第40話 桂華ちゃんの涙

 ミスコンの協賛に、葵先輩の事務所が関わっており、当時の審査員として、彼女も参加することになった。

 今年のミスコンは、さらに波乱の予感がしてならない。


 葵先輩は仕事があるというので、そそくさと学校を後にしたものの、俺と会長は生徒会室に戻って事務仕事を片付けた。

 その間、会長はずっとちらちらとこちらを訝しむような視線で見つめてきたものの、終始無言を貫いた。


「お疲れ様です」

「新治君」


 俺が荷物を持ち、生徒会室を後にしようとしたところで、ついに会長が俺を呼び止めてきた。


「どうしました?」

「その……先ほどの件なのだけれど……」


 そう言う会長は、どこか不安そうな表情を浮かべている。


「大丈夫ですよ。会長が思っている通りにはなりませんから」


 俺はふっと破願して、会長を安心させるように言うと、少しばかりほっとしたような顔を見せた。


「本当? 信じていいのよね?」

「はい。任せてください」


 俺が胸を叩くと、会長はようやく信用してくれたのか、ふっと笑みを浮かべてくれた。


「そう……なら今回の件は、新治君に一任するわね」

「分かりました。変なことにはしませんので」

「えぇ」

「それじゃ、俺はこの辺で」

「お疲れ様」


 会長に挨拶を交わして、俺は生徒会室を後にする。

 まさか、会長があそこまで葵先輩のことで憔悴するとは思っていなかったけど、これは俺自身の問題なので、変に話して関わらせてしまうよりはマシだと思った。

 昇降口へと向かうと、下駄箱に寄り掛かる、一人の少女の姿を見つめる。

 少女は俺の姿に気づくと、にこりと柔らかい笑みを浮かべてきた。


「お疲れ様です先輩」


 桂華ちゃんは、労いの言葉を掛けてきてくれる。


「桂華ちゃんもお疲れさま。今帰り?」

「はい。先輩を待ってました」

「そっか。なら一緒に帰ろうか」


 そう言って、俺は下駄箱からローファーを取り出して、上履きから履き替える。

 桂華ちゃんの隣に並び、そのまま昇降口を後にしていく。

 いつもの帰り道、陽は西の空へと沈んでいき、二つの影が伸びる。

 どちらも特に会話をすることなく、二つの足音だけが辺りに鳴り響く。

 学校沿いにある大通りから、一本細い道へと入り、住宅街を少し進んだところで、あっという間に俺の家が見えてきてしまう。

 そう言えば、この前もここでこうして、桂華ちゃんを送り届けようとしていた時に、葵先輩が現れたんだっけ。


「先輩」


 そんなことを考えていたら、不意に桂華ちゃんが声を掛けてきた。

 俺は立ち止まって、桂華ちゃんを振り返る。


「ん、どうしたの桂華ちゃん?」


 俺が尋ねると、桂華ちゃんは遠慮がちな視線でこちらを見上げてくる。


「先輩はその……葵先輩の事……どう思ってるんですか?」

「どう思ってるって言われてもなぁ……」


 俺は顎に手を当てて考える。

 確かに葵先輩のおっぱいは魅力的だけど、それ以外は、俺の欲望を開放してくれた恩人としか言葉に表せない。

 葵先輩は俺に好意を寄せてくれていたみたいだけど、俺が先輩に行為があるかと言われれば疑問が残る。


「先輩は、葵先輩の事、好きなんですか?」


 さらに言及してくる桂華ちゃん。

 正直、どう答えるのが正解かのか、自分でも分からなくなっていた。


「私は……」


 すると、桂華ちゃんが俯きながら、両手をぎゅっと握り締め、プルプルと身体を震わせる。

 そして、意を決したように顔を上げると、決意の籠った視線を向けてきた。


「私は、お兄さんに葵さんと結婚して欲しくありません!」


 桂華ちゃんから放たれたのは、彼女自身の願望だった。


「お兄さんにはもっと幸せな相手が必ずいるはずです……。だからこんなところで、葵先輩の圧と胸の魅力に負けて、判断を誤って欲しくないです」


 言葉尻につれて、自信が無くなって行ってしまった桂華ちゃんは、どんどんと視線を落としていってしまう。

 心なしか、力が抜けていくのに、肩が震えているように見えた。


「桂華ちゃん……」

「お兄さん、女の子はおっぱいだけが全てじゃないですよ」

「あぁ、分かってる」

「もっと色んな所に魅力がいっぱい詰まってます」

「……だな」

「だからお兄さんは……お兄さんは……私、お兄さんがいなくなっちゃうのだけは嫌です!」


 はっきりと告げられた、桂華ちゃんからの意志。

 俺は桂華ちゃんの頭を撫でずにはいられなかった。


「桂華ちゃんの気持ちは十分伝わったよ」


 桂華ちゃんは鼻を啜りながら、コクリと頷いた。


「それに、俺はまだ、桂華ちゃんの手伝いも全然できてないもんな」

「えっ……?」

「おっぱいをおっきくして、魅力ある女の子になるんだろ? 俺がいなくなったら、誰が桂華ちゃんに協力する人がいるんだ?」

「お兄さん……」


 そうだ、俺はまだ、何も成し遂げていないのだ。

 ただ欲情のままに流されて、結婚という安直な判断を取ってはいけない。

 桂華ちゃんの言葉で、今そう確信した。


「ありがとう桂華ちゃん。俺、決心がついたよ」

「えっ?」

「俺、葵先輩の所に行って、結婚の話を断ってくるよ」

「本当ですか? でもお兄さんは……」

「ううん。こんな近くに、一番守りたいものがあったんだ」


 俺は、桂華ちゃんが悲しむ姿を見たくない。

 そう思ったのだ。


「桂華ちゃん……もしさ、この件が落ち着いたら、ちょっと話したい事があるんだけど、いつか時間取れるかな?」

「えっ、はい。いいですけど」


 こうして俺は、桂華ちゃんと約束を取り付けた。

 そして、最後の戦いへと挑むための決心をつけるのであった。





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