第13話 声を掛けてきた少女

 無事に共通テストの模試試験が爆死して、迎えた月曜日の朝。

 俺はいつものように、スポーツウェア姿に身を包み、河川敷をランニングしていた。


 気落ちしている暇はない。

 再びサスケに出場する権利を得て、完全制覇を達成しなければ、南央と対等な立場に追いつけないのだから。



 俺は堤防の階段を駆け下りて、階段になっていない急斜面を垂直のように登っていく。

 1STステージのそそり立つ壁に似た仕様になっているので、練習には好都合なのだ。

 ランニングをしてやってきたのも、タックルで足が疲労困憊である状態を想定しての事。

 五回ほど上がっては下がってを繰り返してから、最後に堤防を登り切ってよじ登る。

 そのまま、俺は河川敷の向かい側にある公園へと入ると、園内にある鉄棒へと向かっていく。

 鉄棒に両手でぶら下がり、そのまま朝の懸垂を始める。

 こうした日常の場所で、どれだけサスケに似たシュミレーショントレーニングを出来るかが、クリアのカギになってくるはず。

 懸垂を五十回ほど終えて、俺は一旦近くにあるベンチへと座り込んだ。


「はぁっ……疲れた」


 朝からの高負荷運動は、かなりきつい。

 けれどこれも、すべては完全制覇のため。

 南央が日本一になってしまった以上、これぐらい自分を追い込まなければ、追いつくことは出来ない。


「にしてもなぁ……もうちょっと誰か観ててくれてもよかったとは思うんだけどなぁ……」


 ベンチに座りながら、そんな独り言を漏らしてしまう。

 南央のウィンターカップ制覇のせいで霞んでしまっているけど、サスケでサードステージ進出って、確率的にはかなり凄い事なんだけどなぁ……。


「一人ぐらい『テレビ観てたぞ!』って言ってくれてもいいのに……」


 ここまで誰かに注目されないとなると、流石に凹むし、モチベーションもマックスまで上がらない。

 俺がため息を吐きながら、陰鬱な気持ちになっていた時である。


「あの……佐野慶悟さんですよね? この前サスケに出場していた」


 唐突に名前を呼ばれて、俺は勢いよく顔を上げた。

 視線の先にいたのは、ちょこんと可愛らしい姿をした女の子。


 サイドテールに結んだ髪の毛。

 顔は小さく童顔で、小柄な体格をしている。

 女の子は胸元に手を当てながら、どこか緊張した様子でこちらを見据えてくる。

 その目はクリッとして、庇護欲をそそられる。


 俺ははっと我に返り、その女の子に向かって返事を返す。


「う、うん。そうだけど」


 俺が答えると、女の子はぱぁっと表情を明るくした。


「やっぱり! あのっ……私、この前放送されたサスケを観て感動したんです」

「えっ……それってつまり……」


 俺が唖然としていると、女の子はバッと手を差し伸べながら、頭を下げてきた。


「よかったら、私と握手してくれませんか!」


 突如目の前に現れた、俺のファンだという女の子に、握手を求められました。

 あまりの嬉しさに、つい頬が緩んでしまう。


「も、もちろんだよ」


 そう言って、俺は彼女の小さな手をぎゅっと握り締めて握手を交わす。


「あっ……」


 すると、女の子は目をぱちくりとさせたかと思いきや、顔を真っ赤に紅潮させた。

 陽の目を浴びるってこういうことなんだな。

 まるで人気者になった気分だ。

 浮かれてしまうのも無理はない。

 放送後、初めて声を掛けられたのだから。

 しかも、こんな可愛らしい女の子に。

 俺の顔は、さらに緩んでしまう。


「えっと……俺の活躍を観てくれてありがとう。これからも頑張るから、応援してくれると嬉しいな」

「はい! もちろんです!」


 彼女の返事は、すごくはきはきとしている。

 サスケに出場して活躍したことが、ようやく報われたなと、喜びをかみしめていた。

 嬉しさのあまり、目元が涙で歪んでしまう。


「えっと……君、名前は?」

「あっ……失礼しました。えっと、私は小塚雛こづかひなっていいます」

「小塚さんね。改めて、佐野慶悟です。応援してくれてありがとうございます!」

「いえいえ!」

「それにしても、どうしてこんな朝早くに?」

「そのぉ……実は私、忍高校の一年なんです」

「えっ、そうだったの⁉」


 まさかの後輩だったことに、驚きを隠せない。


「それで、毎朝ここで先輩がトレーニングしているのをお見掛けしてました。ずっと声を掛けようと思っていたんですけど、中々勇気が出せずにいたんです。あっ、私の家、あそこなんですよ」


 そう言って小塚さんが指差す先には、二階建ての一軒家が建っている。


「そうだったんだ……」


 俺はここ数年、トレーニングを毎朝欠かさず行っている。

 小塚さんは、いつからトレーニングを見ていてくれたのだろうか?


「あのっ! 先輩!」

「ん、どうしたの小塚さん?」

「何か、私に手伝えることはありませんか? 先輩は、次回のサスケに向けてトレーニングをしてるんですよね?」

「えっ……まあ、そうだけど」

「だったら、私にもお手伝いをさせてください! 私、先輩が完全制覇してる姿、是非見たいです」


 小塚さんから告げられた、完全制覇という言葉。

 俺が今最も欲している目標である。


「気持ちは嬉しいよ。でも、雛ちゃんに手伝えることかぁ……」


 俺は顎に手を当てて思案する。

 実際問題、サスケのトレーニングは走り込みだったり筋トレが中心になってくるので、小塚さんみたいな華奢な少女に手伝ってもらうとなると、内容が限られてきてしまうのだ。


「あっ、そうだ!」


 すると、小塚さんが、何か妙案が思いついたように手をパンっと叩いた。


「この手がありました! 私、先輩のお弁当を作ってあげます!」

「えっ、お弁当⁉」

「はい! 身体づくりはトレーニングも大切ですけど、必要な栄養素が何よりも大切だと聞きました! 私が先輩に栄養ある食事を作ってあげれば、先輩の身体もさらに鍛えあられてパワーアップするに違いありません!」

「で、でもそこまでしてもらうのは流石に申し訳ないというか……」

「心配無用です。こう見えて私、料理は得意なので」

「いや、そういうわけじゃなくて……」


 小塚さんは既にやる気に満ち溢れており、両手にぎゅっと握りこぶしを作っている。

 出会ってまだ十分足らずの人に、お弁当を作ってもらうのは、流石に気が引けた。


「早速、今からお弁当作りますので、お昼休み、楽しみにしてください!」

「あっ、ちょっと待っ――」


 小塚さんは聞く耳を持たず、踵を返して猛ダッシュで家へと戻って行ってしまった。


「……嵐のような女の子だったな」


 一人置いてきぼりにされてしまった俺は、そんな言葉を漏らした。

 にしても、まさか学校の後輩にファンがいてくれたとは……。

 結構身近にいるもんなんだな。

 小塚さんは、俺の完全制覇のサポートをしてあげたいと言ってくれた。

 その一環として、お弁当を作ってきてくれるらしいけど、本当に良かったのだろうか?


 ただ、一人でも俺のことを見てくれているファンがいることに、心躍っている俺がいるもの事実。

 ちょっぴり嬉しくて、浮ついた気持ちになりながら、俺はトレーニングを続きをして、家へと戻っていくのであった。

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