4月5日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
ちっちっ、と秒針が刻まれる音が響く。
机に広げたノートには相変わらず何も書けてなくて、向きあうのにもいい加減飽きてきた俺は、宙の一点を見つめたまま、ただ、右手に握ったシャーペンのノックキャップをかちかち鳴らしていた。
「……」
「どうしたん、全然進んでへんなあ」
「……うるさい」
「怖いなあ」
急に出てきたキューピッドに構うのも面倒くさくて、適当に返すと、澄矢さんはやれやれと首を振った。
「執筆に精を出すのもええけど、今日の【条件】の方も忘れんといてな。こっちの締め切りは毎日あるんやから」
「そうだけど……」
──やればやるほど、自分が自分でなくなるような気がして……。
今までは、康太といても、あんな風に落ち着かなかったり、目も合わせられないなんてことなかったのに。いや、あれは康太があんな格好だったせいだし、早朝だったから、部屋もなんか暗くて、ちょっといかがわしかったというか……。
「ムカつくけど、ちょっとええ身体しとったよな──っと」
澄矢さんがわざとらしく身体を捻って、俺が投げたシャーペンを避ける。どうせ当たらないくせに!睨む俺に澄矢さんが笑いながら言った。
「分かるで。瞬ちゃんの筆が進まんのは、クソガキ……康太くんの裸が頭にチラついとるからやろ。あかんなあ、瞬ちゃんは結構ムッツリさんやな──って」
「……キューピッドって掃除機で吸えるのかな?」
俺は部屋の隅に立てかけてたスティック掃除機を「パワフル」にして澄矢さんに向けたが、当然吸えるわけもなく。澄矢さんはニヤニヤしながら「ちょっとした冗談やん」と言った。
「ま、しゃあないよな。好きな子の裸が気になるんは」
「だから……俺と康太はそんなのじゃないよ。澄矢さんだって、お仕事するなら他に行った方がいいよ」
「せやなあ、瞬ちゃんが康太くんがどうなってもええって言うなら、そうさせてもらいたいけど」
「うぅ……」
康太を人質に取られたら仕方ない。毎日毎日恥ずかしいし、辛いけど……康太の命には代えられない。なんたって、相手は説明のつかない「ふしぎパワー」の持ち主で、まともな倫理観は期待できない人達だし。
──あれ……俺、どうしてそんなこと、はっきり思うんだろう。
澄矢さんはもちろん初対面だし、それどころかキューピッドなんて一度も見たことないから、知らないはずなのに……そこまで考えたところで、こめかみが鈍く痛み始めたので、それ以上は諦める。
まあ、非常識な存在に対して、本能的にそう感じるだけかもしれないし。
──とりあえず、気分転換も兼ねて、散歩にでも行こうかな……。
ここで、真っ白なノートを睨んでても仕方ない。気晴らしに出かけて──ついでに、康太にも会いに行こう。昼時だし、もしかしたら途中で会うかもしれない……会っても、上手くできるかは分からないけど。
そうと決めたら、ノートを閉じて、身支度を整える。すると、いつの間にかベッドに腰掛けていた澄矢さんが話しかけてくる。
「今日も手助けが要りそうやな?」
「いらないよ。碌なことにならないし……」
「そない言うてもなあ……せや」
澄矢さんが「ええこと思いついたわ!」と手を叩く。
「……何?」
嫌な予感とともに澄矢さんを振り返ると、手にトランプみたいな三枚のカードを持っていて──。
「一枚引いてみ」
「え……何が起こるの?」
「このカードにはそれぞれ『ある行動』が書いてある。ここに書いてある『行動』をしながら【条件】を達成したら、明日、【条件】の達成に役立つちょっとしたボーナスをやるで。お前らに分かりやすいように言うなら『デイリークエスト』っちゅうところか」
「でいりー……くえすと?」
ゲームみたいな単語に首を傾げる。俺はそういうのはよく分からないけど……要するに。
「澄矢さんは面白がってるってことでしょ」
「何でも楽しんだもん勝ちやと思わん?」
「ほれ、引いてみ」と澄矢さんに急かされる。俺はちょっと迷ったけど……康太を人質にとられてる以上、あんまり反抗するとよくないかもしれない。俺は仕方なく、澄矢さんの手から適当に……真ん中から一枚引いた。その時ふと、前に康太とトランプで遊んだ時「瞬はいつも真ん中を引くから、ババを押し付けやすくて助かる」って言われたっけなあ……と思い出した。
──ババじゃありませんように……。
祈りながら、ひっくり返したカードに書かれていたのは……。
☆
「康太」
「おう……瞬か」
家に行っても出なかったので、散歩ついでにマンションの前を歩いていると、コンビニのレジ袋を提げた康太と会った。ラッキー。幸先がいいかも。
──まあ、手放しでいいとも言えないけど……。
俺はポケットの中のカードに書かれたことを思い、気が重くなる。ある意味、会ってしまったとも言えるな……。やらないとダメかな……?
『デイリークエストは任意やからやらんでもええよ。でもなあ……ボーナスが何か気にならん?結構役に立つと思うんやけどなあ。普通に【条件】を達成するより、康太くんのためにもなるで』
澄矢さんはそう言ってたし、正直なところ、俺も「ボーナス」は気になっていた。俺を騙した澄矢さんが言ってることだから、碌なものじゃない可能性はあるけど……ああ言われると気になる。
──折角用意してるのに、俺が乗らなかったら、澄矢さんが怒って、康太がひどい目に遭っちゃうかも……。
そうだ。だからやっぱり、やらなきゃダメだ。俺は密かに拳をきゅっと握る。……決して、「ボーナス」が何か気になるからってわけじゃないよ。
「コンビニの帰り?何か買ってきたの?」
俺は普通を装って康太に話しかける。康太はコンビニの袋を俺に見せながら「昼飯」と言った。中身を見せてもらったら、揚げ鳥とおにぎりとカップ麺が入っていた。
「言ってくれたら、チャーハンの余りあげたのに」
「何だよ……そういうのは早く言えよ。やっぱ、瞬の家に行くべきだったな」
「そうだったね」
結構、本気で悔しそうな感じの康太にちょっぴり、嬉しくなる。ここまで惜しまれると作り甲斐があるものだ。
──なんて、思っていると康太が「じゃあまたな」と手を上げて、マンション方へと行ってしまいそうになる。俺は慌てて康太を引き留めた。
「何だよ」
俺を振り返る康太を前に、深呼吸をする。ついでに周りも見回す。よし……誰もいないな。
「康太」
俺は康太に歩み寄る。それから、頭に「?」を浮かべて立っている康太の、Tシャツから伸びる腕の……二の腕をそっと触りながら言った。
「康太って……結構……その、いい筋肉だなあって……俺、康太の腕まわりとか、好きだよ……」
「……え」
康太は明らかに引いていた。俺からすっと離れると「そっか。じゃあな」と引きつった笑顔を浮かべて、去っていった。
……やらなきゃよかった。
【本日のデイリークエスト:二の腕を撫でながら告白】
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