第15話 将来に対する唯ぼんやりした不安を抱えている

 そんなことは気にすることはない。間違いなく僕は愚かな時間の使い方をしている。君に指摘されなかったらいつまでも不甲斐ない生活を送っていただろうと龍平は受け答えた。


 だけど、今日は愛の告白をすることは無理だと気が付いた。その代わりに、ずっと不可解だと思い遣っていたことを聴いてみることにした。姫奈は芥川作品に特別な情熱を持っているのではないか。一体、芥川作品のどこに慰みを憶えるのかと。


「もちろんわたしは芥川の作品がとても好きよ。でもね。その作品だけに魅了されているわけではないの。芥川龍之介と男に心惹かれるのよ。芥川の色気について細かく解説するのは今はやめておきましょう。とても長い話になるから。ただひとつだけ教えてあげる。わたしは芥川の死にとても興味があるの。あんな目覚ましい小説を書く能力があって、世間にも認められていた人間がどうして自死に至ったのだろう。なにが彼を死に追いやったのだろう。


 芥川はよく言っていたらしいわ。いつも僕の将来に対する唯ぼんやりした不安を抱えていると。わたしも同じ性分なの。そして、やっぱりわたしも死に強い渇きを感じている。芥川はなにを成し遂げたときに、もう死んでも良いと考えたのだろうか。わたしはなにを完うすれば死んでも良いのだろうか。芥川のことを良く知ればその答えが出るような気がしてね。だから、彼の作品を何度でも読み返すの。今はまだ、答えは出ていないわ。わたしの読書の力が足りないせいね。」

 

 そうか。聴き覚えのある言は芥川のものだったのか。


「芥川が療養していた湯河原の空気を吸えば彼の気持ちが少しは分かるのかなと思ったのよ。申しわけないわね。あなたを巻き込んだりして。」


 龍平は姫奈の言を疑ったりはしなかったが、鵜飲みにすることも出来なかった。だっていつも愛嬌がこぼれるような笑顔を振る舞っているではないか。波風に堪えて生きているではないか。


「わたしはね。その答えを見つける為に精一杯生きているの。暗い部屋の中に閉じ籠って膝を抱えている人間だけが希死念慮に苛まされるわけではないのよ。」


 姫奈は欅の木から二三枚の葉を千切って言い継いだ。


「こんなに簡単に命というものは傷を負わされるものなの。」


 見たことのない面貌をしていた。どこか心寂しそうだったが、滲み出ているものは悲哀だけではなかった。龍平には姫奈が強くなにかに憧れていて、それがまだしばらくは手に入りそうにないという心が冷たくなる程の絶望感を背負っているように映った。


「誰もが認めてくれる死の理由などないのかしら。実はそういうものはあるのだとわたしは信じている。認めて貰う為にはね、日頃から死に憧れていることをみなに知っておいて貰う必要がある。


 わたしが死を怖れるのではなく、夢見ていると知っていればわたしが微笑む死体になったとき、きっと意思を尊重して貰えたことになるでしょう。あなたにも良く覚えておいて欲しいわ。わたしは為すべきことを遂げたら、招かれさえすれば進んで逝くわ。抜け殻になったわたしを見ても哀れに想ったり、泣いたりはしないでちょうだい。わたしは誇りを持って逝くのだから。決して投げやりになったり、諦めて死に絶えることはないと思うわ。」


 これから愛を告げようとしていた女にこんなことを言われてしまっては龍平のように固まってしまうのも無理からぬことだろう。かけるべき言が見つからない。もちろん死んで欲しくないとは望むが声にならないのだ。姫奈のことだ。信念に基づいているのなら、他人の提議になど耳を傾けないだろう。彼女の根性を認めているからこそ軽はずみな発言は出来っこない。姫奈と論じ合って説き伏せる自信などない。ただ、黙っていては薄情なことになる。喋らなくてはならないが、文句が浮かばないというのは煩わしいことだ。

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