3月26日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





「うふふ……やっぱりこっちはいいわねえ。向こうだと相手になる人もいなくて~実春ちゃんとまた飲めて嬉しいわ」


「あたしも久しぶりに飲めて嬉しいわ。職場でも志緒利さんくらい飲める人いないもの」


「今日はあそこの棚全部空にするまでいきましょう。なんたって一年ぶりですもの~」


「あはははは」「うふふふふ」


「……はあ」


ほんの数メートル先にいる酒豪主婦二人とテーブルに積みあがっていく瓶の山に、ため息を吐く。

……本当、いつ見ても別次元だな。


さて、あっちはあっちで何やら楽しそうだが、こっちはこっちで……。


「……」


「んー……」


「……はあ」


これはこれでため息が出る。向こうのテーブルを横目に、肩身が狭そうに熱燗を啜る瞬のお父さん──淳一さんと、赤い顔でソファに横になる瞬……一体、どうしてこんなことになったのかというと。


今日は瞬の両親──淳一さんと志緒利さんが帰ってきたので、俺・俺の母親・立花家の計五名で、食事も兼ねて、マンションから歩いて五分くらいのところにある居酒屋に来ていた。


俺と瞬は、小さい時からよく大人達に連れられて来ていた店で、そこの「ママ」とも長い付き合いになる。今日は宴会ってことで、ソファもある奥の広間を使わせてもらって、そこで皆で飲んでいたんだが(もちろん、俺と瞬はジュースだ)──飲んでいた結果が、これだ。


向こうの酒豪主婦はともかく、瞬は酔っ払うようなことはないはずなんだけどな……気が付いたら、顔を真っ赤にしてソファで横になっていた。謎すぎる。


お猪口をそっとテーブルに置いた淳一さんが、口を開く。


「康太君……うちの妻と瞬が迷惑をかけて、本当に申し訳ないね」


「いや、いいっすよ……まあ、母さんも久しぶりに二人に会えて楽しいみたいだし」


「それは嬉しいのだけど……瞬は、大丈夫かな。間違って飲んだりもしてないはずだが……」


「あー……何でっすかね。雰囲気酔いかな……」


と言いつつ、俺はソファの足元に転がっている瓶に気付く……これは、いわゆる「こどもビール」か。

そういや、メニューの端に載ってるのを見たが、もしかして、いつの間にか瞬が頼んでたのか?


──結構好奇心が強い奴だし、気になってこっそり頼んだのかもな。


にしても、ただの炭酸だぞ。これで酔っ払うって……漫画みたいな奴だな。


「……何かあったのかな?」


「いや、たぶんこれだって思って」


俺は淳一さんにも「こどもビール」の空き瓶を見せた……悪いな、瞬。どうせお会計の時にバレるから諦めてくれ。


すると、淳一さんがふっと笑いながら訊いてくる。


「……でもどうして、そんなところに?」


「たぶん、恥ずかしかったんじゃないっすかね。こんな子どもっぽいのが気になってるなんて。それに、いくらノンアルでも、見た目はビールだし、ちょっと……罪悪感もあったとか」


「はは……瞬らしいね」


淳一さんが目を細める。寡黙だけど、優しくて温かい人なのが伝わってくる。目元はやっぱり瞬に似てるよな……いや、瞬がこの人に似てるんだよな。でも、渋くて格好良い大人の男って感じだし……瞬って、もっと大人になったら淳一さんみたいになんのか?


「んん……」


──なんて、この姿を見てもちっとも想像つかない。いつもぽやんとしてるし、しっかりはしてるけど、渋い大人の男には程遠いな。


そんなことを思っていると、淳一さんが言った。


「康太君は……瞬のことをよく分かってくれているね」


「え?いや……さすがに淳一さんや志緒利さん程じゃ」


「でも、私達がいなかったこの一年の間の瞬のことは……いや、もっと前からだな。康太君と一緒にいる時の瞬のことは、康太君しか知らないだろう」


「そうっすかね……」


二人といる時と、俺といる時。そのどちらかで、瞬は変わるだろうか?俺が知ってるようなことはきっと、二人だって知ってると思う。だから、そんなことを言われても実感はないんだが……。


しかし、淳一さんは首を振る。


「実は……私達は結局、どうして瞬がここに残りたかったのかを、瞬の言葉では聞けなかったんだ。だけど、瞬の意思は固くてね。ただ向こうで暮らすのが不安だからとか、そんなことではないだろうというのは分かった。瞬を一人にするのは心配だったから、何度も説得したけどね……それでも、最後は瞬の意思を尊重することにしたよ。瞬が……あそこまで、私達にはっきりと自分の意思を主張したのは、初めてだったから」


「そう、だったんすね……」


俺は後ろのソファで眠っている瞬を見遣る。


──忘れちゃうくらいだから大したことなんかじゃない、なんて嘘だろ。


よっぽどの理由があったんだ。瞬の身の振り方を変えちまうくらいの、すげえ大事なこと。


家族にも、そして俺にも言えなかったこと。


ふいに、淳一さんが訊いてくる。


「……康太君は、何か思い当たることはあるかな」


「……すみません。俺も、瞬から何も聞いてなくて」


「そうか……」


お猪口を持ち上げて、淳一さんが酒を呷る。


「……やはり、瞬の口から教えてもらえるのを待つとしよう。変なことを訊いてすまなかったね」


「いえ……」


──どんなことなんだろうな。


俺はソファの足下にもたれかかり、ふっと息を吐く。


見ると、瞬は相変わらず、真っ赤な顔で伸びているので、俺はテーブルに備え付けてあったボトルから、空のコップに水を注いで、瞬の口元に運んでやった。瞬は一瞬、身を起こし、へにゃへにゃの声で「ありがと~」と言ってから、ごくごくとそれを飲んだ。そしてまた倒れた。仕方ねえな……。


「でもまあ……」


そんな俺と瞬の様子を見て、淳一さんが言った。


「……何となく、想像はつくけどね」


「瞬を連れて先に帰ろうか」と淳一さんが席を立つ。ソファに近づき、「瞬、もう帰ろう」と声を掛けるが瞬は「んんー……」とか何とか言うばかりで起き上がれそうにない。


諦めた淳一さんが瞬を背負おうとしたので、俺はそれを制する。


「俺、おぶってくんで大丈夫です」


「はは。私だってまだいけるよ」


「いやでも……瞬重いし」


言ってから、「人ん家の子に『重い』は失礼すぎるな」と省みる。それに弾みで言っちまったが、実際、別に重くはない……俺は慌てて言い直した。


「いやその、やっぱ瞬も高校生だし、育ち盛りだし……男だし。俺いけるんで」


これ以上余計なことを言う前にと、俺はソファに転がっている瞬の脇腹をぽんぽん叩いて「ほら、行くぞ」と声を掛ける。すると、瞬はむくりと起き上がり、目を擦ってから、ふあ、と欠伸をする。俺がソファの前で屈んで「乗れ」と言うと、瞬は「んー」と後ろから抱きつくように背中に移ってきた。瞬をおんぶした状態で、足に力を入れて立ち上がる。


「あら~楽しそうねえ~?瞬~」


「康太、瞬ちゃん落とすんじゃないわよ!死んでも守りなさい」


「うるせえな……」


すっかり出来上がっている酒豪主婦二人に手を振って、俺と淳一さんは店を出る。

去り際、志緒利さんがとても楽しそうに「私も後でお父さんにやってもらおうかしら~」と言うと、淳一さんは恥ずかしそうに俯いて、咳払いをした。





「こーうたぁ」


「何だよ」


「こーうた」


「何だって」


「こぉーうたぁ」


「だから何だって」


瞬をおぶって帰る途中……背中の瞬はさっきからずっとこんな調子だ。甘えたような声で、俺の名前を呼んで、うなじのあたりに頭を擦りつけてくる……何だこれ。

淳一さんは息子のそんな姿を見ていられなくなったのか「アイスでも買って帰るよ。先に行っててくれ」とそっと離れていった……まあ、信頼して任せてもらったってことで。


「こうたぁ……」


「あー……はいはい」


いい加減だるくなり、適当にそう返すと、瞬はぎゅっと一層強く俺を抱きしめてきた。


「しゅ、瞬?」


驚きのあまり、声が上擦る。すると、瞬がふにゃふにゃの声で「こうたぁ」と耳元で囁く。瞬の熱い息がかかって、くすぐったい……逃げるように顔を逸らすと、瞬は肩口に顔を埋めてこう言った。


「こうたぁ?」


「何だって、もう」


「おれのこと、すきー……?」


「……あー、はいはい。好き好き、大好き」


本当、何なんだよ……。


「おい、酔っ払い」


「んー……」


「いい加減にしねえと降ろすぞ」


「やだ……」


「じゃあ大人しくしてろ……もうすぐ家着くから……」


「やだ……」


「やだやだ、うるせえな……赤ん坊か」


「やだ……やだ」


「……はあ」


明日正気に返ったら、一体どんな迷惑料を取ってやろうか。とりあえず、春休みの課題の面倒は見てもらうからな……そんなことを考えていると、瞬が小さな声で言った。



「ずっと、康太と一緒がいい……」



「……は?」


足を止めて、背中の瞬を振り返ろうとする。だけど、瞬は俺の死角に隠れて顔を隠しちまった。どんな顔をしてるのか……正気なのか、何を考えてるのか分からない。


分かんねえけど……俺は激しく動揺していた。頭の中で、点と点が繋がりそうになる。


瞬が、ここに残った理由って。そこまで大事にしてたものって。


形にならない──感情の、何か渦みたいなものが胸のあたりをぐるぐるする。心臓がどくどく鳴って、息が苦しくなるような感覚があった後。


「康太」


名前を呼ばれて、思わずそっちを向く。


その瞬間、驚くほど、周りの音が全部なくなったような気がして、時がゆっくり流れた。


「……っ」


あっと思った時にはもう離れていた。


それでも、頬に残る柔らかくて温かいその感触で、俺は──瞬にキスをされたのだと分かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る