1月9日 成人の日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





──……た。こ……た。


白い光の中で、聞き覚えのある声に呼ばれる。何だよ、うるせえな……。


──……た。早く起きなきゃ……遅れちゃうよ…。


始業式は明日だろ。今日は成人の日……まだ冬休みだ……。


──しょうがないなあ……。


声が一瞬遠のく。代わりに、すぐそばに体温を感じて──いや、何か、前もこんなことあったな。


「クソ矢か……」


腕を伸ばして、そいつを払い除けようとするが、それはできなかった。腕を掴まれてしまったのだ。


あいつはこんな風に触れないはずじゃ──そう思った瞬間、頬に柔らかくて温かい感触があって。


「──っ、おい?!」


「おはよう、康太」


目を開けると、にっこり笑う──知らない、でもどこかで会ったことがある気がする、大人の男がいた。





「康太、今日からまたずっと仕事に行っちゃうの?」


「え、ああ……まあ」


納豆をかき混ぜながら曖昧に頷く。

どこかのマンションの居間で、用意された朝飯とテーブルを囲みながら話しているが、こいつが誰なのかは分からない。親戚とかじゃないよな?


会ったことがあるような気はするんだが……。


「大変だなー……本当、体には気をつけてよ?」


「おう……いや、それよりお前誰なんだよ」


馴れ馴れしく話しかけてくるこの男に、俺は思い切って聞いてみた。男は、へらへら笑いながら言った。


「誰って……瞬だよ」


「瞬?!」


言われて、ようやく納得した。


そうか……まあ、言われてみれば面影はあるような気がする。

けど──なんていうか、別人だな。鈍臭い感じもしないし、着ているスーツも高そうだし、よく見たら、部屋だってタワマンみたいな良い部屋だ。めちゃくちゃ稼いでるな。


指輪はしてないからたぶん結婚はしてないのだろうが──。


「お前……今、何歳なんだよ」


「何歳って……ふふ。何歳に見える?」


「はしゃぐなクソジジイ」


無性に腹が立ったのでそう返したが、瞬(大)は、気にしなかった。むしろ、ニコニコと人好きのする柔和な笑みで俺を見つめる。


「康太は……なんか若くなったね?高校生くらい?」


「今さら気づいたのかよ」


「だって康太、あんまり変わってないから」


笑いながら、瞬(大)は俺の頭を撫でてくる。


「やめろ、子ども扱いすんな」


「十個も年下なんだから、俺から見たら子どもで間違ってないでしょ?」


「じゅ、十!?」


つまりこの瞬(大)は二十七歳ってことになる。俺は今、二十七歳の瞬とテーブルを囲んでいた。


──こんなの、ありえねえ。


「おい、これ……夢なんだろ」


「康太がそう思うならそうなんじゃない?」


訳知り風なニコニコ顔が癇に障る。

こいつの態度はいちいち、俺が知ってる瞬じゃないみたいでムカついた。まるで、似てない物真似で「立花瞬」を名乗られてるみたいに不快だ。クソ。


そんな俺の気も知らず、瞬(大)は俺に訊いてくる。


「ねえ、二十七歳の俺と折角会ったんだよ?何か聞きたいことはないの?職業は?年収はいくら?どこに住んでる?恋人はいるの?とか」


「じゃあそれ全部教えろ」


瞬(大)が自分のプロフィールを滔々と語る。こいつを瞬と認めたくはないが、語られたプロフィールは概ね、俺がぼんやりと想像していた未来の瞬の姿に近かった。まあ、当たり前か。これは俺の夢なんだから。


唯一違うのは、瞬がまだ結婚してないことくらいか。


正直、瞬が結婚とかあんまり想像はつかねえが、なんとなく、大学に行ったら彼女とかできて、そのまま結婚とかするんじゃねえかと思ってた。

頭良いし、稼ぎそうだし……良い奴だからな。


「そうだね。こんな優良物件を見逃してるなんて、もったいないと思うんだけど」


「自分で言うなよ。あと優良物件なんて嫌な言い方すんな」


「今の、皮肉なんだけどな」


一瞬拗ねたような顔をしてから、瞬(大)は悪戯っぽく笑った。俺の知ってる瞬はしないような顔だから、ちょっとドキッとした。悪い意味で。


──妙なこと考えてんじゃねえぞ……。


ふいに、瞬(大)が椅子から立ち上がる。俺の側まで来ると、瞬(大)は俺にぐっと顔を寄せてきた。


「ふふ。まあ、いいか。それより康太、今日は言わなくていいの?」


「今日は……?」


「忘れちゃったの?しょうがないなあ……ほら毎日『好き』って言うやつ」


「あ、ああ……でも」


辺りを見回す。夢の中だから当然、クソ矢はいない。こんなところで言ったってたぶんノーカンだろう。それに、本当にこいつが瞬なのかは怪しいし──。



「俺は瞬だよ。だから安心して言って。言わないと康太は死んじゃうんでしょ」



「──ッ?!」


言われた瞬間、背筋が凍って──でもすぐに「告白」がノーカンになるなら、こっちだってノーカンだろ、と思い直す。


「……何でそれを知ってる?」


意味はないと思いながらも、俺は訊いた。

瞬(大)は視線を宙に遣りながら考えるような素振りを見せる。


「何でだろう……今、急に思い出したんだ。そういえばそうだったなって──ああ、そっか」


瞬(大)が手をぽんと打つ。喉に刺さった小骨が取れたみたいにすっきりした顔で言った。



「康太が死んじゃったからだ」



俺の手を取って、瞬(大)がしきりに頷く。


「だからずっと帰ってこなかったんだね。そっか。死んじゃったんだよね、康太。俺に『好き』って言わなかったから。そっか、そっかあ……」


一人で納得したみたいに「そっか」と繰り返す。こんなとこばっかり似てんじゃねえよ。俺は瞬(大)が恐ろしくてたまらなかった。


──今すぐここを出たい。俺が知ってる瞬に会いたい。


椅子から立ち上がり、玄関に向かって走ろうとする。だけど瞬(大)がそれを許さなかった。羽交締めにするみたいに、後ろから抱きついてきて俺を離さない。


「ねえ、康太。『好き』って言ってよ。俺の康太はもう死んじゃったから言ってくれないんだ。だから代わりに『好き』って言って。ねえ、康太。康太……」


「離せ……お前に言ったって何の意味もない……俺は、ただ、命が惜しいから……まだ生きていたいから……言ってるだけで……」


「だったらどうして言わなかったの?どうして俺の康太は死んじゃったの?生きていたくなかったの?命乞いでも俺に『好き』って言うのは嫌だった?康太は俺といるより死んじゃう方がよかったの……?もしかして俺のことが嫌いだった?幼馴染でもなかったら、本当は一緒になんかいたくなかったの?ねえ何で……どうして?どうしてどうしてどうしてどうして……どうして……ッ」


瞬の声が掠れていく。こんな風に取り乱す瞬は見たことがなかったけど、きっとこれは瞬のもので間違いないと何故か思った。


──だけどこいつは違う。


俺を絞めていた手の力が緩んでいく。その隙に、俺は瞬の腕から抜け出て、今度は俺の方から瞬を抱きしめた。


「お前のことは嫌いじゃない」


「……」


「だけど俺はお前を知らない。命がかかってるわけでもないのに、知らない奴に同情で言えるほど、俺の『好き』は易くねえんだ」


「……」


「お前のそいつも、たぶんそうだ。死んでもいいから言わなかった理由がある。それはお前が嫌いだからとかそんな簡単な理由じゃない」


そうでなきゃ、死ぬ方を選ぶわけがない。だって俺が生きようとしてる理由は──。


その先を遮るように、目の前の奴の呟きが、耳に刺さった。


「……俺の康太じゃないくせに」


「お前だって、俺の瞬じゃねえだろ」


──もう帰ろう。


その時、目の前が眩しい白に埋め尽くされていった。体が浮かんでいくような気がして、ああ、ようやく目が覚めるんだなと分かった。





「ん……」


目を開けた瞬間、俺は寝てたのだと悟る。まずはテーブルから身を起こし、それから体をぐっと伸ばした。手元にあったスマホで時間を見る。

15:30。一時間くらいか。


隣を見ると、瞬も広げたノートの上に伏せて寝ていた。勉強中に居眠りだなんて、瞬にしては珍しい。


冬休み最終日。特に予定もなかった俺は、家で何かと口うるさい母親と二人でいるより、瞬の家で「勉強するから何も構えないけどいい?」という条件の下、自堕落に過ごすことを選んだ。


そして、勉強に励む瞬を横目に、漫画を読んだり、スマホをいじったり、ゴロゴロしてる内に、寝ちまったらしい。瞬もつられてって感じか。


机に伏せて寝ることに慣れてる俺は大したことないが、瞬みたいな、生まれてこの方居眠りなんかしたこともない優等生にこの体勢は辛いだろう。


俺は床に敷いていた座布団を並べて、その上に瞬を寝かせてやった。ついでに、たぶん俺の肩に掛けてあったんだろうタオルケットを、今度は瞬に掛けてやった。


「おもろい夢見れたんちゃう?」


振り返ると、床に胡座をかいたクソ矢が、いつものニヤニヤ顔で俺を見ていた。


「……夢?」


「なんや。馬鹿は夢の内容なんかいちいち覚えてられんか」


「……ムカつく夢だったことしか分からねえ」


クソ矢が笑ってるってことはロクな夢じゃなかったんだろう。それにまあ、実際、胸に燃えカスのような、苛立ちの跡が残ってるような気がする。


「お前が何か見せたのか?……いや、夢は神が見せてるんじゃないって、瞬が言ってたな」


「どうやろなあ。まあ、どんな夢か聞きたいんやったら、教えてもええよ」


「知りたくねえよ」


俺は鼻を鳴らして、それから、隣で眠る瞬を見る。


──なんか、妙に安心するな。


なんとはなしに、瞬の頭を撫でてみた。特に何の感慨もないが、瞬にこんなことができることに、奇妙な安心感を覚えた。


このままちょっと軽く叩いて起こそうかどうか考えて──ひとつ思いつく。


「おい、寝てる時に言ったのはクリア扱いになんのか?」


「やってみたらええんちゃう?」


真面目に答える気ねえな。


俺は嘆息してから、言った。


「瞬」


「……」



「好き」



「……」



\ぴんぽーん/



軽すぎる電子音が部屋に響いた。


ちらりと、クソ矢を振り返る。その手には例の、「○」印のプレートがついた宴会グッズが握られていて──。


「……瞬、起きてる?」


「……っ」


答える代わりに、瞬は耳を赤くして、座布団に顔を伏せた。

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