3月4日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
──かた、かた……。
二人きりのPC室に、辿々しい打鍵音が響く。
「クソ……何でここにこれをコピーすると行間がバカ広くなんだよ……」
「う……ごめん、俺もこういうのはさっぱりだから……」
隣に座る瞬が俯く。俺はデスクトップを見つめながら「元は俺がやんなきゃいけないやつだし」とまあ、フォローをしてみる……実際そうだしな。
瞬は「康太は退部してしまった演劇部員の誰かに騙されて、その気はないのに部長職を押し付けられたんじゃないか」と思っているみたいだ。現実的に考えるならそうだろう。
でも俺は、この件は──十中八九、クソ神どもが関わってると思ってる。
そうでないと、説明がつかないことが多すぎる。起きている現実が、あまりも超現実すぎる。
俺も瞬も、またあいつらのゴタゴタに巻き込まれてるってことだ。
──まあ、瞬を巻き込んでるのは俺だけど……土曜だってのに付き合わせちまったし。
と、いうわけで俺と瞬は、例の「部長会資料」作成のため、土曜日だが学校に来ていた。
野球部とか、運動系の部活は土日もやってるから、学校自体は開いてるし、教員も何人かいる。
俺は職員室で事情を話し、こうしてPC室を借りて、瞬と一緒に「決算報告」を作っているんだが。
「手書きじゃダメなのかよ」
「丁合の手間がかかるから嫌なんだって。俺も手書きの方がよかったんだけど……データじゃないとって言われちゃったから。丹羽に手伝ってもらって作ったよ」
「丹羽を呼ぶべきだったか……」
「そうだね……今から呼ぶのは流石に申し訳ないし、できないけど……」
俺も瞬も、PCには強くない。ワードとかエクセルとかパワポとか、一応、「情報」の授業で触ったことはあるが、実務となると自信がない。
朝の九時からPC室にこもってやってるが、かれこれ二時間……俺達は表一つ挿入するのも四苦八苦してる有様だ。
「他に強い人いるかな……」
「部活とかで来てる奴がいればな……」
俺は運動系の部活に入ってる知り合いを何人か、頭に浮かべたが……どいつも皆、PC系は疎そうだ。
「情報の先生来てるかな?」
「武川か……いれば間違いないんだけどな」
情報の武川は、穏やかでいかにもな好々爺だし、瞬みたいな優等生が頼めば快く教えてくれるだろう……いれば、な。
「俺、ちょっと職員室行って聞いてみる!」
「ああ、悪いな。頼んだ」
瞬が小走りにPC室を出て行く。
「俺も何か……ネットで調べるか」
ブラウザを立ち上げようとマウスを握る、と。
「こんなんもできんの?高校生が」
「うわ!?」
振り返ると、背後からクソ矢がデスクトップを覗き込んでいた……久しぶりじゃねえか。
「リモートワークや」
「ご苦労な奴だな」
「タマ次郎はちゃんと見とるか?」
「ああ……ほら」
俺は机の下に置いてあるリュックを指した。
見てるって言ったって、タマ次郎は神だし、世話がいらないから、本当にリュックに入れて連れてるだけなんだがな。
「それだけで十分や。人間と同じレイヤー上におれば、神様にも簡単には見つからへん」
「意味分かんねえこと言うなよ……こっちは書類だの、PCだの見過ぎて疲れてんだ」
「へえ、まあ大して進んでへんみたいやけど」
クソ矢が憎たらしく、黒縁眼鏡を指で押し上げた。そういや、ブルーライトカットできるんだっけか?それ
「てか、それ貸せよ」
「はあ?嫌に決まっとるやろ。何で貸さなあかんねん」
どうせ触れられないくせに、クソ矢は一歩後退る。チッ……相変わらずムカつく奴だ。
──そういえば。
「おいお前に聞きてえことがあんだ」
「なんやねん。ちなみに『演劇部』の件やったらノーコメントやで。関係あらへんとは言わんけど、お前には教えられんわ」
「チッ」
まあ、そうだよな。こいつが簡単に言うとは思わなかったが……とりあえず「関係はある」ってことが確定しただけよしとするか。
「じゃあせめて、このワードの使い方教えろよ。それか、何か力使って代わりにやれ。てめえらのケツ拭きみてえなもんだぞ、これ」
「ええやん、お前がやれば。就職するんやろ。これくらいできん奴、どこもいらんで」
「……」
痛いとこ突くじゃねえか……。
「まあ、ゆっくりやったらええやん。休みの日に、二人きりで学校で課題なんて素敵やん。精々、青春を満喫しい……せや」
ふいに、クソ矢は掛けていた眼鏡を取って、それを俺に差し出して来た。
「何だよ」
「気ぃ変わったわ。貸したる」
「はあ……?」
俺は恐る恐る眼鏡に触れてみる。
──触れる。
「……どういう風の吹き回しだ?」
「別に。お前らが仲良うしとるんは儂にとっても、誰にとっても得やしな。今日はこれでちょっとイチャイチャしてみいや」
「イチャイチャはしてねえよ」
「そう思うてるんはお前らだけやで。ま、ええもん見れたらちょっとしたサービスくらいはしたるわ……頑張り」
──ガラガラ。
「武川先生いたよ!後で来てくれるって」
「マジか」
ドアが開いて、息を弾ませて瞬が駆け寄ってくる。その間にもうクソ矢はいなくなっていた。
フルリムの黒縁眼鏡だけ残して。
「あれ、どうしたの?眼鏡なんか持ってた?」
「あ、いや……」
とりあえず机に置かれた眼鏡を手に取ってみる。
見た目はまあ、普通の眼鏡だな。
しげしげと眼鏡を眺めていると、瞬が身を乗り出してくる。
「ね、ちょっと掛けてみてよ」
「はあ?何でだよ……」
「よく分かんないけど、康太のなんでしょ?だったら掛けたら?似合いそうだし」
「掛けたらどうなるか分かんねえだろ。どうすんだよ、俺が鬼畜になったりしたら」
「そんなのありえないと思うけど……それに、康太は俺に酷いことはしないと思う」
「そうか……?」
「うん、絶対」
まあ、そうだ。俺は瞬を傷つけたくない。
その鉄の意志があれば、眼鏡なんかに負けないはずだ!
「別にそんなことにはならんけどな。普通の眼鏡やで」
どこからか天の声がする。まあ、いい。
俺は思い切って、眼鏡を掛けてみた。
「……どうだ?」
「……」
瞬が驚いたように目をぱちぱちさせている。
「何だよ、その反応」
「え、いや。なんていうか……」
「馬鹿だから似合わねえってか?」
「違う!むしろ……その、格好いいから……」
「そうか……?」
鏡……と思ったが、もちろんこの部屋にはない。代わりに瞬の瞳を覗きこんでみる。
「うーん?」
「ち、ちょっと!近い。スマホがあるでしょ」
瞬がスマホを取り出して、インカメラにする。カメラの枠に入るように、スマホを持つ瞬に寄ると、瞬はウザそうに視線を逸らした。
「ほら……」
「自分じゃよく分かんねえ」
「格好いいんだよ。自覚して」
瞬はスマホを仕舞おうとして……ふいに思い出したみたいに、俺にまたスマホを向けた。
──パシャ。
「撮んなよ!」
「ふふ。後で皆に見せちゃお」
「見せんな」
「じゃあ、俺だけにしとく」
「全く……」
俺はいい加減、眼鏡を外して、今度は瞬に掛けてやった。
「わ」
「へえ、似合うな。ますます頭が良さそうに見える」
「そ、そう?」
瞬が眼鏡の端を、揃えた手でくい、と押し上げてみせる。クソ矢がやるとムカつくが、瞬がやるなら──。
「可愛いな」
「え?」
「……」
言ってから、自分でも「これはないだろ」と思う。野郎に可愛いって。
「そう……?」
──まあ、瞬の方は満更でもないみたいだけど。
「も、もう外す!」
やっぱり恥ずかしくなったのか、瞬が眼鏡を外そうとする。俺は「ちょっと待て」と言い、急いでスマホを取り出した。
──パシャ。
「あ、ちょっと撮らないでよ!」
「仕返しだ。誰にも見せねえよ」
「そう言って見せてたじゃん」
「……」
否定はしない。
代わりに俺は言った。
「まあ、俺はいつもの瞬の方が好きだな」
「えー?」
「あんまり頭良く見えると……なんか瞬が遠くなるし」
「どこも行かないよ」
瞬があはは、と笑った。俺も笑った。
「青春してるねえ」
「うわ!」
背後から聞こえる声に振り向くと、情報の武川がニコニコしながら立っていた。
「あんまり仲が良さそうだから、いつ声をかけようか迷っちゃったよ」と言われ、俺と瞬は声を揃えて「すいません……」と平謝りした。
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