出したくて……」


「真面目だねえ」


「立花さんなら大丈夫ですよ。私も己の『好き』を表現するべく、頑張ります」


「志水のも何が飛び出てくるか分からないから怖いんだよねー……」


猿島が志水を見てため息を吐く。猿島の小説も、志水の小説も、俺は少しだけ見せてもらったけど、志水は猿島には、まだ見せてないのかな。だとしたら……明日は大変なことになりそうだ。


「瞬ちゃん、何笑ってるの?」


「ううん。何でもないよ……明日楽しみだなあって」


「ふーん……珍しく生意気なこと言うねー」


猿島に髪をわしゃわしゃ乱される。「やめてよー」と言うと、それを見ていた志水も俺の髪をそっと撫でてきた。


「わあ……いつも思ってましたが、立花さんって、髪がさらさらですね。シャンプーは何を使われてますか?」


「志水、それ今訊くことー?」


「シャンプーは特別なものは使ってないよ。安売りしてるやつだけど……あ、でも俺肌があんまり強くないから刺激が少ないものにしてるかな」


「瞬ちゃんも普通に答えてるし」


猿島が笑う。そんなところで、俺達はお開きになった。朝の十時くらいからあつまって七時間近くもカフェで粘って……大分日が長くなったとはいえ、もう夕方だ。早く帰らなきゃ──そう思いながら、マンションへと歩いていた時だった。


──あれ?


道路を挟んだ反対側で、向こうから走ってくる人。すごくよく見たことのある人で──あ、康太だ。


「康太―」


俺は康太に向かって手を大きく振ってみる。すると、康太は気づいたのか俺に向かって手を振り返してくれた。信号が青になったタイミングで、周りを見回しながら、俺に近づいてくる。


「おう、瞬……どっか、行った……帰り、か……」


「康太……どうしたの?」


側に来た康太は汗をかいていて、しかも呼吸が荒い。もしかして──。


「ああ……ちょっと……ジョギングでも……やってみるかと思って……」


「じょ、ジョギング?!」


俺は思わず声を上げてしまった。なんてことだ。市民マラソン大会を「何で金払ってまで家の近所を走るんだよ」とか言ってた康太がジョギング……信じられない。これも「筋肉自意識」のせい?


ちょうど、家に戻るところだったらしい康太と俺は並んで、一緒に歩くことにする。


「だ、大丈夫……?」


「ん……こんなの、大したことねえよ……」


「あ……」


ちらりと隣を見遣った時、息を弾ませた康太が腕で額の汗を拭っていて──跳ねそうになる心臓を誤魔化すように、俺はハンカチを取り出して康太の汗を拭いてあげた。


「……飛ばしすぎなんじゃない?」


「いやでも……ほら……俺の『にゅうさんきん』が喜んでるからよ……つい」


そう言った康太は片足を持ち上げてふくらはぎを差している。


「康太、乳酸菌は筋肉じゃないよ」


「は?じゃあ何なんだよ、これは」


「……帰って自分で調べて」


俺はため息を吐いた。こんな人に一瞬でも──なんて考えたくなかった。

そんな俺の気も知らず、康太が訊いてくる。


「瞬は何か用事だったのか?」


「あ、うん。猿島と志水と……カフェで集まってて」


「ああ……文芸部か。また部誌でも出すのか?」


「うん。明日は皆で集まることになってて……読書会をするの。それぞれが書いてきた小説を読み合うことになってて……」


「へえ。じゃあ瞬も何か書いたのか?どんなのだよ」


「えー……内緒」


「何だよ教えろよ……まあ、言いたくないならいいけど」


「今度ね」


俺は肩に提げたトートバッグの中のノートのことを思う。あの中に書いてあることを、誰かに教えるのはまだ怖いけど……いつか、もっと自信を持てるようになったらいいな。


なんて考えていたら、いつの間にかマンションまで着いていた。並んで階段を上っていると、反対側から人が来たので、俺が康太の先を歩く形で縦に並ぶ。すると、ふいに頭の後ろを康太に撫でられた。


「わ、何?」


俺はびっくりして、振り返る。すると、康太が首を傾げながら言った。


「何って……瞬、何か髪がぼさぼさだったから、整えてやったんだろ」


「え、あ……そうだった?」


そんな状態で外を歩いてきちゃったのか、と思い、少し恥ずかしくなる。

でもよく考えたら、髪がぼさぼさになっちゃったのは猿島と志水のせいだ。二人して頭を撫でるから──そう言うと、康太は「犬みたいだな、瞬」と笑った。


「瞬は犬になっても賢そうだな。芸もできそうだし」


「それ、喜んでいいの?……康太は犬だったら、全然言うこと聞かなそうだね」


俺がリードを引いても、ちっとも動かない「犬康太」が目に浮かんで、つい笑ってしまう。すると康太は首を振って言った。


「瞬が飼い主だったら聞く。可哀想だから」


「はいはい。まあ、俺は今も飼ってるようなものかもね……康太を」


「いつ飼われたんだよ」


康太に頭をぽこ、と叩かれる。そんなやり取りをしながら階段を上ってたら、康太と分かれるところまで差し掛かる。


「じゃあな」と康太が手を上げて行こうとして──行こうとしたところで、俺は思い出す。


──そうだ。今日はもう、ここで【条件】言わなきゃ……。


決して忘れてたってわけじゃない。康太の命が掛かってることだし、欠かせないことだ。


でも、康太と一緒にいると、つい安心しちゃって……それに俺自身、意識して言おうとすると、まだ恥ずかしいから、つい後回しにしたくなっちゃう……というのもあるけど。


──やるしかないんだから。


胸の中にある色々を、今はぐっと抑えて、俺は康太を「待って」と呼び止める。


「康太、その……」


「何だよ」


「最近の康太は……頑張ってて、いいと思う」


「おう……そうか」


「康太は、頑張ってて、筋トレも、自分で色々考えてやってて、偉い」


「おう」


「ジョギングも始めて、すごい……あんなに汗だくになるまでやって」


「おう……?」


口を動かし始めたら、康太を直視できなくなって、顔を逸らしてしまう。たぶん、康太すごく戸惑ってるよね……こうなったら早く言っちゃわないと、余計に苦しい。


俺はもう思い切って康太に言った。


「俺は……汗臭い康太が、かっこよくて……好きだよ!」


「……え?」


言った瞬間、康太は自分の腕や脇の下をくんくん嗅いで、自分で「うわ」と引いていた。


「こんな匂いでも好きなのか……瞬……」


ついでに俺にも引いていた。とりあえず俺は「男の勲章ってやつだよ!」とよく分からないフォローをして誤魔化した。なかなか上手くいかないなあ……。

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