3月3日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
***
「はぁ……」
休み時間。教室を出て、窓の桟に肘をつくと、ため息が漏れる。
──終わる気しねー……。
小会議室から持ち出したファイリングの類を見過ぎて目が痛い。俺は眉間を指先で軽く揉んだ。
『ふうん、じゃあ認めるんだね。瀬良が部長だって』
『ああ……しょうがねえ。俺しかいねえみたいだし』
『言ったんだけどな、昨日。一日無駄にしたね』
『うるせえ……そういうことだから、資料は俺が出す。今日中に出してやるよ』
『いや、それはいいよ。今日受け取ると、俺もそれを置いて帰るわけにはいかなくなる。確認しないといけないしね。生憎、今日は早く帰ってWBCの壮行試合を見たいんだ。何だか番狂わせが起きそうな気がするよ』
『クソ野郎が……』
『よく言われるよ』
「クソが……」
思い出すだけで腹立たしい会話だ。
今朝、俺はわざわざ、クソ野郎こと池田のところに昨日の件を報告に行ったんだがな。
結果はご覧の通りだ。行かなくてよかったな。
それから、俺は資料を作るべく、瞬にも手伝ってもらって、小会議室から必要そうなファイルを持ち出した。
考えたいことは山ほどあるが、とにかく今は目先の締切だ。
放課後は瞬にも手伝ってもらうが、それまでに俺も何とか……まあ、持ち出したファイルに目を通すくらいはしときたいしな。
──それにしても疲れた。
書類仕事なんて、本当やってられねえな……いかんせん慣れてねえし。瞬がいなきゃどうにもならなかっただろう。
「はぁ……」
俯くとつい、ため息が出ちまう。
もうすぐ休み時間も終わる。
教室に戻るか、と顔を上げた時、ふと、階下に見える昇降口付近に、見慣れない制服の人だかりができていることに気づく。あれは──。
「ああ……合格発表か」
見慣れない制服も、よく見れば学ランとか、セーラー服とかだ。昇降口前に出された掲示板の前からは時折歓声が聞こえてくる──受かったんだな。
そんな光景を見ていると、自然と思い出すのは、二年前の春──俺と瞬の合格発表の日のことだ。
***
「おい瞬、しゅーん?」
瞬の家のドアをノックする。いつもならとっくにマンションの下で落ち合ってる時間だが、今日はまだ家から出てきてない。
──大事な日だってのに。
何たって今日は、高校の合格発表の日だ。
マンションから歩いて二十分くらいの、地元も地元の高校で、偏差値も並だが、俺にとってはギリ受かるかどうかって感じなのだ。
こっちは瞬と違って、私立の滑り止めも受けてねえし、結構緊張してんだぞ。
「なあ瞬まだかよ。クソか?発表出ちまうだろ」
どんどん。
さっきより強く叩いてみるが、反応はない……と思っていたら、いきなりドアが開く。
「おはよう、康太くん。ごめんねぇ?待たせちゃって」
「あ、いや……大丈夫だから……」
出て来たのは瞬のお母さん──志緒利さんだ。
「瞬ったら、部屋から全然出てこないのよ。起きてはいると思うんだけど……」
「そうなんだ……」
「あの子、緊張しちゃってるのかしら。康太くん、ちょっと声かけてくれる?私も言ってみるけど……」
「ああ……分かった。言ってみるよ」
俺は志緒利さんに促されて、中に入る。
瞬の部屋の前に立って、ぴたりと閉じたドアの向こうに声をかけた。
「瞬、起きてんだろ。発表行くぞ」
「……」
「こもってたってしょうがねえだろ。どうせ見なきゃいけねえんだ」
「……」
「おい」
つい、舌打ちする。
志緒利さんも俺の後ろから瞬に声をかけた。
「瞬、出てきなさい。康太くんが来てくれたのよ。一緒に行けば大丈夫よ」
「……」
「おい瞬、開けるぞ」
俺は痺れを切らし、ドアノブに手をかけた。
「……っ、おい!開けろ、よ……」
「……あ、開けないで!まだダメ!」
ようやく瞬の声がした。だけど、ドアは瞬が力いっぱい引いてるからかびくともしない。この野郎……!
「何がダメだ。あと三十分もしたら発表だぞ。もう家を出ねえと間に合わねえ」
「で、出るよ。でももうちょっと……」
「……分かった、待つ」
俺はドアノブから手を離す。瞬が安堵の息を漏らし「ありがとう」と言う。
「なんてな」
「えっ?!うわ」
瞬がノブから手を離しただろう隙に、素早くドアを引く。開いたドアの向こうでは、瞬が真っ赤に腫れた目をぱちくりさせていて──。
「……泣いてた?」
「ち、違……」
瞬がゴシゴシと目を擦る。志緒利さんが心配そうに言った。
「どうしたの瞬。まだ何も発表されてないじゃない」
「う……そうだけど、違くて……」
「じゃあ、何なんだよ」
「……」
瞬が両手で顔を覆って隠す。
「もう遅いだろ」
「……笑わない?」
「笑わねーよ」
瞬は少し迷ってから、言った。
「……夢で、俺だけ落ちる夢を見て」
「絶対ありえねえから大丈夫だ」
「その後、康太だけ落ちる夢を見て」
「それはあるな」
「絶対ないよ!」
瞬が悪い夢を払うように、頭を振る。
なんだ、元気じゃねえか。
「じゃあ行こうぜ、瞬。俺は瞬が落ちると思ってねえし、瞬は俺が落ちると思ってねえんだろ。なら、一緒にいればどっちも落ちねえ」
「……」
「今日は泣いてる奴いっぱいいるから、その顔でも目立たねえよ。……どうしても嫌だったら俺の後ろ隠れてろ」
「……うん」
「ふふ。二人とも大丈夫よ。いってらっしゃい」
志緒利さんが穏やかに微笑む。
涙を拭いた瞬と俺は、志緒利さんに見送られながら、一緒に家を出た。
ポケットに入れたスマホを見ると、俺の母親からもメールが来ていた。
『あんたは馬鹿だけど大丈夫よ』
「実春さんらしいね」
マンションを出て、高校に続く大通りを並んで歩きながら、瞬が言った。
「ああ、そうだな」
──受かったら、ここが通学路になるんだよな。
瞬とここを毎日歩けたらいい──いや、そうなるだろう。
確かな予感を胸に、俺と瞬は学校へと向かった。
***
「康太」
「うお」
──そんな、二年前のことを思いながら窓の下を眺めていると、首に冷たい感触があった。
振り返ると、アイスコーヒーの紙パックを手にした瞬がいた。瞬は「あげる」とアイスコーヒーを俺に差し出してくる。俺は、ありがたくそれを受け取った。
早速コーヒーにストローを刺すと、瞬が言った。
「何、ぼーっとして」
「いや、ちょっと……見ろよ。合格発表だったんだな。今日」
「わ、すごい人……そっか」
考えることは同じらしい。瞬が眩しそうに目を細める。
「覚えてるか?俺らの時のこと」
「うん……あんな、夢なんかで目が腫れるくらい泣いて、恥ずかしかったけど」
「それだけ不安だったんだろ。……俺も不安だった」
「そうなの?」
瞬が意外そうに目をぱちくりさせた。
「まあ、そりゃ……緊張するだろ。ああいうの初めてだったし」
「そうだけど。康太、なんかいつも通りだったから」
「見栄みたいなもんだ……でも、瞬が『絶対落ちない』って言ってくれたおかげで、楽になったぜ」
ありがとうな、と言うと、瞬は恥ずかしそうに、俺から目を逸らして言った。
「それは……俺もそうだよ」
「ん?」
「……康太が夢のこと、『絶対ありえない』って言ってくれたの嬉しかった」
「そうか」
「……俺、受かってよかったと、本当に思う。康太と同じ高校で、高校生活送れて、楽しい」
「俺もだ」
──予鈴が鳴る。
俺は、自分の教室へと帰って行く瞬に手を上げて言った。
「好きな奴と毎日学校行けて、馬鹿やって、たまには真面目に勉強して……楽しいよ」
俺はもう一度、階下の「新一年生」を見遣る。
最高の幼馴染と、悪友達……そんな奴らと過ごす俺の学校へようこそ。楽しくなるぜ、きっと。
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