1月2日 振替休日
──た……うた?
──康太。
「なんだよ……うるせえな……」
耳の中で響く、よく知った声を手で払って、寝返りを打つ。
霧散していた意識が集まって、覚醒に近づく予感がする。だけど眠いし、体も重い。起きたくない。
──起きないの?
「寝かせろ……」
──仕方ないなあ……。
声がふっと遠くなる。
それから、顔のすぐそばに気配を感じた。げっとなって避ける前に、頬に何かひやっとした柔らかいものが押し当てられて……。
「──っ?!」
「おはよう、康太」
目を開けると、にっこり笑う瞬──ではなく。
「やっぱり、好きな子の声やと早よ起きれるんやなあ、クソガキ」
不快にニヤついた金髪クソ野郎に、顔を踏まれていた。
「声結構似てたと思ってんけど、どう?」
「殺す」
起きざまに振り上げた拳は空を切り、俺は勢いのまま、ベッドから転げ落ちた。頭がぐらぐらする。頭上から、クソ野郎の笑い声が響いて、より一層ムカつく。
「っ、てぇ……」
「康太っ?!」
その時、物音を聞きつけたのか、勢いよく部屋のドアが開いて、瞬が入ってくる。
瞬は紺のチェック柄のエプロンをつけていた。あ?ここもしかして──。
「瞬の部屋か……?」
「え、うん。夜中、うちに来ただろ、康太」
「夜中……?」
ずきずきと痛むこめかみを抑えて、考える。夜中?何でそんな時間に、俺は……。
「あー……めんどいなあ。また一から説明してやらなあかんのかあ……だるいなぁ」
後ろでぶつぶつ言っているエセ関西弁金髪クソ野郎がウザい。誰だっけ、こいつ?
「知らん奴によう悪態吐けるわあ……」
しかし、瞬の視線は俺にしか向けられてないので、たぶん、背後のこいつは、瞬には見えてないんだろう。じゃあどうでもいいか……。
「よくないやろ」
「瞬……今何時だ?」
「えっと……十時くらい、かな」
「なんだ……だいぶ寝たな……」
「お腹空いてない?ちょっとだけど、朝ご飯あるよ」
「おう、食べる」
「実春さんには、康太がうちに来てるって言ってあるから大丈夫」
「助かる」
瞬の後を追って、部屋を出る。間取りはウチとほとんど変わらないし、瞬の家なんか死ぬほど見たことがあるので、今さら特に違和感はない。
勝手知ったる我が家のように、ずかずかと居間まで行って、テーブルの前に腰を下ろした。瞬は台所に行って、朝飯を盆に載せたりと準備をしている。
そんなところも、この一年で随分様になったと思う。
去年の春に転勤が決まった瞬の両親は、今、海外にいる。瞬も一緒に行くとか、そんな話もあったようだが、結局、瞬は自分から望んでこっちに残ったらしい。
一人暮らしを始めるようになってから、瞬は俺の母親にあれこれ教わって、あっという間に家事スキルが向上していった。鈍臭いけど、頭は良いし、素直な奴だから、当然だ。
俺はこうやって瞬の世話になる度に、その成長を感じている。できればこれからも近くで成長を感じたい、もとい、その恩恵に預かりたいところだ。
「ほんまにええ子やなあ。お前には勿体ないくらいや」
「喋んなよ、金髪が」
「金髪の何が悪いん?それ」
いつのまにか隣に座っていたクソ金髪がテーブルに頬杖をついている。
「お前誰なんだよ、瞬の家に勝手に入んな」
「あー……お前はほんま、頭悪くてめんどいわ」
これでも見とき、とクソ金髪が指で宙に文字列を書く。それから、その文字列を俺の頭に向かって飛ばしてきた。
「──っ!?」
頭の中に、こいつが書いた文字列が浮かんでくる。これは──。
【https://kakuyomu.jp/works/16817330651076198575/episodes/16817330651076569990】
「俺の頭にリンクを貼るな」
「これが一番手っ取り早いやん……で?昨日のことは思い出したか?」
「ああ……全部思い出した」
昨日の記憶を、ある意味完全に取り戻した俺は、目の前にいるこのクソ金髪を睨んだ。思い出したら思い出したでムカつく野郎だ。
「それからいい加減、クソ金髪とか言うのやめてな。儂には一応、『
「チッ……いちいちうるせえな……クソ矢でいいだろ」
「無駄な自己紹介やったわ」
ほんで、とクソ矢が言った。
「思い出したんなら、当然『条件』のことはもうばっちりやんなあ?」
「条件……ああ」
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
さっき、思い出したやつだ。
改めて見ても、ふざけた条件だ。しかも、昨日から始めるとかほざきやがって……ん?
「俺、生きてるってことは……アレは、実行したうちに入るんだな?」
「せやな。ええもん見たわあ」
「悪趣味金髪が。クソ……」
当たらないと分かりながらも、クソ矢の顔をぶん殴る。靄の中に手を突っ込んだみたいに、拳には何の感触もない。ただ、腕にまとわりつく嫌な空気だけを感じる。ムカつく。
「はは、今日はどんなロマンチックな告白が見れんのか楽しみやわ……せいぜい頑張りや」
「はあ?今日もやんのかよ?」
「さっき見せた条件にあったやん、『毎日』て。お前、さてはテストで問題文とか読まんタイプやな」
「どうせ分かんねえのに読む必要ねえだろ」
「……」
クソ矢が憐れむような目で見てくる。余計なお世話だ。
「まあいい。『好き』って、この二文字をただ、瞬に言えばいいんだろ。昨日はアレだったが……メールで送って、既読ついたらすぐ削除でもすりゃあいい」
「そういう知恵は回るんやなあ」
「はっ、もしかして抜け穴だったか?」
「まさか。削除したら無効や。ちなみに明日削除しても駄目やで。遡って無効になるから、その場合は消した瞬間、即死やな」
「マジかよ」
割といい案だと思ったんだが。てかこいつ、俺がこの案を言わなかったら、そこまで説明しなかった可能性あるな……根っからのクソ野郎だ。
「うまい抜け穴なんかないで。正攻法でいくんが確実や。ほら、愛しの瞬ちゃんが来た来た」
「ごめん、お待たせ」
クソ矢が指す方を見ると、盆を抱えた瞬がいた。二人分の食器は盆いっぱいに並べられていて、瞬はフラフラして危なっかしい。俺は見かねて、瞬の分の食器を運んでやった。
「あ、ありがとう」
「別に。ん、ピザトーストと……お雑煮?」
手に取った皿と茶碗を見て聞くと、瞬が苦笑いする。
「うん。合わないけど……お正月ってこういうの食べたくならない?」
「なる、いいな」
「じゃあよかったー」
ぱっと顔を明るくした瞬が「食べよう」と腰を下ろす。テーブルに並べたピザトーストとお雑煮に手を合わせて言った。
「「いただきます!」」
カリカリに焼けたパンの耳を咀嚼しながら、トーストに齧り付き、チーズを伸ばす瞬を見る。
さて、どうやってこいつに「好き」って言うか。
癪だが、クソ矢の言う通り、抜け穴を探すのはやめた方がいい。俺の知らない条件がまだ潜んでいて、うっかり即死する可能性もあるからな。いちいちクソ矢に聞くのもダルいしムカつく。
──昨日は、必死すぎてとりあえず言っただけだが、大体、瞬はアレをどう思ってんだ?
そもそも、俺は何で瞬の家で寝てたんだ?
普通に考えたら、いきなり意識が飛んだ俺を瞬は泊めてくれたんだろうが……。不思議に思わなかったんだろうか?
「瞬」
「何?」
トーストを頬張りながら、瞬が俺を見つめる。普通だな。もしかして忘れたとか?俺は尋ねてみた。
「昨日の夜──何かあったか?」
「え?あ……覚えてないの?」
これは覚えてるな。覚えてる上で、普通。なるほど。俺は、真っ直ぐに瞬を見て言った。
「忘れた」
「そうなんだ……いや、大したことはなかったんだけど……」
「何があった?」
瞬が腕を組んで、宙を見つめる。しばらくそうしていたが、やがて、ぽつぽつと話し始める。
「えっと……夜中にいきなり康太がうちに来て……それで……急に倒れちゃったから、とりあえず部屋に運んで寝かせたんだけど。夢なのかなあって思ってたら、本当に部屋で康太が寝てたからびっくりしたよ」
「……そうか」
「康太は?本当に何も覚えてないの?」
「ああ……全然。てか、瞬はどこで寝てたんだ?」
「居間だよ。あ、でも大丈夫。客用布団あるから」
「ふうん……じゃあ初夢は?何か見たか?」
「え?どうだろ……昨日、康太がうちに来たやつがそうなのかな?でも、康太は本当にうちにいたし……うーん、分かんないや」
「へえ……」
「運んでくれてありがとうくらい言えや」
クソ矢に従ったわけじゃないが、俺は瞬に「ありがとう」を言い、今聞いたことを整理する。なるほど。
瞬は、昨日のことを夢か現実か、いまいち判別がついてないらしい。
つまり、俺の「好き」も聞いていたようだが、それが現実かどうかは分かってない。
条件もクリアしつつ、瞬の記憶にも薄い。
いい落とし所に収まったってことだ。
とりあえず安心して、俺はピザトーストに戻る。
ある意味、一番気になってた部分が分かってスッキリした。よかったよかった。
「なーんも、分かってないんやなあ……」
視界の端でクソ矢が何かボヤいたが、俺はさして気にしなかった。
☆
「今日はどうする?」
朝飯とその片付けを終え、居間で二人、テレビを見ている時だった。なんとなく瞬に尋ねてみると、瞬は「うーん」と唸ってから答えた。
「買い物に行こうかなー……あ、福袋も引き取りに行かなきゃ」
「あー、うちも母さんが行くって言ってたな。乗ってくか?」
「え、いいの?」
「母さんが瞬を断るわけねえよ。じゃあ、夕方だな。混んでるの嫌だし」
「助かる、ありがとう。後で康太ん家行くよ」
「ん」
瞬との会話は気楽だ。適度に遠慮なく、絶妙に力を抜いて話ができる。
決してぶつからず、かといって離れすぎない関係ってのは悪くないもんだ。
瞬みたいな奴は、幼馴染でもなけりゃ、俺はまず関わらないタイプの奴だし、そんな奴とこんな気安い関係になれたっていうのも不思議な縁だよな。
──まあ、嫌いではないけど。
こいつに、これから毎日「好き」って言うのか。
別に「好き」っていうのは、何も、恋愛事に限った感情じゃない。
この世界に、人への気持ちを表す言葉が、「好き」か「嫌い」しかなくなったら、俺は瞬を「好き」だと言うだろう。
そういうつもりで言えばいい。たくさんある言葉の中で、たまたま今持ち合わせてる言葉がそうだったんだと思えば、これくらい──。
「瞬」
「ん?」
「す」
「す?」
「す、す……」
「何?す?」
「す……っげえ、いい年にしようぜ……」
「え、ああ、うん……そうだな」
瞬は眉を寄せて困惑していた。失敗だ。
クソ、何でこんなに難しいんだ。
「そんなわけねえだろ」って思う奴は、一回やってみてほしい。家族でも友達でもいいから言ってみろ、できねえから。
いないから言えない奴は鏡に向かって自分に言え、できねえから。キツいから。
「クソ……ッ、す、す……」
「せっかく二人っきりやのに勿体ないわあ……夕方になったら難易度上がるで?それとも、周りに自分らのこと見せつけたいんか?」
「すっこんでろクソ」
「え、な、何……俺何かした……?」
「いや違う……ちょっとハエが飛んでて」
「そう……?」
瞬が首を傾げながらテレビに視線を戻した隙に、俺はクソ矢を連れて居間を出た。
「何や急に」
「お前……瞬がいるところで出てくんな。別にここにいなくても俺の監視はできんだろ」
「せやな。でもまあ神様に、一応、近くで見とけ、言われてんねん。仕事やからしゃあないわ」
チッ。こいつがいなくなれば、まだ実行しやすいかと思ったんだが、さすがにそうもいかねえか。
「三が日なのに神社いなくていいのかよ。管理人だろ」
「他のモンがいるからええって言われてる」
「なんだ。使えない奴を厄介払いする口実か……」
「条件とか抜きでぶち殺すぞクソガキ」
「仕事なんだろ。勝手にそういうことできねえんじゃねえの」
「チッ……」
いつもヘラヘラしてるクソ矢が苛立ちを露わにする。いい気味だ。そうか、物理的に殴れないなら、言葉で殴ればいいのか。
「とんでもないクソガキ押し付けられたわあ……まあ、ええ。この調子やと今日中に実行不可で即死っぽいから、儂は高みの見物さしてもらうわ。せいぜい、頑張り」
その瞬間、クソ矢がふっと姿を消した。ムカつく姿は見えなくなったが、どこかで俺を見ているに違いない。
昨晩のことが脳裏に浮かぶ。
ムカつくが、あいつはアレでも人外だし、その気になれば、俺を殺すくらい容易いだろう。
やるしかねえ。
俺は頭を掻きながら、居間に戻った。
☆
夕方。
あれから、俺は瞬に「好き」と言えないまま、瞬と母親と俺で近所のショッピングモールに来ていた。
この時間のモールは、それなりに混雑はしているが、ひどいってほどじゃない。
三人で一通り、専門店街の初売りを物色した後は、食糧品売り場に行くという母親と分かれて、俺は瞬の用事に付き合った。
「ありがとう、付き合ってくれて」
「いい、俺もちょっと見たかったし」
今寄った本屋で買った参考書数冊と、引き取ってきた福袋で手がいっぱいになっている瞬。対して、俺は特に何も買わなかったので、手ぶらだ。
「一個貸せ」
「いいよ、持てるし……あ」
瞬の手から半ば無理矢理、福袋を引ったくる。結構重いな。中身は確か服だったはずだ。
季節ものをちまちま買い足すより、こういう時にまとめて買った方が安いから、とかそんなことを瞬は言っていた気がする。
「あ、ありがとう……」
目をぱちぱちさせて戸惑う瞬。
俺が瞬の立場だったら「うわー気が利く!優しい!康太大好き!」って、この流れで自然に言えたかもしれない……とふと思った。いや、ねえな。キモい。
「クソ……どうすりゃいいんだ」
「康太?」
「いや……何でもねえ」
焦りから、つい呟きを漏らしてしまう。瞬は耳がいいから、俺の些細な独り言なんかも意外と拾ってるのだ。全く厄介な幼馴染だと思う。
──まあその分、聞こえたくないことも聞こえちまうんだよな。
なんて考えていた時、ポケットに突っ込んだスマホが振動する。メッセージが届いたようだ。
「……母さんが、駐車場の入り口で合流しよう、だって。向こうも終わったみたいだな」
「荷物持たなくて大丈夫かな」
「カート押してくるから大丈夫だろ。行こうぜ」
母親が車を停めたモールの立体駐車場に繋がるエレベーターに、瞬と乗り込む。
エレベーターは寿司詰め状態で、俺と瞬は角に追いやられるように立っていた。
ほんの数十秒耐えればいいだけだが、息苦しいし、暑い。それにすぐ隣のカップルが囁き声で話しているのも耳障りだ。
早く俺達が降りる階に──そう思ったが、エレベーターは一階ずつちまちま止まり、その度に人を吐いて、また人を取り込むことを繰り返す。ムカつくほど、ちんたらと上昇していった。
さらに事態は悪化する。
大男が俺達の前に乗り込んできた時、咄嗟に瞬と男の間に体を差し込んだせいで、俺は、瞬を壁際に押し付けるような体勢になった。壁ドンって言うのか、こういうの。最悪だ。
「なんか、ごめん……?」
目の前の瞬が、眉を下げて躊躇いがちに詫びてくる。エレベーターの中が暑いせいか、頬が紅くなっていた。
「あと一つだから我慢しろ。一番上の階だし、全員降りる」
「う、うん」
しかし、こうして近くで顔を見ると、瞬は幼稚園の頃からあんまり顔変わってねえな。なんというか幼い。
まあ、死ぬほど見てきた顔だから、今さら、瞬の顔は良いとか悪いとか、俺はもう何とも思わねえけど……悪くはねえだろ。少なくとも、毎日見ても嫌にならない程度には。
──「好き」って言え。
頭の中で、俺の声が響く。この状況を傍観している俺だ。
そうだ。次にエレベーターのドアが開いたら、母親と合流して、その後瞬を家に帰して、そうなったらたぶん、今日はもう瞬に会うチャンスはない。
また昨日みたいにするしかなくなる。さすがにもうアレはダメだ──母親にしっかり見つかってて「夜中にうるせえ」って死ぬほど怒られたし。
明日も生きるためには、今しかない。
──瞬は耳がいい。それに、後は雑踏に混ぜてしまえば。
チン、とエレベーターが止まる合図が鳴った。
エレベーター中の人の視線が、瞬の視線が、扉に集まった瞬間──ごく小さな声で、でも瞬にだけは聞こえるように、瞬の耳元で囁いた。
「好き」
「──え?」
扉が開く。流れ出す人波の中に紛れるように外へ出て行く。手は引いているけど、後ろの瞬は振り返らない。
やった。なんとか、やってやった。
冷たい外気を吸って、吐いた時、いつのまにか姿を現していたクソ矢が、片手で「○」を作っていた。
今日の分はやり遂げたってことか。
俺は振り返らないまま、瞬に「行こう」と声をかけて、歩み始めた。
先のことはまた、明日考えればいい。
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