1月4日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
「……ふう、こんなもんかなあ」
一息ついて、ペンを置く。真新しいキャンパスノートの二ページ目には、今書いた文章の集まりが最後の行まで詰まっている。俺はそれらに、ざっと目を通してみた。
自分では、これが「良い」のかなんて、いや、そもそも「小説」だと言っていいのかさえ、分からない。分からないけど……。
「すっごい、恥ずかしいな……?!」
部屋には今、誰もいないのに、思わず、ノートを隠すように机に突っ伏す。でも、神様にだって見られたくないから仕方ない。
こんなの、誰かに見られたらお終いだ。特に、康太。気遣いとかさっとできるくせに、こういうところはデリカシーがないから、絶対笑う。一生揶揄われる。
「ていうか、そんなの抜きで、こんな話見せられるわけない……」
だって、これは──。
ぴんぽーん。
その時、部屋の外でインターホンの音が響く。
俺は慌てて、ノートをベッドの下の隙間に放り込み、外へと駆け出した。
☆
「はあ……」
死ぬほど見たはずの「立花」という表札を前にため息を吐く。だるい。今日も今日とて、瞬の家で冬休みの課題だ。昨日とは違うやつの。
「何や、死にそうな顔するにはまだ早いで」
いつのまにか隣に立っていたクソ矢が、俺の顔を見て笑っている。午後三時。確かに、例の「条件」のタイムリミットはまだ先だが。
「別に……そっちはまあ、また昨日みたいに、上手いこと言えばいいだけだからな。何てことねえよ」
「そう上手くいくんかなあ」
「やるしかねえだろ……どっちの課題もな」
はあ。気が重い。「条件」の方は命がかかってるが、学校の課題だって、そう逃れられるものじゃない。結局、自分の力でやるしかないのだ──いや、待てよ。
「おいクソ矢」
「何やねん」
「お前、俺の代わりに学校の課題やれよ」
「何をどう思ったら、儂がそれを引き受けると思うん?」
クソ矢が俺を馬鹿にしたような顔で見ている。俺は首を振って言った。
「昨日、お前言ったろ。『自分達は誰かのお願いありきの存在だ』って。つまり、どんな些細な『お願い』でも、お前達はそれを叶えることで存在を維持できる……違うか?」
「ほう……続けてみ」
「俺と瞬についた馬鹿げた『条件』も、それを願った『誰か』がいて、それによって得をしている『誰か』がいるんだよな?その『誰か』の中には、たぶん、お前達も含まれてる──ってことは、俺が『条件』をクリアできないのは、お前達にとっても都合が悪い。だから──」
クソ矢が俺を顎でしゃくり、先を促す。俺はひとつ頷いてから、言った。
「こんな課題ごときで俺の貴重な時間をすり減らして『条件』をクリアできないかもしれないのは、良くないと思うんだよな?なら、この課題は、俺が『条件』に集中するためにも、お前が代わりにするべきじゃないか?」
「べきやないわ、全然」
無駄な時間やったわ、とクソ矢が姿を消そうとするので、俺は「待て」と呼び止めた。
「俺の『願い』を叶えなくていいのか?職務怠慢だろ」
「クソ客みたいなこと言うやん……お前のくだらん『願い』で存在維持しようと思うまで儂らも腐ってへんで。それに……ま、これはええわ」
「何だよ」
「お前には理解できんわ……くだらんこと考えとる暇あったら早よそのインターホン押せ」
それだけ言って、クソ矢は消えた。
チッ、仕方ねえ。俺は諦めて、瞬の家のインターホンを鳴らした。
☆
瞬の様子がおかしいと気づいたのは、課題を始めて一時間が経過した頃だった。
「……っ」
瞬は、俺の手元を見張ってはいるものの、どこか心ここにあらずというか──さっきから、落ち着きなく、体をもじもじさせていた。これは……と、ピンときた俺は瞬に話しかける。
「瞬」
「な、何……?」
「別に見張られてなくても、俺は課題できるぞ」
「え、あ……うん。それは、いいんだけど」
「だからトイレくらい行けよ、大なんだろ」
「違うよ」
食い気味に否定された。そうか。
「小か」
「教えないよ、そんなこと」
瞬は、いまいち迫力には欠けるが精一杯の力で、俺を睨んだ。別に気にすることねえだろ、今さら。
すると、ぷりぷり、という効果音でも付きそうな勢いで、瞬が言った。
「康太はこういうとこが本当にダメなんだよ」
「何だよ、大か小かどっちがしてえのか聞いたくらいで。うるせえな」
「じゃあ康太は俺に大か小かいちいち言ってからできるの?恥ずかしいでしょ」
「はあ?そんなもんいくらでもできるわ。相手は瞬だぞ。なんなら、俺は老後の介護は全部瞬に任せてもいいくらいだな。下の世話もされてもいい」
「へ、へえ……っ?!」
売り言葉に買い言葉で、つい言いすぎてしまった。瞬は面白いくらい目を白黒させた末に、「トイレ行く……」と消え入りそうな声で言って、部屋を出て行ってしまった。なんだ、やっぱりそうじゃねえか。
「全くよ……」
俺はなんだか気が抜けて、床に寝転んだ。ふと、腹の上に重さを感じたかと思うと、クソ矢が俺を見下げていた。
「ほんまにお前はデリカシーがないやっちゃなあ」
「大胆だと言え」
「その割には毎日、たった二文字言うのに四苦八苦しとる。おかげで飽きんわ」
「抜かせ、クソが」
体を捻って、クソ矢を腹の上から落とそうとするが、それはできなかった。代わりに、クソ矢に片足で頭を踏み付けられ、床に固定されるような格好になる。
「おい……何の真似だ」
「毎日ようやっとるお前に、特別ヒントやるわ。その位置からごろんと寝返り打って、ベッドの下覗いてみ。おもろいもん見れるで」
「はあ……?」
「神様に隠し事なんて無理やってことや」
そう言い残し、クソ矢は消えた。体を抑えていた重さがなくなり、俺は自由の身になった。さて。
──あいつの言うことに従うのは癪だが。
ベッドの下。この部屋のってことは、つまり、「特別ヒント」ってのは瞬に関係のあることなのか?
正直、気になる。
ベッドの下っていうのは、一般的にまあ「そういうもの」の隠し場所の定番である。
十数年の付き合いの中で、瞬が「そういう」方面に関心があったような雰囲気を、俺はほとんど感じなかった。
しかし。
──神様に隠し事はできない、か。
ムカつくが、俺もそう思う。誰にも言えないけど、神になら言えたこと。俺にもあったが、瞬にもあるのか?一体どんな──。
ダメだ。正直、めちゃくちゃ気になる。
あいつの言う通り、寝返りを打って覗いてしまおうか。
いや、ダメだ。俺に言えなかったことっていうのはつまり、瞬にとって知られたくないことなんだろう。また怒られるぞ。
『覗いちゃえよ康太!何を今さら躊躇ってるんだよ。デリカシーがないのがお前のキャラだろ?』
くっ……お前は悪魔康太……確かに、ここで覗くのが俺に与えられた役目……アイデンティティか。
『だ、ダメだよ康太!これは本当に秘密なんだから……いくら俺が幼馴染だからって、踏み込んでいいこととダメなことがあるよ?』
お前は……天使瞬?!そうか……確かにそうだよな……いくらなんでもこれは……ていうか、ここは天使康太じゃねえのかよ……。
『康太の中に天使性なんかないからな』
『そんなことないよ!康太は優しいよ』
『優しい奴はこんなとこで迷わねえよ。迷ってる時点で答えなんか決まってんだ。な?そうだろ』
一理あるな……。
『ないよ!ねえ康太?康太はそんな卑怯なことする奴じゃないよね?』
そうだ、俺はそんな奴じゃ……やっぱり、覗くのはやめよう。
『そうだな。こいつはそんな卑怯なことはしねえ』
『悪魔康太……分かってくれたんだね』
『ああ。だが、それならこうすりゃいい』
『え……?』
『後で正直に謝る』
『許さないよ』
『等価交換で、康太の秘密も一つ教える』
よし、それでいこう。
『いっちゃダメだよ?!』
悪魔に背を押されて、俺は寝返りを打つ。掃除の行き届いた、埃一つないベッドの下を覗くとそこには──ノートが落ちていた。
「何だ……これ?」
腕を伸ばして拾い上げる。まだ新しいキャンパスノート。ほとんどのページが何も書かれていない、真っ白だ──と思いきや、一ページだけ、最初から最後までびっしりと行が埋まったページがあった。
『春の陽射しが二人の上に、光と陰を落とす。白く眩しい世界の中で、流れる時間が剥がれていくみたいに、桜の花びらが舞っていた。』
『私達には時間がないの。一緒にいられるのは、あと、ほんのひと時。』
読みやすく整った、線の細い綺麗な字は、間違いなく瞬のものだ。
はじめ、これは現文の教科書の移し書きかとでも思ったが、すぐに違うと分かる。
目を凝らして見ると、どの行にも、何度も書き直されたような跡が見えた。つまり、これは瞬が自分で考えて書いた「作品」なのだ。
──こんなこともできんだな。
そういえば瞬は、文芸部に所属していた。活動は週二回程度だし、瞬は自分で「読み専だから」と言っていたので、俺も特に気にしたことはなかったのだが。なんだ、やっぱり書いたりもするんだな。
「現文は寝れる授業」くらいにしか思ってない俺には、「よく分からんけどすごそう」くらいの感想しか浮かばないのが悪いが。
そのまま読んでいると、俺はこの小説に不自然な点を見つける。
『 が体を震わせる。涙が頬に線を引いた。葉擦れのさざめきが、沈黙を埋める。』
『もしも、 が望んでくれるなら、私達はまだ一緒にいられるかもしれない。』
『けれど、縁はここで切れていて、この先を結んでいくことは、お互いに── の方もそれを願わなければ、叶わないだろう。』
『私は にそこまで望めとは言えなかった。
この白の外にある広い世界には、 が縁を結ぶべき相手が、もっと他にいるかもしれないのだから。』
──人の名前が、ない。
いや、正確には一度、何かが書かれていたような跡はあった。しかし、何度も修正を重ねられた文章の内の、たまたま今は隙間になっている箇所だ。そこにあった消し跡が、名前なのかは分からない。
──登場人物の名前が、まだ決まってないのかもしれないな。
気にせず読み進めていくと、一箇所だけ、不自然な空白がない文章で目が止まる。
『さあ、早く行って、 。外の世界は、色とりどりの縁に繋がっているの。あなたは自分の思う通りに生きていい。』
『私の縁に、縛られないで。』
『 が の頬に手を伸ばす。 は親指で の涙を拭うと、首を振って、こう言った。』
「好きだ……瞬。俺にはお前が必要なんだ。お前のいない人生なんて、俺は考えられない……」
気がつくと、俺はその文章を、声に出して読んでいた。
「……」
ふと、気配を感じて振り向くと、音もなく開いていたドアの向こうに、瞬が立ち尽くしていた。
「あ?瞬か……なんだよ、びっくりさせんな……」
見開かれた瞬の目が、俺の手元にあるノートを捉える。その瞬間、水銀温度計みたいに、瞬の顔がみるみる赤くなっていって……。
「おい瞬?瞬……?」
「こ……」
「こ?」
「康太の、馬鹿……ッ!!」
普段からは想像もつかないくらいの速さで、俺の手からノートを引ったくると、止める間もなく、瞬は部屋のドアを勢いよく閉めて出て行ってしまった。
「お、おい瞬!瞬!」
ドアを開けて追いかけようとするが、ドアが──開かない?
「おい瞬、何……やってんだよ……!」
力いっぱいノブを引こうとするが、びくともしない。たぶん、ドアが開かないように、向こうで瞬が押さえているんだろう。
「開けろ瞬……どういうことだよ……!」
「康太は課題が終わるまで部屋から出ないで。それまで俺はここにいるから」
「何でだよ、一緒に部屋にいればいいだろ」
「今は康太の顔見たくない。あと、課題が終わったらこの家を出てって」
顔を見なくても分かる。というかむしろ、顔を見ない方が迫力がある。
瞬はめちゃくちゃキレていた。
「ああ……クソ」
俺は諦めて、ノブから手を離した。重力に負けたみたいに床に座り込む。
「一難去って、また一難やなあ」
ベッドの上で胡座をかいたクソ矢が、片手で「○」を──条件クリアのサインを作る。
頭の中では悪魔が笑い、天使が頬を膨らませていた。
どうすんだ、これ。
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