1月3日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





「……」


カツカツ、カツカツ……。


「……」


静かな部屋で、ノートの上をシャーペンが叩く音が響く。罫線に沿って書いた(1)の後に続くべき答えが出ないまま、数分が経過した。


「……あー、クソが……」


苛立ちが募り、つい悪態が漏れる。

しかし、目の前の瞬に救いを求めても、首を振るばかりで、何も答えない。


沈黙に痺れを切らし、俺は口を開く。


「瞬……もういいだろ、頼む。見せてくれ」


「ダメだよ、康太。そういうことはもうしないって、俺、決めてるんだから……」


「頼む……俺、このために瞬と……」


「康太……」



「瞬と同じ選択科目にしたんだぞ……冬休みの課題、写させてもらうために……」



「最悪」


瞬が俺に対して軽蔑を露わにする。しかし、俺は諦めない。


「一生のお願いだから……頼む……ッ!」


「土下座まですると、流石にキモいわあ……」


部屋の角に立つクソ矢が引いている。瞬は固い意志を示すように、首をぶんぶん振って言った。


「康太。絶対、今日中にこの課題は終わらせるよ!自力で!そうさせてって俺、実春さんに頼まれてるから」


そう、俺は今、瞬の部屋で冬休みの課題をしている。いや、させられている。


三が日のうちから課題をやるなんて、全く正気じゃない。こういうのは、最終日か、最初の授業の日までにやればいいのだ。休み中は休みを謳歌すべきだと思う。

ちなみに、瞬は既に課題を全部終わらせているらしい。曰く、「受験勉強に時間を割きたいから」だとか。受験生は大変だな。


「お前もやろ」


「俺は就職するから勉強なんていらないんだよ」


「康太、就職でも教養試験はあるからね。勉強は必要だよ」


「嘘だろ……」


ショッキングな知らせだった。呆然として、床に倒れる俺に、瞬がはあ、とため息をついて言った。


「とにかく……康太は課題が終わるまで、家に帰さなくていいって言われてるんだよ。早く帰りたかったら、自力で課題頑張らないと」


「じゃあ瞬の家に住むからいいわ……飯旨いし、綺麗だし、寝心地いいし、瞬だし」


瞬は「ええっ」と驚いたり、口を尖らせたり、忙しなく表情を変えてから、最終的には、きゅっと眉を寄せて、真面目な顔で言った。


「……課題やらないならご飯出さないからね」


「クソ……」


やれやれ。俺は諦めて、体を起こす。おもむろにペンを握ると、瞬が鼓舞する。


「康太ならできるはずだから」


「……」


そう言われたら敵わない。俺はペンを走らせて、課題に向き合った。





「おやつ持ってくるね」と、瞬が部屋を出る。

気がつけば、一時間半近くも課題をやっていたらしい。進捗としては、あと半分ってとこか。


「あ〜……っ」


俺はその場で伸びをして体をほぐす。

すると、瞬がいないのをいいことにクソ矢が近寄ってきた。


「えらい真面目にやってたやん」


「うるせえ……俺はやればできるんだよ」


「そのくらい真面目に、こっちの課題も頼むで」


クソ矢が宙に文字列を書く。例の「条件」だ。


「チッ……いちいち見せなくても分かってる」


「昨日もなかなかよかったなあ?瞬ちゃんの方はどんな感じやった?」


嫌味ったらしく笑うクソ矢に苛立つ。下衆な奴だ。ゲス矢だな。


「そんなコロコロ呼び方変えられたら、ついていけんで」


「……ふん。瞬は別に普通だよ。見ての通りだ。クリアできたってことは、昨日のも聞こえてるんだろうけど、よく分かってないっていうか……あえて聞き返すほど気にしてねえんじゃねえの」


一昨日、昨日と、俺は、瞬にとって「気づくけど、あえて気にはしない」ラインを上手くつけているらしい。


まあ、こんなのが毎日続いたら、瞬がどう思うのかは微妙なところだが。

俺の方も毎日必死すぎて、そこまで考える余裕がないというのが正直なところだ。


さて、今日はどうするか──。


「ていうかこれ、誰が得するんだよ。俺も瞬も、お互い別に、なんてことないただの幼馴染だぞ。野郎同士だし……何が面白いんだ?」


「そんなん教えたらつまんないやん。ただまあ……儂らは『誰か』のお願いありきの存在やから。得しとる奴がおるのは間違いないで」


「じゃあ、そいつがこれを望まなくなれば、俺も瞬も解放されるのか?」


「ほう……」


俺の問いかけに、クソ矢が微かに口角をあげる。しかし、何か答えることはなかった。


そのうちに瞬が箱を手に部屋に戻ってくる。


「なんだよ、遅かったな」


「へへ。実春さんが、おやつ持ってきてくれたよ。ほら」


瞬が箱を開けると、中には──チョコ、ストロベリー、オールドファッション、エンゼルフレンチ……ドーナツが四つ入っていた。


「康太はチョコと……エンゼルフレンチね」


敷いたナプキンの上に、瞬がドーナツを載せる。さすが瞬だ。俺が選ぶものをよく分かっているが……。


「半分やる」


「え、いいよ。康太好きじゃん」


「瞬も好きだろ。それか、全部半分に割って分ければ、全部の味食べられる」


「それいいね」


瞬が「ナイフを取りに行く」と言ったが、めんどくさいので、俺はウェットシートで拭いた手で半分に割ってやった。


「割り方雑じゃない?」


「何だよ、嫌だったか」


「いいけど……康太ってこういうの本当、適当だよね」


「瞬が細かすぎるだけだろ……ほら、こっちの大きく割れた方やるよ」


「大きくっていうかそれ、ドーナツのほとんどだよ……八割くらいだよ」


半ば押し付けるように、八割を瞬に手渡す。俺は残った二割を口に入れた。


「課題はどう?あとちょっとじゃない?」


ドーナツを食べ終わった後。

瞬が俺のノートを覗きこんで、進捗を確認する。



(1)ウ

(2)ア

(3)イ

(4)イ


「あ、ちゃんとやってる。しかも、合ってるし。すごいよ康太!」


「まあな」


(1)

(2)A ア B イ C イ

(3)

(4)ウ


「あれ……」


「どうした、瞬」


3

(1)

(2)

(3)エ

(4)


「康太」


「何だよ」


4

(1)

(2)

(3)

(4)


「記述の問題だけ無回答で通そうとしてない?」


「しょうがねえだろ、分かんねえし」


「嘘だ!書くの面倒臭いからだろー、もう」


瞬にペンを握らされ、記述の問題もやらされる。

チッ、バレたか。ドリル系の課題はこれで結構誤魔化せるんだけどな。自己採点する時に、記述のとこだけ赤ペンで答え丸写しすれば速いし。


「クソ……情報の課題って何でこんな面倒くせえんだよ。関数式とか実務じゃ全部パソコンで入力なんだから、いちいち手書きさせんなよ」


「ちゃんと身についてれば、応用が利くだろ。ほら、康太は本当は分かってるんだから、自力でやりなよ」


「くっ……」


「頑張れ」と瞬に背中を叩かれる。俺がズルをしないように見張るためか、さっきよりも近くで、ほとんど体が密着するような距離に瞬は座った。


ふと、昨日のことを思い出す。


──好き。


また、昨日みたいにいきなり耳元で言ってみるか?いや、それは難しいか。

今は部屋に二人きり(いつのまにか姿は消したが、たぶんどこかで見てるクソ矢はノーカンだ)だし、いくら瞬だって、不審に思うはずだ。


「条件」にある通り、瞬に事情を明かすことはできない。それに、自分から言わなくても、瞬に悟られたっていう判定も、どのくらいから入るのか曖昧だ。不審に思われるのはできるだけ避けた方がいいだろう。


どうする?


課題に取り組みつつ、こっちの課題にも頭を悩ませる。


すると、今まで黙って俺を見ていた瞬が口を開いた。


「康太は……」


「ん」


「本当に就職、するの?」


ペンを止めて、瞬の方を見る。


「……ああ、母さんに大金払わせてまで大学行って、やりてえことなんてねえし」


「実春さんは知ってるの?」


「言ってねえ。まあ、行けばいいと思ってるんだろうけど……そもそも俺の頭じゃ無理だしな。そのうち諦めるだろ」


「違うのに」


ぼそりと瞬が呟く。小さな声なのに、妙に力がこもっていた。俺は頭を振って、話を変えた。


「瞬は?大学行くんだろ。もしかして海外とかか?」


「まさか。県内のとこにしようかなって……」


「瞬なら東大とかでも行けんじゃね」


「それは無理。東大、舐めすぎだから」


瞬は、あははと笑い、それから妙にしんみりしたトーンで言った。


「同じ学校に康太がいないってどんな感じなのかなあ……」


「……俺がいねえからどうってことはないだろ。まあ、あんまりぼんやりしてんなよ。変なのに引っかかったりしねえように」


「しないよ。康太こそ、ちゃんと真面目に仕事しないとすぐクビになるぞ」


「クビになったら瞬のヒモになるからいい。瞬の方が稼ぎそうだし。面倒見てくれるだろ」


「えー……ダメだよ、俺面倒見ないから。絶対」


「どうだか」


「……ほら、手止まってる。早く課題やりなよ」


止めたのは瞬じゃねえか、とは言わない。代わりに肩をすくめて、またペンを走らせた。


しばらくして、瞬がぽつりと言った。



「康太は俺がいなくてもやっていけるよ」



「いや……それは無理」


考えるより先に否定していた。


「何でよ」


冗談でしょ、とばかりに笑う瞬に、俺はまとまらない頭のまま、でも真面目に答えた。


「なんていうか……こんなに俺のこと何でも知ってて、楽な奴、他にいねえし……探すのもだるい。今さら他人とこんな関係作れねえよ。だから俺は瞬でいい」


──いや、「瞬でいい」じゃないな。



「瞬が好きなんだよな」



それは思いがけず、スッと出てきた。

必要に迫られてでも、意図的に意味もなく言ったわけでもない。心から出た気持ちだった。


瞬の存在を肯定するための「好き」だった。

だから、気恥ずかしいみたいな気持ちは不思議となかった。むしろ清々しかった。



「……っ」



瞬はしばらくの間、ぱちぱちと瞬きを繰り返していた。ひとしきり、きょろきょろしたり、膝の上で拳を開いたり閉じたり、何度も居住まいを正したりしてから、瞬は口を開いた。



「……の、ノート写す?」


「おい、ゴマすりじゃねえんだぞ!写すけど」


「ほら、やっぱりそうだったー!」


結局、俺の素直な告白は、あっという間に、ゴマすり扱いされてしまった。


視界の端で、クソ矢がやれやれ、と呆れながら、手で「○」を作る。


……ひとまず、今日はやり遂げたからいいか。

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