1月4日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





「……ふう、こんなもんかなあ」


一息ついて、ペンを置く。真新しいキャンパスノートの二ページ目には、今書いた文章の集まりが最後の行まで詰まっている。俺はそれらに、ざっと目を通してみた。


自分では、これが「良い」のかなんて、いや、そもそも「小説」だと言っていいのかさえ、分からない。分からないけど……。


「すっごい、恥ずかしいな……?!」


部屋には今、誰もいないのに、思わず、ノートを隠すように机に突っ伏す。でも、神様にだって見られたくないから仕方ない。


こんなの、誰かに見られたらお終いだ。特に、康太。気遣いとかさっとできるくせに、こういうところはデリカシーがないから、絶対笑う。一生揶揄われる。


「ていうか、そんなの抜きで、こんな話見せられるわけない……」


だって、これは──。



ぴんぽーん。



その時、部屋の外でインターホンの音が響く。


俺は慌てて、ノートをベッドの下の隙間に放り込み、外へと駆け出した。





「はあ……」


死ぬほど見たはずの「立花」という表札を前にため息を吐く。だるい。今日も今日とて、瞬の家で冬休みの課題だ。昨日とは違うやつの。


「何や、死にそうな顔するにはまだ早いで」


いつのまにか隣に立っていたクソ矢が、俺の顔を見て笑っている。午後三時。確かに、例の「条件」のタイムリミットはまだ先だが。


「別に……そっちはまあ、また昨日みたいに、上手いこと言えばいいだけだからな。何てことねえよ」


「そう上手くいくんかなあ」


「やるしかねえだろ……どっちの課題もな」


はあ。気が重い。「条件」の方は命がかかってるが、学校の課題だって、そう逃れられるものじゃない。結局、自分の力でやるしかないのだ──いや、待てよ。


「おいクソ矢」


「何やねん」


「お前、俺の代わりに学校の課題やれよ」


「何をどう思ったら、儂がそれを引き受けると思うん?」


クソ矢が俺を馬鹿にしたような顔で見ている。俺は首を振って言った。


「昨日、お前言ったろ。『自分達は誰かのお願いありきの存在だ』って。つまり、どんな些細な『お願い』でも、お前達はそれを叶えることで存在を維持できる……違うか?」


「ほう……続けてみ」


「俺と瞬についた馬鹿げた『条件』も、それを願った『誰か』がいて、それによって得をしている『誰か』がいるんだよな?その『誰か』の中には、たぶん、お前達も含まれてる──ってことは、俺が『条件』をクリアできないのは、お前達にとっても都合が悪い。だから──」


クソ矢が俺を顎でしゃくり、先を促す。俺はひとつ頷いてから、言った。


「こんな課題ごときで俺の貴重な時間をすり減らして『条件』をクリアできないかもしれないのは、良くないと思うんだよな?なら、この課題は、俺が『条件』に集中するためにも、お前が代わりにするべきじゃないか?」


「べきやないわ、全然」


無駄な時間やったわ、とクソ矢が姿を消そうとするので、俺は「待て」と呼び止めた。


「俺の『願い』を叶えなくていいのか?職務怠慢だろ」


「クソ客みたいなこと言うやん……お前のくだらん『願い』で存在維持しようと思うまで儂らも腐ってへんで。それに……ま、これはええわ」


「何だよ」


「お前には理解できんわ……くだらんこと考えとる暇あったら早よそのインターホン押せ」


それだけ言って、クソ矢は消えた。

チッ、仕方ねえ。俺は諦めて、瞬の家のインターホンを鳴らした。





瞬の様子がおかしいと気づいたのは、課題を始めて一時間が経過した頃だった。


「……っ」


瞬は、俺の手元を見張ってはいるものの、どこか心ここにあらずというか──さっきから、落ち着きなく、体をもじもじさせていた。これは……と、ピンときた俺は瞬に話しかける。


「瞬」


「な、何……?」


「別に見張られてなくても、俺は課題できるぞ」


「え、あ……うん。それは、いいんだけど」


「だからトイレくらい行けよ、大なんだろ」


「違うよ」


食い気味に否定された。そうか。


「小か」


「教えないよ、そんなこと」


瞬は、いまいち迫力には欠けるが精一杯の力で、俺を睨んだ。別に気にすることねえだろ、今さら。

すると、ぷりぷり、という効果音でも付きそうな勢いで、瞬が言った。


「康太はこういうとこが本当にダメなんだよ」


「何だよ、大か小かどっちがしてえのか聞いたくらいで。うるせえな」


「じゃあ康太は俺に大か小かいちいち言ってからできるの?恥ずかしいでしょ」


「はあ?そんなもんいくらでもできるわ。相手は瞬だぞ。なんなら、俺は老後の介護は全部瞬に任せてもいいくらいだな。下の世話もされてもいい」


「へ、へえ……っ?!」


売り言葉に買い言葉で、つい言いすぎてしまった。瞬は面白いくらい目を白黒させた末に、「トイレ行く……」と消え入りそうな声で言って、部屋を出て行ってしまった。なんだ、やっぱりそうじゃねえか。


「全くよ……」


俺はなんだか気が抜けて、床に寝転んだ。ふと、腹の上に重さを感じたかと思うと、クソ矢が俺を見下げていた。


「ほんまにお前はデリカシーがないやっちゃなあ」


「大胆だと言え」


「その割には毎日、たった二文字言うのに四苦八苦しとる。おかげで飽きんわ」


「抜かせ、クソが」


体を捻って、クソ矢を腹の上から落とそうとするが、それはできなかった。代わりに、クソ矢に片足で頭を踏み付けられ、床に固定されるような格好になる。


「おい……何の真似だ」


「毎日ようやっとるお前に、特別ヒントやるわ。その位置からごろんと寝返り打って、ベッドの下覗いてみ。おもろいもん見れるで」


「はあ……?」


「神様に隠し事なんて無理やってことや」


そう言い残し、クソ矢は消えた。体を抑えていた重さがなくなり、俺は自由の身になった。さて。


──あいつの言うことに従うのは癪だが。


ベッドの下。この部屋のってことは、つまり、「特別ヒント」ってのは瞬に関係のあることなのか?


正直、気になる。


ベッドの下っていうのは、一般的にまあ「そういうもの」の隠し場所の定番である。

十数年の付き合いの中で、瞬が「そういう」方面に関心があったような雰囲気を、俺はほとんど感じなかった。


しかし。


──神様に隠し事はできない、か。


ムカつくが、俺もそう思う。誰にも言えないけど、神になら言えたこと。俺にもあったが、瞬にもあるのか?一体どんな──。


ダメだ。正直、めちゃくちゃ気になる。


あいつの言う通り、寝返りを打って覗いてしまおうか。


いや、ダメだ。俺に言えなかったことっていうのはつまり、瞬にとって知られたくないことなんだろう。また怒られるぞ。


『覗いちゃえよ康太!何を今さら躊躇ってるんだよ。デリカシーがないのがお前のキャラだろ?』


くっ……お前は悪魔康太……確かに、ここで覗くのが俺に与えられた役目……アイデンティティか。


『だ、ダメだよ康太!これは本当に秘密なんだから……いくら俺が幼馴染だからって、踏み込んでいいこととダメなことがあるよ?』


お前は……天使瞬?!そうか……確かにそうだよな……いくらなんでもこれは……ていうか、ここは天使康太じゃねえのかよ……。


『康太の中に天使性なんかないからな』


『そんなことないよ!康太は優しいよ』


『優しい奴はこんなとこで迷わねえよ。迷ってる時点で答えなんか決まってんだ。な?そうだろ』


一理あるな……。


『ないよ!ねえ康太?康太はそんな卑怯なことする奴じゃないよね?』


そうだ、俺はそんな奴じゃ……やっぱり、覗くのはやめよう。


『そうだな。こいつはそんな卑怯なことはしねえ』


『悪魔康太……分かってくれたんだね』


『ああ。だが、それならこうすりゃいい』


『え……?』


『後で正直に謝る』


『許さないよ』


『等価交換で、康太の秘密も一つ教える』


よし、それでいこう。


『いっちゃダメだよ?!』


悪魔に背を押されて、俺は寝返りを打つ。掃除の行き届いた、埃一つないベッドの下を覗くとそこには──ノートが落ちていた。


「何だ……これ?」


腕を伸ばして拾い上げる。まだ新しいキャンパスノート。ほとんどのページが何も書かれていない、真っ白だ──と思いきや、一ページだけ、最初から最後までびっしりと行が埋まったページがあった。



『春の陽射しが二人の上に、光と陰を落とす。白く眩しい世界の中で、流れる時間が剥がれていくみたいに、桜の花びらが舞っていた。』


『私達には時間がないの。一緒にいられるのは、あと、ほんのひと時。』



読みやすく整った、線の細い綺麗な字は、間違いなく瞬のものだ。


はじめ、これは現文の教科書の移し書きかとでも思ったが、すぐに違うと分かる。


目を凝らして見ると、どの行にも、何度も書き直されたような跡が見えた。つまり、これは瞬が自分で考えて書いた「作品」なのだ。


──こんなこともできんだな。


そういえば瞬は、文芸部に所属していた。活動は週二回程度だし、瞬は自分で「読み専だから」と言っていたので、俺も特に気にしたことはなかったのだが。なんだ、やっぱり書いたりもするんだな。


「現文は寝れる授業」くらいにしか思ってない俺には、「よく分からんけどすごそう」くらいの感想しか浮かばないのが悪いが。


そのまま読んでいると、俺はこの小説に不自然な点を見つける。



『  が体を震わせる。涙が頬に線を引いた。葉擦れのさざめきが、沈黙を埋める。』


『もしも、  が望んでくれるなら、私達はまだ一緒にいられるかもしれない。』


『けれど、縁はここで切れていて、この先を結んでいくことは、お互いに──  の方もそれを願わなければ、叶わないだろう。』


『私は  にそこまで望めとは言えなかった。

この白の外にある広い世界には、  が縁を結ぶべき相手が、もっと他にいるかもしれないのだから。』



──人の名前が、ない。


いや、正確には一度、何かが書かれていたような跡はあった。しかし、何度も修正を重ねられた文章の内の、たまたま今は隙間になっている箇所だ。そこにあった消し跡が、名前なのかは分からない。


──登場人物の名前が、まだ決まってないのかもしれないな。


気にせず読み進めていくと、一箇所だけ、不自然な空白がない文章で目が止まる。



『さあ、早く行って、  。外の世界は、色とりどりの縁に繋がっているの。あなたは自分の思う通りに生きていい。』


『私の縁に、縛られないで。』


『  が  の頬に手を伸ばす。  は親指で  の涙を拭うと、首を振って、こう言った。』



「好きだ……瞬。俺にはお前が必要なんだ。お前のいない人生なんて、俺は考えられない……」



気がつくと、俺はその文章を、声に出して読んでいた。



「……」



ふと、気配を感じて振り向くと、音もなく開いていたドアの向こうに、瞬が立ち尽くしていた。


「あ?瞬か……なんだよ、びっくりさせんな……」


見開かれた瞬の目が、俺の手元にあるノートを捉える。その瞬間、水銀温度計みたいに、瞬の顔がみるみる赤くなっていって……。


「おい瞬?瞬……?」


「こ……」


「こ?」


「康太の、馬鹿……ッ!!」


普段からは想像もつかないくらいの速さで、俺の手からノートを引ったくると、止める間もなく、瞬は部屋のドアを勢いよく閉めて出て行ってしまった。


「お、おい瞬!瞬!」


ドアを開けて追いかけようとするが、ドアが──開かない?


「おい瞬、何……やってんだよ……!」


力いっぱいノブを引こうとするが、びくともしない。たぶん、ドアが開かないように、向こうで瞬が押さえているんだろう。


「開けろ瞬……どういうことだよ……!」


「康太は課題が終わるまで部屋から出ないで。それまで俺はここにいるから」


「何でだよ、一緒に部屋にいればいいだろ」


「今は康太の顔見たくない。あと、課題が終わったらこの家を出てって」


顔を見なくても分かる。というかむしろ、顔を見ない方が迫力がある。


瞬はめちゃくちゃキレていた。


「ああ……クソ」


俺は諦めて、ノブから手を離した。重力に負けたみたいに床に座り込む。


「一難去って、また一難やなあ」


ベッドの上で胡座をかいたクソ矢が、片手で「○」を──条件クリアのサインを作る。


頭の中では悪魔が笑い、天使が頬を膨らませていた。



どうすんだ、これ。

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