3月16日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
『くすくす……』
『おい、みろよ……ふっ』
『やっべー……カスだらけじゃん、キモ』
『のろまだから、きづいてねえよ』
──きづいてるよ。
えんぴつを握る指に力を込めて我慢する。
先生の声と黒板の字に集中して、「嫌な奴ら」を頭から必死に追い出した。
──くやしくなんかない……だいじょうぶ、だいじょうぶ……。
無視すればいいんだ。気にするだけ無駄だ。そうだ……そうだけど。
背中に刺さる小さな笑い声と頭の後ろに感じる……消しゴムのカスを投げつけられる気配に、胸がどうしようもなく苦しくて、悔しくて、悲しかった。
──たいしたことないのに。そんなことで。気にしなければいい……分かってるけど。
「……っ」
気が付くと、まだ真っ白なノートには染みができている。
蓋をしてもせりあがってくる「それ」を我慢できない自分が、あいつらよりも嫌いだった。
──もういやだ……こんなめにあう、じぶんが、だいきらいだ……。
そう思った時だった──。
『いてえっ!』
『なにすんだよ!』
『ははっ、だっせえ!こんなのもよけられないとか、よわすぎだろ!』
『先生!せらが消しゴムぶつけてきたあ!』
『ちょっと、何してるの!瀬良くん』
『うるせえな、先にこいつらがやってきたんだよ』
『おまえにはやってねえだろ!』
『しゅんにやってるってことは、おれにやってんのとおなじだっつーの』
『……っ!』
。
。
。
「……ふふ」
薄暗い洗面所で、鏡に向かって思わず笑う。ふっと思い出した昔のことのおかげかな。
──なんとか、笑って……学校に行けそうだ。
俺は、玄関前に置いた、今朝まとめたゴミ袋を見遣る。
『0.01』
──昨日。俺の靴箱の中に入れられていた「それ」はもう、箱のまま、パッケージが見えないように、新聞紙でぐるぐる巻きにして、捨ててしまった。
誰が入れたのかも分からないし、別に……俺に悪意があってっていうか、たぶん軽い気持ちなんだ。ほんの悪ふざけで、いたずら心でやっただけなんだろう。
だから、気にすることなんてない。
昨日から何度も自分に言い聞かせてきたことだ。
それでも、やっぱり……ちょっとショックで、悔しくて、もう痛くなくなったところも思い出したみたいに痛くなってきて、油断すると何かが溢れてしまいそうになって、うまく笑えなかったけど。
── 顔が浮かんだだけで、一瞬で笑えちゃったから、すごいな。
「よし」
大袈裟に拳を握って、声に出して、自分を鼓舞する。
もう大丈夫、行こう。
床に置いていたリュックを背負う前にチャックを閉めようとして──中にいた「その子」と目が合った──康太に貰った「犬のぬいぐるみポーチ」だ。
「……うん、大丈夫」
見ているだけで、冷たかった胸の中が温かくなる……大丈夫。
「いってきます!」
いつもよりも大きな声で言って、俺は家を出た。
☆
『おはよう、瞬』
『おはよう!康太』
『……瞬』
『な、何?』
『……何か、あったか?』
『ないよ。あー……強いて言えば』
『何だよ』
『今日はまだ、好きって言われてないなーって』
『……やっぱり何かあったろ。変だ、そんなこと言うなんて』
『へ、変なのは康太の方じゃん。毎日毎日、そんな……恥ずかしいことばっかり言って。言われる方の身にもなってよね』
『そんなこと言ったって、俺だって好きで言ってるわけじゃねえし……』
『え、何?もしかして誰かに……』
『い、言わされたりなんかしてねえよ!好きだよ、好き好き……瞬のことはめちゃくちゃ好きだから。マジで』
『そ、それはそれで困るけど……』
『何だよ本当。言えって言ったんだろ、瞬が』
『言ってほしいとは言ってないよ……冗談だよ!』
『そうかよ』
。
。
。
「はあ……」
教室に入り、クラスの皆に挨拶しつつ席に着く。
全く……なんか、昨日のことも忘れちゃうくらい、くだらない会話をしたな……。
──でも、それが……助かったかな。
康太は付き合いも長いし、俺は隠し事が苦手だから……何かあったのは分かってると思う。でも、その上で俺が言い出せないことを無理に聞かずに、普通にしてくれた……やっぱり優しい。
──俺は、恵まれてるよね。
康太に感謝しつつ、俺はリュックから教科書やノートやペンケースを取り出して、机にしまおうとする。
すると、奥の方で何かがつっかえた。
──嘘……。
ほのかに嫌な予感がする。大丈夫、大丈夫……と言い聞かせながら、おそるおそる、俺は机の奥に手を伸ばす。
「……っ」
『一箱じゃ足りないかw』
『ハメる方?ハメられる方?』
昨日と同じ──今度はメモ付きの「0.01」に、俺はしばらく、息をするのを忘れていた。
「瞬ちゃん」
「……っ!」
ふいに後ろから声を掛けられて、びくっとなる。慌ててブレザーの内側にそれを隠して、振り返ると、猿島が立っていた。
「あ……猿島、おはよ……」
「……どうした?顔、真っ青なんだけど」
猿島がいつになく真剣な顔で俺を見つめる。俺は首を振って「大丈夫だよ」と言った。声が震えた。
「昨日……ちょっと、遅くまで勉強しちゃって……寝不足かな」
「……本当に?」
「う、うん……大丈夫。大丈夫だから……ほんと」
「ねえ……瞬ちゃ……」
「顔!洗ってくる!」
猿島の言葉を遮るように、俺はお腹を押さえて教室から駆け出す。
猿島、心配してくれたのに、悪いことしちゃった……でも。
──どうして……どうして。
胸が苦しかった。うまく息ができなかった。教室からダッシュしてるせいかな……違うか。違った。
「……っ」
気が付くと俺はピロティまで走って来ていた。朝練を終えて、校庭から校舎に戻っていく生徒達から逃げるように、隅のベンチに腰掛ける。
「……はあ」
人の流れが捌けて、ようやくピロティが静かになる。遠くで予鈴が鳴った。戻らなくちゃ──そう思うけど、腰が重い。動きたくない。
──大丈夫だって思ったんだけどな。
俺はブレザーの中で「それ」を握りしめた。
ほんの一瞬覗いた、軽くて何でもない「悪意」に、俺はすごくショックを受けていた。
誰かに分けられたらどんなに楽だろう。でも、言えなかった。言いたくなかった。
「……ふう」
息を吐いて、蓋をした感情を抑え込む。油断すると溢れてしまうから、慎重に息を吐いた。大丈夫、大丈夫……何でもない。俺一人で大丈夫だ──。
「何してんの」
「っ!」
顔を上げると、康太がいた。
「……な、何」
ごみでも取るフリをして、瞼を擦りながらそう言うと、康太が頭を掻く。
「もう予鈴鳴るぞ」
「うん……ちょ、ちょっと、外に出たくなっただけだから。ほら、今日あったかいし」
「花粉飛んでるだろ。目、赤いぞ」
「そ、そうだね……そうだった」
目が赤いと言われてドキッとする。俺、ダメだったかな……我慢できてなかった?
「て、ていうか……康太は何でここに?」
「廊下の窓から瞬が見えたから」
言いながら、康太は俺の隣に座った。俺はなんとなく、ベンチの端に避けようとすると、康太はすかさず、俺の肩に腕を回してきた。
「な、何するの」
「……腕置き」
「置くな」
康太の腕を退けると、康太は行き場のなくなった手で、また頭を掻いて──それから「あー……もう」と言った。
「瞬、やっぱ何かあったろ」
「……ないって言った。何でもない」
「俺にそれ、通用すると思うか?」
「……」
──それは、いつか、俺が康太に言ったことだった。
黙っている俺に、康太は言った。
「言いたくなかったら言わなくていいけど……でも我慢はすんな。しんどいだろ」
そう言うと、康太は俺の頭にぽん、と手を置いてきた。
「置くなって……」
「……」
康太は何も言わず、俺の頭をぽん、ぽんと二回叩いた。
俺は何も言えなくなって、代わりに……。
「……っ、う……ぅっ……」
気が付いたら泣いていた。
きゅっと閉めていた蓋が押し上げられて、どんどん溢れてくるみたいだった。
康太は俺を引き寄せて、しばらく胸を貸してくれた。ずっと遠くで予鈴が鳴った。
どのくらい経ったかな。
俺は康太の胸から離れて、言った。
「……皆がいるのに、ごめん」
「誰もいねえ。もうホームルーム始まってるし」
「……戻らないと」
「戻れるのか?」
「……」
今は戻りたくなかった。
でもそんなわけには──そう思っていると、ふいに、康太が言った。
「……今日は学校、出るか」
「……出るって?」
首を傾げる俺に、康太はさらにこう言った。
「サボり。二人で」
俺がえっ、という間に、康太はもう、俺の手を引いてベンチから立ち上がっていた。
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