1月5日


【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





「……おはよう、瞬」


「……おはよ」


朝。母親に頼まれて、マンションの集積所までゴミ出しに行くと、瞬に会った。


昨日の件があったとはいえ、瞬を無視するのは気分が悪いので、挨拶はしたが……まあ、なんかぎこちない。


瞬の方も気持ちは同じなのか、挨拶は返してくれたが、すぐに視線を逸らされる。いつもみたいな笑顔はない。


あの後。仕方なく課題を終わらせて、部屋を出る許しをもらった時も、瞬はこんな感じだった。


必要最低限しか口を開かず、目も、俺を真っ直ぐに捉えることはない。表情にも乏しく、いつもの瞬らしくない。


──らしくなく、させたんだよな。俺が。


ふっと息を吐き、思い切って、瞬に切り出す。


「なあ、瞬……昨日は……」


「今日は、自分で課題やって……あとちょっとだし、昨日みたいに見張ってなくても大丈夫でしょ」


感情の籠らない声でそれだけ言うと、瞬はさっさと階段を駆け上がっていなくなってしまった。取り付く島もない。


「チッ……どうすりゃいいんだよ……」


「そら、等価交換とやらで康太の秘密も差し出さな」


振り返ると、クソ矢が茶化すように笑っていた。


「てめえのせいでこんなことになったんだろうが」


胸倉を掴もうとするが、当然、クソ矢には触れられない。クソ矢は胸のあたりを軽く払うと、ニタニタとムカつく顔で言った。


「ほんまにやったのは自分やん。儂はヒントあげただけやで」


「あんなこと言われたら普通やるに決まってるだろ。クソ……てめえのせいで瞬に課題をやらせる計画がパアだ」


「パアになって当然やな、こんなクズ」


クソ矢が呆れ返っている。


今日やる予定だった課題は、家庭科の調理実践レポートだったのだ。瞬に九割くらい作ってもらって、俺は写真と味見と片付けだけやるつもりだった。最悪だ。母親は仕事だし、俺一人じゃロクなものは作れないだろう。詰んだ。なんて──。


「まあ、そういう問題じゃねえことくらい分かってるよ……」


「ほう」


クソ矢が目を見開いて、わざとらしく驚いてみせる。


「なんだよその態度」


「根っからのクズが、茎くらいのクズやったんやなと思っただけや。まだ腐りきってないんやなあと」


「意味分かんねえよ……てか、お前」


「何や」


「心とか読めんだろ。よくやってるし。瞬のこと何か分かんねえか?どのくらいキレてるとか、どうしたら許してくれそうかとか」


「阿保か。分かってもお前に言うわけないやろ」


クソ矢が鼻で笑う。


「秘密は言ったくせにか?」


「儂は言ってへん。『条件』がクリアできるように、使えそうな道筋用意しただけやで」


「はっ、やっぱりそうか」


今ので確信した。昨日、俺がクソ矢に言った説は、それなりに的を得ていたらしい。


俺と瞬に「条件」をつけたクソ神共にとっても、俺が「条件」をクリアした方が都合がいいのだ。


「なら、俺と瞬が険悪になってるのはお前らにとっても困るはずだろ。協力しろ」


「嫌や」


しかし、クソ矢は頑として首を縦に振らない。何でだ?


「だってなあ、協力するまでもないやろ。お前がやることなんて、儂が何言うたってもう決まってんちゃう?今日はそっちに任した方がおもろそうや」


「……クソ」


ムカつくが、こいつの言う通りだった。


そうだ。俺はどうすりゃいいかなんて、とっくに分かってた。


ただ、俺のしたことで瞬をまた怒らせるかもしれないことに、いつもみたいじゃない瞬に、ちょっとビビってたんだ。


とにかく謝る。

瞬が聞いてくれるかとか、許してくれるかとか、そんなことは置いて謝るんだ。

瞬の踏み込んでほしくなかったところに、興味本位で入ったことに。


それから、いるかどうかは分かんねえが、俺の秘密も差し出そう。

せめて、瞬の「作品」は全然、恥ずかしいもんなんかじゃなかったって、瞬が思えるような──とっておきの恥ずかしいヤツを話してやる。


「ふん……分かっとるなら早よ追いかけや。デリカシーがないのが、アイデンティティなんやろ」


「うるせえよ」


クソ矢に背を向けて駆け出す。少し離れたところで、クソ矢の声が聞こえた。


「『条件』も、忘れんとってな」





ぴんぽーん。


「おい、瞬。俺だ。話したいことがある。いるなら開けてくれ」


瞬の家のインターホンを押して、声をかける。

……返事はない。もう一度インターホンを鳴らす。


「瞬、頼む。開けてくれ。ちょっとだけでいい、直接話したい」


ダメだ。返事どころか物音一つしねえ。

今度はインターホンだけじゃなくて、ドアも軽く叩いてみる。だが、いくらやっても、返事はない。もしかして留守なのか?


「はあ……」


つい、ため息を吐く。正月の晩のことを思い出した。あの時はもっと必死だったから思わなかったが、マンションの外廊下は風が冷たく、寒い。

固く閉じたドアは瞬の心情そのもののようだ。


あの時みたいに瞬が出てきたら──と、そこで俺は閃く。


「クソ矢」


「あ?」


床から生えてくるように、クソ矢がぬっと現れる。出方気持ち悪。まあいい。


「そこで立って見てろ」


「はあ?何をや……」


大きく息を吸う。俺はドアの奥に向かって思い切り叫んだ。



「好きだーーーーーーーッ!!!瞬ッ!!!!」



「……はぁ、そういうことか」


意図が読めたらしいクソ矢が片手で「○」を作る。「条件」クリアのサイン──つまり、瞬はこの「告白」を聞いている。このすぐそばにいる。


「こんなことに『条件』利用する奴聞いたことないで……ほんま、とんでもないクソガキやなあ……」


「瞬がいるかも分かって、『条件』もクリアできる。一石二鳥だろ」


「その頭、もっと他のことに活かせや」


クソ矢が嘆息する。すると、ずっと静かだったドアの向こうから、微かに物音が聞こえた。瞬だ。


俺は、クソ矢に言った。


「……これで、お前の用は済んだはずだ。ここからは俺と瞬で話す。今日はもう引け。いいだろ」


「ふん……」


鼻を鳴らしたクソ矢は「見てられんわ」と、消えていった。……今日の「条件」はクリアしたのだ。少なくとも、今日はもう、クソ矢に監視の義務はない。言葉通り、どこかへ去ったのだと思いたい。



ガチャ。


クソ矢が消えてから間もなく、ドアが微かに開いた。隙間から、薄暗い室内と、俺を睨む瞬の目が覗く。


「……うるさいよ」


「ごめん」


開口一番、怒られた。それでも、やっと言えた。だが、まだ足りない。


「勝手にノート見てごめん」


「……」


「あと……大とか小とか聞いてごめん」


「……それは別にいい」


いいのか。


「あと……謝っておいてなんだが……あれ、瞬が書いたやつなんだろ。俺は良かったと思うぞ」


「……どのへんが?」


「字が綺麗なところ」


きい……。微かにしか開いてなかったドアがさらに半分閉まる。まずい、瞬の心証を悪くしたようだ。


俺は取り返そうと、必死に昨日読んだことを思い出す。と言っても、ほとんどよく分からなかったしな……。


「あ、あと、アレだ……字がたくさんあって小説っぽかった」


きい……。さっきと同じくらいまで、瞬はドアを開けてくれた。よかった。いや、これはよかったのか?分からん。


とりあえず勢いに乗った俺はさらに続ける。


「最初、現文の教科書写したのかと思ったぞ……こんな話あったっけなって。すげえな瞬」


「……そう、だった?」


きいい……。さらにドアが開く。瞬が半身を覗かせてくれた。よし、いい感じだ。


「ああ。全体的になんかその……不思議な雰囲気?があって……さすが文芸部だな。本当、瞬にこんな才能があったなんてびっくりしたぜ……」


「い、言いすぎだよ……」


瞬の表情から硬さがなくなる。はにかむ瞬は、もうひと押しすれば外に出てくれそうだ。あと少し……。


「そうだ。登場人物の名前に瞬の名前を使ってるってのもよかったな。ほら、昔流行ったケータイ小説?みたいで」


がちゃん。


瞬は再び表情を失い、ドアは固く閉ざされた。

俺はまた、触れてはいけない部分に触れてしまったらしい。


「待ってくれ瞬!何が……!そんなに嫌なんだよ……!」


「帰って。昨日見たものの記憶を消してからまた来て」


「無茶言うな……!」


閉まったドアをこじ開けようとしたが、全く開かない。クソ、これで振り出しだ。


「……デリカシーがない康太には分かんないよ。本当に……恥ずかしかったのに。まだ、見せられるようなものじゃないって、思って、隠してたのに……怖かったのに……」


いや、振り出しじゃないか。瞬が、自分の気持ちを話してくれてる。


──俺も、応えよう。


「瞬、聞いてくれ。俺は、瞬に秘密にしていたことがある。すごく……恥ずかしいことだ。瞬には知られたくなかったことだが……俺も瞬にこの秘密を差し出す。だから、これで手打ちにしてくれないか」


しばしの沈黙。すると、ドアがまた微かに開いて、瞬が言った。


「……聞いてもいい」


「ありがとう」


俺は息を吸って──意を決して、話した。


「高一ん時の文化祭、覚えてるよな」


「……うん。女装喫茶のこと?」


「そうだ。クラス委員だからってキャストを引き受けた瞬と、本番前に俺ん家で衣装の試着したことがあっただろ」


「うん。親とか他の人に見られるのが、まだ恥ずかしかったから……康太の家だったら、昼間は誰もいないし」


「ああ。それで……『絶対誰にも見せないならいいよ』って、瞬の女装の写真、スマホで撮らせてもらったよな」


「うん……そうだった」


「結局、女装喫茶は許可が降りなくて、なくなったから、瞬の女装姿は幻になった」


「うん」


「だから俺はそれを──母さんに見せたんだ」


「……」



「あと三組の森谷にも見せた」



「最悪」


がちゃん。ちゃり……。


ドアは固く閉ざされ、チェーンロックまでかけられた。


「話はまだ終わってないぞ、瞬!」


「終わりだよ、本当最低。二度と姿を見せないで」


にべもない拒絶だった。だが──まだ諦めない。俺はこの話が瞬に届くと信じて、話し続ける。


「俺はこれを母さんや森谷に見せた時、それが恥ずかしいなんて気持ちは微塵もなかった」


「……当事者じゃないからでしょ」


「それだけじゃねえよ。クラスの過半数が悪ノリで決めた企画だったってのに、瞬は少しでも女装をよく見せようと、あの期間、体型とか肌とか、めちゃくちゃ気遣ってただろ。それに、ネットで色々調べて……クラスのために真剣に頑張ってた。俺はこういうの、よく分かんねえから、大したことは言えねえけど……あの瞬は、可愛かった、と思う。誰に見せても恥ずかしくないくらい」


「……」


「だから、あんな企画だったけど、中止になった時、すげえムカついたんだ。瞬の努力が無駄にされたみたいで……せめて、写真撮っといてよかったと思った。それでまあ……『絶対見せるな』って言われてたけど、母さんならと思って、見せちまった。森谷も、まあ色々あって──話の流れで、つい」


「……それの、どこが恥ずかしい話なの」


「それが……その時……二人になんて言って見せたと思う?」


「……」


瞬が考えているような、そんな気配がドアの向こうでした。俺は頭を掻いて……別に目の前にいるってわけじゃないのに、つい、ドアから視線を逸らして、続きを言った。


「俺の……彼女って言って、見せた」


「……っ」


「二人とも、全然疑わなかったぞ……おかげで、なんか、俺が幼馴染使って見栄張ったみたいになって……後から恥ずかしくなった」


「……っふ……」


「……瞬?」


ドアが開く。間から、瞬の声が漏れてくる。


「ふっ……はは、あはは……」


「な、何だよ急に」


──笑ってる。


「あはは……はは……っ!ずるい……ずるいよぉ……はは……康太、あはははは……」


笑いながらドアの裏から出てきた瞬は、力が入らないのか、ふらふらと俺に近寄ってくる。

半ば倒れこむような勢いの瞬を、俺は抱き止めた。


「笑いすぎだろ」


腕の中の瞬は、よく見ると目に涙が滲んでいた。それを親指で軽く拭ってやると、瞬がへにゃっと笑いながら「ありがとう」と言った。

そして、ついでに、とばかりに俺の肩に顔を擦り付けて、残りの涙も拭きやがった。


「おい」


「……このくらいしても足りないくらいなんだけど」


「もう許してくれ、本当。悪かった。ごめん」


「いいよ。俺もごめん」


瞬が背中に腕を回してくる。抱きしめ合うみたいな格好になった。なんだこれと思ったが、そういえば、幼稚園の頃、瞬と喧嘩したら、よくこうやって仲直りしてたな……と懐かしくなった。変わってねえな。


──まあ、いいか。


いつもの瞬に安心したら、腹が減ってきた。


「瞬、一緒に課題やってくれ。家庭科のやつ」


「えー……早速それ?」


「ちょうど腹減ったんだよ。瞬、何か作れ」


「自分で作るやつでしょ?手伝ってあげるから、康太もやるよ」


「分かったよ……」


瞬に導かれて、部屋に入れてもらう。

胸のあたりにさっきまであった瞬の体温は、あっという間に、死ぬほど見慣れた部屋の空気に溶けて消えていく。


こんなことを重ねながら、俺と瞬の日々は、明日からも続いていくのだろう。



☆☆☆



【おまけ】



「なあ、瀬良。学食寄ってく?」


体育終わり。校庭から教室へ戻る途中、体育で一緒になった三組の森谷に誘われる。


学食か。確かに小腹が空いたなと思い、ジャージのポケットをまさぐったが、生憎、財布を教室に置いてきたらしい。俺の所持金はゼロだ。だが、そう思うと余計に腹が減る。


さて、どうする──その時、ふと閃いた。


「森谷、取引しないか」


「ん?何だよ、取引って」


「お前、可愛い子好きだろ。見たいか?」


「キャッチかよ……まあ、見たいけど」


「よし」


釣れた。俺は意気揚々とスマホを取り出して、森谷に突きつける。


「なら取引だ。俺のスマホにあるとっておきの一枚をお前に見せてやる。代わりに学食奢れ」


「……スペックは?」


「北高二年。身長167くらい。Cカップ。黒髪ショートボブ。文芸部所属。名前は、りっか。写真は中学の時の制服姿でセーラー。ちょっとサイズがきつかったそうだ」


「サンプルない?」


「半分だけなら」


俺は件の写真を表示させ、手で画面の半分を抑えた状態で森谷に見せる。ちょうど、腹から足元までが見えている状態だ。


「胸は?」


「仕方ねえな」


手を上にずらして胸まで見せる。森谷は鼻の下をだらしなく伸ばして、画面を見入っていた。


「へえ……この、ブラウスを押し上げる双丘が……はあ〜……」


さすが森谷。期待を裏切らない気持ち悪さだ。

取引の成功を確信していると、森谷が尋ねてくる。


「いくらで出す?」


「ポテから」


「乗った」


話が早くて助かる。

森谷は学食に駆け込み、俺は無事、ポテからを手に入れた。


爪楊枝で刺したからあげをつまみながら歩いていると、森谷が鼻息荒く言った。


「おい瀬良。約束のブツを早く渡せ」


「ほらよ」


俺は森谷にあの写真を見せてやった。森谷は興奮を露わに、写真を凝視している。


「うお……顔もすっげえ、可愛い……細いけど、下半身は結構がっしりしてんのがいいよな……たまんねえ……」


「もういいか?」


「ああ、早く送ってくれよ」


「それはダメだ。見せる、としか俺は言ってねえ。簡単にやるわけねえだろ、こんな写真」


「はあ?なんだよそれ……クソ……ていうか、この子どうしたんだよ?瀬良の何?」


「彼女」


「はあっ、え、何、マジ?!はあ?!」


森谷が馬鹿でかい声で騒ぐので、俺は「静かにしろ」と言って落ち着かせる。


「北高だろ?超頭いいとこじゃん。どこで知り合ったんだよ、中学?いつから?何彼女に中学の制服着せてんだよ。てか、お前彼女の写真売ったのかよ……」


「文化祭で知りあった幼馴染だ。服はこいつが勝手に選んで持ってきて着たから、撮った。売ったってのは人聞きが悪いな。活用したと言え」


「すっげえクズだなお前……てか、文化祭で知り合った幼馴染って何だよ、意味わかんねー……」


首を捻る森谷。これ以上質問されるのは面倒なので、俺は最後にとっておきの情報をこいつにくれてやった。


「ちなみにそいつ、男だぞ」


「はあ?!」


逃げるようにその場を去る。「可愛い子って言っただろ!」と叫ぶ森谷に、俺は心の中で「女とは言ってねえだろ」と反論した。それに嘘はついてない。


スマホに映った「瞬」の写真を見る。


──持つべきものは「可愛い」幼馴染だな。


教室に戻ったら瞬にもポテからを分けてやろう、と俺は思った。

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