3月12日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
それは朝のことだった。
「ふわぁ……めんどくせえ……」
目を擦り、大口を開けて欠伸をしながら、土手沿いの遊歩道を歩く。まだ冷たい朝の風と、木々のさざめきが肌に心地いい──が。
日曜日──特に用のない大抵の日はたっぷり昼過ぎまで寝てるんだがな。
「わんっ」
「……いいよな、元気そうで」
はあ、とため息を吐く。足元で機嫌良くとことこ歩いてる「こいつ」こそが、俺が今日、早起きする羽目になった理由だ。
いつも大人しくしている「タマ次郎」──改め「堂沢」だが、珍しく朝からきゃんきゃんうるさいので、何かと思えば、奴は口にリードを咥えていた。要するに「散歩に連れてけ」ってことらしい。
『ふざけんな。お前、本当は犬じゃないだろ……犬のフリしやがって。神なんだから行きたきゃ勝手に行けよ』
『きゅぅ……』
『そんな可哀想な顔をしてもダメだ。行かねえ』
『くぅん』
『行かねえって』
『わふっ』
『ごろごろしたってダメだ』
『ぺろぺろ』
『うわっ、やめろ!?分かった!連れてく!連れてくから、それはやめろ!』
……こうして、根負けした俺は「タマ次郎」を朝も早よから散歩に連れて行くことになったのだ。
「あれはタマ次郎……あれはタマ次郎……」
今朝の出来事に関しては「あれは子犬のタマ次郎だった」と処理することで、俺は正気を保つことにした。決して、元同級生の神なんかじゃない、いいね?
「犬になると瀬良へのぺろぺろも公然と許されて便利だなー」
「……」
俺に正体を明かしてから、「タマ次郎」はこうやって時々は喋りかけてくるようになった。といっても、口は動いてないし、たぶん、頭に直接話しかけてるんだろうな──クソ神とかと同じで。
「……てか、何で俺をいきなり散歩に連れ出したんだよ」
「たまには瀬良とこうしたいと思ったからだよ。最近、あんまり構ってくれないから」
「家に置いてやってるだけありがたいと思え」
「それだけじゃ足りないよ」
「知らん」
……全く、クソ矢だけじゃなくて、めんどくせえのが一匹から一人増えちまった。てか、あのクソ神社より、うちを神社にした方がいいくらいだろ……一か所にこんなに神がいるなら。賽銭も入るし。
「それはどうかな。俺はめんどくさいから神なんて嫌だけどね」
「何でだよ、いいだろ。寝っ転がってても、偉そうにしてれば金が入るんだから」
「そうはいかないね」
「タマ次郎」──堂沢は足を止めると、俺を見上げて言った。
「賽銭は人の誠意さ──貰った分はきちんと返さなきゃいけない。怠れば、人は神への信仰を失う。信仰を失えば、それは自分の存在にかかわる──前にも言っただろう。俺達は人の信仰で存在を保っているってね」
「……そういうもんか」
「瀬良にだって覚えがあるはずだよ。瀬良が毎日懸命に生きているのは、立花の存在があるからだろう。そう思えるのは、瀬良が、立花から貰ったものがたくさんあるからさ」
──そうだな。
瞬と出会って──俺は一体、どれだけのものを貰ってきただろう。
目に見える物だけじゃない。誰かといる安心感とか、自分のことを想ってもらえる有難さ、嬉しさ……信頼できる奴がいるっていう感覚とか、絶対的な理解者がいること──それは誰でも簡単に手に入るものじゃない。俺は、恵まれている。
「……神様がいらないくらいね」
「そうだな」
「だからこうでもしないと、俺は瀬良から信仰を得られないんだ。困ったものだね。神様でも、同級生でもダメだったし……可愛い子犬が効くとは思わなかったけど」
「効いてねえよ」
「どうかな?俺は知ってるよ。瀬良が朝、『タマ次郎』より先に目が覚めた時、こっそりお腹をもふもふしてることをね」
「……」
「都合が悪いからって黙ってもダメだよ」
……ノーコメントだ。
「まあいいや。そういうわけだから、これからも『タマ次郎』のことはしっかり可愛がってね。力がないと、瀬良から貰った分をきちんと返せない。五百円って、賽銭に換算すると結構大金だから」
「はあ?お前には何もやってねえよ」
そうは言ったが、堂沢は俺を無視してどこか宙を見つめている……犬ってたまにこういうことするよな。
とは言え、堂沢は犬ではないので、頭の中にはしっかりその思考が流れ込んできている。
「うーん、もっと早く回復できたらいいんだけど……ああ、そうだ。それとも……こうしたらいいかな」
不穏な呟きが聞こえたかと思うと、突然、タマ次郎がその場に倒れ込む──。
「おい、どうしたんだよ……?!」
「こーうた!」
その時、よく知った声が聞こえて、振り返るよりも先に、背後から来た「そいつ」は腰に手を回して抱きついてきた。
「ぎゅー……なんて、えへへ」
──それは、瞬だった。いや。
「離れろ!」
俺は咄嗟に「そいつ」を突き飛ばした。瞬の形をした「そいつ」は突き飛ばした瞬間、消えた。
すると、「タマ次郎」が頭を振って、何事もなかったように立ち上がる……。
「何しやがる……ふざけやがって」
「さすが、よく分かったね。すぐに『立花』じゃないって分かった?」
「当たり前だろ。何年あいつと一緒にいると思ってんだ」
「ふうん、そっか」
「タマ次郎」がつまらなそうに欠伸をした。
そんなこんなで散歩を終え、マンションに戻ると、入口で瞬と鉢合わせした。
「っお、瞬」
「あれ、康太……あ、タマ次郎とお散歩?」
「わんっ!」
……すぐに分かるとは言え、本物の「瞬」に俺は内心ほっとした。すると、それを察したのか、瞬が訊いてくる。
「……どうしたの?何かあった?」
「あ、いや……別に何でもねえんだ。ただ、なんか……瞬に会ってほっとしたっていうか」
「そう?変なの」
瞬がくすくすと笑う。
それから「じゃあまたね」と足元のタマ次郎の頭をひと撫でしてから、瞬はどこかへ去ろうとする。
……その姿に、俺はなんだか無性にそわそわして、気が付くと──。
「瞬」
「何?」
「……ちょっと、まだ時間あるか?」
「うん、何?」
「こっち」
瞬を手招きして、マンションの入り口の、ちょっと入り組んだ……人目につかないところにところに誘う。
瞬は首を傾げながらもついてきてくれた。
「どうしたの?」
「その、瞬に頼みがあるんだけど」
「うん」
「ちょっと……」
俺は少し迷ってから言った。
「……瞬を、抱きしめてもいいか?」
瞬がぱちくりと瞬きをする。
「え……何で」
「いや、嫌だったらしないから!大丈夫なんだけど」
「えー……まあ、嫌じゃないけど」
「嫌じゃないけど……何だ」
「う、うん。なんか、正面から言われると恥ずかしいっていうか……でも、えっと」
瞬は両手をおずおずと広げて言った。
「……どうぞ?」
言わずとも、何かを察してくれたらしい。
俺は「ありがとう」と言って、腰に腕を回して、瞬を抱きしめた。……瞬も俺の腰に腕を回して抱きしめ返してくれた。
「……本当にどうしたの?急に」
この気持ちを何て言ったらいいだろう。
俺は少し考えてから言った。
「……上書き」
「何それ」
ふっと笑うと、瞬はそれ以上何も訊かず、しばらくこうさせてくれた。
腕の中の瞬は温かくて、うっかり力を入れたら潰れてしまいそうなくらい、どこか儚く思えた。でも頼りないわけではなくて……むしろ俺は、この人に全てを預けられるという安心感を抱けた。
それだけで胸の中にあった、形にはならない──冷えたものが溶けていくような気がした。
「……もう大丈夫?」
腕を解くと、瞬が穏やかな声でそう訊いてくる。
「ああ……ごめん。変なこと頼んで」
「変なのは今更でしょ」
瞬は肩を揺らして笑った。それから冗談めかしてこうも言った。
「変なことを頼める幼馴染がいてよかったね?康太は」
「……そうだな」
「ふふ」
「じゃあ、もう行くね」と瞬が手を振って行こうとする。その背中に俺は言った。
「ありがとう、瞬。大好き」
「はいはい」
一瞬俺を振り返って笑った瞬に、俺はもう一度心の中で「好きだ」と言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます