異色な移植
平葉与雨
新天地
温かい風が髪を通り抜けても、聞こえてくるのは知らない音だらけ。
昨日まで聞こえていたあの鐘の音は、二度と耳に入ることはない。
都会から遠く離れた山奥に、どこにでもありそうな小さな村がある。
私はその村で生まれ育った。
村の中央には小さな時計台があり、その上部に鐘が一つ吊るされている。
一日の中で鐘の音が聞こえるのは、七時・十二時・十九時の三回だ。
私は時計台から少し離れた丘に住んでいたが、鐘の音はいつも風に乗ってやんわりと聞こえていた。
私はあの音色が大好きだった。
引っ越しを告げられたのは一週間前。
その日は朝から雨が降っていた。
あの村は一年中天気が良く、雨が降ることは少ないのだが、私の気持ちを代弁しているかのように、村は一日中泣いていた。
いつもは七時の鐘で目が覚めるが、昨日はそれよりも早かった。
そんな朝早くにも関わらず、村人たちが私を見送るために待っていた。
「言ってしまうのかぁ」
「寂しくなるねぇ」
私のところによく来ていた二人がそう囁いたのだが、あの時の私はいったいどんな顔をしていただろう。
身なりを整えトラックに乗った私は、皆の気持ちを受け取り、時計台を見つめながら村を出た。
気持ちよく見送りたかったのか、村の天気はここ最近で一番良かった。
ただ、もう一度。
もう一度だけ、あの鐘の音を聞きたかった。
引っ越しが終わってから三日が経った。
今日の天気は曇り。
近くを通った声によると、この町は一年の半分以上が曇るらしい。
天気が悪いとどうも調子が上がらない。
私はこの町でやっていけるのか不安になった。
昼過ぎ、ある少女が私に話しかけてきた。
「わたしも最近引っ越してきたの。よろしくね」
少女はどこか悲しげな顔をしていた。
この子も不安でいっぱいなんだと思い、私は今できる精一杯の動きで励ました。
しかし、少女は特に反応せず静かに去っていった。
私は何もしてあげられず、悔しい思いでこの日を終えた。
翌日。
今日の天気も曇り。
相変わらず調子は上がらない。
この町の音にも慣れてきたが、聞きたい音は別にある。
私はあの鐘の音が恋しくなった。
昼過ぎ、犬と散歩をしている少年が私の近くに来た。
「ベル、ここで休もうか」
こんな時にベルとは……神様も意地悪だ。
そう思っていたら、少年が話しかけてきた。
「最近引っ越してきたんだってね。前の場所は良かった? そこは知らないけど、ここも負けてないんじゃないかなー」
どうやら少年は私を励ましているらしい。
確かにここも悪くない。
あの村の丘よりも少し高く、風もよく通る。
だが、まだ気が晴れない。この町の天気と同じように。
少年とベルは少し休んだ後、来た道の反対方向へと歩いていった。
あれから一週間、少女と少年とベルは毎日私のところに来ていた。同時に来ることは無かったが、毎日だ。
少女は初めて見た時から少しも変わっていない。曇り続ける空のように、いつも暗い顔をしている。
一方、少年はベルと一緒にいていつも明るい顔をしている。
彼らに出会えば少女は明るくなるかもしれない。
私に力があれば……。
再び悔しい思いでこの日を終えた。
翌日。
天気は雨。
ここに来てから初めて降ったが、あの者たちは来るだろうか?
そう思っていると、青い傘を差した少女が歩いてきた。
「はぁ。寂しいなぁ。前のところに戻りたい……。あなたもそう思ってる?」
私の気持ちは少女と同じだ。ただ、今日は特に調子が悪い。
反応したい気持ちは山ほどあったが、動くことは出来なかった。
少女は水溜まりに映る自分をぼーっと見たあと、傘をぐるっと回してから去っていった。
いつも以上に悲しく見えたあの背中は、雨のせいか、それとも青い傘のせいか、私には分からない。
静かに降る雨の中、私は誰にも気付かれることなく泣いた。
翌日。
天気は曇り。
昨日は雨だったからか、少年とベルは来なかった。
今日は来るだろうか? いや、来て欲しい。
しばらくして、彼らの声が聞こえてきた。
「ベル、やっぱり外は気持ちが良いな!」
「わんっ!」
良かった……来てくれた。
その笑顔で私の心を晴らしてくれ……!
そう思っていたら、彼らの後ろから誰かが来るのが見えた。
——少女だった。
今まで一度も同時に来たことが無かったため、今は曇天の極みだが、私にとっては青天の霹靂であった。
少女の気持ちを晴らせてやってくれ……!
私は少年とベルに期待したが、しばらく何も起こらなかった。
そもそも、彼らは少女に気付いているだろうか?
諦めかけていたその時、少女のほうに動きがあった。
「あの……」
「ん、なんだい?」
「わたし最近引っ越してきて、その……」
「そうなんだ。ようこそ! って言っても、僕も半年前に来たばかりだけどね」
「そうなの!?」
「うん。こっちで友達はできた?」
「まだなの。それでその……もし良かったら……」
「じゃあ僕が友達第一号だね!」
「良いの?」
「もちろん!」
「ありがとう! わたしはエバ。よろしくね!」
「僕はランス。こっちはベル。よろしく!」
少女の顔が今までで一番明るくなった。
彼らがいてくれて本当に良かった。
ただ、少しだけ悔しさが残った。
私は何も出来なかったのだ。何の役にも立てない存在なんだ。
そう落ち込んでいた時、何かが頬を触れた。
——少女の手だった。
「ねぇ、ランス。いきなりだけど謝らなきゃいけないことがあるの……」
「本当にいきなりだね。で、どうしたの?」
「実はね……友達第一号は、この子なの」
突然の告白に驚き、私は全身が硬直した。
一方、それを聞いたランスに驚きは見られなかった。
「やっぱりそうなんだね」
「知ってたの?」
「うん。いつも見てたから」
「恥ずかしい……なんで声かけてくれなかったの?」
「エバのためさ」
「わたしのため?」
「うん。周りの人が変えるんじゃなくて、その人自身が変わろうとすることが大事だからね」
「わたし自身?」
「そう! 過去ばかりになっていると、人はなかなか前に進めない。今と向き合った時、人は変われるんだよ」
「そうなのかなぁ」
「エバだって変わったよ」
「本当に?」
「うん。上手くは言えないけど、なんかスッキリした感じ!」
「ランス……ありがとう!」
「いいよ。でもベルも忘れないで」
「ごめん、ベルもありがとう!」
「わんっ!」
二人は空を見上げて笑い合い、ベルは尻尾を大きく振った。
私はふと、あることに気が付いた。
この頃、あの鐘のことよりもエバのことを考えていたのだ。エバと自分を重ね、どうしても助けたかったのだろう。
結局、私に出来たことは話し相手になることだけだったが。
でも、それで良かったのだ。
私もいつの間にか変わることが出来たんだ。
目の前にいたエバと向き合ったから。
エバ、ランス、ベル。
皆に会えて本当に良かった。
私はこれからずっと、ここから君たちを見ているよ。
そして、またいつかエバのような子が現れた時、私が友達になってあげるんだ。
——ビューーーン。
前方から温かい風が吹いて、私の髪を通り抜けていく。
カーン・・・カーン・・・
今、あの鐘が鳴った気がする。
いや、気のせいだ。もう昼過ぎだから——。
雲間から太陽の光が漏れ出ている。
よし、調子を上げますか!
私は背筋を伸ばして髪全体に光を浴び、光合成を始めた。
異色な移植 平葉与雨 @hiraba_you
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