第21話 二人の夜

 南央は、シャワーを浴びたり、寝支度を整えてくるとのことで、一旦家に帰宅。

 そのタイミングで、南央の祝勝会もお開きとなり、尚子さんも家路へ着いた。

 母さんは、酔っぱらったから後片付けは明日やると言って、シャワーも浴びずに寝室へと入って行ってしまった。

 きっと、今頃深い眠りについているのだろう。

 もしかしたら、南央が俺の部屋に泊ることを許可したことすら、覚えていないかもしれない。


 俺も手早くシャワーを済ませて、寝間着姿に着替える。

 部屋に戻って、南央が寝る用の敷布団を、ベッドの下へ敷いてあげた。


「よし……ちょっと狭いけど、寝返りできるスペースぐらいはあるだろ」


 荷物をどかして、何とかベッドの横に布団を敷き終えたところで、不意に静寂の時間が訪れる。

 部屋には俺一人だけ。

 南央が来るまで、もう少し時間はある。


 突如として襲ってくる、謎の緊張感。

 いくら幼馴染とはいえ、相手は年頃の女の子。

 普段意識していなくても、同じ部屋で寝るとなれば話は別だ。

 強制的に意識させられてしまうし、動揺もしてしまう。

 気づけば、俺は部屋の中を行ったり来たりしていた。


 とそこで、ピンポーンとインターフォンの音がかすかに聞こえてくる。

 俺は慌てて部屋を出て、玄関先へと向かって行く。

 扉を開けると、ダウンコートに身を包んだ南央の姿があった。


「お待たせー」


 そう言って、玄関先へと上がり込むと、南央は着ていたコートを脱ぎ捨てた。

 南央は、ピンクと白の縞模様の寝間着姿で、モコモコとした素材で温かそうにしている。

 これから一緒の部屋で寝るのだと、さらに実感させられてしまう。


「どうしたの?」


 俺が寝間着姿を見たまま固まっていたので、不思議に思った南央が首を傾げてくる。


「な、なんでもねぇよ。ひとまず、部屋行くか」

「うん!」


 俺は適当に取り繕うようにして、南央を再び自室へと案内していく。

 階段を上がり、部屋の扉を開いて、南央を中へと招き入れる。


「お邪魔しまーす……って、あれ?」


 部屋に入るなり、南央は目の前の光景を見て立ち止まってしまう。


「ん、どうかしたか?」


 尋ねたのも束の間、南央はその場にしゃがみ込んだかと思うと、俺が苦労して敷いた敷き布団を、バサっと捲り上げてしまう。


「ちょ、何してんだよ⁉ せっかく敷いたのに!」

「だって、別に必要ないもん」

「はぁ⁉」

「二人で一緒のベッドで寝ればいいでしょ」

「なっ⁉」


 南央の言葉に、俺は思わず声を荒げてしまう。


「いやいやいや、流石にそれは無理だから!」

「……約束、守ってくれるんじゃなかったの?」

「うっ……そ、それは……」


 言質を取られている以上、南央のお願いには出来るだけ答えなければならない。

 だが、同じ布団に入るなど、そんな高難易度ミッション、俺には荷が重すぎる。


「ごめん南央、流石に一緒のベッドはNGで。いい大人が二人で一人用のベッドに寝るとか、俺の身が持たない」

「……分かった。じゃあ私が上のベッド使ってもいい?」

「あぁ、それならいいぞ」


 俺が正直に気持ちを吐露すると、南央も理解をしてくれたらしい。

 上のベッドを使うという条件で、一緒のベッドで寝るという事態を回避できた。

 俺がふぅっと胸を撫で下ろしている間にも、南央は躊躇なくベッドへ身体をダイブさせた。


「わーい! 慶悟のベッドめっちゃ跳ねるー!」

「あんまりはしゃぎすぎるなよ。母さんもう寝てるから」

「はーい」


 南央は素直に返事を返してくれる。

 俺は、南央が剥がしてしまった敷布団を、綺麗に敷き直す。

 そして、敷布団の上に座り込み、ベッドに寝そべる南央の方へ身体を向けた。


「これからどうする?」


 時計の針は、長身と短針が頂点で重なり合おうとしている。

 明日も学校があるので、そろそろ寝ておいた方がいいだろう。


「まあ明日も学校あるし、今日は大人しく寝よっか」

「だな」


 南央も俺と思っていたことは同じらしい。

 ベッドの端に置いてある羽毛布団を取って、ゆっくりと横になっていく。


「横になったか?」

「うん」

「それじゃ、電気消すぞ」

「はーい」


 俺は、蛍光灯の照明を消して、部屋を真っ暗にした。

 辺りが一気に暗闇に包まれ、何も見えなくなる。

 部屋にある時計の秒針の音だけが、チクタクと音を響かせていた。

 その秒針よりも激しく、俺の心臓はバクバクと脈を打っていて、高鳴りが収まることを知らない。

 南央がすぐ隣で寝ているのだ。

 気を休めろと言う方が無理な話である。

 自分の部屋なのに、どうしてこんなに落ち着かないんだろうか。

 そんなことを思いつつ、しばらく天井を見上げていると、暗闇に目が慣れてきて、うっすらと蛍光灯の輪郭が見えるようになってきた。

 眠気が全く訪れない中、ベッドの方から、南央が寝返りを打つ衣擦れの音が聞こえてくる。


「んんーっ……」


 南央の吐息一つが、俺の胸の鼓動を弾ませる。


「うぅーっ……」


 と、そこで明らかに、寝苦しそうな声が聞こえてくる。


「南央、大丈夫か?」

「うん、大丈夫」


 俺が声を掛けると、すぐに、南央の声が返ってきた。


「寝苦しかったら、言ってくれよ」

「大丈夫……すぐに眠れると思うから」


 そう言って、南央は一定のペースで呼吸をしていく。

 そして、数分も経たぬうちに、スヤスヤとした南央の寝息が聞こえてきた。

 南央が寝静まったことで、俺はようやく大きく息を吐く。


「緊張してたこっちが馬鹿みたいじゃねぇか」


 万が一のことが起こるのではないかという可能性が杞憂に終わり、ほっと安堵したのも束の間、次なる問題が発生する。


「ヤベェ……全然寝れる気がしねぇ」


 自分の部屋のはずなのに、圧倒的居心地の悪さ。

 これはきっと、部屋に他の人が寝ているという心理的な物からくる緊張感。

 先ほどとはまた違った、切迫感のようなものを感じていた。

 明日も普通に学校があるので、寝なきゃいけないのに……。

 よしっ!

 ここはひとつ、羊を数えよう!


 俺は瞼を瞑り、頭の中で羊を数えることにする。


 羊が一匹……羊が二匹……羊が三匹……。


 しかし、数えているうちに頭の中の牧場は羊だらけになっていき、白いモフモフの羊毛に一面が覆われていった。



 ◇◇◇



 辺り一面が羊毛の世界で白く染まったところで、俺ははっと目を覚ました。


 見れば、カーテンの隙間から、陽の光が差し込んできていて、部屋を微かに照らしている。

 外からは、チュン、チュンと雀の鳴き声が聞こえてきていた。

 どうやら俺は、羊を数えているうちに、いつの間にか眠ることが出来たらしい。

 さっきまで、羊のモフモフな羊毛に包まれていたような気がする。


「んんっ……」


 俺が寝返りを打つと、プニっと明らかに羽毛布団とは違う感触に当たった。

 驚いて目を開くと、そこにはスヤスヤと寝息を立てて眠る、南央の顔が目の前にあって――


「なっ⁉」


 俺は驚きのあまり一瞬で目が覚めてしまう。

 長いまつげに、透き通るような白い肌。

 綺麗な鼻筋に、ぷるんとした唇。

 無防備な状態で、南央が何故か俺の布団に侵入してきていたのだ。

 突然の出来事に、俺は息をするのも忘れたように、固まってしまう。

 ちらりとベッドの方を見れば、シーツが大きく乱れている。

 どうやら、ベッドから落っこちてきたらしい。


「ったくよ……」


 俺がふぅっと息を吐いたのも束の間。


「うぅ……寒い」


 身体を震わせた南央が、そのまま俺の方へと近づいてきて――


「んなっ⁉ ちょ⁉」

「うへへっ……あったかーい」


 ぎゅっと思い切り抱き着いてきたのだ。


「⁉⁉!⁉⁉!⁉⁉」


 俺の脳は、朝からフリーズを起こしてしまう。

 真正面から抱き着かれて、南央の柔らかい女の子の部分が色々と当たってしまっている。

 運動していることもあり、どこも身体は引き締まっているというのに、女の子特有のすべすべとした感触が伝わってきて――


「ちょ、南央……! 起きろって!」

「んにゃ……んにゃ……私、日本一」


 夢でも見ているのだろう。

 寝言を言いながら離れる気配がない。

 元々スポーツで鍛えていることもあり、抱き締めてくる力が半端じゃない。

 抜け出そうにも、中々力が入らないで苦戦していると――


 ガチャリ。


 無情にも、部屋の扉が開かれてしまう。


「慶悟……朝ごはんで来たわよ……って、アンタたち何してるの⁉」


 あーあ。

 ほらやっぱり、母さん昨日の事覚えてなかったよ。


「ん? どうしたの?」


 母さんの叫び声で、呑気に南央が目を覚ます。


「ま、まさかアンタ……南央ちゃん食べちゃったの⁉」

「食べてねぇ!!」


 俺は朝から、母さんに経緯を説明する羽目になった。

 その後、母さんには厳重注意を受け、今回はお咎めなしという形で事なきを得た。

 というか、南央に許可したの母さんだからね⁉


 こうして、南央のご褒美を果たして、ドタバタの朝を迎えたのであった。

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