1月12日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
「──で、ここまでが──。したがって──」
「ん……」
耳に飛び込んできた教師の声で目が覚める。教室の時計は「11:20」を指していた。俺は盾代わりに机に立てた教科書の裏で、欠伸をする──だりいな。
木曜日は朝から、数学→英語と二時間ぶっ続けで「寝れない」授業が続いている。
そこへ来ての、三時間目「寝れる」授業、化学だ。ここぞとばかりに気持ちよく寝てたってのに──まあ、いいか。あと五分で終わるし。
──でもこの後は体育か……。
俺は心の中で舌打ちした。「寝れる」か「寝れない」かの判断基準は人によるだろうが、体育は座学でもない限り、誰基準でも「寝れない」授業だ。
そして全てがダルい。ジャージに着替えるのも、移動するのも、準備体操も、その後のランニングも、本編も、片づけも、整理運動も、また教室に帰るのも、制服に着替えるのも全てがダルすぎる。それら、一連のダルい行為を思うだけで、もうダルい。
ちらりと窓の外の校庭を見遣る。
ちょうど、赤ジャージ──なら二年か──の男子の集団が、裏門から校庭へと入ってくるところが見えた。
「マジかよ……」
あれはマラソンだ。どこのクラスも、昨日か今日あたりが、三学期初体育のはずである。つまり初回からマラソンなのだ。マラソン確定だ……クソすぎる。
俺は後ろの席を振り返る。西山も同じように窓の外を見て絶望していた。声は出さないまま「マジかよ」と唇が動く。
「何、どうした?」
俺と西山の動揺に、斜め前の森谷も勘づいたのか、小声で話しかけてくる。
「次マラソンだぞ」
「は?マジかよ……」
「お前で三人目だな、それ言うの」
そのうちに、窓際の生徒から波紋が広がるように、「次の時間はマラソンらしい」という絶望的なムードがクラスを包んでいく。
窓から教室に吹き込む冷たい風に、俺はこの後の苦行を思い、ため息を吐いた。
☆
「はあ〜……面倒くせえ……」
ジャージのポケットに手を突っ込み、ダラダラと下足箱に向かう。今は上下ともに揃いの赤ジャージで身を包んでいるが、校庭に出たらそれらは脱がないといけないことになっている。
このクソ寒い中、半袖ハーフパンツでマラソンなんて正気じゃない。走れば暑くなるとか言うが、そんなことしなくても、走らずに暖かくしていたい。それじゃダメなのか?
「何の意味があるん、それ」
「うお……」
いきなり現れたクソ矢につい驚く。
学校のように瞬と俺が離れている時間が長いところでは、「条件」に引っかかるようなこともそうそう無いので、こいつもあまり現れないのだ。
今日は日直だから、と瞬も先に学校に行ってたし、尚更だった。
「何だよ急に出てきやがって」
「さっき自分でも言うてたやん。お前が瞬ちゃんとおらん時は、あんま現れへんって。その儂がおるってことは……」
あたりを見回す。すると、昇降口から校舎へ入ってくる瞬の姿が見えた。
「瞬」
「あ、康太」
半袖ハーフパンツ姿の瞬が近寄ってくる。そうか、さっき体育だったのは瞬のクラスだったのか。寒空の下、走ってきたせいか、瞬の顔はほんのり紅潮している。
疲れているのか、いつもよりもさらにぽやんとした感じで瞬は言った。
「おはようー」
「……おはよ。もう昼だけどな。てか、ジャージはどうしたんだよ。寒くねえのか」
「冬休み中に洗濯して、しまっといたら、そのまま忘れちゃって……でも、走って暑くなったから平気だよ」
「嘘つけ」
体育着から伸びる瞬の白い手足は、見てるだけでこっちまで寒くなりそうだ。紅く染まった瞬の頬を手の甲で軽く触れたら、ぞっとするくらい冷たかった。……これで平気なわけないだろ。
俺は呆れながら、羽織っていたジャージを脱いで、瞬に差し出す。
「これ着とけ」
「え?だって、康太これから体育……」
「校庭行ったらどうせ脱がなきゃなんねえだろ。貸してやるから教室まで羽織ってろ」
「でも」
俺は半ば強引に、瞬の肩にジャージを掛けてやった。戸惑う瞬を置いて「じゃあな」と校庭へ急ぐ。
昇降口を抜けると地獄みてえな寒さが俺を襲った。冷たい風が肌に刺さって痛い。
「よっ、イケメン彼氏」
振り返ると、西山がニヤニヤ顔で俺に近づいてきた。
「見てたのかよ」
「昇降口前のトイレ寄って、出てきたらたまたまな。いいもん見たわ」
「別に何でもねえよ」
「そうか?じゃあ俺が震えてたら、瀬良はジャージ貸してくれんの?」
「凍え死んでろ」
「ほらな」
「てか、むしろ西山が今の俺にジャージを貸せよ」
「断る」
西山が愉快そうに笑う。「行こうぜ」と肩を叩かれ、俺はさらなる地獄が待つ校庭へと向かった。
☆
地獄の体育を終え、凍えた体を引きずって教室に戻る途中だった。
「康太」
声に振り向くと、制服に着替えた瞬がいた。手にはさっき貸したジャージを持っている。
「帰る時返してくれりゃあいいのに」
「康太が寒いでしょ」
そう言って、今度は瞬が俺にジャージを掛けた。……ジャージが一枚あるかないかってこんなに違うんだな。体に残る、肌を刺すような痛みが柔らいでいくのを感じる。
「それに俺、今日は部活だから一緒に帰れないし」
「ああ……」
言われて思い出す。そうだ、文芸部の活動があるのは月曜日と木曜日だったな。
ということは、敢えてこっちから会いに行かない限り、これが今日、瞬に会う最後のタイミングってことだ。
部活が終わって、瞬が帰ってくんのは、大体六時ぐらいか。そんな時間にわざわざ家まで行くのはさすがにできない。かといって、瞬を待ってるのもな……。
西山あたりを誘って、教室で駄弁ってるって手もあるが、その理由が「瞬と帰りたいから」だと知られるのは面倒くさい。
──今しかないか。
「ほう、ここでやるんか。なんや、おもろそうやなあ」
ちょっと黙ってろ。
「瞬」
「何?」
瞬が首を傾げる。俺はまじまじと瞬を見つめた。
「コソ練」を口実に、瞬の協力を得られてはいるものの、いつ何時でもできるわけじゃない。
あまり変なタイミングで頼めば、さすがの瞬だって不自然に思う。
口実を手に入れてすぐの頃は「瞬の協力があれば余裕」なんて思ってたが、続けていると、意外とそうでもないことに気づく。学校が始まってからは、特に。
……どうする。どうやって「言う流れ」に持ち込む?
迷った末に俺は──。
「あー……瞬は、昼はどうすんだ」
「ヘタレやなあ」
うるせえ。
「昼……うーん、お弁当持ってきたんだけど……あんまり食欲なくて……これから購買に行ってパンでも買おうかなって」
「なんだよ……大丈夫か?」
「ちょっと疲れてるだけだから大丈夫。康太はどうする?あ、俺のお弁当あげよっか」
「いいのか?」
「いいよ。卵焼き入れてきたんだー」
「マジで」
「マジ」
瞬がにっと笑う。
立花家の卵焼きは俺好みのしょっぱいやつなので、俺は瞬がお弁当に入れてきた卵焼きを時々貰うことがあった。あれはマジで美味いからな。他にも、瞬の弁当にはお手製の美味いおかずがゴロゴロ入っている。
俺は瞬の弁当を想像し、腹を鳴らした。
「……なんか、忘れてへん?」
俺と瞬は教室に戻る道すがら、購買に寄り、俺は着替えないまま、瞬の教室までついて行った。
それから、二年のフロアにある多目的ラウンジで飯を食うことにする。
「はい、どうぞ」
瞬が黄色の包みを開いて、取り出した弁当箱を俺の前に置く。
「おう、いただきます」
手を合わせてから、紺色の二段重ねの弁当箱を開く。上の段には卵焼きとたぶん、昨日の夕飯の余りらしき煮物、冷凍のコロッケが詰まっていた。下の段はふりかけのかかった白米。今日の弁当は瞬にしては控えめだな。
「これで足りんのか?」
「うーん……詰めてる時からあんまり食欲なかったんだよね……昼になったらお腹空くかなーと思ったんだけど」
「本当に大丈夫かよ……無理すんなよ」
「うん、大丈夫ー」
言いながら、瞬がコッペパンを頬張る。
やっぱりなんか、いつもよりぽやんとしてるな。パンが食えるくらいだから、そこまで心配しなくていいのかもしれないが。
俺は瞬の弁当に箸をつける。まずはやっぱり卵焼きだ。うん、美味い。ふっくらしてて、出汁の味がきいてる。俺ん家の卵焼きは母親好みの甘いやつだから、俺はこっちの方が口に合うし、好きなんだよな。
うんうん、頷きながら卵焼きを味わう。
ふいに、瞬と視線がかち合った。瞬はふっと笑うと俺に訊いてきた。
「……好き?」
「ああ……うん、好きだな。好きだ」
「そっか」
「知ってるだろ」
「知ってるけど」
何でもない、と瞬が首を振る。
俺が瞬の家の卵焼きが好きだなんて、聞くまでもないだろうに。変な奴だな。
「ふうん……」
気がつくと、クソ矢が空いた椅子の上で胡座をかいていた。手にはいつもの宴会グッズを持っている。あれを持っているってことはつまり──。
「今日の分は……クリアやな」
ぴんぽーん。
俺に宴会グッズの「○」印を見せながら、クソ矢が鳴らす。
は?
俺……何でクリアしたんだ?
「人間ってのは複雑なもんやなあ……こないなクリアの仕方、想定してへんわ」
おい、俺にも分かるように言え。
「お前の幼馴染のことやろ。自分で考え……でもまあ、クリアはクリアやからな。喜んでええんちゃう」
よく分かんねえのに喜べるか。なんか罠とかじゃねえだろうな。
「それはないわ。儂らはただ……条件には忠実なだけや」
本当かよ。
しかし、クソ矢はそれ以上何も答えなかった。それどころか、また明日な、と姿を消してしまう。
──今までで一番、手応えのないクリアだ。
まあ、いいか。
俺は肩をすくめて、とりあえずは目の前の、俺の好きな卵焼きを食うことにした。
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