3月21日 春分の日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





線香の匂いを感じる。

目を閉じて、手を合わせて──ほとんど記憶にないその人に祈るのは、まるで「神」にするみたいだ。でも違う。


──父親、なんだよな。


ここへ来ると、いつも不思議な気持ちになる。俺が物心ついた時にはもう、父親はここにいて、俺はその人の声も聞いたことがないし、どんな人だったかも知らない。でも、俺はこの人と確かに繋がっている──この人の血が、俺には流れてる。


──なんて、実感湧かねえけどな。


「康太、行くわよ」


母親に促されて、目を開ける。

物言わぬ墓石に一礼してから、おもむろに立ち上がり、母親について行く。

あたりには砂利を踏む音だけが響いた。





「あー……もう!何してんのよ全く……」


ハンドルを握る母親が、カーナビに映る野球中継をちらりと見遣り、舌打ちする。今は、信号待ちで停まってるからまあいいが、さっきから停まる度にこれなので事故らないか心配だ。


「早く帰って見りゃいいだろ」


「やたら混んでて、進まないのよ……どこも今日は墓参りね」


「ふうん」


そう返事はしたものの、ぴんとは来ない。


うちは、父親の命日がこのあたりなのもあって、毎年、春分の日は墓参りに行くことになっているんだが。


確かに、いつもはガラ空きのこの道も、今日は車が多く、言われてみれば進んでないような気がする。単に祝日だからって気もするけどな。今日はよく晴れて暖かいし。


──ああ……そういや、瞬が言ってたっけ。


昔、瞬に「春分の日」は昔のお彼岸で、あの世とこの世が最も近くなる日だとかなんとか……そんな話を聞いたような気もする。そう考えると、なんか……妙なもんだ。


──父親か。


薄情なのかもしれないが、普段、敢えて考えないことなので、正直どう思ったらいいのか分からない。

でも、その人がいなかったら俺は生まれて来なかったし……瞬にも出会わなかったんだよな。


──ありがとう。


さっきも言ったことを、もう一度繰り返す。


小さい頃は、お墓と神社を一緒くたにしてたせいで、わけ分かんないことばっかり祈ってごめんな。

あと、もしもそっちにクソ神がいるなら「いい加減、息子を許してやってくれ」って伝えてくれよ、父さん。





「康太ぁー!」


母親の車から降りて、マンションの駐車場を歩いていると、上から俺を呼ぶ声が降ってくる。

見上げると、ベランダから瞬が手を振っていた。……洗濯物を干してたのか。


「落ちるぞー」


「ねえ、すごいよー!康太!テレビ見て!あのねー!」


「あー、はいはい」


もう昼前だってのに、今頃洗濯物を干してるってことは……たぶん、瞬も母親と同じで、朝からやってる野球中継に夢中になってたんだろう。あんなに興奮してるってことは……結果は聞くまでもないか。


母親も瞬も結構ミーハーだから、ああいうデカい大会とかをテレビでやってる時は熱心に見てるもんな。俺は見る気はなくても、二人があんな感じだからまあ……渋々見てるって感じだ。

どっちかというと、無邪気にはしゃいで一喜一憂してる瞬の方が面白い。


そんな俺に構わず、瞬は興奮気味にさっきの試合の話をしてくれた。


「まずばーんって出てね!それからひゅっと見てね!そのあとにぽーんって!すごかったんだよー!」


「全然分かんねーよ!」


「あんた達、ロミオとジュリエットみたいね」


ベランダと地上で話している俺達を、後から降りてきた母親が笑う。俺は頭を掻いてから言った。


「うるせえな……そっち行くから待ってろー!」


「うん!」


俺は母親に断ってから、マンションの入り口へと駆けて行った。……いつまでもこうしてたら、興奮した瞬がうっかりベランダから落ちかねないし。


「瞬ー」


階段を上がり、「立花家」のドアをノックする。すると、すぐに中からどたばたと足音がして、ドアが開いた。


「しゅ──」


「康太!」


「うぉっ!?」


出て来るなり、瞬は俺に抱きついてきた。急なことだったので、瞬を支えきれず、足元がふらついたが……なんとか踏ん張る。


「な、何すんだよ……」


言いながら、瞬をそっと剥がす。

あまりにも突然のことで、一瞬、また堂沢が化けてるのかと疑った。でも違う。これは本物の瞬だ。間違いない。だからこそ俺は戸惑っていた……何なんだ。


「おい瞬」


「……えっと」


俺から離れた瞬は、勢いで乱れた前髪を弄りながら……顔を赤くしていた。


「……何で瞬が恥ずかしがってんだよ」


「……逆に康太は何で普通なの?」


「今更、瞬とくっついても……別にというか。まあ、この歳になるとさすがにちょっと照れなくもないけど」


「そ、そっか……そうだよね。それが普通なんだよね……」


うんうん、としきりに瞬が頷いている……よく分かんねえけど。


「もしかして……この前の仕返しか?」


「え?仕返しって?」


「いや……その」


俺は言いかけて迷う。マズいな……この前、寝てる間につい、瞬を抱きしめてしまったことがバレてて、その仕返しか何かだと思ったんだが。もし違ったら、自分から白状することになっちまう。


瞬には悪いが、あのことは黙っておいた方がいいだろう。俺が起きた時には瞬は普通だったし、ということはたぶん、上手いこと気付かれなかったんだ。ならそっとしておくに限る。


「康太?」


「いやだから……この前、シャワー借りた時、タオルも借りようとしたけど、見つからなかったから、瞬のフェイスタオルで身体拭いちまったことがバレたのかと……」


「それは違うけど……でも、え?」


瞬の顔が険しくなる……これはこれで黙っといた方がよかったな。


「まあ……もういいよ。どうせ洗ったし。とりあえず上がって!ニュースでもずっとやってるんだよ」


「……おう」


不問とされた。ひとまず、よかった。


俺は靴を脱いで、瞬の家に入る。その時ふと、靴箱の上に飾られた写真が目に入った。


──家族写真。


瞬と瞬のお父さんとお母さん……それから、俺と母親も写ってるやつだ。確か、一緒に遊園地に行った時に撮ったやつ。何年前だろうな……幼稚園の時とか、たぶんそのくらいだ。


写真の中では、小さな瞬が俺の服の裾を握りながらピースサインをしていた。俺はそんな瞬の肩に手を回して同じようにピースをしていた。自分で言うのもなんだが、可愛いもんだ。


「康太?」


部屋に入ってこない俺が気になったのか、瞬が戻ってくる。俺が写真を見ていることに気付くと、瞬はふっと微笑む。


「懐かしいね」


「ああ……何か、たまたま目が合ったっていうか」


「そっか」


瞬も写真を見つめる。小さな瞬と、今の瞬。なんやかんやあっても、ずっと付き合いが続いてるんだもんな。こういうの、「エモい」って言うのか。


──通りで、寂しいとか思う隙もなかったわけだ。


そう思った時、気が付くと俺は瞬に「ありがとう。好き」と言っていた。瞬は「えー?」と言った後、また前髪を弄りながら、「ふうん」と呟いた。

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