1月8日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
「〜っふふ〜ん♪っんん〜♪」
母親に頼まれた買い物の帰りだった。
マンションの階段を登っていると、ご機嫌な鼻歌が聞こえてくる。見上げると、そこにはよく見慣れた後ろ姿があった──暢気な奴だ。
俺は背後から忍び寄って、そいつの耳元で思い切り叫んでやった。
「瞬っ!」
「へっ?!わ、こ?!うわっ」
びっくりして転びそうになった瞬の腕を引いて、支えてやる。瞬は息を整えながら「ありがとう」と俺を振り返った。
「ずいぶん機嫌がよかったな」
「え?そうだった?」
「ああ。鼻歌まで歌ってたし」
「そ、そこまで聞いてたの?全然気づかなかった……」
瞬が鼻の頭を掻いて照れる。しかし、ご機嫌な理由を訊いてみれば、別に何かあったわけではないらしい。
「最近、勉強してる時に音楽聴いてて……同じ曲を何往復もしてるから、なんとなく耳に残ってるんだよね。それでつい……」
「へえ……」
1.どんな曲聴いてんだ?
2.それ、勉強になるのか?
頭の中に二通りの返事が浮かぶ。
人生とは選択の連続で、どんな些細なことでだって、俺達は日々、思考と選択を繰り返している。
時には「一か八か」の賭けに出るような、そんな選択を迫られることだってあって──。
まあ、この場合は別にどっちを選んだからどうってこともない。強いて言えば、瞬が最近どんな曲を聴いてるのかは普通に気になるし、ここは「1」でいくか。
3.瞬って音痴だよな
「え、えー!……そうだった?なんか、すっごい恥ずかしいな……」
「待て瞬、これは俺の意志じゃない」
突然、さっきまでなかった選択肢が頭に浮かび、そのまま口をついて出てしまった。おかしい。
そして、こんなおかしな仕掛けをするのはアイツしかいない。
「おもろいわあ……ほんまに言うとは思わんかったなあ」
振り向けば、当然、そこにいたのはニヤニヤ顔のクソ矢だ。ふざけやがって……。
「儂はちょっと頭に細工しただけやん。言うたのはお前やで」
「余計なことすんな」
「康太?」
「いや、何でもねえよ。それより、瞬は音痴じゃないからな、気にすんなよ」
「……康太が言ったんじゃん」
瞬が怪訝な顔で俺を見ている。どうする。何かもっとフォローした方がいいか?
1.もう一回歌うように促す
2.カラオケに誘う
3.抱きしめて頭を撫でる
とりあえず、3はねえな。
「これが一番望まれてると思うんやけどなあ」
クソ矢は無視する。
「じゃあちょっと、もう一回歌ってみろよ。その上で、音痴かどうか判断する」
「嫌だよ!どうせ音痴って言うし。大体こんなマンションの廊下でなんか歌えないよ」
「歌ってたじゃねえか」
「は、鼻歌はいいの」
「じゃあカラオケ行こうぜ。どうせ今日何もないだろ。瞬の歌聴きたいし」
「確かに何もないけど……でも嫌だよ、なんか恥ずかしいし。康太、絶対笑う」
「笑わねえよ」
「嘘だ」
そっぽを向いて、すっかり拗ねてしまった瞬に、俺は心の中で両手を上げた。ダメだ。こうなった瞬は死ぬほど面倒くさ……手強いのだ。簡単には機嫌が直らない。
俺はため息を吐いてから、覚悟を決めて──瞬を後ろから抱きしめた。
「悪かった、音痴とか言って」
そして、うさぎでも撫でるみたいにそっと瞬の頭を撫でてみた。すると、その手はあっさり瞬に払い除けられて──。
「康太」
「何だよ」
「……キモい」
瞬は潜るようにして俺の腕の中から抜け出ていく。俺はショックでしばらく呆然としていた。
心のどこかで「ひょっとして瞬ってこうすれば許してくれるんじゃないか」って、一瞬でも思っていたのが恥ずかしい。まあ普通に考えたら、そんなわけないよな。
ここ最近、付き合ってるわけでもないのに、毎日「好き」って言ったり、カップルの真似事みたいなことをしたりしてたから、いい加減、俺も感覚が狂ってきてるのかもしれない。
『麻痺してんねん、お前……』
──ムカつくが、確かにクソ矢の言う通りだ。
俺は頭を振って、気持ちを切り替える。
「瞬、悪い。俺……何か、色々間違ってたわ」
「え?」
瞬から離れて、たぶんこのくらいだったと思う──「普通」の距離をとる。
決してぶつからず、かといって離れすぎない、俺達の「普通」の距離。
「このくらいだよな」
瞬が首を傾げている。だけど、あえて距離を詰めて来るようなことはしなかった。それでいい。
既に巻き込んでしまったが、瞬は頭が良いから、きっと間違えたりしない。
俺が気をつけていれば、俺達はこれからも、普通の「幼馴染」を続けられる。
「……母さんに買い物頼まれた帰りだったんだ。もう行く。急に呼び止めてわけ分かんねえことして悪かったな。じゃ」
「あ、康太」
それだけ言って帰ろうとしたのだが、瞬に呼び止められる。瞬は少し躊躇ってから言った。
「きょ、今日の分は……しないの?」
「あ、あー……」
そういえば、すっかり忘れていた。
「忘れんなや」
お前が変な仕掛けとかするからだろ。
……そうだ。「幼馴染」を続けようにも、まずは命がなくちゃ始まらねえ。
それは今のところ、一も二もない、選びようのないことだ。
「瞬」
「うん」
さて、どうやって言おうか。俺は思考を巡らせる。
人生とは選択の連続で、どんな些細なことでだって、俺達は日々、思考と選択を繰り返している。
時には「一か八か」の賭けに出るような、そんな選択を迫られることだってあって──。
「好きだ、瞬」
迷った末に、俺はできるだけ──心なくその言葉を口にした。
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