第14話 旅行の行き先を話し合ったら僕は愚かしいと言われた

 夏合宿が終わってから龍平と姫奈はしばらく連絡を取り合うこともなかった。龍平は姫奈に会いたいとは思っていたが、次に会うときは合宿最後の夜に姫奈に突き付けられた質問の答えを返さないといけないと思っていたので、自分から連絡を取りづらいと堪えていたのだ。

 

 夏合宿が終わってからちょうど十日経った日に龍平の携帯電話が鳴った。発信元は姫奈である。嬉々として電話をとった。


「龍平。あなた一週間後は暇かしら。颯太先輩に旅行に誘われたのだけどわたしひとりでは退屈だからあなたも一緒に来て貰えないかしら。」


 もちろんすぐに了解した。これは願ってもいない機会である。どこかでふたりきりになれるきっかけもあるだろう。そのときに自然に自分の気持ちを伝えれば良い。


「それで、どこに旅行にいくか考えないといけないのだけど明日学校の食堂で会えないかしら。」


 当然すぐに同じる。学校で告白するのは情緒にかけるからやめておこうと思ったが素直に姫奈にすぐに会いたいのだから。


 明日の昼には姫奈に会える。そう思い遣ると胸が高鳴ってその夜はなかなか寝付けなかった。


 久し振りに会った姫奈はやはり可憐であり愛おしくもあり、どこか田舎臭かった。あの合宿での弁論会で見た凛々しい顔ではなくなっていた。あまりにも、無垢な様子であった為あの日の夜の取り交わしを忘れてしまっているのではないかと疑うくらいだ。


「わたし湯河原に行きたいの。」


 姫奈が言い出したら梃子でも動かない。だが、なぜ湯河原なのだろう。若い女であればもっと華やかな場を好むのではないだろうか。


「決まっているじゃない。湯河原は芥川と縁の深い場所よ。一度はそこの空気を吸ってみたいじゃない。」


 この女は真に芥川を尊崇しているのだ。弁論会で龍平が取り上げる本を予言してみせると嘯いたことがある。しかし、あれは偏に自分の好みを吐露したに過ぎないのではないだろうか。龍平がそれとは違う書の名前をあげても強引に姫奈の選り抜いた羅生門に付き合わされたのではないだろうかとすら龍平は訝っていた。


 旅行は一泊二日で計画していて見物先も宿泊先もすべて姫奈に任せられているという。しかし、姫奈にも特段訪ねてみたい場所があるわけではない。今では取り壊されてしまっているが芥川の療養していた中西屋という旅館の跡地にさえ行ければ、後は湯にでも浸かってのんびりと時間を使いたいのだと言う。なんだ。わざわざ僕が来なくても予定は決まっているではないか。拍子抜けもしたが、姫奈の顔が見られたから本望なのだ。


 姫奈はこの後に用事を控えているのでもう帰らなくてはならないと言った。龍平は少し落ち着かない。告白というものを今日するべきか、また今度にした方が良いのか戸惑っていたのだ。大学から駅に向かう途中に公園がある。そこで落ち着いて話をして、風情が良ければそのまま打ち明ければ良いだろうと考えた。


 姫奈もまだ少し時間を持て余していたのだろう。公園のベンチに座って缶珈琲を買って欲しいと龍平に求めた。わたしなどはなんと厚かましいと思ってしまうが、龍平は笑顔でそれに従った。惚れた女には逆らうことが出来ないのか、それともこれはいい機会だと期待したからなのか。


「龍平は夏休みはなにをして過ごしているの。」


 退屈で仕方がない。たまにアルバイトをしているが相変わらず読書ばかりしていると答えた。しかし、これは真実ではない。多くの時間を恋愛小説「無題」に向かって過ごしてきた。ただ、小説はまったくと言っていいほど進展していなかった。記憶を失くしかけている夏苗と恋人の斗真の愛をどのように描写したら良いのか、龍平には妙案が浮かばなかったのだ。


「自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。」


 姫奈の口にした言はどこかで聴いたことがあった。今は想い出せないが。


「愚かしい。」


 この程度の口舌では龍平は憤ることはない。ただ、ちとだけ萎えた。そうならないようになるべく明るい調子で姫奈にも同じことを聴き返した。


「いつも通りよ。僕はいつも僕の将来に対する唯ぼんやりした不安を抱えている。」


 またどこかで聴いたことのあるようなことを言う。


「わたしはあなたよりずっと愚かしいわ。ごめんなさい。失礼なことを言って。」

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