4月5日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





ちっちっ、と秒針が刻まれる音が響く。

机に広げたノートには相変わらず何も書けてなくて、向きあうのにもいい加減飽きてきた俺は、宙の一点を見つめたまま、ただ、右手に握ったシャーペンのノックキャップをかちかち鳴らしていた。


「……」


「どうしたん、全然進んでへんなあ」


「……うるさい」


「怖いなあ」


急に出てきたキューピッドに構うのも面倒くさくて、適当に返すと、澄矢さんはやれやれと首を振った。


「執筆に精を出すのもええけど、今日の【条件】の方も忘れんといてな。こっちの締め切りは毎日あるんやから」


「そうだけど……」


──やればやるほど、自分が自分でなくなるような気がして……。


今までは、康太といても、あんな風に落ち着かなかったり、目も合わせられないなんてことなかったのに。いや、あれは康太があんな格好だったせいだし、早朝だったから、部屋もなんか暗くて、ちょっといかがわしかったというか……。


「ムカつくけど、ちょっとええ身体しとったよな──っと」


澄矢さんがわざとらしく身体を捻って、俺が投げたシャーペンを避ける。どうせ当たらないくせに!睨む俺に澄矢さんが笑いながら言った。


「分かるで。瞬ちゃんの筆が進まんのは、クソガキ……康太くんの裸が頭にチラついとるからやろ。あかんなあ、瞬ちゃんは結構ムッツリさんやな──って」


「……キューピッドって掃除機で吸えるのかな?」


俺は部屋の隅に立てかけてたスティック掃除機を「パワフル」にして澄矢さんに向けたが、当然吸えるわけもなく。澄矢さんはニヤニヤしながら「ちょっとした冗談やん」と言った。


「ま、しゃあないよな。好きな子の裸が気になるんは」


「だから……俺と康太はそんなのじゃないよ。澄矢さんだって、お仕事するなら他に行った方がいいよ」


「せやなあ、瞬ちゃんが康太くんがどうなってもええって言うなら、そうさせてもらいたいけど」


「うぅ……」


康太を人質に取られたら仕方ない。毎日毎日恥ずかしいし、辛いけど……康太の命には代えられない。なんたって、相手は説明のつかない「ふしぎパワー」の持ち主で、まともな倫理観は期待できない人達だし。


──あれ……俺、どうしてそんなこと、はっきり思うんだろう。


澄矢さんはもちろん初対面だし、それどころかキューピッドなんて一度も見たことないから、知らないはずなのに……そこまで考えたところで、こめかみが鈍く痛み始めたので、それ以上は諦める。

まあ、非常識な存在に対して、本能的にそう感じるだけかもしれないし。


──とりあえず、気分転換も兼ねて、散歩にでも行こうかな……。


ここで、真っ白なノートを睨んでても仕方ない。気晴らしに出かけて──ついでに、康太にも会いに行こう。昼時だし、もしかしたら途中で会うかもしれない……会っても、上手くできるかは分からないけど。


そうと決めたら、ノートを閉じて、身支度を整える。すると、いつの間にかベッドに腰掛けていた澄矢さんが話しかけてくる。


「今日も手助けが要りそうやな?」


「いらないよ。碌なことにならないし……」


「そない言うてもなあ……せや」


澄矢さんが「ええこと思いついたわ!」と手を叩く。


「……何?」


嫌な予感とともに澄矢さんを振り返ると、手にトランプみたいな三枚のカードを持っていて──。


「一枚引いてみ」


「え……何が起こるの?」


「このカードにはそれぞれ『ある行動』が書いてある。ここに書いてある『行動』をしながら【条件】を達成したら、明日、【条件】の達成に役立つちょっとしたボーナスをやるで。お前らに分かりやすいように言うなら『デイリークエスト』っちゅうところか」


「でいりー……くえすと?」


ゲームみたいな単語に首を傾げる。俺はそういうのはよく分からないけど……要するに。


「澄矢さんは面白がってるってことでしょ」


「何でも楽しんだもん勝ちやと思わん?」


「ほれ、引いてみ」と澄矢さんに急かされる。俺はちょっと迷ったけど……康太を人質にとられてる以上、あんまり反抗するとよくないかもしれない。俺は仕方なく、澄矢さんの手から適当に……真ん中から一枚引いた。その時ふと、前に康太とトランプで遊んだ時「瞬はいつも真ん中を引くから、ババを押し付けやすくて助かる」って言われたっけなあ……と思い出した。


──ババじゃありませんように……。


祈りながら、ひっくり返したカードに書かれていたのは……。





「康太」


「おう……瞬か」


家に行っても出なかったので、散歩ついでにマンションの前を歩いていると、コンビニのレジ袋を提げた康太と会った。ラッキー。幸先がいいかも。


──まあ、手放しでいいとも言えないけど……。


俺はポケットの中のカードに書かれたことを思い、気が重くなる。ある意味、会ってしまったとも言えるな……。やらないとダメかな……?


『デイリークエストは任意やからやらんでもええよ。でもなあ……ボーナスが何か気にならん?結構役に立つと思うんやけどなあ。普通に【条件】を達成するより、康太くんのためにもなるで』


澄矢さんはそう言ってたし、正直なところ、俺も「ボーナス」は気になっていた。俺を騙した澄矢さんが言ってることだから、碌なものじゃない可能性はあるけど……ああ言われると気になる。


──折角用意してるのに、俺が乗らなかったら、澄矢さんが怒って、康太がひどい目に遭っちゃうかも……。


そうだ。だからやっぱり、やらなきゃダメだ。俺は密かに拳をきゅっと握る。……決して、「ボーナス」が何か気になるからってわけじゃないよ。


「コンビニの帰り?何か買ってきたの?」


俺は普通を装って康太に話しかける。康太はコンビニの袋を俺に見せながら「昼飯」と言った。中身を見せてもらったら、揚げ鳥とおにぎりとカップ麺が入っていた。


「言ってくれたら、チャーハンの余りあげたのに」


「何だよ……そういうのは早く言えよ。やっぱ、瞬の家に行くべきだったな」


「そうだったね」


結構、本気で悔しそうな感じの康太にちょっぴり、嬉しくなる。ここまで惜しまれると作り甲斐があるものだ。


──なんて、思っていると康太が「じゃあまたな」と手を上げて、マンション方へと行ってしまいそうになる。俺は慌てて康太を引き留めた。


「何だよ」


俺を振り返る康太を前に、深呼吸をする。ついでに周りも見回す。よし……誰もいないな。


「康太」


俺は康太に歩み寄る。それから、頭に「?」を浮かべて立っている康太の、Tシャツから伸びる腕の……二の腕をそっと触りながら言った。



「康太って……結構……その、いい筋肉だなあって……俺、康太の腕まわりとか、好きだよ……」



「……え」


康太は明らかに引いていた。俺からすっと離れると「そっか。じゃあな」と引きつった笑顔を浮かべて、去っていった。


……やらなきゃよかった。




【本日のデイリークエスト:二の腕を撫でながら告白】


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