2月26日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





「……ん」


枕元でぴこぴこ鳴るアラームの音で目を開ける。腕を伸ばしてスマホを取り、音を止めてから、薄目でロック画面を睨んだ。


──7:30。


「もう……?」


いつもより、ちょっと寝過ぎたかも。


おもむろに体を起こして、目を擦る。それから、くしゃみをした。……今日も朝から飛んでるなあ、花粉。


鼻を啜りながら、ベッドから降りようとして、床に敷いた布団に寝ている「そいつ」に目が留まる。


「かー……」


小さないびきをかきながら、枕に突っ伏して穏やかな顔で寝てる康太だ。

ああ、そうだ。昨日は康太に泊まりに来てもらったんだっけ。だから俺も、こんな時間に目が覚めちゃったんだ。昨日の夜はなんだかんだで、いつもより遅くまで起きちゃってたし。


──間抜けな顔。


幸せそうというか、あまりにもゆるい顔で寝てるから、つい、笑ってしまう。

康太って一回寝ると簡単に起きないんだよね。今だって、つま先で軽く脇腹を蹴ってみても、全然起きないし。


「起きないの?」


「……」


どうしようかな。

休みの日だから、まだ起こさなくてもいいんだけど、布団片しちゃいたいし、康太を預かってる以上、康太に規則正しい生活をさせるのは、俺の義務だし。


よし。


「起きろー」


「んー……」


そうと決めたら、床に降りて康太の肩を叩いてみたけど、ダメだ。寝返りを打って避けられてしまう。


「起きてよ、もう」


「……」


はあ、とため息を吐く。前もそうだったな。初めて康太をうちに泊めた時もそうだった。全然起きなくて……結局、勝手に起きるまで放っといたんだっけ。


──それから、正月の日もそうだった。


夜中に寝ぼけた康太がいきなりうちに来て……仕方なくうちで寝かせた時も、起きないから放っといたんだった。


「……」


時々、あの日のことを思い出すことがある。


部屋の外から、誰かがドアを激しく叩くような音がして、怖くなって、布団を頭まで被っている俺。


そのまま、音がなくなるまでじっとしていようとしたら、頭の中で声がする──「玄関のドアを開けろ」って。


あの時……何故か分からないけど、俺はその声に従ったんだよね。


そしたら、ドアを叩いてたのは康太だったんだ。でも、康太は急に倒れちゃって、それで──。


『好きだ、瞬』


──本当、何だったのかな……あれ。


寝ぼけてたんだろうし、大した意味はない。気にしても仕方ない……そう思ってるんだけど。


心のどこかで、そうでないことを……。


「……っ」


ぱっと浮かびかけたことを、頭を振って消す。

馬鹿だ、こんなくだらないこと考えて……。


紛らすように、俺は康太をさっきよりも強く揺さぶる。


「もう!本当に起きてってば!」


「断る……」


「起きてるじゃん」


「起きてねえ……」


そう言って康太は、仰向けで布団を頭から被った。全く……こうなったら。


「えい!」


「……っうぉ!?」


俺は康太が被っていた布団を無理やり引っぺがした、んだけど──。


「あー!また下だけ脱いでる。冬は風邪引くからやめなよって言ったじゃん」


「……なんだよ、別に……いいだろ……」


布団を剥がされた康太は、穿いていたはずのスウェットの下だけを脱いで、パンイチになっていた。敷布団の隅の方に、脱いだスウェットの下が雑に丸まっている。

俺は呆れつつ、康太に穿かせようと、スウェットを拾い上げた。


「わんっ」


「わ」


すると、スウェットの中にタマ次郎が隠れていた。泊まりにきた時に康太が連れてきたのは知ってたけど、夜はここで寝てたのか……。


タマ次郎は俺が拾ったスウェットの端を咥えて「遊ぼう!」って言ってるみたいだ。俺はタマ次郎の頭を撫でて、それを離してもらう。


「わふ」


「はい、早く穿いて。見苦しいから」


「……ん」


康太はボサボサの頭を掻いてから、スウェットを取る。ところが、穿くのかと思ったら、康太はそれをまたポイと投げてしまった。


「ちょっと……!」


「……ふん」


俺が反応したのを見て、康太は半目のまま、ふっと笑った……ムカつく。

おまけに「ふああ〜あ」と大きな欠伸をして、胡座をかいているのがますます腹立たしい……下はパンイチだし。


康太は相変わらずぼんやりしてるので、仕方なく、俺がまたスウェットを拾うことにする。


次やったら、もう放っとこう──そう心に決めて立ち上がろうとした時だった。


「……瞬」


「何……って」


「……」


……俺は康太に抱き締められていた。


急に何……そう思っていると、俺の肩口に顔を埋めた康太は言った。


「……好き」


「……っ」



『好きだ、瞬』



頭の中で、正月の夜のことと、今が重なる。


どっちも意味なんてなくて、康太はただ寝ぼけているだけなのに、胸の奥がざわざわして、もどかしい。



──何で。



どうしてこんなに、寂しいんだろう。



「……離して」


回された手を解こうとすると、康太はあっさり俺に従って手を離した。だけど、肩に顔を埋めたまま、身体が離れない。


「康太」


「……ぐー」


「ね、寝るなよ!」


「……ってぇ!?」


「あ」


思わず、ありったけの力で康太の頬を引っ叩いてしまう。それでやっと目が覚めたのか、康太は頬を押さえながら、目をぱちぱちさせていた。


ごめん。


って言いたかったけど、俺が言うより先に康太が口を開いた。


「……俺、何してた?」


「し……」


──知らないよ!


言いかけた「ごめん」は引っ込んで、代わりにそんな言葉が口から出ていた。

逃げるように部屋を出て行……こうとしたところで、思い出して、康太を振り返る。


「ちゃんと……下穿いて来てよね」


「……おう」





「何でパジャマを光らせる必要があるんだろうな」


適当につけたテレビの、たまたま流れていたCMを見て、康太が言った。テレビを見つめる横顔には、俺がつけた「紅葉」が刻まれている。


「……康太だって着てたじゃん、こういうパジャマ」


「ああ……夜になったら光る!って楽しみにしてだけどな。結局暗くなったら、すぐ寝ちまったし、光ってたのかなんて分かんなかった」


「そうなんだ……」


他に言うことも思いつかず、トーストを齧る。康太もテレビを見るのはやめて、もそもそとトーストを齧っていた。


「……痛い?」


「は?何が?」


「ほっぺ」


ああ……とトーストを咀嚼しながら、康太が紅葉のついた右の頬に触れる。

勢いでやってしまった手前、時間が経つごとに罪悪感が膨らんできた。


だけど、康太は「別に」と言った。


「覚えてねえけど……俺たぶん、寝ぼけて、ぼーっとして、瞬が嫌がるようなことしたんだろ。じゃあ、しょうがねえ」


「そんな……」


──嫌じゃなかった。


とは、言えないけど。まるっきりそうでもなくて……でも、ああ、もう。


何も言えずにいた俺に康太はさらに続ける。


「いいって言ってるだろ」


トーストを飲み込んでから、康太は言った。


「嫌だったら何でも、思った時に言えよ。言えなかったら、こうやって引っ叩いてもいい。その方が、知らねえうちに瞬を傷つけて、それで……関係が悪くなるよりはずっといい」


言ってから一瞬、康太の顔が思いつめたようなものになる。


俺はその時……むしろ、自分の方がいつか、康太を深く傷つけていたんじゃないかって、そんな気がして。


「ごめん」


さっき引っ込んだその言葉も、今度はあっさり、口にすることができた。

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