1月5日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
「……おはよう、瞬」
「……おはよ」
朝。母親に頼まれて、マンションの集積所までゴミ出しに行くと、瞬に会った。
昨日の件があったとはいえ、瞬を無視するのは気分が悪いので、挨拶はしたが……まあ、なんかぎこちない。
瞬の方も気持ちは同じなのか、挨拶は返してくれたが、すぐに視線を逸らされる。いつもみたいな笑顔はない。
あの後。仕方なく課題を終わらせて、部屋を出る許しをもらった時も、瞬はこんな感じだった。
必要最低限しか口を開かず、目も、俺を真っ直ぐに捉えることはない。表情にも乏しく、いつもの瞬らしくない。
──らしくなく、させたんだよな。俺が。
ふっと息を吐き、思い切って、瞬に切り出す。
「なあ、瞬……昨日は……」
「今日は、自分で課題やって……あとちょっとだし、昨日みたいに見張ってなくても大丈夫でしょ」
感情の籠らない声でそれだけ言うと、瞬はさっさと階段を駆け上がっていなくなってしまった。取り付く島もない。
「チッ……どうすりゃいいんだよ……」
「そら、等価交換とやらで康太の秘密も差し出さな」
振り返ると、クソ矢が茶化すように笑っていた。
「てめえのせいでこんなことになったんだろうが」
胸倉を掴もうとするが、当然、クソ矢には触れられない。クソ矢は胸のあたりを軽く払うと、ニタニタとムカつく顔で言った。
「ほんまにやったのは自分やん。儂はヒントあげただけやで」
「あんなこと言われたら普通やるに決まってるだろ。クソ……てめえのせいで瞬に課題をやらせる計画がパアだ」
「パアになって当然やな、こんなクズ」
クソ矢が呆れ返っている。
今日やる予定だった課題は、家庭科の調理実践レポートだったのだ。瞬に九割くらい作ってもらって、俺は写真と味見と片付けだけやるつもりだった。最悪だ。母親は仕事だし、俺一人じゃロクなものは作れないだろう。詰んだ。なんて──。
「まあ、そういう問題じゃねえことくらい分かってるよ……」
「ほう」
クソ矢が目を見開いて、わざとらしく驚いてみせる。
「なんだよその態度」
「根っからのクズが、茎くらいのクズやったんやなと思っただけや。まだ腐りきってないんやなあと」
「意味分かんねえよ……てか、お前」
「何や」
「心とか読めんだろ。よくやってるし。瞬のこと何か分かんねえか?どのくらいキレてるとか、どうしたら許してくれそうかとか」
「阿保か。分かってもお前に言うわけないやろ」
クソ矢が鼻で笑う。
「秘密は言ったくせにか?」
「儂は言ってへん。『条件』がクリアできるように、使えそうな道筋用意しただけやで」
「はっ、やっぱりそうか」
今ので確信した。昨日、俺がクソ矢に言った説は、それなりに的を得ていたらしい。
俺と瞬に「条件」をつけたクソ神共にとっても、俺が「条件」をクリアした方が都合がいいのだ。
「なら、俺と瞬が険悪になってるのはお前らにとっても困るはずだろ。協力しろ」
「嫌や」
しかし、クソ矢は頑として首を縦に振らない。何でだ?
「だってなあ、協力するまでもないやろ。お前がやることなんて、儂が何言うたってもう決まってんちゃう?今日はそっちに任した方がおもろそうや」
「……クソ」
ムカつくが、こいつの言う通りだった。
そうだ。俺はどうすりゃいいかなんて、とっくに分かってた。
ただ、俺のしたことで瞬をまた怒らせるかもしれないことに、いつもみたいじゃない瞬に、ちょっとビビってたんだ。
とにかく謝る。
瞬が聞いてくれるかとか、許してくれるかとか、そんなことは置いて謝るんだ。
瞬の踏み込んでほしくなかったところに、興味本位で入ったことに。
それから、いるかどうかは分かんねえが、俺の秘密も差し出そう。
せめて、瞬の「作品」は全然、恥ずかしいもんなんかじゃなかったって、瞬が思えるような──とっておきの恥ずかしいヤツを話してやる。
「ふん……分かっとるなら早よ追いかけや。デリカシーがないのが、アイデンティティなんやろ」
「うるせえよ」
クソ矢に背を向けて駆け出す。少し離れたところで、クソ矢の声が聞こえた。
「『条件』も、忘れんとってな」
☆
ぴんぽーん。
「おい、瞬。俺だ。話したいことがある。いるなら開けてくれ」
瞬の家のインターホンを押して、声をかける。
……返事はない。もう一度インターホンを鳴らす。
「瞬、頼む。開けてくれ。ちょっとだけでいい、直接話したい」
ダメだ。返事どころか物音一つしねえ。
今度はインターホンだけじゃなくて、ドアも軽く叩いてみる。だが、いくらやっても、返事はない。もしかして留守なのか?
「はあ……」
つい、ため息を吐く。正月の晩のことを思い出した。あの時はもっと必死だったから思わなかったが、マンションの外廊下は風が冷たく、寒い。
固く閉じたドアは瞬の心情そのもののようだ。
あの時みたいに瞬が出てきたら──と、そこで俺は閃く。
「クソ矢」
「あ?」
床から生えてくるように、クソ矢がぬっと現れる。出方気持ち悪。まあいい。
「そこで立って見てろ」
「はあ?何をや……」
大きく息を吸う。俺はドアの奥に向かって思い切り叫んだ。
「好きだーーーーーーーッ!!!瞬ッ!!!!」
「……はぁ、そういうことか」
意図が読めたらしいクソ矢が片手で「○」を作る。「条件」クリアのサイン──つまり、瞬はこの「告白」を聞いている。このすぐそばにいる。
「こんなことに『条件』利用する奴聞いたことないで……ほんま、とんでもないクソガキやなあ……」
「瞬がいるかも分かって、『条件』もクリアできる。一石二鳥だろ」
「その頭、もっと他のことに活かせや」
クソ矢が嘆息する。すると、ずっと静かだったドアの向こうから、微かに物音が聞こえた。瞬だ。
俺は、クソ矢に言った。
「……これで、お前の用は済んだはずだ。ここからは俺と瞬で話す。今日はもう引け。いいだろ」
「ふん……」
鼻を鳴らしたクソ矢は「見てられんわ」と、消えていった。……今日の「条件」はクリアしたのだ。少なくとも、今日はもう、クソ矢に監視の義務はない。言葉通り、どこかへ去ったのだと思いたい。
ガチャ。
クソ矢が消えてから間もなく、ドアが微かに開いた。隙間から、薄暗い室内と、俺を睨む瞬の目が覗く。
「……うるさいよ」
「ごめん」
開口一番、怒られた。それでも、やっと言えた。だが、まだ足りない。
「勝手にノート見てごめん」
「……」
「あと……大とか小とか聞いてごめん」
「……それは別にいい」
いいのか。
「あと……謝っておいてなんだが……あれ、瞬が書いたやつなんだろ。俺は良かったと思うぞ」
「……どのへんが?」
「字が綺麗なところ」
きい……。微かにしか開いてなかったドアがさらに半分閉まる。まずい、瞬の心証を悪くしたようだ。
俺は取り返そうと、必死に昨日読んだことを思い出す。と言っても、ほとんどよく分からなかったしな……。
「あ、あと、アレだ……字がたくさんあって小説っぽかった」
きい……。さっきと同じくらいまで、瞬はドアを開けてくれた。よかった。いや、これはよかったのか?分からん。
とりあえず勢いに乗った俺はさらに続ける。
「最初、現文の教科書写したのかと思ったぞ……こんな話あったっけなって。すげえな瞬」
「……そう、だった?」
きいい……。さらにドアが開く。瞬が半身を覗かせてくれた。よし、いい感じだ。
「ああ。全体的になんかその……不思議な雰囲気?があって……さすが文芸部だな。本当、瞬にこんな才能があったなんてびっくりしたぜ……」
「い、言いすぎだよ……」
瞬の表情から硬さがなくなる。はにかむ瞬は、もうひと押しすれば外に出てくれそうだ。あと少し……。
「そうだ。登場人物の名前に瞬の名前を使ってるってのもよかったな。ほら、昔流行ったケータイ小説?みたいで」
がちゃん。
瞬は再び表情を失い、ドアは固く閉ざされた。
俺はまた、触れてはいけない部分に触れてしまったらしい。
「待ってくれ瞬!何が……!そんなに嫌なんだよ……!」
「帰って。昨日見たものの記憶を消してからまた来て」
「無茶言うな……!」
閉まったドアをこじ開けようとしたが、全く開かない。クソ、これで振り出しだ。
「……デリカシーがない康太には分かんないよ。本当に……恥ずかしかったのに。まだ、見せられるようなものじゃないって、思って、隠してたのに……怖かったのに……」
いや、振り出しじゃないか。瞬が、自分の気持ちを話してくれてる。
──俺も、応えよう。
「瞬、聞いてくれ。俺は、瞬に秘密にしていたことがある。すごく……恥ずかしいことだ。瞬には知られたくなかったことだが……俺も瞬にこの秘密を差し出す。だから、これで手打ちにしてくれないか」
しばしの沈黙。すると、ドアがまた微かに開いて、瞬が言った。
「……聞いてもいい」
「ありがとう」
俺は息を吸って──意を決して、話した。
「高一ん時の文化祭、覚えてるよな」
「……うん。女装喫茶のこと?」
「そうだ。クラス委員だからってキャストを引き受けた瞬と、本番前に俺ん家で衣装の試着したことがあっただろ」
「うん。親とか他の人に見られるのが、まだ恥ずかしかったから……康太の家だったら、昼間は誰もいないし」
「ああ。それで……『絶対誰にも見せないならいいよ』って、瞬の女装の写真、スマホで撮らせてもらったよな」
「うん……そうだった」
「結局、女装喫茶は許可が降りなくて、なくなったから、瞬の女装姿は幻になった」
「うん」
「だから俺はそれを──母さんに見せたんだ」
「……」
「あと三組の森谷にも見せた」
「最悪」
がちゃん。ちゃり……。
ドアは固く閉ざされ、チェーンロックまでかけられた。
「話はまだ終わってないぞ、瞬!」
「終わりだよ、本当最低。二度と姿を見せないで」
にべもない拒絶だった。だが──まだ諦めない。俺はこの話が瞬に届くと信じて、話し続ける。
「俺はこれを母さんや森谷に見せた時、それが恥ずかしいなんて気持ちは微塵もなかった」
「……当事者じゃないからでしょ」
「それだけじゃねえよ。クラスの過半数が悪ノリで決めた企画だったってのに、瞬は少しでも女装をよく見せようと、あの期間、体型とか肌とか、めちゃくちゃ気遣ってただろ。それに、ネットで色々調べて……クラスのために真剣に頑張ってた。俺はこういうの、よく分かんねえから、大したことは言えねえけど……あの瞬は、可愛かった、と思う。誰に見せても恥ずかしくないくらい」
「……」
「だから、あんな企画だったけど、中止になった時、すげえムカついたんだ。瞬の努力が無駄にされたみたいで……せめて、写真撮っといてよかったと思った。それでまあ……『絶対見せるな』って言われてたけど、母さんならと思って、見せちまった。森谷も、まあ色々あって──話の流れで、つい」
「……それの、どこが恥ずかしい話なの」
「それが……その時……二人になんて言って見せたと思う?」
「……」
瞬が考えているような、そんな気配がドアの向こうでした。俺は頭を掻いて……別に目の前にいるってわけじゃないのに、つい、ドアから視線を逸らして、続きを言った。
「俺の……彼女って言って、見せた」
「……っ」
「二人とも、全然疑わなかったぞ……おかげで、なんか、俺が幼馴染使って見栄張ったみたいになって……後から恥ずかしくなった」
「……っふ……」
「……瞬?」
ドアが開く。間から、瞬の声が漏れてくる。
「ふっ……はは、あはは……」
「な、何だよ急に」
──笑ってる。
「あはは……はは……っ!ずるい……ずるいよぉ……はは……康太、あはははは……」
笑いながらドアの裏から出てきた瞬は、力が入らないのか、ふらふらと俺に近寄ってくる。
半ば倒れこむような勢いの瞬を、俺は抱き止めた。
「笑いすぎだろ」
腕の中の瞬は、よく見ると目に涙が滲んでいた。それを親指で軽く拭ってやると、瞬がへにゃっと笑いながら「ありがとう」と言った。
そして、ついでに、とばかりに俺の肩に顔を擦り付けて、残りの涙も拭きやがった。
「おい」
「……このくらいしても足りないくらいなんだけど」
「もう許してくれ、本当。悪かった。ごめん」
「いいよ。俺もごめん」
瞬が背中に腕を回してくる。抱きしめ合うみたいな格好になった。なんだこれと思ったが、そういえば、幼稚園の頃、瞬と喧嘩したら、よくこうやって仲直りしてたな……と懐かしくなった。変わってねえな。
──まあ、いいか。
いつもの瞬に安心したら、腹が減ってきた。
「瞬、一緒に課題やってくれ。家庭科のやつ」
「えー……早速それ?」
「ちょうど腹減ったんだよ。瞬、何か作れ」
「自分で作るやつでしょ?手伝ってあげるから、康太もやるよ」
「分かったよ……」
瞬に導かれて、部屋に入れてもらう。
胸のあたりにさっきまであった瞬の体温は、あっという間に、死ぬほど見慣れた部屋の空気に溶けて消えていく。
こんなことを重ねながら、俺と瞬の日々は、明日からも続いていくのだろう。
☆☆☆
【おまけ】
「なあ、瀬良。学食寄ってく?」
体育終わり。校庭から教室へ戻る途中、体育で一緒になった三組の森谷に誘われる。
学食か。確かに小腹が空いたなと思い、ジャージのポケットをまさぐったが、生憎、財布を教室に置いてきたらしい。俺の所持金はゼロだ。だが、そう思うと余計に腹が減る。
さて、どうする──その時、ふと閃いた。
「森谷、取引しないか」
「ん?何だよ、取引って」
「お前、可愛い子好きだろ。見たいか?」
「キャッチかよ……まあ、見たいけど」
「よし」
釣れた。俺は意気揚々とスマホを取り出して、森谷に突きつける。
「なら取引だ。俺のスマホにあるとっておきの一枚をお前に見せてやる。代わりに学食奢れ」
「……スペックは?」
「北高二年。身長167くらい。Cカップ。黒髪ショートボブ。文芸部所属。名前は、りっか。写真は中学の時の制服姿でセーラー。ちょっとサイズがきつかったそうだ」
「サンプルない?」
「半分だけなら」
俺は件の写真を表示させ、手で画面の半分を抑えた状態で森谷に見せる。ちょうど、腹から足元までが見えている状態だ。
「胸は?」
「仕方ねえな」
手を上にずらして胸まで見せる。森谷は鼻の下をだらしなく伸ばして、画面を見入っていた。
「へえ……この、ブラウスを押し上げる双丘が……はあ〜……」
さすが森谷。期待を裏切らない気持ち悪さだ。
取引の成功を確信していると、森谷が尋ねてくる。
「いくらで出す?」
「ポテから」
「乗った」
話が早くて助かる。
森谷は学食に駆け込み、俺は無事、ポテからを手に入れた。
爪楊枝で刺したからあげをつまみながら歩いていると、森谷が鼻息荒く言った。
「おい瀬良。約束のブツを早く渡せ」
「ほらよ」
俺は森谷にあの写真を見せてやった。森谷は興奮を露わに、写真を凝視している。
「うお……顔もすっげえ、可愛い……細いけど、下半身は結構がっしりしてんのがいいよな……たまんねえ……」
「もういいか?」
「ああ、早く送ってくれよ」
「それはダメだ。見せる、としか俺は言ってねえ。簡単にやるわけねえだろ、こんな写真」
「はあ?なんだよそれ……クソ……ていうか、この子どうしたんだよ?瀬良の何?」
「彼女」
「はあっ、え、何、マジ?!はあ?!」
森谷が馬鹿でかい声で騒ぐので、俺は「静かにしろ」と言って落ち着かせる。
「北高だろ?超頭いいとこじゃん。どこで知り合ったんだよ、中学?いつから?何彼女に中学の制服着せてんだよ。てか、お前彼女の写真売ったのかよ……」
「文化祭で知りあった幼馴染だ。服はこいつが勝手に選んで持ってきて着たから、撮った。売ったってのは人聞きが悪いな。活用したと言え」
「すっげえクズだなお前……てか、文化祭で知り合った幼馴染って何だよ、意味わかんねー……」
首を捻る森谷。これ以上質問されるのは面倒なので、俺は最後にとっておきの情報をこいつにくれてやった。
「ちなみにそいつ、男だぞ」
「はあ?!」
逃げるようにその場を去る。「可愛い子って言っただろ!」と叫ぶ森谷に、俺は心の中で「女とは言ってねえだろ」と反論した。それに嘘はついてない。
スマホに映った「瞬」の写真を見る。
──持つべきものは「可愛い」幼馴染だな。
教室に戻ったら瞬にもポテからを分けてやろう、と俺は思った。
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