第36話 バレンタイン①

 凜花との罰ゲームデートから、数週間後の学校。


 二月十四日。

 この日付を聞けば、大半の人が、今日が何の日であるかを言い当てることが出来るはずだ。


 バレンタインデー。

 それは、陽キャ系運動部男子にとって、一年で最ももてはやされる日である。

 もちろん、陰キャ系男子には無縁のイベントであることに変わりはないのだが……。


 教室内は、甘いチョコレートの匂いが充満していて、意識せずともチョコレートのことが頭に浮かんできてしまう。

 俺は椅子に座ったまま、ソワソワと落ち着かない時間を過ごしていた。


 陰キャ男子には無縁とは言ったものの、期待していないとは言ってない。


 義理でもいいから、ワンチャン貰えるのではないか?

 そんな淡い期待を抱いてしまうのは、男子高校生として仕方のない性である。


 しかし、現実は不条理だ。

 教室内のあらゆるところでキャピキャピ、ワチャワチャ、チョコレート手渡しイベントが行われているというのに、俺の周りは見事なまでの緩衝地帯。

 人っ子一人、居やしない。


 分かってたもん……分かってたもん!!!

 俺は遂に目の前のキラキラと輝かしい光景に耐えられなくなり、机に突っ伏してしまう。

 大体、クラスで影の薄い俺が、ワンチャン女の子から貰えるのではないかという微かな希望を抱くだけ馬鹿だったんだ。


 何? 

 俺には南央がいるじゃないかって?

 アイツから貰えると思うか?

 むしろアイツは――


 俺が顔を上げ、教室の前方にある人だかりを見れば、頭一つ抜けた南央が、女子生徒たちに囲まれていた。


「南央! はい、チョコレート」

「ありがとー」

「南央先輩……! 受け取ってください!!」

「ありがと」


 クラスメイト、他クラスの女子、さらには先輩、後輩までにチョコを手渡されていた。

 一方で南央の方も、気持ち程度のマフィンを、貰った人へ一つずつお返ししている。


 言っておくが、この学校で男子のバレンタイン特権は通用しない。

 なぜなら、この学校には古村南央(帝王)がいるからだ。


 全国大会制覇、最優秀選手賞獲得、日本代表選出。

 そんな肩書を持ったスーパーマンに、男子達は太刀打ちできるはずがなく……。


「クソッ……全員古村目当てかよ!」

「俺たち男子に少しはお恵みを分け与えてくれたっていいじゃねぇか」


 とまあ、南央のせいで陽キャ運動部系男子さえ、悲しい現実に打ちのめされている。

 甘ったるい匂いが教室内に充満し続けているせいで、徐々に頭が痛くなってきた。

 こういう時は、身体を動かすに限る。

 俺はスッと席を立ち、教室を後にして、いつも通りトレーニングへと向かうことにした。



 ◇◇◇



 昇降口で外履きに履き替えて、そのまま花壇へと向かうと、そこには先客が待っていた。

 花壇の前にいたのは、見覚えのある髪の毛を揺らし、威厳ある佇まいをしている、生徒会長の凜花りんかだった。


「あれっ、珍しいな。凜花が先にいるなんて」

「まったく、こんな学校中が浮かれているというのにトレーニングに来るとは、呆れを通り越して尊敬すらしてくるわ」

「ありがとうございまーす」

「褒めてないわよ! 全くもう……」


 凜花は頭痛でもするのか、こめかみを押さえていた。

 俺は凜花を気にすることなく、早速トレーニングを始めようとする。


「それで、先輩はどうしてこんなところにいるんですか? 今日は俺なんかを取り締まるより、校内の取り締まりを行った方がいいと思いますけど?」

「分かってるわ。私だって、佐野が思っているほど暇人ではないもの」


 いや、ここで俺を待ち伏せしてるぐらいには暇人じゃないですか……とは、口が裂けても言えなかった。


「今日は用件があって待っていたの。いつものように、佐野ならここに来ると思って」

「言っときますけど、もう一回デートしてくれという用件は飲めないからな? もうコリゴリだ」


 あの日は、凜花との勝負の罰ゲームでデートしたはずなのに、南央が乱入してきたり、しまいには彩音まで参入してきてカオスになったからな。

 今思い返しても、げっそりとしてしまう。

 しばらく、デートイベントは避けたい所存だ。


「ち、違う! そうじゃなくて……私はこれを渡そうと思って……」


 そう言って、凜花はおもむろに後ろに回していた手を前に差し出した。

 現れたのは、綺麗にラッピングされた包装紙。


「えっ……」

 ナニコレ? 

 どうして凜花が俺なんかに手作りのお菓子を……⁉

 どういうことだってばよ?


「か、勘違いしないでよね! これはあくまで義理なんだから!」

「は、はぁ……」


 俺は一旦トレーニングの手を止め、凜花から包装されたチョコチップクッキーを受け取った。


 えっ、嘘!? 

 マジでくれるの⁉ 

 俺なんかに⁉

 義理チョコを⁉


 俺は、自分の手に置かれた義理チョコを、まじまじと見つめてしまう。

 刹那、俺の胸の奥から、何か込み上げてくるものがあり、視界が歪んできてしまった。


「なっ、何故泣いているの⁉」


 気づけば俺は、感動のあまり涙を流してしまっていた。

 俺は慌てて目で涙を拭きとりながら、事情を説明する。


「ごめん……。実は俺、母親以外からこうやってチョコレート貰うの初めてだったから嬉しくて……!」

「そ、そうだったの⁉ それはその……初めてを奪ってしまってごめんなさい」

「いや、謝らないでいい。素直に嬉しい。ありがとうな!」

「そんな大したことはしてない。というか、古村さんからは貰わないの?」


 凜花に南央のことを問われ、一気に気分が冷めてしまう。

 俺は皮肉めいた笑みを浮かべながら答える。


「あいつは昔から人気者何で、受け取る側なんですよ。それで、手作りチョコを大量生産するんですけど、ハイクオリティを追求するあまり、味見という名の毒見役を任されてまして、『当日はいらないよね?』って言われて、改まって手渡しでもらったことはないんだ」

「そ、そう……色々と大変なのね」


 凜花は、同情の眼差しを向けてくる。


「でも、本当に嬉しいよ。必ずホワイトデーに、ちゃんとお返しするから」

「お、お返しなんていらないわよ」

「いつもトレーニングを見逃してもらってる身としても、普段のお礼も兼ねて渡したいんだ」

「そ、そこまで言うなら分かったわ。なら、物品でのお返しはいらないから、違う形で返して欲しいの」

「違う形……? どういう形で返せばいいんだ?」

「そうね……なら、来週試験休みがあるでしょ? その日、また二人でどこかに行きましょ」

「えぇ……」

「な、何よ、その嫌そうな反応は⁉」

「あっ、ごめん。別に凜花とのデートが嫌というわけではなくて……」

「で、ででででデートじゃないわよ!」


 あっ、やっぱり凜花と二人きりも面倒くさいかもしれない。


「まあ何と言うか、この前も色々と大変だっただろ?」

「だから、今度は二人きりになれるところに行きたいの。ダメかしら?」

「うっ……」


 その上目遣いは反則だろ……。

 俺は根負けするようにため息を吐いた。


「分かったよ。今度の試験休み、またどこか一緒に行けばいいんだろ?」

「ありがとう。楽しみにしているわ」


 だから、なんでそんなに嬉しそうな顔浮かべるんですかこの人は。


「それじゃあ、私は戻るわね。あっ、次の期末試験、手を抜くつもりはないから。次も勝たせてもらうわ」

「こちらこそ、二の足は踏みません。最善を尽くして倒してやる」

「ふふっ、望むところよ」


 挑戦状を突き付けて、凜花は踵を返して昇降口へと戻っていく。

 俺は、貰ったチョコレートをマジマジと見つめる。

 外は今も突き刺すような凍える寒さだというのに、手に持っているチョコレートは、心なしかほんのりと温かみを帯びているような気がした。

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