1月3日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
「……」
カツカツ、カツカツ……。
「……」
静かな部屋で、ノートの上をシャーペンが叩く音が響く。罫線に沿って書いた(1)の後に続くべき答えが出ないまま、数分が経過した。
「……あー、クソが……」
苛立ちが募り、つい悪態が漏れる。
しかし、目の前の瞬に救いを求めても、首を振るばかりで、何も答えない。
沈黙に痺れを切らし、俺は口を開く。
「瞬……もういいだろ、頼む。見せてくれ」
「ダメだよ、康太。そういうことはもうしないって、俺、決めてるんだから……」
「頼む……俺、このために瞬と……」
「康太……」
「瞬と同じ選択科目にしたんだぞ……冬休みの課題、写させてもらうために……」
「最悪」
瞬が俺に対して軽蔑を露わにする。しかし、俺は諦めない。
「一生のお願いだから……頼む……ッ!」
「土下座まですると、流石にキモいわあ……」
部屋の角に立つクソ矢が引いている。瞬は固い意志を示すように、首をぶんぶん振って言った。
「康太。絶対、今日中にこの課題は終わらせるよ!自力で!そうさせてって俺、実春さんに頼まれてるから」
そう、俺は今、瞬の部屋で冬休みの課題をしている。いや、させられている。
三が日のうちから課題をやるなんて、全く正気じゃない。こういうのは、最終日か、最初の授業の日までにやればいいのだ。休み中は休みを謳歌すべきだと思う。
ちなみに、瞬は既に課題を全部終わらせているらしい。曰く、「受験勉強に時間を割きたいから」だとか。受験生は大変だな。
「お前もやろ」
「俺は就職するから勉強なんていらないんだよ」
「康太、就職でも教養試験はあるからね。勉強は必要だよ」
「嘘だろ……」
ショッキングな知らせだった。呆然として、床に倒れる俺に、瞬がはあ、とため息をついて言った。
「とにかく……康太は課題が終わるまで、家に帰さなくていいって言われてるんだよ。早く帰りたかったら、自力で課題頑張らないと」
「じゃあ瞬の家に住むからいいわ……飯旨いし、綺麗だし、寝心地いいし、瞬だし」
瞬は「ええっ」と驚いたり、口を尖らせたり、忙しなく表情を変えてから、最終的には、きゅっと眉を寄せて、真面目な顔で言った。
「……課題やらないならご飯出さないからね」
「クソ……」
やれやれ。俺は諦めて、体を起こす。おもむろにペンを握ると、瞬が鼓舞する。
「康太ならできるはずだから」
「……」
そう言われたら敵わない。俺はペンを走らせて、課題に向き合った。
☆
「おやつ持ってくるね」と、瞬が部屋を出る。
気がつけば、一時間半近くも課題をやっていたらしい。進捗としては、あと半分ってとこか。
「あ〜……っ」
俺はその場で伸びをして体をほぐす。
すると、瞬がいないのをいいことにクソ矢が近寄ってきた。
「えらい真面目にやってたやん」
「うるせえ……俺はやればできるんだよ」
「そのくらい真面目に、こっちの課題も頼むで」
クソ矢が宙に文字列を書く。例の「条件」だ。
「チッ……いちいち見せなくても分かってる」
「昨日もなかなかよかったなあ?瞬ちゃんの方はどんな感じやった?」
嫌味ったらしく笑うクソ矢に苛立つ。下衆な奴だ。ゲス矢だな。
「そんなコロコロ呼び方変えられたら、ついていけんで」
「……ふん。瞬は別に普通だよ。見ての通りだ。クリアできたってことは、昨日のも聞こえてるんだろうけど、よく分かってないっていうか……あえて聞き返すほど気にしてねえんじゃねえの」
一昨日、昨日と、俺は、瞬にとって「気づくけど、あえて気にはしない」ラインを上手くつけているらしい。
まあ、こんなのが毎日続いたら、瞬がどう思うのかは微妙なところだが。
俺の方も毎日必死すぎて、そこまで考える余裕がないというのが正直なところだ。
さて、今日はどうするか──。
「ていうかこれ、誰が得するんだよ。俺も瞬も、お互い別に、なんてことないただの幼馴染だぞ。野郎同士だし……何が面白いんだ?」
「そんなん教えたらつまんないやん。ただまあ……儂らは『誰か』のお願いありきの存在やから。得しとる奴がおるのは間違いないで」
「じゃあ、そいつがこれを望まなくなれば、俺も瞬も解放されるのか?」
「ほう……」
俺の問いかけに、クソ矢が微かに口角をあげる。しかし、何か答えることはなかった。
そのうちに瞬が箱を手に部屋に戻ってくる。
「なんだよ、遅かったな」
「へへ。実春さんが、おやつ持ってきてくれたよ。ほら」
瞬が箱を開けると、中には──チョコ、ストロベリー、オールドファッション、エンゼルフレンチ……ドーナツが四つ入っていた。
「康太はチョコと……エンゼルフレンチね」
敷いたナプキンの上に、瞬がドーナツを載せる。さすが瞬だ。俺が選ぶものをよく分かっているが……。
「半分やる」
「え、いいよ。康太好きじゃん」
「瞬も好きだろ。それか、全部半分に割って分ければ、全部の味食べられる」
「それいいね」
瞬が「ナイフを取りに行く」と言ったが、めんどくさいので、俺はウェットシートで拭いた手で半分に割ってやった。
「割り方雑じゃない?」
「何だよ、嫌だったか」
「いいけど……康太ってこういうの本当、適当だよね」
「瞬が細かすぎるだけだろ……ほら、こっちの大きく割れた方やるよ」
「大きくっていうかそれ、ドーナツのほとんどだよ……八割くらいだよ」
半ば押し付けるように、八割を瞬に手渡す。俺は残った二割を口に入れた。
「課題はどう?あとちょっとじゃない?」
ドーナツを食べ終わった後。
瞬が俺のノートを覗きこんで、進捗を確認する。
1
(1)ウ
(2)ア
(3)イ
(4)イ
「あ、ちゃんとやってる。しかも、合ってるし。すごいよ康太!」
「まあな」
2
(1)
(2)A ア B イ C イ
(3)
(4)ウ
「あれ……」
「どうした、瞬」
3
(1)
(2)
(3)エ
(4)
「康太」
「何だよ」
4
(1)
(2)
(3)
(4)
「記述の問題だけ無回答で通そうとしてない?」
「しょうがねえだろ、分かんねえし」
「嘘だ!書くの面倒臭いからだろー、もう」
瞬にペンを握らされ、記述の問題もやらされる。
チッ、バレたか。ドリル系の課題はこれで結構誤魔化せるんだけどな。自己採点する時に、記述のとこだけ赤ペンで答え丸写しすれば速いし。
「クソ……情報の課題って何でこんな面倒くせえんだよ。関数式とか実務じゃ全部パソコンで入力なんだから、いちいち手書きさせんなよ」
「ちゃんと身についてれば、応用が利くだろ。ほら、康太は本当は分かってるんだから、自力でやりなよ」
「くっ……」
「頑張れ」と瞬に背中を叩かれる。俺がズルをしないように見張るためか、さっきよりも近くで、ほとんど体が密着するような距離に瞬は座った。
ふと、昨日のことを思い出す。
──好き。
また、昨日みたいにいきなり耳元で言ってみるか?いや、それは難しいか。
今は部屋に二人きり(いつのまにか姿は消したが、たぶんどこかで見てるクソ矢はノーカンだ)だし、いくら瞬だって、不審に思うはずだ。
「条件」にある通り、瞬に事情を明かすことはできない。それに、自分から言わなくても、瞬に悟られたっていう判定も、どのくらいから入るのか曖昧だ。不審に思われるのはできるだけ避けた方がいいだろう。
どうする?
課題に取り組みつつ、こっちの課題にも頭を悩ませる。
すると、今まで黙って俺を見ていた瞬が口を開いた。
「康太は……」
「ん」
「本当に就職、するの?」
ペンを止めて、瞬の方を見る。
「……ああ、母さんに大金払わせてまで大学行って、やりてえことなんてねえし」
「実春さんは知ってるの?」
「言ってねえ。まあ、行けばいいと思ってるんだろうけど……そもそも俺の頭じゃ無理だしな。そのうち諦めるだろ」
「違うのに」
ぼそりと瞬が呟く。小さな声なのに、妙に力がこもっていた。俺は頭を振って、話を変えた。
「瞬は?大学行くんだろ。もしかして海外とかか?」
「まさか。県内のとこにしようかなって……」
「瞬なら東大とかでも行けんじゃね」
「それは無理。東大、舐めすぎだから」
瞬は、あははと笑い、それから妙にしんみりしたトーンで言った。
「同じ学校に康太がいないってどんな感じなのかなあ……」
「……俺がいねえからどうってことはないだろ。まあ、あんまりぼんやりしてんなよ。変なのに引っかかったりしねえように」
「しないよ。康太こそ、ちゃんと真面目に仕事しないとすぐクビになるぞ」
「クビになったら瞬のヒモになるからいい。瞬の方が稼ぎそうだし。面倒見てくれるだろ」
「えー……ダメだよ、俺面倒見ないから。絶対」
「どうだか」
「……ほら、手止まってる。早く課題やりなよ」
止めたのは瞬じゃねえか、とは言わない。代わりに肩をすくめて、またペンを走らせた。
しばらくして、瞬がぽつりと言った。
「康太は俺がいなくてもやっていけるよ」
「いや……それは無理」
考えるより先に否定していた。
「何でよ」
冗談でしょ、とばかりに笑う瞬に、俺はまとまらない頭のまま、でも真面目に答えた。
「なんていうか……こんなに俺のこと何でも知ってて、楽な奴、他にいねえし……探すのもだるい。今さら他人とこんな関係作れねえよ。だから俺は瞬でいい」
──いや、「瞬でいい」じゃないな。
「瞬が好きなんだよな」
それは思いがけず、スッと出てきた。
必要に迫られてでも、意図的に意味もなく言ったわけでもない。心から出た気持ちだった。
瞬の存在を肯定するための「好き」だった。
だから、気恥ずかしいみたいな気持ちは不思議となかった。むしろ清々しかった。
「……っ」
瞬はしばらくの間、ぱちぱちと瞬きを繰り返していた。ひとしきり、きょろきょろしたり、膝の上で拳を開いたり閉じたり、何度も居住まいを正したりしてから、瞬は口を開いた。
「……の、ノート写す?」
「おい、ゴマすりじゃねえんだぞ!写すけど」
「ほら、やっぱりそうだったー!」
結局、俺の素直な告白は、あっという間に、ゴマすり扱いされてしまった。
視界の端で、クソ矢がやれやれ、と呆れながら、手で「○」を作る。
……ひとまず、今日はやり遂げたからいいか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます