3月2日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





「あー……」


ホームルームが終わり、伸びをひとつする。それから、机の中に丸めて押し込んだ解答用紙何枚かをリュックに詰めた。


……全くうちの教師陣は仕事が早くて何よりだ。もうテストの採点が済んでやがる。結果はまあ、ぼちぼちってとこだな。とりあえず今日返ってきた分は、赤点回避しただろう。


「くぅん」


「っ、うお」


リュックの中で俺を見つめるくりくりの目と視線がぶつかる。タマ次郎だ。

日中は静かにしてたくせに、いきなり鳴いたので、驚いちまった。俺は誰にも聞かれてないか、確認してから、タマ次郎に「まだ静かにしてろ」と人差し指を立てた。


「わふ」


「だから……まあ、いいか」


言っても分かんねえか、と諦め、俺は丸めた解答用紙をタマ次郎の口に近づける。


「食うか?」


「きゅぅ……」


「……まあ、食わねえよな」


「おい、瀬良」


その時、ふいに背後から西山に呼ばれる。慌ててリュックの口を閉めて振り返ると、西山が「呼ばれてるぞ」と教室の前のドアを指す。


「残念だが、立花じゃねえぞ」


「あーそれは残念だな全く」


言いながら西山に手を上げて、廊下へ向かう。

俺を呼んでいたのは──知らない二年の男子だ。


「えっと……」


「いきなりごめんね。俺、一組の池田。生徒会の会計やってるんだけど」


「……それが俺に何の用で?」


俺が訊くと、池田は「あはは」と笑いながら言った。


「すっとぼけんなって。自分でも分かってるだろ」


「はあ……?知らねえよ」


マジで心当たりがない。何だ?昔取引でカモったりした奴だったか?

でもこいつとは本当に会った記憶がねえし……。


首を傾げる俺に、池田はふぅ、と息を吐いて言った。


「ふぅん、結構手強いなぁ……まあいいや。じゃあ、もう一回言うけど」


「……何だよ」


「実はさあ……来週の部長会のために出してもらうことになってる今年度の決算報告、演劇部だけまだ上がってないんだよねえ……」


「はあ?」


──知らねえ……ていうか、部長会ってなんだよ。


「知らねえ、ていうか、部長会ってなんだよ。っていう顔だね」


「そう思うならイチから説明しろ。マジで知らん」


「うーん、どうやら本当にそうみたいだね。いいよ。じゃあイチから説明してあげる」


「おう」


返事をしながら眉を寄せる。いちいち喋り方がなんか鼻につく奴だ。「生徒会」だかなんだか知らねえが、こいつは瞬と違って、優等生は優等生でもクソな方の優等生だな、たぶん。


「何か、すっごいボロクソ言われてる気がするんだけど?どっちかって言うとキレたいのはこっちなんだけどなー……」


「いいから早く説明しろよ」


「何でこう偉そうにできるんだよ……まあ、さ」


それからこの池田曰く、だ。


まず、この高校には、それぞれの部活動の部長からなる「部長会」というものがあるらしい。


「部長会」は大体学期末に一回開かれていて、そこでは、生徒会に対して、活動報告を行ったり、それをベースに部の予算の交渉をしたり、状況によっては部の存続とかについても話し合うとかなんとか。


で、三学期──つまり、今年度最後の「部長会」が来週の金曜日にあるらしい。

今回の主な議題は、各部活動の「決算報告」とその監査。あとは、来年度の活動計画と、廃部・新設部活動の検討とかで──要するに。


「その『部長会』で必要な資料が、演劇部の分だけ丸ごと出てないと?」


「そうなるね」


「そうか……大変だな。頑張れよ」


「うん、君がね?」


「……くっ」


さっとその場から去ろうとしたが、池田に腕を掴まれてしまう。クソ……鈍臭い優等生くんかと思ったら意外といい動きするじゃねえか……。


「こう見えても生徒会入るまでは野球部だったからね」


「へえキャッチャーか?」


「俺がデブだから言ってる?」


……敢えてコメントはしない。


「てか、そもそも演劇部の部長は俺じゃねえよ。大体、俺は演劇部に入ってねえ」


「嘘はいけないね、瀬良。確かに瀬良は三学期からの加入みたいだけど、入部届は顧問の先生がちゃんと受理してるのは確認してきた。それに演劇部には瀬良以外部員がいないしね。つまり有無を言わさず、部長は瀬良だよ」


──俺しか、部員がいない?


「はあ?何言ってんだ。だって、演劇部の部長は堂沢って奴で」


「いないよ、そんな奴。この学校に」


きっぱりと、池田はそう言い切る。


──は?


「いや、いるだろ……四組に、顔だけはすっげえ格好良くて、喋るとうるさくて、ひっついてきたり、変態だけど、悪い奴ではなくて、いつもよく分かんねえお茶淹れてくれて……」


「いやいや……俺は生徒会だよ?そんな珍しい名字で、しかもイケメンで?そんな奴知らないわけないでしょ」


「でもいくら生徒会ったって、全校生徒数百人覚えてねえだろ?一人ぐらい知らないだけかもしれないって」


「ないない。だって、瀬良が言いたいのは、そいつが本当は部長だってことでしょ?だったら、二学期末の部長会でそいつに会わないわけないし。一回報告した部長の変更って、そんなに簡単な手続きじゃないから、もしも三学期からそいつに部長が変わってたら、なおさら覚えてないわけない」


「……でもよ」


その先が続かない。何でだ?「堂沢直哉」って奴はいるはずだろ……。


確かにこの前、同じクラスのはずの丹羽も忘れかけてはいたが、最終的には思い出してる。

まるっきりいない奴のはずじゃない。


──でも、違うのか?


言葉に詰まる俺を見かねて、池田が「あー……じゃあさ」と口を開く。


「そんなに言うなら、演劇部の部長は瀬良じゃないっていう確実な証拠出してよ。そしたら、俺は瀬良じゃない……本当の部長らしいそいつのとこに行く。でも」


「でも?」


「時間がないから、今日中にね。できないなら、資料の提出は瀬良がやる。ちなみに逃げるのは無しね。あんま意識ないだろうけど、部費ってさ、一応公金なんだよね。だから、それの状況がどうなってるかって分かんないのはまずいんだよねー……誰かがやんなきゃいけないわけ」


「……」


何も言い返せなかった。あまりにもその通りだからだ。

池田は……こいつは物言いはクソ野郎だが、間違ってはない。


──誰かがやんなきゃ、か。


「組織に入るってそういうことだよ、瀬良。そこにいる以上、関係なくても関係あってしまう──そんなことだらけだ。とにかく、誰でもいいから資料はちゃんと出してね」


「……分かったよ」


くるりと踵を返して、池田がひらひらと俺に手を振る。振ったところで……「あ」とまた、俺の方を振り返って言った。


「ちなみに月曜日までね」


「はぁ!?」


「金土日で三日もあげただけ感謝してよね。ま、一日って二十四時間あるしさ……死ぬ気で頑張れ」


……やっぱこいつはクソだ。


「よく言われるよ」


嫌味ったらしく、池田はにこりと笑った。





「で……何で俺?」


「……こういうの分かんねえからよ」


十分後。


俺は瞬を連れて、演劇部の旧部室である「小会議室A」に来ていた。

その名の通り、教室の三分の一くらいの広さしかないその小部屋には、長机とパイプ椅子と壁際に並んだ事務用整理棚くらいしか、見るべきものはない。


ここへ来た目的は二つ。


一つ。


池田が言うには、この旧部室の棚に、演劇部の過去の活動報告とかを綴じたファイルが保管されているらしい。


そこには当然、部員の名簿なんかもあるわけで、つまり、それを見て自分の目で確かめろってことだ。


演劇部には俺以外に部員がいないこと……「堂沢直哉」という人間はこの部には「いない」ということを。


そして、二つ。


堂沢が部長でないなら、会計報告は俺の仕事になる。そうなった時は仕方ない。


とにかく俺が報告書をなんとかんとか作るしかないのだ。そのための資料も、この部屋には保管されているはずだからな。


どっちにしろ、俺はまずここに行くべきってことだ。


……ちなみに、文芸部は今日から活動を再開していたのだが、そこは部室に来ていた猿島と丹羽に「ちょっと瞬借りてくな」と断って連れて来た。猿島に「ひゅーひゅーだよ」と茶化されながら。


「瞬は文芸部で会計やってんだろ。万が一、俺が部長じゃないって証拠を見つけられなかった時のための保険だ。その時は会計のやり方教えろよ」


「それはいいけど……ていうか、部長は康太なんでしょ?何で部長じゃないなんて証拠がいるの?」


「いや、だから……」


──瞬に言って、信じられるだろうか。


池田はクソ野郎だが、嘘はつかないだろう。頭も悪くなさそうだし、俺なんかに会計報告を頼むのは、向こうだって、苦肉の策のはずだ。状況的にそうせざるをえないってだけで。


一縷の望みをかけてこの部屋に来たが、俺は薄々感じている──俺が言ってることは、間違っているってことを。


俺は首を振って言った。


「……何でもねえ」


「そんなわけないでしょ」


瞬が俺にすっと歩み寄る。


「言ってよ。……康太が部活中の俺引っ張ってくるくらいなんだから、大事なんじゃないの」


「……瞬」


俺は少し迷ってから、瞬に話すことにした。


一年生の頃、ちょっとしたことがきっかけで「堂沢直哉」という奴と知り合ったこと。


噂じゃどこかの国のクオーターとかで、王子様みてえに格好いい顔の奴だってこと。


でも中身はかなり変わった奴で、まあ悪い奴じゃなくて……俺が悩んでいた時に話を聞いてくれたこともあって。


秋頃には「演劇部の部長になった」と言って、俺を執拗に部に勧誘してくるようになった。

最初は断ってたんだが、俺は結局、演劇部に入ることにして。


「この辺は瞬も知ってるよな。冬休みに言ったろ」


「え、ああ……確かに」


瞬は曖昧に頷く。……ぼんやり覚えてるって感じか。


「てか、瞬も堂沢に会ったことあるよな?部長だって紹介したろ」


「うーん……ごめん、それはあんまり覚えてなくて……会ったかな?」


──やっぱりか。


どうしてか分からないが、俺以外に堂沢のことを覚えている奴はいないらしい。


「でも、康太は覚えてるんだよね?それに、本当はその人が部長だってことでしょ?」


「ああ……いや、とにかく今は論より証拠だ。今年度のファイルは……と」


俺は瞬と手分けをして棚にあるファイルを片っ端から漁る。

どこになんの書類があるのかさっぱりだから、時間はかかったが……俺は何とかそれを見つける。


『部員名簿』


「今年のだね」


「ああ……」


俺はA4用紙一枚のそれを、半ば祈るような気持ちで、指でなぞるように一人一人の名前を見ていく。


──ない。


そこには、堂沢の名前はなかった。


他にも、この「小会議室」で分かったことがいくつかあった。


まず、演劇部は秋に部長が交替するまでの間は普通に活動していたらしい。


ところが、三年生が引退したぐらいのタイミングだろうか。


何があったか、その当時いた二年生から退部者が出るようになり、やがてその流れは一年生にも広がって、二学期の末頃には部長(堂沢ではない名前が書類には部長として載っていた)も含めた全員が退部。


表沙汰にはなってないが、演劇部は事実上の活動休止状態に陥っていたらしい。

部活動の廃部は三学期の部長会をもって決定されるから、廃部だけは免れていたみたいだが。


そこへ何故か入部した、唯一の現役・演劇部員が俺……ってことになるのか。


「……康太?」


「……」


ようやく掴んだ、でも到底信じ難い事実に俺は言葉を失う。


おかしい。


こんなことはおかしい。ありえないことだ。


ひょっとして俺は霊でも見てたのか──なんて。


でも俺にはそういう「ありえないこと」で、霊なんかよりよっぽど、信ぴょう性の高い存在がある。


──神。


「康太ってば」


──堂沢は、あいつらと何か関係があるんだよな……。


俺が、瞬のことで悩んでた時も、あいつは「おかしい」くらい「おかしくない」、俺にとって必要なことを言った。


やっぱ、なんとかしてあいつに一度会った方が……。


「康太!」


「うお!?」


いきなり、瞬が俺に抱きついてきた。なんだ、何しやがる。え。


「は、離せよ……」


「あ、ご、ごめん!こうでもしないと気づかなそうだったから……」


瞬が気まずそうにさっと、俺から離れる。それから俯きがちに言った。


「なんか、今の康太……どっか行っちゃいそうに見えたから」


「行かねえよ。……資料は俺が作んなきゃいけないみたいだし。面倒だが……仕事を置いて行くわけにいかねえ」


俺がそう答えると、瞬は小刻みに頷きながら言った。


「……ふうん」


「何だよ」


拗ねているみたいな響きの「ふうん」に首を傾げていると、瞬は机に広げたファイルの束を棚に戻しながら、ぼそりと言った。


「……俺は置いて行ってもいいんだ」


「そんなわけねえ」


「……え?」


棚に戻そうとして届かないのか、背伸びをしている瞬の手からファイルを奪う。

瞬の代わりにファイルを棚に戻しながら、俺は言った。


「瞬と一緒にいるって言ったろ。瞬といるのが好きなんだから」


せめて、そんなことまで忘れるなよ、と俺は心の中でそっと思った。

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