3月31日

──3月30日 PM 13:24




──……た!……ぅた!


──……助けて!


「──っ!?」


頭に響くその声で飛び起きる。と、同時に腹に重い一撃を受けた。


「……っ、ごほぉっ?!」


「……ようやっと、目ぇ、覚めたか。クソガキ」


「……なん、だよ」


鈍く痛む腹を押さえて、俺の上に立つ「奴」を睨む。


──どうしたんだよ……?


クソ矢はいつものムカつくヘラヘラ笑い顔じゃなかった。フルマラソンでもしてきたのかってくらい、ぜえぜえ息を切らしていて、俺を睨み返している。


「神でも……そんな顔すんだな」


「言っとる場合ちゃうで……暢気に昼寝しおって……こっちは、どんな思いで……クソ」


クソ矢がぺっと唾を吐く。おい汚いだろ……と声を上げる前に俺はクソ矢に胸倉を掴まれた。


「瞬ちゃんがどこにもおらんねん!タマ次郎も……こっちのレイヤー上に、おらん……」


「は……?」


瞬がいない?タマ次郎もって……言われて、部屋を見回す。そういや、いねえな。犬の時はいつも部屋の隅で寝てるし、人になってる時は、俺が寝てれば勝手にベッドに上がってくる。でも、そんなことより……。


「瞬が、レイヤー上にいねえって、どういうことだよ!なんだよ、それ!」


胸倉を掴むクソ矢の手を解いて、逆に胸倉を掴もうとする。やってから、どうせ触れないかと思ったが、俺はクソ矢の胸倉を掴めてしまって、だが、クソ矢はそれを避けようともせず、俺に怒鳴った。


「儂に分かるかそんなもん……!あいつらの考えとることなんか分からんわ……っ、儂には……」


──それは、さっき腹に浴びたのよりも、もっと何か重かった。


思わずひるんじまったが、それでも俺はクソ矢に食い下がる。


「……何でも知ってんじゃねえのかよ!神なんだろ……!」


「儂はそんな大層なもんちゃうて言うたやろ!……クソ、クソが……」


感情をぶつけられるみたいに、俺はクソ矢に蹴飛ばされた。ベッドから転げ落ちて、床に尻を打つ。見上げたクソ矢は、いつもより歳相応に見えた。中学生くらいの、異常なほど綺麗な少年。


──怒る気も、失せる。


代わりに、痛みで冴えていく脳味噌をフル回転させて状況を整理する。


こいつの口ぶりからして。


瞬はたぶん、タマ次郎……堂沢とともに、こっち側──俺のいる世界からいなくなっている。


その居場所はクソ矢にも掴めない場所で、この事態はクソ矢の想定にはない。

この焦り方から言って、おそらく、こいつらにとって恐ろしく都合が悪い──この事態はかなりマズいことなんだろう。


何よりも、一緒に消えてるのが……瞬の「感情」を奪った堂沢だ。それとこれの間に関係がないってことはない。


あいつは……また瞬に何かしようと、してる。おそらく、俺を生かすために。そのためなら、どんな手段も奴は厭わないだろう。


──まあ、そんなこと、どうでもいい。


「……俺を飛ばせ」


「……何言うてるん」


「前に俺を撃って、瞬の思考の中に飛ばしただろ。あれをやれよ。あれなら、居場所が掴めなくても、念じれば、瞬のとこに行けるんだろ」


クソ矢が俯いたまま、絞り出すように言った。


「……最悪、死ぬで」


「俺は、瞬といるって決めてんだ。お前じゃどうにもなんねえんだろ、これは。だから俺を起こしに来たんだろ──撃てよ、俺を」


俺は立ち上がり、クソ矢に近づく。クソ矢は顔を上げて、俺を真っ直ぐ見据えた。


「……どうなっても知らんからな」


「知らなくていい。嫌いな奴に今更文句もねえよ」


「嘘つけ。いつも言うとるやろ」


クソ矢がふっと笑う。それから、どこからともなく「あの銃」を取り出して、俺の額にそれをあてがった。


「……頼むわ」


──お前が祈ってどうすんだよ。


ほんの小さなその祈りは、やがて強烈な破裂音の中に消えていった。





「……ん」


強い光を感じて目を開ける。最初に見えたのは、一面真っ白の世界で、次に感じたのは頬に触る冷たい床……みたいな何か。


重い身体をゆっくり起こそうとしたけど、上も下も、右も左も、全部真っ白だから、平衡感覚がおかしくなってるみたいで、上手く起き上がれない。何度か立ち上がろうともがくうちに、やっと俺は床の上に立つことができた。


──何、ここ……。


白い世界に、俺は一人きりだった。どうしてこんなところに来ちゃったんだっけ……確か。


「う……」


思い出そうとすると頭がずき、と痛んだ。でも、俺は痛みの隙間を、針の穴に糸を通すみたいに慎重に潜りながら、なんとか思い出そうとした。


──そうだ。何か、頭の中に声が響いたんだ。それで、俺は部屋を飛び出して……。


記憶の中で、ドアノブを捻る。部屋から一歩踏み出そうとして、それで。


「ここに、飛ばされたんだ……」


改めて、世界をぐるりと見渡す。誰もいない、何もない……音も何もしない、無。


──怖い。


「康太……」


そう思った時、俺は思わず幼馴染の名前を口に出していた。

何故だか、今、無性に会いたくて仕方なかった。側にいてほしかった。側にいて、隣で「何もないのはいいな。とりあえず寝てようぜ」とか言ってほしかった。言って……また──


「起きたかい」


「……っ!」


ふいに聞こえた声に振り向く。そこには、ぞっとするくらい綺麗な男の人がいた。魔法使いだって言われても説得力があってしまうような、そんな、不思議な美しさだった。


「魔法使いではないんだけどね」


足音も立てずに俺に歩み寄ってくる彼は、ずっと見ていると目が焼けて溶けてしまいそうなくらい眩しい。俺は思わず視線を逸らして、一歩後退る……全てが白いから、前に進んだのか後ろに進んだのか、よく分からないんだけど。


「そんなに怯えなくても大丈夫だよ。用はすぐに済む……あまりここにいると、『あいつ』が出てくるから」


「……っ!?」


彼が向かってくる方と逆を向いたはずなのに、あんなにまだ距離があったはずなのに……綺麗な顔は何故か目の前にあった。俺は驚きのあまり、その場にへたり込んでしまう。


口をぱくぱくさせながら、やっと声を上げる。


「な、何ですか……あなたが、俺をここに、連れて来たんですか……」


「そうだよ。そうしなきゃいけなかったから」


「何で、何が……目的ですか」



「死んでもらう」



「……へ?」


綺麗な人は、どこからともなく銃を取り出した。俺は詳しくないから分からないけど……スパイ映画に出て来るみたいな、小型で、たぶん撃たれるとよくないやつだ。


──死ぬの、俺?


あまりにも突拍子もなくて、意味が分からなくて、状況はちっとも受け入れられないし、これじゃ到底死ねなかった。いや、意味が分かっても死にたくない!


「や、やめてください!俺を死なせるのを……どうして、そんなことをしないと、いけないんですか?」


「立花が厄介だからさ」


言いながら、綺麗な人が頭に銃を突き付けてくる。逃げ出したかったけど、身体が……全然動かない!


──康太!


おまけに声も出なかった。どうして、怖いから?でもこのままだと、俺は……。


──康太!康太……!やだ……康太!


「……本当にうるさいね。耳障りな声だ。喉を撃って殺しちゃおうかな」


綺麗な人が銃を俺の口の中に突っ込んできた。固い鉛みたいな、重くて、嫌な感触が口の中を蹂躙する。怖い、やだ、怖い、康太。


「……っ!んん……っぅ、ん……!!」


「泣いても瀬良は来ないよ。彼には黙って来ちゃったから……ああ、もう喋ってる時間も惜しいね。それじゃあさようなら、立花。恨むなら、自分の祈りを恨むんだね」


──助けて!康太……!


でも、届かない……そう思った時、頭の中で火花が弾けたような感覚があって、俺は、そこで意識が途切れて──。




『……言っただろ。瞬にやるってことは、俺にやるのと同じだって』


『……構わない。俺は瞬が好きだから──信じられる。それでも、あいつが拒むってなら、俺はもう……生きてる意味ねえよ。それしか、ねえだろ』


『神なんかよりよっぽど、信じられるんだよ、瞬は──』





▽3月31日より、下記条件1項及び2項について、「瀬良康太」を「立花瞬」に読み替え、また、条件の実行者を「立花瞬」とします。


なお、施行は4月1日からとし、3月31日は経過処置のため一時的に【条件】の実行がない場合も、3項は無効とします。



【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。


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