3月12日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





それは朝のことだった。


「ふわぁ……めんどくせえ……」


目を擦り、大口を開けて欠伸をしながら、土手沿いの遊歩道を歩く。まだ冷たい朝の風と、木々のさざめきが肌に心地いい──が。


日曜日──特に用のない大抵の日はたっぷり昼過ぎまで寝てるんだがな。


「わんっ」


「……いいよな、元気そうで」


はあ、とため息を吐く。足元で機嫌良くとことこ歩いてる「こいつ」こそが、俺が今日、早起きする羽目になった理由だ。


いつも大人しくしている「タマ次郎」──改め「堂沢」だが、珍しく朝からきゃんきゃんうるさいので、何かと思えば、奴は口にリードを咥えていた。要するに「散歩に連れてけ」ってことらしい。


『ふざけんな。お前、本当は犬じゃないだろ……犬のフリしやがって。神なんだから行きたきゃ勝手に行けよ』


『きゅぅ……』


『そんな可哀想な顔をしてもダメだ。行かねえ』


『くぅん』


『行かねえって』


『わふっ』


『ごろごろしたってダメだ』


『ぺろぺろ』


『うわっ、やめろ!?分かった!連れてく!連れてくから、それはやめろ!』


……こうして、根負けした俺は「タマ次郎」を朝も早よから散歩に連れて行くことになったのだ。


「あれはタマ次郎……あれはタマ次郎……」


今朝の出来事に関しては「あれは子犬のタマ次郎だった」と処理することで、俺は正気を保つことにした。決して、元同級生の神なんかじゃない、いいね?


「犬になると瀬良へのぺろぺろも公然と許されて便利だなー」


「……」


俺に正体を明かしてから、「タマ次郎」はこうやって時々は喋りかけてくるようになった。といっても、口は動いてないし、たぶん、頭に直接話しかけてるんだろうな──クソ神とかと同じで。


「……てか、何で俺をいきなり散歩に連れ出したんだよ」


「たまには瀬良とこうしたいと思ったからだよ。最近、あんまり構ってくれないから」


「家に置いてやってるだけありがたいと思え」


「それだけじゃ足りないよ」


「知らん」


……全く、クソ矢だけじゃなくて、めんどくせえのが一匹から一人増えちまった。てか、あのクソ神社より、うちを神社にした方がいいくらいだろ……一か所にこんなに神がいるなら。賽銭も入るし。


「それはどうかな。俺はめんどくさいから神なんて嫌だけどね」


「何でだよ、いいだろ。寝っ転がってても、偉そうにしてれば金が入るんだから」


「そうはいかないね」


「タマ次郎」──堂沢は足を止めると、俺を見上げて言った。


「賽銭は人の誠意さ──貰った分はきちんと返さなきゃいけない。怠れば、人は神への信仰を失う。信仰を失えば、それは自分の存在にかかわる──前にも言っただろう。俺達は人の信仰で存在を保っているってね」


「……そういうもんか」


「瀬良にだって覚えがあるはずだよ。瀬良が毎日懸命に生きているのは、立花の存在があるからだろう。そう思えるのは、瀬良が、立花から貰ったものがたくさんあるからさ」


──そうだな。


瞬と出会って──俺は一体、どれだけのものを貰ってきただろう。

目に見える物だけじゃない。誰かといる安心感とか、自分のことを想ってもらえる有難さ、嬉しさ……信頼できる奴がいるっていう感覚とか、絶対的な理解者がいること──それは誰でも簡単に手に入るものじゃない。俺は、恵まれている。


「……神様がいらないくらいね」


「そうだな」


「だからこうでもしないと、俺は瀬良から信仰を得られないんだ。困ったものだね。神様でも、同級生でもダメだったし……可愛い子犬が効くとは思わなかったけど」


「効いてねえよ」


「どうかな?俺は知ってるよ。瀬良が朝、『タマ次郎』より先に目が覚めた時、こっそりお腹をもふもふしてることをね」


「……」


「都合が悪いからって黙ってもダメだよ」


……ノーコメントだ。


「まあいいや。そういうわけだから、これからも『タマ次郎』のことはしっかり可愛がってね。力がないと、瀬良から貰った分をきちんと返せない。五百円って、賽銭に換算すると結構大金だから」


「はあ?お前には何もやってねえよ」


そうは言ったが、堂沢は俺を無視してどこか宙を見つめている……犬ってたまにこういうことするよな。

とは言え、堂沢は犬ではないので、頭の中にはしっかりその思考が流れ込んできている。


「うーん、もっと早く回復できたらいいんだけど……ああ、そうだ。それとも……こうしたらいいかな」


不穏な呟きが聞こえたかと思うと、突然、タマ次郎がその場に倒れ込む──。


「おい、どうしたんだよ……?!」


「こーうた!」


その時、よく知った声が聞こえて、振り返るよりも先に、背後から来た「そいつ」は腰に手を回して抱きついてきた。


「ぎゅー……なんて、えへへ」


──それは、瞬だった。いや。


「離れろ!」


俺は咄嗟に「そいつ」を突き飛ばした。瞬の形をした「そいつ」は突き飛ばした瞬間、消えた。

すると、「タマ次郎」が頭を振って、何事もなかったように立ち上がる……。


「何しやがる……ふざけやがって」


「さすが、よく分かったね。すぐに『立花』じゃないって分かった?」


「当たり前だろ。何年あいつと一緒にいると思ってんだ」


「ふうん、そっか」


「タマ次郎」がつまらなそうに欠伸をした。



そんなこんなで散歩を終え、マンションに戻ると、入口で瞬と鉢合わせした。


「っお、瞬」


「あれ、康太……あ、タマ次郎とお散歩?」


「わんっ!」


……すぐに分かるとは言え、本物の「瞬」に俺は内心ほっとした。すると、それを察したのか、瞬が訊いてくる。


「……どうしたの?何かあった?」


「あ、いや……別に何でもねえんだ。ただ、なんか……瞬に会ってほっとしたっていうか」


「そう?変なの」


瞬がくすくすと笑う。


それから「じゃあまたね」と足元のタマ次郎の頭をひと撫でしてから、瞬はどこかへ去ろうとする。

……その姿に、俺はなんだか無性にそわそわして、気が付くと──。


「瞬」


「何?」


「……ちょっと、まだ時間あるか?」


「うん、何?」


「こっち」


瞬を手招きして、マンションの入り口の、ちょっと入り組んだ……人目につかないところにところに誘う。

瞬は首を傾げながらもついてきてくれた。


「どうしたの?」


「その、瞬に頼みがあるんだけど」


「うん」


「ちょっと……」


俺は少し迷ってから言った。



「……瞬を、抱きしめてもいいか?」



瞬がぱちくりと瞬きをする。


「え……何で」


「いや、嫌だったらしないから!大丈夫なんだけど」


「えー……まあ、嫌じゃないけど」


「嫌じゃないけど……何だ」


「う、うん。なんか、正面から言われると恥ずかしいっていうか……でも、えっと」


瞬は両手をおずおずと広げて言った。


「……どうぞ?」


言わずとも、何かを察してくれたらしい。


俺は「ありがとう」と言って、腰に腕を回して、瞬を抱きしめた。……瞬も俺の腰に腕を回して抱きしめ返してくれた。


「……本当にどうしたの?急に」


この気持ちを何て言ったらいいだろう。


俺は少し考えてから言った。


「……上書き」


「何それ」


ふっと笑うと、瞬はそれ以上何も訊かず、しばらくこうさせてくれた。


腕の中の瞬は温かくて、うっかり力を入れたら潰れてしまいそうなくらい、どこか儚く思えた。でも頼りないわけではなくて……むしろ俺は、この人に全てを預けられるという安心感を抱けた。


それだけで胸の中にあった、形にはならない──冷えたものが溶けていくような気がした。


「……もう大丈夫?」


腕を解くと、瞬が穏やかな声でそう訊いてくる。


「ああ……ごめん。変なこと頼んで」


「変なのは今更でしょ」


瞬は肩を揺らして笑った。それから冗談めかしてこうも言った。


「変なことを頼める幼馴染がいてよかったね?康太は」


「……そうだな」


「ふふ」


「じゃあ、もう行くね」と瞬が手を振って行こうとする。その背中に俺は言った。


「ありがとう、瞬。大好き」


「はいはい」


一瞬俺を振り返って笑った瞬に、俺はもう一度心の中で「好きだ」と言った。

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