2月28日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





「しちく、ろくじゅうさん……しちしち、しじゅうく、しちは、ごじゅう……」


声がうまくでない。いきが、くるしい。あたまのなかがぐるぐるする……。


あんなにたくさん、れんしゅうしたのに。


おふろのなかでも、おふとんのなかでも、いっぱい、いっぱいれんしゅうした。

おかあさんにいってもらって、おとうさんにいってもらって……それなのに。


──また、しっぱい、しちゃう……。


なにもかんがえられなくなって、口の中がからからになった。


そのうちに、先生が「七かける八は?」ときいてきて、なにか言わなくちゃとおもって……。


「しちは、ごじゅうさん」


ぐっと、おしだされるみたいに、そう言ってしまった。


──ごじゅうろく、だ。


心の中でそう言ってもおそかった。先生が「はい。立花くん、また明日ね」と言って、しょくいんしつにもどってしまう。やっぱり今日もだめだった。


「……っ」


一人で、ろうかを歩く。

こうていであそんでいるみんなの声が、なんだかずっととおくにきこえる。

みんなはもうとっくに「合かく」してるんだ。おれとはちがう。


そう思ったら、すごくかなしくなった。なみだがでそうになったけど、がまんだ。

外でないてるのははずかしい。


──また、「こうた」にばかにされるし。


こういうときは、今いちばん、会いたくない「やつ」のかおを思いうかべるのがいい。

こころはすっごくかなしくていたいけど、あいつにばかにされるより、ましだ。


「……すん」


ポッケに入れていたハンカチではなをかんで、うでで、ほんのちょっと出そうだったなみだをふく。

それから、もっていた「さんすうのきょうかしょ」のうしろのひょうしを、おなかにくっつけてかくした。……「九九テスト」に合かくすると金ぴかのシールがもらえるんだけど、おれがまだもってないのが、こうたにばれたら、わらわれるもんな。


なんとなく、ろうかのはしっこのほうを、こそこそ歩いて、きょうしつに行く。

わたりろうかを歩いている時だった。


「おい」


「……」


「おーい」


「……」


「むしすんなよ」


……にげられなかった。

こわい声を出されたので、しかたなくふりかえると、やっぱり「あいつ」だった。


「こうた」だ。


「……なに」


できるだけ、目を合わせないようにする。こうたはあたまがいいから、目を見られたら、きっと、おれが九九テストに合かくできなかったことがばれてしまうだろう。


「しゅん、九九テストだめだったんだろ」


「なんで、分かったのぉ!?」


思わず、声が出てしまった。すると、こうたはいっしゅん、びっくりしてから、でもすぐに、いつものいじわるなかおになって、おれに言った。


「しゅんは、本当にばかだな。あんなのかんたんだろ」


「うぅ……」


なにも言いかえせない。そう言うこうたは、二年生でだれよりも早く、九九テストに合かくしたのだ。

こうたが帰り道、おれに金ぴかの王かんのシールをじまんしてきた日の夜、おれはくやしくて、ふとんに入ってから、こっそりないた。


それから、おれだって、金ぴかのシールがもらえるように、いっぱいれんしゅうしたのに。

いつのまにか、クラスでまだ合かくしてないのはおれだけになってしまったのだ。


「おれは、本当はできるもん。ただ、先生の前にいるときんちょうしちゃうから……」


「本当かよ。じゃあ、ろくは?」


「……しじゅうはち」


「ははっ、ばかだな。にじゅうしだぜ」


「ええっ!」


なんてことだ。ずっと「しじゅうはち」だと思っていた。でも、だれよりも早く合かくしたこうたが言うんだから、そうなんだろう。


──こんなにまちがいだらけなんだ。合かくできるわけないよ。


「うっ……」


そう思ったら、どんどんかなしくなってきた。がんばってがまんしてたけどもうだめだ。


「うぅ……うっ……」


こうたの前なのにないてしまう。ああ、また「なきむししゅん」ってばかにされる。


「ぐす……っ、ひっく」


──そう思ってたのに。


「な、なんだよ……」


こうたは目をぱちぱちさせていた。びっくりしているみたいだ。なんだよ。


「うぅ……見るなよ……ばか。ばかこうた……」


「だ、だって!なくことないだろ、ちょっとふざけただけだろ」


「ふざけたって……」


はなをすすりながら、こうたをじっと見る。こうたはあたまをぽりぽりかいてから言った。


「ろくは、しじゅうはちで合ってるよ……にじゅうしはうそだ」


「うそ…?」


「ちょっとからかってやりたかっただけだ……なくと思わなかった」


くちをもごもごさせながら、こうたが「ごめん」とあやまる。


うそだったことに、もっとおこってやりたかったけど、それよりも、おれが言った答えはまちがってなかったことに、安心していた。よかった。れんしゅうしたのは合ってたんだ。


おれはうででごしごしとなみだをふいてから言った。


「じゃあ、こうたはもういーっしょう、『ろくは』ってきかれたら『にじゅうし』って答えるけいね。そしたら、ゆるしてあげる」


「なんだよ!そんなこと言ったらおれがばかだって思われるだろ」


「いいじゃん、ばかなんだから。じごーじとく、って言うんだよ」


「くそしゅん」


こうたがおこって、せなかをぽこぽこたたいてくる。おれはちょっとだけ、きぶんがすっとした。


「それよりしゅん、テスト、明日もうけにいくんだろ」


「うん……」


こうたに言われて、また気もちがくらくなる。あーあ、いつになったら合かくできるのかな……。


──先生の前に立つときんちょうしちゃうんだよな……。


「おれがついて行ってやるよ」


「え!」


いやだ、と思った。だって、こうたの前でしっぱいしたらわらわれるにきまってる。


「わらわねえよ。いいこと思いついたんだ。しゅんが合かくできるほうほうだ」


「なに、それ……?」


首をかたむけると、こうたが、じまんするみたいなかおで言った。


「おれがしゅんのよこに立って、みみもとで答えをこっそり教えるんだ」


「おかみさんみたい」


おれはおもしろくなって笑った。こうたも笑ったのできっと「じょうだん」なんだろう。


でもとつぜん、こうたは笑うのをやめて言った。


「でも、ついて行くのは本当だ。しゅんが一人だときんちょうするなら、いっしょに行く。そしたら、できるだろ」


「でも」


「じゃあ、おれとれんしゅうしようぜ。それでふつうにできたら、先生をおれだと思ってやればいい」


「でも、でも……」


「ああもう!」


「うわ」


こうたがおれのほっぺたをぐいっと引っぱって言った。


「しゅんは本当にばかだな。じぶんはできるやつだって知らないなんて、それで何回もしっぱいしてるなんて、本当にばかだ」


「……!」


──少し、びっくりした。


こうたがおれを「ばか」だって言うのは、「おれのあたまがわるいから」だと思ってた。


でも、ちがった。


「しゅんはできるだろ」


こうたはおれをまっすぐに見て言った。


「おれは、できる……」


「できる」


「……うん」


こうたがおれのほっぺたから手をはなす。

おれはすこし……元気が出た。


──できそうな気がする。


「こうた……」


「なんだよ」


「ありがとう」


「べつに」


「行こうぜ」とこうたが手を出してきた。おれはその手をにぎって、こうたといっしょに歩いた。





「……ふふ」


「何だ?」


朝。昨日と同様、教室で瞬と二人、復習をしている時だった。

ふいに、瞬がくすくすと笑い出したので、俺は眉を寄せる。


瞬は楽しそうに肩を揺らしながら言った。


「ううん、何でもない。ちょっと……思い出し笑い」


「何思い出してたんだよ」


「小学生の時のこと」


それから、瞬はその話を俺に聞かせた。


小学二年生の時の話だ。その頃、九九を習った俺達は「九九テスト」というものを皆、受けていて、合格すると、金ぴかのシールが貰えるとか……そんなことあったな。


で、その「九九テスト」に……今じゃ考えられないが、瞬はクラスで最後まで合格できずに残っていたんだ。それを俺が揶揄ったりして、瞬を泣かせたりしたんだったな。


今、思えば、あの頃一大事だった「九九テスト」も大したことじゃないんだが……当時の瞬にとっては深刻なことだったのだ。我ながら最低だ。


「で?康太は今でもちゃんと『刑』を受けてる?」


「刑?」


「ろくは」


「……にじゅうし」


「よしよし」


瞬が満足そうに笑う。何だよ。


「もう十分反省してんだ。そろそろ解放しろよ」


「一生って言ったからね。まだダメ」


「クソ瞬」


俺は瞬の頭をこつんと叩いた。それでもまだ瞬は笑ってる。


俺はため息を吐いた。


「……今じゃすっかり、立場が逆だな。瞬は誰よりも優等生で、俺は馬鹿だし」


「康太は馬鹿じゃないよ。俺は知ってる」


「ふうん」


「康太は本当は『できる』もんね……だから、ほら、今日のテストも頑張って」


「へーい」


そう言われちゃ仕方ない。俺は手元のノートに視線を戻した。


「……康太」


「ん」


「……ありがとう」


「別に」


──大好きな幼馴染のためだろ、と冗談めかして言ったら、「もう変なこと言わないでよ」と瞬に笑われた。

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